天才と凡才【第一話】
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【小説】天才と凡才
第一話
プロローグ
第6回日本よだか文学賞には、23歳の木村唄子さんの作品「ローマに恋をして」に、決定しました。
選考委員会は9月4日、作家の青葉圭、亀嶋ゆかり、岸田菜摘、濱崎ユカ、間宮はるみ、吉川満次郎(五十音順)の六委員が出席し、厳密な審査が行われました。
文学賞は、満場一致で木村さんに決定。作品を拝見した選考委員からも、感動の声が届いています。
【選考委員からの選評】
双子の姉である唄子が、文学賞に受賞した。
炬燵で蜜柑の皮をずるずると剥きながら、沙莉はふぅとため息をつく。いつだって、そうだ。唄子は、欲しいものを全部横から奪ってゆく。
そもそも唄子は、昔から作家になりたかった訳じゃない。いやいや、むしろ。唄子は昔から、夢なんて何一つ持っちゃいなかったはずだ。
唄子は、昔から飄々とした表情の女だった。気分屋で、自信家、我儘なのに、多くの人たちから愛されて生きていた。
唄子が陰で努力している姿は、これまで一度も見たことがない。にも関わらず、天才の唄子は、何をやっても結果がついていく。周りの大人たちからは、神童とも呼ばれていたっけ。
それに比べ、凡才の私はどんなに努力をしても、さっぱり芽が出ない。あの女は、私の横から夢や希望を、すべて奪い取り、嘲笑うのだ。
沙莉は、白い筋で覆われた蜜柑を、思い切りギュッと拳で潰す。指の隙間から、蜜柑の汁がポタポタと滴り落ちる。
沙莉は、服の上から手を勢いよく擦り付け、汁をそそくさと拭いた。沙莉は汁が僅かに残った手をそのままに、無我夢中で携帯を掴む。
携帯を手にした沙莉は、決死の形相で画面をスクロールし続ける。沙莉は、X(旧Twitter)で唄子の作品について、血眼になってエゴサーチをし始めた。
SNSを遡れば、誰かが唄子の作品についてネガティブな発言をしているかもしれない。しかし、SNSを辿ってみても、彼女を賞賛する声しか見つからない。
絶賛の声ばかりで、面白くない。沙莉は、携帯をぶんと宙に放り投げた。携帯は勢いよく壁に当たり、がしゃんと音を立てて床に転がった。
唄子のこと、みんな綺麗と褒めてる。見た目が綺麗だから、心も美しいに違いないって。そんなの、あなたの思い込みでしかないでしょうに。
一卵性双生児で同じ顔の筈なのに、どうして唄子ばかり綺麗と褒められるのかしら。沙莉は、自分の頬に手を当てる。昔から「可愛い」「美人」と持て囃されるのは、いつだって唄子だけ。
俯き加減で猫背の私は、表情の暗さもあってか、一度も容姿を褒められたことはない。
——なぜ、唄子ばかり?瓜二つの、まったく同じ顔なのに……。
きっと、唄子が美しく見えるのは、自信に満ち溢れていて、いつも笑顔だからだろう。どうして唄子は笑顔なのに、私は彼女と同じように笑えないんだろう。
いつも、隣でふんふんと鼻歌を歌いながら、髪をとく唄子に苛立つ日々。いつもニコニコと嬉しそうに過ごす彼女を見る度に、沙莉は思った。どうすれば、彼女のように美しく笑えるのだろう、と。
ふと唄子の行動を振り返った沙莉は、あることに気づく。唄子は美を保つために、定期的にエステに通っていたはず。エステに通えば、自信がついて、笑顔になれるのかもしれない。
単純明快な発想とは理解していたが、そう感じた沙莉は、すぐさまエゴサーチをやめ、今度は美容エステ、美容医療に関する情報をひたすら探し続けた。
しかし、美容エステや美容医療を根気よく調べたところ、どうやら一回では変化が難しく何度も通う必要があるとのこと。
時間がかかるのは、駄目。そもそも沙莉の所持金は、現在5万円ほどしかない。エステに通い続けるのは、お金も時間もかかるからダメだ。
もっと、効率よく。できれば時間をかけずに、運命を大きく変えられそうなものを見つけなければ……。
ネットサーフィンを続ける中で、ふと沙莉の目に飛び込んできたのが「どんな願いも叶う。ミラーペンダント」という商品だった。
ミラーペンダント
