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えん結びの花 一・兆候

 10月25日水曜日。午後1時。
 大学のロビーは外壁一面がガラス窓になっており、街を挟んだ遠方には柴森山を含む雄大な山脈が一望できる。
 ロビーでは昼食を終えた学生たちが各々自由に過ごしていた。
「……今聞いた感じだと、岬さんの悩みは、今は解消できてもこれからもきっとまた起きるかもね」
「そうなの?」
 窓の前に並ぶローテーブル。その一卓に、他の学生たちとは少々雰囲気の違う男女が向かい合って何やら話をしていた。
「今の彼が本当に好き? っていう悩みは、きっと他に好きな人ができたとしても、また感じてしまうと思う」
「そう……かも」
「でも、そういう悩み自体は嫌いじゃないんじゃないかな?」
 大学二年のみさき藍子あいこは話を聞きながら唸るような顔をしたり、不意に何かを思い出して目を丸くしたりと可愛らしい百面相をしている。
 対して話をしている男性、大学一年の根守ねもり楓我ふうがはただ淡々と言葉を紡ぎ続けていた。楓我の表情は真面目そうにも、どこか無表情にも見える。
 しばらくすると藍子は深呼吸して顔を上げた。
「うーん、そう言われればそうかも……。でも、なんか浮気性みたいだなぁ」
「恋は一つじゃない。悩んでも不誠実なんかじゃない。隠す方が不誠実だよ」
「なるほど……。他に気をつけることは?」
「挨拶」
「なんで?」
「一挨一拶。それを略して挨拶という」
「ふーん……?」
 よくわからない、と藍子が首をひねる。
「元は仏教の言葉。僧同士がお互いを知り合うために掛ける言葉を指す。だから挨拶はお互いを知り合うための言葉」
「へぇ……」
 藍子から見た楓我は窓を背にし、まるで後光を背負っているかのようだった。
「お互いを知り合う……。そうか……」
 藍子の中で合点がいったらしい。曇り気味だった顔が晴れ、大きな眼が輝いた。
「うん、わかった。ありがたい言葉を頂いたよ」
 大きな窓から差し込む日差しが藍子の顔を明るく照らす。
「ここまで話しておいて何だけど……俺の言葉にはあやかるような根拠は無いからね?」
「いやいや、噂通りだよ。根守くんのお悩み相談は小難しくなくて、すっごくわかりやすくてさ、なんか安心する」
 藍子はふわりとした髪を揺らしつつ人懐っこい笑みを浮かべた。
「少しでも役に立てたなら嬉しい」
「うん、なんだか胸のつかえが取れた。君に相談してよかったよ。どんな悩みでもまるで自分のことみたいに、下手したら本人より悩んでくれるってのは本当だね」
「そうかな?」
「そうだよ。私、今の彼とこのままでいいのかなって思っていたけど、根守くんの言葉を聞いて、なんか一歩引いて考えられた。おかげで整理がつきそう」
 藍子が腕を組み、噛みしめるように頷く。
「なんか最近は体調もいまいちだったし……。ストレスだったのかなぁ」
「体調? まさか……」
「違う違う。暴力とかそういうのはないから。そんなのやられたら速攻訴える」
 冗談、と藍子顔をしかめた。
「ただ、色々わかんなくなってたんだよね。あいつが好きな気もするけど……でもどこかでやめといたほうがっていう葛藤があって……。なんか最近夜も眠れなくてさ」
「あんまりひどい時は病院に行ったほうがいい。それか保健センターでも相談にのってくれるよ」
「考えとく。元々あいつからの告白でさぁ。そのときはきたぁって思ったんだ」
「直感?」
「そう、去年のクリパでなんだけどさ、すごいカッコつけて告白してきたの。その時はいいかもって、こう、文字通り体が痺れた感じがしたの。一目惚れってあるんだって思ったなぁ……」
 だが、うっとりしていた顔が急に影を帯びる。
「けどさ、最近はテンション下がってるっていうか冷めたっていうか……。あいつとこれから先も勢いだけで付き合うってどうなのかなぁって。あいつの態度も落ち着いて見てみるとやたら束縛してくるっていうか、他人にモノを見せびらかすような感じだって思ったら、なんだか不安になってきちゃって」
