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えん結びの花 五・困惑

 同日。午後5時。
 純喫茶『和心』は今どき珍しい個人経営の喫茶店だ。
 楓我が静かに一人の時間を求める時に利用している場所で、人を誘うのは大知以外は初めてだった。
 小さなテーブルの上にはパンケーキプランツとも呼ばれるピレアという小さな植物がブリキの鉢植えで置いてあり、暗めな店内のアクセントになっている。
 そんな馴染の店で楓我はコーヒーの味がわからないほどに緊張していた。
「くしっ!」
「寒いかい?」
 マスターの林太郎りんたろうが楓我に問う。ここに来てから楓我は何度目かのくしゃみをしていた。
「いえ、外との気温差のせいだと思うんで。ちゃんと口押さえてますから」
 今年で八十一歳になり、細い体でもう五十と一年、店を経営している。妻と死に別れた三年前に一度閉店を考えたが、孫のような常連客に支えられて奮起した事は当事者同士だけのエピソードだ。
 一年前には常連が相談しあい傘寿の祝いを開くほどにマスターと店は愛されている。
 楓我は大学に入ってからの新参だがすっかり顔なじみで、時折マスターの気まぐれでサービス品が出る代わりに買い出しを頼まれることもあるくらいには気心の知れた関係になっていた。
 マスターから最近の大学生の考えがよくわからないという悩みの相談を受けたことがあるのも大きいだろう。
「寒かったら温度上げるから」
「はい」
 ──気温というより、一人なのが寒い。
 何を詩的なことを、と楓我は自分にあきれて肩を鳴らした。
 ふと、待ち合わせ時間より十分早く扉が開き、真鍮のドアベルが鳴る。
 楓我はコーヒーに映っていた天井から視線を動かし、マホガニー色の木とステンドグラスで出来た年代物の扉を見つめる。
 顔をのぞかせたのはマリーだった。店内を見回して楓我を見つけ、手を振って微笑む。
「おまたせ」
 大学でも比較的ラフな格好だが、プライベートでは尚の事らしい。
 艷やかな髪とメリハリのある体のラインが強調されたカットソーとジーンズは年相応の健康的な魅力を醸し出している。衣装で飾らぬマリー自身の魅力は普段から周囲の視線を集め、楓我はそんなマリーとの約束を取り付けられたことを誰にということ無く自慢に感じた。そして同時に、これからのことを考えプレッシャーにも感じる。
「わぁ、ソファー柔らかいね。おしりが沈んじゃう」
 マリーは体を揺らしてローソファーの感触を楽しんでいる。
 アンティークなローソファーにはマリーのようなスタイルの女性が似合う。まるでずっと前に見た白黒映画の一シーンだ、と楓我は見とれた。
「来てくれてありがとう。……その服、間違いじゃなければ、初めて見たかな?」
 マリーはその言葉を聞き目を細めた。
「楓我が下ろし立ての服に気づくなんてびっくり」
 マリーは嬉しそうに微笑み、楓我は内心胸をなでおろす。
「楓我もその格好、大学でいつも見ている格好よりなんだかスタイリッシュだね。似合ってるよ」
「ありがとう。とりあえず何か頼む?」
「レモンスカッシュってある?」
「ここのレモンスカッシュはうまいよ」
 楓我がカウンターを見ると、マスターがレモンを持って頷いた。
「いいお店だね。大学から割と近いのに、知らなかった」
 マリーが店内に流れるクラシックに耳を傾けつつ呟く。
「故郷でお茶っていうとどこもダイナーだから、こんなコンパクトなお店無かったもの」
 マリーは店内を物珍しげに見渡していた。
「一人でいたい時とかよく使うんだ。ここならわりと静かに過ごせるから」
「今、一人じゃなくてよかったの?」
 マリーが楓我の顔を覗き込む。
「むしろ、一人でいたくなかった。付き合わせてごめ……いや、ありがとう」
「感謝の言葉を選んだのはプラスだね」
「おまたせ」
 マスターがレモンスカッシュを運んでくる。
 細長いグラスにねじった薄切りレモンとカモミールが添えてあり、見ただけで爽やかな風を感じるひと品だった。
 いつもより飾り付けが上品な気がする、と楓我がマスターを見ると、マスターは初めてのお客様だからね、と茶目っ気をにじませて笑った。
「ん……」
 マリーが唇を艷やかに濡らして酸味を楽しむ。その仕草に楓我は心臓を高鳴らせ、緊張が走るのを感じた。
「それで夕食は、ソバはどうかな?」
 それを聞いたマリーの瞳が一瞬輝く。
「ねぇ、それはどうして?」