漆黒の色をしたミラーペンダントの広告バナーは、全体的にどこかおどろおどろしいデザインだった。沙莉は思わず、バナーをクリックするのを躊躇う。
沙莉は、恐る恐る広告バナーをクリックする。
「キィィィィ」
ガラスを引っ搔いたような、奇妙な音が轟く。沙莉は恐怖で「ひぃ……」と声をあげた。クリックした先のページ中央には、「幸せを覚悟できる人だけ、お入りください」という文字が、弱弱しいフォントで書かれていた。
沙莉は、文面にどこか不気味さを覚え、ごくりと唾を飲み込む。
幸せになる覚悟、か……。沙莉は、自分の心にそっと胸を当てる。その文を見るなり、幸せや成功を手にするには、覚悟が必要なのかもしれないと、沙莉は思った。
沙莉は勇気を出して「幸せを覚悟できる人だけ、お入りください」の文字をクリックする。すると、開いたページには、商品の説明についてつらつらと書かれていた。
ホームページの商品説明によると、ミラーペンダントとは、ペンダントトップに鏡がついた、メッキ素材のアクセサリーらしい。
広告の一文によれば、そのペンダントをつけると、その時心で感じた願いが、何でも叶うそうだ。
【どんな願いも叶える!ミラーペンダント】
「あなたの願いを叶える」という言葉を見た瞬間、沙莉の心臓はドクドクと高鳴る。
このペンダントさえ持てば、私も作家になれるのだろうか。沙莉は、そのペンダントが欲しくてたまらなくなった。
唯一気になった点と言えば、「身の丈に合わない願いが叶った場合、その犠牲として大切な人が、罰を受ける可能性がある」という項目だ。
沙莉は、ふと母と姉のことを思い出す。沙莉は、母も姉も、どちらも大がつくほどの嫌いだ。唯一可愛がってくれた父は、数年前に他界している。
沙莉の父は、数年前に家の中で、心臓発作で倒れ、この世を去った。
父の死体を一番最初に発見したのは、沙莉だった。父の死体は、まるで全身からすべて血が抜き取られたかのように、真っ青な状態をしていた。
目は白目をぐるっとひん剝いており、口からはピクピクと泡を吹いている。父の表情は、まるでこの世の終わりをみたような顔だった。奇妙な父の姿は、今でも忘れられない。
沙莉が母に、父の様子がおかしいことを伝えると、母は「いっ、いゃぁぁぁ!」と大声でわめき出す。やがて母は、震える手で救急車を呼んでいた。
父の死体は、腕、足がぐりっと捻れた状態だった。死体が奇妙なため、一時は事件性も疑われた。しかし、第三者の指紋が確認できなかったことから、病死として片づけられてしまう。
専業主婦だった母は、父の死後、死亡保険と遺族年金でやりくりを重ねていた。母は、働かないのだろうか。そう何度か声をかけようとしたが、どうやら死亡保険でかなりの額が入ったらしい。
母は父が死んでから、憑き物が取れたような顔をしていた。父の生前は、いつも私のやることなすこと口出しするから面倒だと、そう言えば言っていたっけ。でもだからって、死を悼まないのは配偶者としてはあまりにも残酷だ。
父は、とても優しい人だった。どうして母じゃなくて、優しい父が死ななければならなかったのか。沙莉は父が死んでから、悲しみに暮れていた。
そんなある日、突然姉の唄子が「海外留学をしたい」と我儘を言い始める。父が死んで、まだ数ヶ月しか経っていないのに。家族を顧みず、身勝手な発言を取る姉に、沙莉は憤慨した。
母は、そんな姉に対し、「この子は特別だから」と疑うことなく、すぐさまお金を用意した。母も母で狂っていると、沙莉は思った。
父の遺影に手を合わせるのは、結局沙莉だけ。母も姉も、誰も仏壇へ手を合わせようとしない。沙莉のイライラは、日々募るばかり。父は、唄子のことだって可愛いがってくれたのに。姉は、恩を仇で返す女なのだろう。
ちょうどこの頃、沙莉は大学への進学を希望していた。ところが、沙莉は進路相談で学校の先生から「進学は難しい」と伝えられる。沙莉はショックのあまり、呆然とした。
てっきり、私もみんなと同じように、大学へ進学できると思っていたのに。沙莉は大学に進学できないと知り、がっくりと肩を落とす。
すると母は、沙莉の手を引いて、ある作業現場へと向かった。
「明日から、ここで働きなさい。あなたにとって、生きる場所になるかもしれないから」