「しつこくつきまとう愛。それは嬉しくも面倒なものだ」
「……なに?」
「シェイクスピア」
「インテリか!」
「いや、こういう相談を聞いていると引き出しが自然に増えるんだ」
「落とし物から恋愛までなんでもござれって評判は本当だね」
「何でも屋のつもりは無いんだけどな」
「でも君の話し方ってイヤミがなくて素直に頷けるって評判だよ。実際そうだし」
 それで学年問わず相談が来るようになっていたのか、と楓我は納得する。
「……恋愛、か」
「ん?」
「ひと目惚れから始まって、そのまま結婚までいった友達を知っているよ」
「え? 結婚まで? 友達ってことは大学生? どんなの?」
「二人はとても幸せだった。本当にひと目惚れから始まった付き合いだったけど、お互いに手を取り合い、協力し合って籍までいれた。だから、直感だって恋の始まりとして何もおかしい事はない。全てはそこに至る因縁だから」
「インネンって、いいイメージないんだけど」
「因縁は元々は因縁生起の略」
「それも仏教用語なの? どういう意味?」
「それは……」
 楓我が言い淀む。
「どしたの?」
「面倒な話だからほんとうに軽くね」
「うん」
「やったことは必ず結果に繋がる。直感だって今までやったことの積み重ねだよ。だから直感も大事ってこと。人に頼るのも全然オッケーってこと」
「……人に頼っていいの?」
「本当に一人だけの力でできる事なんてほとんど無いよ。まず俺に相談してるし」
「あ、そうだった」
「頼れる人にはどんどん頼って、そのうえで自でもしっかり頑張ったって言えるなら、その結果はどんなものでも受け入れられると思う。そう思えば楽にならない?」
「……楽に、かぁ」
「苦労するより楽がいい。そう思うと色々捗るよ。ついでに言うと悟りって、要は人生楽になろうっていう教え」
「へぇー」
「という訳で、良い縁を」
「ありがと、またね」
 楓我が締めると藍子はお礼として紙袋を差し出し、足取り軽やかに去っていった。
 中身はクッキーの詰め合わせだった。これは飲み物が欲しいと思っていたところに横から手が伸び、眼の前に缶コーヒーが置かれた。
「楓我、お疲れ様」
「ありがとう」
 マリーが楓我の横に座った。マリーはアメリカのユタ州、ソルトレイクシティから来た同期生だった。
 幼い頃に見たアニメで日本に興味を持ち独学で日本語を学んだ彼女は大学では日本史を専攻している。母親が日本の寺社仏閣が大好きなのでマリーも好きになったらしく、今では下手な日本人より歴史や地方の言い伝えにも詳しいらしい。
「今日の喜捨はクッキーかぁ。おいしそうだね」
 日本人ですらそうそう使わなそうな単語を呟き、マリーはロングボブをかきあげた。
「お礼って言ってくれ」
 肩をすくめる楓我にマリーは目を細めて笑う。
「お坊さんは仏の教えを説いて人々を悩みから救って、その代わりにお金や食べ物をもらっていたんだから、やってることは同じだよ」
「俺は僧じゃない」
「楓我の言葉は立派な説法だよ。心に安らぎを与えるのが仏の教えでしょ。門前の小僧習わぬ経を読む。さっきの子、とてもスッキリしてたよ」
「確かに実家は宿坊でじいちゃんの代まで実際に僧だったけどさ」
 楓我の実家は芝森山を一つ越えた先の今なお道険しい山の中にあり、そこで修行僧が寝泊まりする宿坊と呼ばれる宿を代々営んでいる。
 宿坊には修行僧以外に一般人も泊まりに来る。客は日本人に限らず世界各地から訪れていた。
 楓我の祖父滝之助は客から悩みを聞き仏の教え、つまり説法を説いていた。
 楓我はそれを聞いて育ち、諺通り幼少の頃に修行僧としての心得を頭と行動で覚えた。実際、同い年くらいの子供相手に悩みを聞いて説法を説き悩みが晴れたと喜ばれた事が多々あり、滝之助も太鼓判を押して手放しで褒めていたほどだ。滝之助は四年前に亡くなり宿坊は両親が継ぐことになる。