「いや、この辺で一番うまいソバ屋があるから、マリーがソバを食べたがっていたなと思って」
「……うん」
 不意に沈黙が流れた。
「それだけ?」
「え? うん」
「そっか」
 急激にマリーの笑顔が陰っていくのを感じた。
 楓我はなにかまずい、と慌てて本題に移る。
「あと、聞いてほしい事があるんだ」
「大知のことじゃないんだよね?」
 マリーが楓我の顔をじっと見つめる。普段なら気恥ずかしさに視線をそらすところだが、今はむしろ見つめ合いたいと思うくらいに楓我は覚悟を決めていた。
 喉の奥が乾燥して張り付いていた。
 気がつけば口の中がカラカラだった。どれだけ緊張していたのかと今頃気づいてカップを見るが、いつの間にか空だ。
「はいこれ」
 マリーがレモンスカッシュを差し出す。
「……ありがとう」
 締まらなかった、とやや落ち込みながらストローを口につける。レモンの酸味と炭酸のピリピリした喉越しが心地よく、いつの間にか早鐘のようになっていた心臓が気持ち落ち着いた。
 そういえばこのストローは、と思うと年甲斐もなく気恥ずかしさを感じた。
「ふふ。顔が赤いよ」
 くすりと微笑みながらマリーもレモンスカッシュを一口飲む。
 ──もう腹をくくるしかない。
 楓我はマリーの青い瞳を見つめながら息を吸い、腹の中に想いを込める。
「マリー」
 マリーも楓我の瞳を見つめ返していた。
「俺はマリーが好きだ。恋人として、付き合ってほしい」
 静かに、一言ずつ噛みしめるように告げた。自分の中でありったけの誠意を込めて。
「大知のことがあったばかりなのに?」
「大知は関係ない。俺は俺の意志で今、告白したいと思ったんだ」
 マリーは黙って言葉を待っている。
「俺はまだ、将来何をしようか、はっきりしたイメージは無い。だけどマリーを幸せにしたい。そして、俺も幸せになりたい」
「楓我も?」
「二人で幸せになりたい! マリーにそばに居てほしい! それが俺の望みだ。アメリカに行くっていうならついていく。パスポートはある。宿坊を継ぐのが望みなら明日からでも継ぐ。あそこはへんぴだがいいところだ」
 マリーが目を見開き、頬を紅潮させた。
「楓我、私……」
 何かを言いかけるが、ふと頭を指で抑え、僅かに顔を歪める。
「大丈夫か?」
「……平気」
 顔を上げたマリーは、先ほどの紅潮した表情から一変し、表情が読めなくなっていた。
 少なくとも今、マリーは笑顔ではない。楓我の心の中に泥のような冷たい不安が湧き上がり、胸の中を埋めてゆく。
「あのね」
 足が震えそうだ、と必死にかかとを床に押し付ける。
「私が日本のことを初めて意識したのは、エレメンタリースクールの頃」
 マリーがゆっくりと語り始めた。
「パパが日本のマンガが好きで、私もその影響でアニメ見てた」
「マリーの日本好きはアニメが原点か」
「私がグレード4……十歳の頃ね、パパとママと一緒に日本に来たことがあるの」
「日本に来たことあったのか」
 知らなかった、と楓我が少し背筋を伸ばす。
「ママへの誕生日プレゼントで一緒にね」
「外国旅行がプレゼントなんてすごいな」
「でも、ママはアニメじゃなくって日本のお寺と神社が好きだった。旅行もそれが目的。パパはせっかく日本に来たんだからちょっとアキハバラに行きたいって言ってた。私もそうだった」
「最近はわからないけど、子供が秋葉原はヘビーじゃないかな」
 なかなかマニアな親だ、と楓我は呆れ半分で感心する。
「でも、旅行はママのお誕生日プレゼントで主役はママ。それにパッケージツアーだったから結局ママの行きたい神社やお寺に行った。森ばっかりで、ママが喜ぶのはいいけど、テレビ一つ無くて最初はつまらないって思った」
「そうだろうね」
 自分がいうのもなんだが、遊び盛りの子供に神社仏閣はつまらないだろう、と思った。
「でもね、触れてみると意外に自然は面白かった。でっかい木造の五重塔がすごいなって思った」
「五重塔か。あれはあんまりあちこちには無いから、ちゃんとしたツアーだったんだな」
 楓我が言うとマリーは少しだけ眉をひそめた。
「そして、泊まった宿で同い年くらいの子とも仲良くなれた。言葉はほとんど通じなかったけど、その子は一生懸命話をしようとしてくれて、二人であれこれ考えて、楽しかった。そこで食べた夕食も美味しかったなぁ」
「いい旅だったんだな」
 小さいマリーも可愛かったのだろう、羨ましいな、とマリーを見ると、先ほどの笑顔が消え、ムスッとした顔で口を曲げていた。