母は、どこか決まりの悪そうな表情で、ボソッと囁く。作業現場には、破棄のない表情をした人、ぶつぶつと何かを呟いている人、キョロキョロと終始落ち着きのない人など、人のタイプも千差万別だ。その光景を見るなり、沙莉は自分の未来を諦めた。
その日から、沙莉は母の指示通り、その現場で箱詰め作業の仕事をし始めた。唄子は海外留学のお金をポンと出してもらえるのに、自分はなぜ大学に行かせてもらえないのだろうか。
細々と作業現場で仕事をこなしつつ、沙莉のモヤモヤした気持ちは止まらない。
姉の唄子は、海外留学したのち、わずか数か月後に大学を中退した。中退後は、世界中を旅し、呑気に遊び惚けているらしい。
大学に行く気がないなら、私にその席を譲ってくれればよかったのに。沙莉は、母が姉ばかり依怙贔屓するのが、昔から許せなかった。
私には、既に大事な人なんて一人もいない……。沙莉は、躊躇うこともなくペンダントをカートに入れ、購入手続きをし始めた。
このミラーペンダントで人生が逆転すれば、唄子を見返すことだってできるかもしれない。それに、父の死を何とも思わないような、血の涙もない母、姉が犠牲になっても、私には関係ないわ。
本当に願いが叶って、人生が変わるなら安いものだと、沙莉は感じた。
それから数日後、ミラーペンダントが沙莉の元に届く。ペンダントが入っていた箱は、かなりボロボロな状態で、四隅は穴が空いている。届いた日が雨だったこともあり、雨水が中に侵入している様子も感じられた。
高価な商品だったにも関わらず、あまりにボロボロのパッケージだったため、沙莉はかなり憤慨した。パッケージを開けると、箱の中央にペンダントが無造作に入っているのを確認する。
梱包材が入っていないことに対し、「10万円もしたのに」と、沙莉は強い苛立ちを覚えた。これで商品に価値を感じられなければ、正直消費者センターに訴えてやろうとも、沙莉は考えた。
ペンダントの中央には、鏡のシールが貼られており、素材もメッキのせいか、所々剥げている。あまりに簡素な作りのペンダントだったので、商品を見た瞬間、思わず騙されたのかもしれないと、沙莉は思った。
沙莉がそのペンダントをつけると、身体中にビリビリと電気が走るような感覚を覚える。
「えっ……。な、なに?」
ペンダントをつけた瞬間、沙莉の体全身は熱くなり、ほてりを感じた。その途端、不思議なことに、体が勝手にするすると動きはじめたのである。
「やめて」
声を出そうとしても、体は止まってくれない。やがて、背中を強く何者かにドーンと押される感覚のまま、沙莉の体は廊下をスーーッと進んでいく。体は唄子の部屋前に辿り着き、ドアが勝手に「バーン」と音を立てて開いた。
沙莉の体は、部屋の中にすうっと吸い込まれていく。気づくと、沙莉の体は、唄子のノートパソコンの前に座っていた。
ノートパソコンは唄子のものなので、もちろんパスワードなんて知る由もない。にも関わらず、沙莉の指の動きは止まらない。指が勝手に動き、なんとパソコンのパスワードを解除したのである。
「ひっ……ひぃ……。な、何で勝手に指が動くのよ……。やっ、やめてよ……!」
恐怖のあまり、沙莉の顔が強張る。それでも、体は勝手に動き続けていく。どんなに「やめて」と願っても、指の動きは止まらない。
自動でパカっと開いたパソコンは、何もしなくても電源がつき、指は勝手にキーボードの上で流暢に踊り出した。
カタカタとキーボードを打ち込む音が、部屋いっぱいに響き渡る。部屋の電気は、消えたりついたり不安定な状態だった。沙莉の指はそのまま止まらず、勝手にカタカタと音を立てて動き続けたのである。
ふと画面に目をやると、驚きで沙莉の顔が止まる。なんと、あっという間に小説が完成していたのだ。驚いたのは、それだけではない。なんと、勝手に指が動いて、その作品を「第7回よだか文学賞」に応募へと進めていたのだ。
文章が書き終わってしばらくの間は、沙莉の腕と体全身は、まるで鉛のように重かった。
無理もない。自分の意思とは裏腹に、三日三晩一睡もせずに、沙莉は小説を書き続けていたのだから。
小説を執筆する間、時には睡魔が遅い、沙莉はウトウトと眠りにつくこともあったが、腕の動きだけは一切止まらなかった。