 大学まで通うには実家はやや遠く、今年から部屋を借りて一人暮らしを始めていた。
「中学の頃はからかわれるのが嫌でやめていたけど、大学に入って再開したんだってね」
「そんなこと、誰に聞いたんだ?」
「この前、大知だいちに聞いたの」
「余計な……」
 楓我は苦笑いしつつため息を漏らす。
「夏頃から始めたそうだけど、なんで?」
「なんでもいいだろ」
「もっと楓我のこと知りたいの」
 マリーの言葉に深い意味はない。楓我が自分に言い聞かせたのは何度目だろうか。それでも楓我はマリーの言葉にいちいち幸福を感じてしまう。
「それより、食べる?」
 楓我は話を切り上げてクッキーを差し出す。
「ゴチになります」
 マリーはもう興味をお菓子に切り替える。蓋をあけるとバターやチョコの芳醇な香りが流れ、思わず喉が鳴る。マリーはジャムクッキーを大きな口で頬張った。
「yammy!」
 美人が台無しだがその遠慮のない仕草もマリーの魅力だと思いつつ、楓我もクッキーを頬張る。そのとき、ふと大知の顔が浮かんだ。とたんにクッキーの味がなくなったようになり、楓我はまるで土くれを食べている気分になった。
「まだ連絡無いの?」
 楓我の様子を見たマリーが何かを察したように首を傾げる。
「電話をかけたら大知のお父さんが出て、とにかく待ってくれ、連絡するまではできるだけ誰にも話さないでくれってさ」
「本人が出ないのが心配だよね」
杏月あつきさんとイチャイチャするのに忙しくてヤローにかまってられないとか、そんな理由なのかもしれないけど……」
 おどけてみせるが月曜に会う約束から既に三日が過ぎている。このまま週末まで何も連絡が無かったらどうしたものか、と楓我は窓越しの秋空を見上げる。
 マリーは気遣わしげな表情で楓我を見つめた。
 楓我は見透かされたかと罰が悪そうに笑いクッキーをコーヒーで流し込む。
「……三日も会わないなんて久しぶりだよ」
 楓我は空になったコーヒー缶をいじりながら天井を見る。
「あいつ、この前までは聞いてもいないのにさんざんのろけまくっていたのに……。俺とあいつはこれでも中学以来の親友なんだ。なのに電話にも出ないでさ。……まぁ、最近は嫁さんにとられっぱなしだけど」
 楓我は溜息を漏らし、首が折れたように天井を見上げた。
「彼はイタズラに人を心配させる人じゃないでしょ」
 その笑顔は穏やかで美しく、楓我はその笑顔に見惚れた。
「あ、そうだ。楓我、今度一緒に」
「マリー! 今度遊びにいこうぜ」
 マリーが言いかけた言葉を遮り、突然声がかけられた。
 声をかけてきたのは二年生でアウトドアサークルをしている佐々木玲王れおだった。こうしてマリーを遊びに誘ってきた回数は何度目だろうか。
 いつも数人の仲間を引き連れており、今日はその一番うしろに、隠れるようにして立つ藍子の姿も見えた。
 ──さっき言っていた彼氏って、こいつだったのか。
 楓我がこれはなんとも、とふんぞり返った玲王を見上げる。
「んー、いいよ。そのうちネ」
 マリーは通りすがりの挨拶のように事も無げに答える。その返答がNOの意味を含んでいるのは誰の目にも明らかだった。
「またかよ。そのうちっていつだよ。週末キャンプ行くから一緒に来いよ。肉たっぷりのバーベキューしてやっからさ」
 声をかけてきた玲王は今にも怒鳴りそうな口調だった。
「バーベキュー? 悪くはないけど、今はおソバな気分かな」
「はぁ? 外人がぁ?」
 あきらかな差別に楓我のみならず近くにいた学生も顔をしかめる。だが、玲王の不機嫌さは増す一方で体の揺れも大きくなっていた。
 いつにもまして尊大な態度だ、と楓我は感じる。いつもマリーを誘っては断られているが今回は、なにをしでかすかわからないと感じるほどに。
 さすがに後ろにいる仲間たちも玲王の態度に戸惑い、うろたえている。
「何か悩みがあるなら話してみないか」
「あ?」
 楓我が前に座れば、と誘う。
「テメぇ、マリーのなんだよ」
