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えん結びの花 十一・刻々
11月3日。金曜日。午前10時。
「天気は下り坂か」
昨日までの秋晴れはなりをひそめ、朝から肌寒い曇天の空が広がっていた。
始発の駅前から乗車したバスは目的地で降りるまで楓我と進歩の貸切状態だった。
街の停留所を全て素通りして市街を抜けたバスは蛇行する峠道を登り、30分ほどで山中にただ一つの停留所、柴森山峠停留所で二人を降ろし、からっぽの車体で峠を降りていった。
ディーゼルエンジン音が消
えん結びの花 十・確証
「見守る?」
「そうだ、あいつは守るべき存在なんだ!」
進歩が今までになく感情的に叫ぶ。
雫はそんな進歩を見て切なげに目を潤ませていた。
「でも、雫さんはお前のことを……」
「それでもだ。勘違いしているだけさ」
「勘違い? いや、前から思っていたが……、そういうことを雫さんの目の前で言うか?」
「何度も言ってるよ」
えっ? と楓我が振り向くと雫はうん、と苦笑いして頷いた。
──……なんて歪
えん結びの花 九・否定
「ハイ。楓我、なぁに?」
マリーの明るい声が鼓膜をくすぐる。
「君を食事に誘いたいんだ」
「それは……、どうしてかな?」
スピーカーの向こうの声は探るようなイタズラっぽい響き。鈴が鳴るような愛らしい声は聞くだけで気分が舞い上がりそうだった。
「マリーと一緒にソバを食べたいんだ。あの時みたいに、八年ぶりに」
少しの間、静寂が流れる。
「……私、山菜ソバがいい」
マリーの声は優しかった。
「あ
えん結びの花 八・確信
今日も取り巻きは無く、玲王は一人だった。
怪我をしたのか、左手首にテーピングをしている。
「よう」
威勢と態度こそ以前と同じに見えるが、その声は前よりも幾分落ち着いているように感じる。
「怪我したのか?」
「ちょっとな。それより……」
玲王が進歩たちを横目で見た。
「僕たちはいい。先に用を済ませてくれ」
楓我の顔を見た進歩は妙に優しげな笑顔で玲王にどうぞ、と促す。
見た感じは遠慮してい
えん結びの花 六・予測
「ここはひと気が無くていい」
進歩は楓我を連れ、かつて杏月と話をした中庭に来ていた。
──わざとか?
楓我にとってあまり来たくない場所ではあるが文句も言えない。それに。
「てっきり、サービス課にでも行くのかと思ってた」
「君を突き出しても何も面白くない」
暴力を振るった罪は償う覚悟だったのだが、と楓我は戸惑う。
ただ、ここまでまっすぐ来た訳では無い。進歩は途中で保健センターに寄り、止血と
えん結びの花 五・困惑
同日。午後5時。
純喫茶『和心』は今どき珍しい個人経営の喫茶店だ。
楓我が静かに一人の時間を求める時に利用している場所で、人を誘うのは大知以外は初めてだった。
小さなテーブルの上にはパンケーキプランツとも呼ばれるピレアという小さな植物がブリキの鉢植えで置いてあり、暗めな店内のアクセントになっている。
そんな馴染の店で楓我はコーヒーの味がわからないほどに緊張していた。
「くしっ!」
「寒い
えん結びの花 四・進行
10月28日。土曜日。午後1時。
葬儀は家族葬のためしめやかに進められた。親戚が三人来た以外来客はなく、その親戚も今は別室で休んでいる。
客間に棺が置かれ、そこにいるのは大知の両親と楓我の三人だけだった。
「慌ただしくてすまないね」
ぬるいお茶で喉を潤し、裕三が独り言のように呟く。
楓我は黙って頭を下げる。
「それに、死に顔も見せられなくて本当に申し訳ない」
「いえ、検死が必要な状態だっ
えん結びの花 三・予感
「ねぇ、さっき大きな声がしていたけど……」
ふと、後ろから聞き慣れない声がかけられる。
「あ、いや……」
まずい、と楓我が杏月をかばうようにしながら振り返る。
「ん? 杏月さんじゃない」
現れた女性は首をかしげて楓我の後ろにいる杏月を見つけ、その名を呼んだ。
「雫さん……」
知り合いらしく、杏月が女性の名を呟いた。
「どしたの? 顔色悪いよ? その人誰?」
雫がいぶかしげに楓我を見る。
えん結びの花 二・発現
10月27日。金曜日。午後4時。
楓我は図書室でぼんやりと講義用の資料を眺めていた。
頭の中の切替スイッチは行方不明のままだ。
夕方の図書室にひと気は少ない。古い紙の独特な匂いがエアコンでかき回され、その空気は実家から通っていた小学校を彷彿とさせた。
あの頃は宿坊近辺が最高の遊び場だった。子供の体力というものは我ながら凄まじく、平気で山を一つも二つも越えて駆け回っていた。
宿坊をに泊ま
えん結びの花 一・兆候
10月25日水曜日。午後1時。
大学のロビーは外壁一面がガラス窓になっており、街を挟んだ遠方には柴森山を含む雄大な山脈が一望できる。
ロビーでは昼食を終えた学生たちが各々自由に過ごしていた。
「……今聞いた感じだと、岬さんの悩みは、今は解消できてもこれからもきっとまた起きるかもね」
「そうなの?」
窓の前に並ぶローテーブル。その一卓に、他の学生たちとは少々雰囲気の違う男女が向かい合って何や