朝に目が覚め、腕がまだカタカタと音を鳴らす様子を見て、沙莉は恐怖で心臓がキュッと苦しくなった。
やがてすべての作品を書き終え、作品が応募まで進むと、急にパソコンの画面がプツッと消えた。その瞬間、沙莉はその場で倒れるように眠り続けた。
そして一年後、沙莉は唄子と同じ文学賞に入選。文学賞のお知らせが届いた時、沙莉は嬉しさよりも恐怖心で全身が震え続けた。これは一体、夢なのか。それとも……。
作家デビュー
沙莉は不思議なペンダントのお陰で、あれよというまに作家としてデビューすることとなった。
選考委員の中には、憧れの濱崎ユカの姿もある。入賞式で濱崎の姿を見るなり、沙莉は緊張のあまり手の震えが止まらない。
濱崎は、人気の売れっ子作家だ。個性的なファッションに身を包んでいることから、ファッションリーダーとしても呼び名が高い。
濱崎は、その日も鮮やかな服を身に纏っていた。濱崎の全身から醸し出す売れっ子オーラに怯み、沙莉は思わず後ずさりをしてしまう。
そんな沙莉に対し、濱崎は優しく「おめでとう」と声をかける。沙莉は憧れの人に声をかけられ、頬を赤く染めて興奮した。憧れの濱崎からは、なんと選評まで頂いた。
選評を読んだ途端、沙莉は嬉しさのあまり膝がガクガク震えて止まらなかった。なんと、憧れの人が自分の作品を読み、感想までくれたのだ。
とはいっても、作品を仕上げたのは自分ではない。全ては、ミラーペンダントのお陰だ。正直なところ、作品を自分で完成させた訳ではないので、受賞した時に達成感のようなものは感じられなかった。
それでも沙莉からすれば、憧れの濱崎ユカが、自分の存在を知ってくれただけでも嬉しかった。
「あの……ずっと。ずっと、作品を小さい時から読んでいました……」
沙莉は震える声で、濱崎にそう伝えた。
「ありがとう。そんな風に言ってもらえるなんて、嬉しいわ」
濱崎は、優しい口調で答えた。嬉しさのあまり、沙莉はすっかり興奮する。
「私ずっと、濱崎さんの作品が大好きで、全作品読んでいます。とくに濱崎さんのデビュー作である「孤高の女神」は、私が作家を目指すきっかけとなった一冊です。
孤高の女神では、社会に馴染めない女性が、魔女との出会いをきっかけに、どんどん成長していく姿が素敵でした。
とくに、作品の60ページで、主人公のユキが『私は不器用な性格だけど、幸せになることを絶対に諦めないんだ』と、言い放つシーンは最高でした。
2作目となる『日曜日のナナ』は、孤児院育ちの女性が環境に負けず、一生懸命奮闘する姿が素晴らしくて、何度も勇気をもらえました。
3作目の『サツキの憂鬱』では、障害を抱えながら、前へ一歩進もうとするサツキの姿に自分を重ねたこともあります……。
とくに132ページのサツキの母のセリフも素晴らしくて、一語一句覚えています!」
「へぇ。ページから、セリフまで覚えているなんて。あなたって、記憶力が凄いのね」
「そ……そんな!私、普段は、記憶力は全然働かないんです。
でも、好きなことに関しては不思議と能力を発揮して、濱崎さんの作品なら何ページにどんな内容があるかも全部伝えられるかと……。
あっ。すいません!ついつい、自分の話ばかりしてしまって。
癖なんです。興奮すると、頭に浮かんだことをブワーッと一方的に話してしまう癖があるんです」
申し訳なさそうにペコペコと何度も頭を下げると、「ふふっ。いいのよ」と言って、濱崎さんは手を差し出してくれた。
まさか、濱崎さんと握手までできるなんて。濱崎さんの手を握ると、とても温かくて、優しい手だった。手を握った瞬間、沙莉は嬉しさのあまり涙が溢れて止まらなかった。
「こんなに感激してくれるなんて。今まで、頑張って小説を書いてきて、本当によかった。あなたも、これから頑張ってね」
濱崎さんはあの日、優しい声で確かにそう言ったのに。翌日、沙莉の目に信じられないニュースが飛び込んできたのである。
作家の濱崎ユカが、死亡したのだ。
【第二話へ続く】
【第二話~第四話リンク】
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