 玲王がマリーを誘う時たいてい隣りにいるのだが、やはり視界に入ってなかったらしい。
「友人だよ」
 楓我はとりあえず最低限の関係を告げる。
「友人が困っているのを放っておくのは忍びなくてさ。それに、色々と悩みがありそうな人を見て見ぬふりをするのもどうかな、と思った」
 マリーは楓我の物怖じせぬ口ぶりにふんわりと口角を上げた。
 玲王は玲王で、大学生とは思えない落ち着いた、悪くいえばじじむさい楓我の口ぶりに調子を崩す。
「は? 困ってる? 俺が?」
 玲王は顔を歪めて楓我を睨むが、宙に浮いた指先は所在なさげにせわしなく動き、視線もどうにも定まらない。明らかに戸惑いが滲んでいた。
「君もだけど、どちらかというと後ろのみんなだね」
 楓我の視線が自分を見ていないのに気づき、玲王がえっ? と振り向く。すると仲間たちは玲王からあからさまに顔を背けた。
「お、おい?」
 玲王は想像だにしていなかった、と急にうろたえ始める。仲間たちは目に見えて距離を取り始め、玲王はあっという間に一人になった。
「おい!」
「……玲王よぉ、俺、ちょっと行くわ」
 一番背の高い仲間の一人がじろりと視線を飛ばし、吐き捨てるように言う。玲王が予想外の言葉に表情をこわばらせた。
「俺も。わりいな」
「ちょっと用できた」
 仲間たちは玲王の返答も待たず潮が引くように離れてゆき、独り残された玲王は呆然と立ち尽くす。
「どうする?」
「こ、こいつ……」
「俺は君の悩みを聞きたい。きっと話せることがある」
「な、なんだよおまえ。……キメェよ」
 楓我に対する態度が、先程までの敵意から畏怖に変わりつつあった。
「時間はできたみたいだし、さぁ、言ってみて?」
「う、うるせぇよ! こ、この……この……!」
 金魚のように口を開けて何かを言おうとするが、楓我と離れていく仲間たちの背中を何度も交互に目で追い、最後には楓我を一度睨んでからついでのように周囲にガンをつけつつ去ってゆく。
 ──前から感じていたけど、最近は特に空回りしているようだな。
 不躾な男ながらもなんと痛々しい、と不快に思うどころか心配すら感じていた。
「楓我、大丈夫?」
 マリーが心配そうに顔を覗き込む。
「何が?」
「すごく必死だよ。普段はあんな言い方しない」
「……そうかもな」
「悩みがあるならさ、楓我みたいにうまくは聞けないけど言ってみてよ」
「いや、それは……」
 本人に言うのはちょっと、と楓我がためらっていた時。
「はぁ、アイツ、やっぱダメかなぁ」
 突然後ろから声がして楓我とマリーが振り向く。
 いつの間にか、藍子が楓我の後ろに立ち、情けないという顔で玲王の丸まった背中を見ていた。
「最初はキラキラってして見えたのに、今はなんかこう……ダサい」
 顔を抑えながらため息を吐く。
「友だちを手下みたいに思ってるんだよね。あたしの事すらも」
 藍子が前に座り、相談が再開される。
「さっきの彼が例の?」
「そ。二人のときはそれなりに親切なんだけど、群れるとああなるの。とにかく誰に対してもマウント取りたがるっていうか……。なんでだろう?」
「おそらく自信がないんだ」
 楓我が自分の手を見ながら呟く。
「えーっ? それはないかな? だってアイツプライドバリ高だよ。親が会社経営してるんだけど、あいつ俺が後をついだらもっと会社を大きくするっていつも言ってるもん?」
「口に出すってことは、そうしないと不安だからだ」
「え? あー……」
 藍子はああ、とうなづく。
「だから目に見える飾りを欲しがる。一番手っ取り早い方法として自分を引き立てる取り巻きに頼る、と考えられるな」
「……そっか」
 藍子は宙を見つめながら口をとがらせ、そして少し残念そうに微笑む。
「あのバカが迷惑かけたね。マリーちゃんもゴメンね」
「ヘーキよ。慣れてるから」
「アメリカじゃあれくらい普通?」
「万国共通ね」
 二人はケラケラと笑いあった。
 ほとんど話したことも無いはずなのにもう仲良しだ、と楓我はマリーのコミュニケーション能力に感心する。