「ん?」
 マリーの口からこれみよがしなため息が漏れる。
 それはとても重要な仕草に見えるが何をすればいいのかわからず、楓我の心に不安のさざ波が立つ。
「マリー、それで……」
「楓我」
 戸惑いをごまかすように返事を聞こうとした楓我をマリーが止める。
「答えは、少しだけ待って」
 マリーは言い聞かせるようにゆっくりと、囁くように答えた。
 その言葉は楓我の脳を揺さぶり頭の奥に鋭い痛みを走らせた。楓我は目を伏せ、感情が胸からこぼれ落ちないように深呼吸する。
「……わかった」
 そのひと言を発するのが精一杯だった。
 店内は決して広くない。他に客はなく、否が応でも会話は聞こえる。
 マスターは背中を向けたまま若い恋が一つ終わったか、と焦げたコーヒー豆を指で摘み、見つめ続けていた。
「呼び出してごめん、迷惑かけたお詫びに食事代は出すから……」
「ちょっと待った。勘違いしないで。楓我、あなたの気持ちは嬉しい。慰めじゃなくて」
「え?」
「私、待ってたんだよ」
「……えっ?」
「やっと言ってくれたと思った」
「えっ? じゃあ……!」
「でも、今の楓我じゃ足りない」
「ええっ?!」
 何が? と腰を上げてマリーに顔を寄せるが、マリーは指で楓我の鼻を押さえて座らせる。その様子を見ていたマスターは失礼ながら犬が躾けられているようだ、と思ってしまった。
「なら……!」
「楓我が自分で思い出してくれなきゃイヤなの!」
 マリーが不満げに口を曲げる。
「そんな……」
「なさけない顔しない。楓我、一緒のお夕食はそれまでお預けね」
「飯を一緒に食べるのもダメなのか?」
「君と食べるご飯は、特におソバは、特別なんだよ」
「……? マリーと飯食った事なんて……?」
 ぽかんとした楓我を見てマリーは困った表情を混ぜた笑顔で笑った。
「よーく考えなさい。君が自分で思い出して、私が断った理由に納得した時におソバに付き合うから」
 そう言い、マリーは指先で楓我の唇をつつく。その瞬間、映画のエフェクトのように指先から光が弾けたと思った。
「マスター、レモンスカッシュ、美味しかった。おいくら?」
 財布を出そうとするマリーを楓我は制止する。
「そう? じゃ、ごちそうさま」
 マリアはいつもの愛くるしい笑顔を浮かべて店を出る。窓ガラスの向こうにマリーの背中が見える。振り返ること無く、愛しい人は去っていった。
「……希望あり、か」
 ヒントまでくれた。嬉しいと言ってくれた。楓我は目を閉じ、瞼の裏に杏月の顔を思い浮かべる。
 ──杏月さん、あなたの応援のおかげだ。まぁ、当たって砕けちゃったけど……。でも、芽は出たと思うよ。
 深呼吸すると、嗅ぎ慣れた香りを感じる。
 目を開くとマスターがおごりだ、とコーヒーを差し出していた。
「今の気分は?」
「なんとなく、晴れました。今の俺にはなにかが足りないけど、でもきっと思い出せる。だから、絶対にマリーとの仲を進めたいと思います」
「若いからこその無茶だ。良い経験も悪い経験も無駄なことはない。だろう?」
 マスターが自分のコーヒーをすすり、にんまりと頬を緩める。
「この前は恥ずかしながら君に相談を聞いてもらったからな。そのお返しだ。君に相談した時にもらった言葉は、相手の考えがわからなくてもいい。わかろうと頑張るのをやめなければいい、だったな」
「解決じゃないですけどね。でも拒否されるよりは近寄りやすいと思うんです」
「嫌われていると思っている者に、いい印象を持つわけがないものなぁ。若いもんの考えがわからんのは変わらんが……」
「近頃の若いもんは、って言葉、古代エジプトやローマ時代にもあるらしいですから、いつの時代も結局そうなんでしょう」
「歴史は繰り返す、か」
 マスターがしみじみと呟いて口ひげを揺らす。
 楓我はコーヒーをひと口飲む。
「……苦」
「特別苦く淹れてやったさ。君の受け売りそのままだが、今が駄目でも頑張り続ければいい。それが駄目なら人を頼れ。三人よれば文殊の知恵と言うだろう」
 確かに、とマリアが触れた唇に指を触れると、頭の中がスッキリした気がした。
 ──俺、緊張してたんだな。
 こんなことで、と楓我は頭をかく。
 気分を切り替えよう、と楓我は一気にコーヒーを飲み干す。
 頑張ろう、とピレアを撫でると、丸い葉が一つ、根元から折れて落ちた。
「……ん?」
 葉が落ちるなんて珍しくない、と楓我は気に留めないようにする。だが。
 ──こういうの、この前も……?
