見出し画像

サーカスとチョコバー

この世には無敵の組み合わせ、というものがある。幼稚園に上がった頃、そのことを知った。

私にとって、それはサーカスとチョコバー。
ちょうどその頃、人気を博していた木下サーカスというものに、祖父と行った時のこと。その頃まだ赤ん坊だった妹と忙しかった父母を置いて、おじいちゃんは孫の私1人を後楽園で行われていたサーカスに連れて行ってくれた。
それも何回か。

大人とお出かけ、というだけでハイになる大イベントだったが、そこには幼稚園児のテンションをさらに上げるマル秘のオマケがあった。いやむしろオマケの地位を超えて主役というべきか。

それはチョコバー。
あのアメリカ駄菓子の横綱、スニッカーズとか、ミルキーウェイとかいうものである。駄菓子などという呼び名を知らない当時の私にとって、雲の上の食べ物。見たことも聞いたことも無い遠い国からやってきた食べ物だった。それこそサーカス級、異次元のお菓子。

はじめてソレを口にした時の衝撃は忘れられない。あの悪魔の甘さに直撃された4歳の脳は叫んだ。こ、こんなにアマイものがこのよにあるんだ!

そう、それ以来チョコバーは母に厳しく全面禁止されていたからこそ、普段絶対に手が届かないシロモノだからこそ、憧れの頂点でキラキラ輝いていた。

その悪魔の食べ物、いや失礼、禁断の食べ物がサーカスに行く時だけは思うさま手に入るのである。どうしてかって?おじいちゃんに頼めば、買ってもらえるのである。悪知恵が働くようになっていた私は後楽園に行く道すがら、おじいちゃんにねだるのである。
ここぞとばかりに選び放題、何本も。

夢ではないか?いや夢ではない。
行きと帰りの電車の中で私は1年分(いや数年分かもしれない)のチョコバー数本をバリバリと食べた、食べた。目を丸くしてビックリしているおじいちゃんを尻目にパクパクと。
家に帰ってみつかる前に食べ切って証拠隠滅。

禁止されているからこそ、なおさら美味しい。
お行儀の悪いこと甚だしい、電車の中の孫とおじいちゃん。悪いことをしているという自覚、あったと思う。どちらにも。口のまわりがチョコでくわんくわんになって、母にはバレバレだった?かもしれない。孫に甘いとこっぴどく叱られていたのかもしれない。

でも。
共犯の汚名を着せられてもおじいちゃんは懲りずに何回か私をサーカスに連れて行ってくれた。

あの頃のおじいちゃんと私、無敵の組み合わせだった。あの甘さを超えるものは、まだみつかっていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?