「何度もありがとうね」
 藍子はロビーの奥へ消えていった。
「さっきの言葉だけど……楓我も不安なの?」
 鋭いな、と楓我が苦笑いする。
「不安だよ。俺こそ何者なんだろうってね。……だから、人の悩みを聞くようになったんだ」
「なんで?」
「ただの偽善だよ。誰かの役に立った気になって安心しているんだ。偉そうなことを言う俺が一番自分に自信がない。ただのハリボテ」
 情けない、と楓我は自嘲する。
「Hypocrisy。楓我は偽善って言葉嫌いなの?」
「好きなわけない。誰だって……」
「私はそんなに嫌いじゃないな」
 マリーはうん、と頷きながら言う。
 楓我は意外だ、とマリーを見る。
「だって、偽善も善。それで相手にいい影響や結果が得られたならそれは本物でしょ?」
「なんだか、マリーこそ説法を説く素質があるんじゃないか?」
 素直にマリーの知識の深さを褒めたつもりが、マリーは不満げだった。
 困っている楓我を見てマリーがこら、と頭をつついた。
「前はそうじゃなかったでしょ。第一偽善って言葉を覚えたのは楓我のおかげなんだよ」
 マリーが顔を寄せ、楓我はソファーから半分落ちそうになる。
 かすかに香るマリーの匂いに心臓が僅かに高ぶっていた。
「覚えてない?」
「いや、だってマリーは今年日本に……」
 その時、スマホの着信音が鳴る。大知の番号だった。
「大……!」
「もしもし、楓我君だね」
 相手は大知の父、祐三ゆうぞうだった。
「あ、はい……。あの、おじさん、大知は元気ですか?」
 返答はなく、スピーカーの向こうから重い時間が流れる。
「今、どこかな?」
「どこって、大学ですよ」
 やっと出た次の言葉はよくわからない質問だった。楓我は戸惑いつつ答える。
「周りに人はいるかい?」
「ロビーだからそこそこいますよ」
 早く質問に答えて欲しい。楓我の言葉が焦りで早口になる。
「すまない。大事なことなんだ。あと、杏月くんは?」
「この前、大知と一緒に会って以来会ってませんよ。杏月さんは大学じゃだいたい大知と一緒ですし……。それより大知はどうなんですか? 週明けに会う約束してたんです!」
 楓我の声が思わず大きくなる。マリーは普段の楓我からは想像できない尖った態度に眼を丸くする。
「楓我君。本当に落ち着いて聞いて欲しい」
 裕三の声がふと声量的に大きくなり、ゆっくりとした口調に変わる。
 楓我は反射的に口を閉じた。

「大知は、死んだ」

 裕三の口から出た言葉は静かで重く、楓我は全てを肯定せざるを得なかった。
 今度は楓我が押し黙る番だった。
「もしもし……?」
「あ、あの! い、いつですか? どうして今まで……!」
「ここ数日、色々とやることがあったんだ。大知の一番の友だちの君に今日まで何も伝えることができず、申し訳ない」
「……いえ。あの……なんて言えば……。さっきは色々言ってすみません」
 驚きで体が震え、うまく言葉が紡げなかった。
「……すまない。まだ詳しくは話せないが、近いうちに必ず話す」
「は、はい」
 裕三はもう一度詫び、通話は切れた。
 マリーが両手で顔を覆い、かすかに体を震わせている。
「……なんでだよ!」
 楓我は叫びとともにテーブルに拳を打ち付けた。
 音が響き周囲の学生が何人か振り向く。マリーがなんでも無いよと手を振ると、学生たちは次の瞬間には興味を無くして忙しそうにスマホいじりをしたり、本を読みながらその他大勢へと戻っていった。

 ──大知が死んだ。

 楓我は頭が揺れるのを感じた。
 数えきれない学生たちの賑やかな声も音も、今の楓我には聞こえない。
 だが、隣で黙っているマリーの吐息だけは妙にはっきりと鼓膜を揺らし、心音すら聞こえるようだった。
 横目でマリーを見ると、マリーも楓我を見ていた。
 今にも泣き出してしまいたい気持ちの楓我の横であえて何も語らずいてくれる。
 マリーの無言は、どんな優しい言葉よりもありがたかった。