 楓我は自分の手を見て首を傾げた。

 10月30日。月曜日。午後1時。
「大知という男のことを教えてもらおう」
 昼時。大学のロビーでくつろいでいた楓我の前に進歩が現れ開口一番、不躾にも程があることを聞いてきた。
「彼に何があったか知ってて言ってるなら……。怒るぞ」
 体の中から赤銅色の溶岩のような熱が込み上げたが、一方的な怒りは無意味どころか毒。
 三毒の煩悩、瞋恚しんいは最も愚かな感情だ、と煮える怒りを思考で奥底に沈める。
 だが。
「なにがあったか知らなければ赤の他人の情報なんて聞くわけが無いだろう? ああ、褒美が無いとイヤかい?」
 進歩はコンビニのあんクロワッサンをテーブルに雑に置いて促す。
 かつて人にここまで無礼な態度をとられたことがあっただろうか。楓我は怒りより先にめまいを強く覚え、半ば思考が止まりかけていた。
「……彼の、何を聞きたいんだ?」
 もしかしたら、こう見えてお悔やみを言いたいだけかもしれない。極端な照れ屋なのかも、とかすかな希望にすがって問う。
「どうやって死んだ?」
 その瞬間、腹の奥底から怒りが脳天を突き抜けた。
 楓我は生まれてこの方感じたことのない感情の爆発と共に進歩の胸ぐらを掴む。服の繊維が裂ける音が聞こえた。
 だが、進歩は腰が浮いても眉一つ動かさず、極めて冷静な声で続ける。
「言うんだ。でないと君も死ぬかもしれないよ?」
「俺が死ぬって言うのなら、その前にまずお前を……殺す」
 自分でも信じられない言葉が出た。
「なんなら、あのアメリカ人の彼女も死ぬかもしれないよ?」
 楓我の中でいよいよなにかが切れた。感じたことのないどす黒い感情が胸を満たし、握りしめた拳が進歩の顔面に打ち込まれた。
 ロビーにざわめきと悲鳴が響く。
 進歩は食らった衝撃で吹き飛ぶ。頭を揺らしながら呻く進歩の顔面にまた楓我の拳が叩きつけられ、後頭部が思い切り床に叩きつけられた。カーペットは敷いてあるが厚さ五ミリに満たないそれはなんの緩衝材にもならず、頭蓋骨がぶつかる鈍い音が響く。
 二度の頭部強打で気を失いかけている進歩に、楓我は今度はかかとで顔を踏みつけようとしていた。
 ──マリーの敵は……ころ……。
「わーーーっ!」
 進歩の顔を踏み潰す寸前、黄色い悲鳴と共に楓我は横から突き飛ばされた。楓我は受け身も取れずに倒れ、頭を打つ。
「ぐっ……」
 頭を抑え、痺れるような頭痛に歯を食いしばりつつ顔を上げると、両手を突き出したまま震えているマリーがいた。
「やめなさい!」
 マリーの見たことのない形相を見た途端、楓我はたった今までの爆発するような感情が急激に冷めていくのを感じた。
「楓我! 何をしているの! バカっ!」
「いや、あいつが……」
「黙って!」
 マリーの言葉に楓我が押し黙る。
 楓我は体からどっと力が抜け、床に座り込んで今頃痛みだした自分の拳を見た。
「進歩くん? ち、血が……!」
 マリーを追うようにして雫がやってきた。
 雫は悲鳴のような声を上げて滑り込むようにして駆け寄り、ハンカチで鼻血を拭う。
 進歩は力が入らないのか大人しく顔を押さえられている。ピンクのハンカチはみるみる血に染まっていった。
「ヤダ! 進歩くんに何かあったら……私……、私……っ!」
 雫は服に鼻血が付くのも構わず進歩を抱きしめ、情けない声で泣きじゃくる。
「離せって」
「いやっ!」
 血だらけでしゃがみ込む進歩、それに抱きついて泣きじゃくる雫。二人を見た楓我は自分のした事に自分でおののいていた。
 痛む拳。そしてそれによって顔を真っ赤に染めた進歩を見て蒼白になる。さっきの興奮とは別の感覚で心臓が早まっていた。
「野次馬たち。もうショーは終わっている。これ以上悪趣味だと思われたくなければさっさと散れ。動画なんて取るなよ。余計なことするなら僕はやり返すからな」
 進歩がハンカチで顔を押さえながら声を上げると、学生たちは小声で話しながら輪を崩し、ロビーはゆるゆると普段の空気に戻っていった。
「ほら、もう大丈夫だ」
 進歩はまだ抱きついて泣きじゃくる雫を渋々ながらなだめる。
「大丈夫? 本当に大丈夫?」
「見ての通りだ。この程度なんとも……」
「進歩くん、モヤシじゃない」
「大きなお世話だよ」
 少し落ち着いた雫がようやく進歩から体を離す。進歩はそんな雫を見てわずかに安堵の表情を浮かべた。
 そして先程までの注目が嘘のように距離をおいている野次馬たちを見て。
「人のいっときの興味なんて、こんなものなんだよ」
 進歩が表情を隠しながら呟いた。
「お前は……何なんだよ」
 戸惑う楓我に進歩がじろりと視線を向けた。
「今から付き合ってもらう。今の君は僕にそれくらいの貸しはある」
 進歩は鼻を押さえたまま、なお不敵に口角を上げた。
 まさかこのためにわざと挑発した?
 まさかと思いつつ、実際拒否権は無い、と楓我は覚悟を決めた。
「進歩くん、待って。大丈夫? あの、さっき、楓我くんに……」
 雫が少し怯えた目で楓我を見る。
「余計な詮索は無用だ。僕の行動を邪魔するような真似をしたら許さない。いいね?」
「で、でも……」
「言ったことがわからないかい? そこまで頭悪いのか?」
「……うん」
 トドメのひと睨みで雫は折れた。
「それと君もだ。僕は説法屋と話がある。部外者は邪魔しないでもらおう」
「ぶ……?!。た、助けたでしょ!」
 助けたのに部外者扱いされたマリーが声を詰まらせる。
「勝手にね」
 自分だけでは飽き足らず、マリーにも無礼を働いた。また感情が沸騰しかけたが、楓我はこんどこそ怒りを飲み込む。
「楓我、こいつ……何?」
 マリーが耳打ちする。
「俺も知らない。でも、とにかく今は引いてくれないか?」
 マリーはむくれつつ仕方ない、と肩を下げる。
 本当はこんな形でマリーに会いたくなかった。
 喫茶店では想いは保留され、大学では失態を見られて思い切り突き飛ばされた。最近の自分は格好悪いなんてもんじゃない。
「頼む」
「……気をつけてね」
 今にも泣きそうな顔の楓我を見たマリーはこれ以上は聞けない、と諦めた顔で頷いた。
「行くよ、説法屋」
 鼻血が止まってきたらしく、ハンカチのかわりにティッシュを詰めた進歩が顎で楓我をうながす。
 ロビーを出ていく二人を見送るマリーと雫はふとお互いに視線を合わせ、なんとも言えない複雑な表情でため息を漏らしあった。
「男の子って、時々困るよね」
「そうだね。どこの国も同じだね。……どうしたの? 顔になにかついてる?」
「あ、ごめんなさい。……いい香りの香水ね」
「ん? つけてないよ?」
「あ! ご、ごめんなさい」
「んーん」
 でも、とても心地よい香りがする。失礼だけど……じゃあ、これって体臭?
 なんだろう? と雫は離れたくないほどの心地よさをマリーに感じていた。