見出し画像

えん結びの花 十・確証

「見守る?」
「そうだ、あいつは守るべき存在なんだ!」
 進歩が今までになく感情的に叫ぶ。
 雫はそんな進歩を見て切なげに目を潤ませていた。
「でも、雫さんはお前のことを……」
「それでもだ。勘違いしているだけさ」
「勘違い? いや、前から思っていたが……、そういうことを雫さんの目の前で言うか?」
「何度も言ってるよ」
 えっ? と楓我が振り向くと雫はうん、と苦笑いして頷いた。
 ──……なんて歪な関係なんだ。
 自分にまともな恋愛経験はない。だが、それでもこの二人ほどこじれている関係の男女はいないのでは? と二人を見比べた。
「進歩、どうしてそこまで……」
 進歩が手に持っていたタブレットを乱暴に机に置いて言う。
「いいか、これは雫の恥だ。絶対に他の誰にも言うな」
 雫を見ると、今までで一番緊張した顔をしていた。
「……雫は、高校生の頃はこのルックスと愛嬌のある性格で、学校のマスコット、アイドル的な存在だった」
 楓我のうなずきを見てた雫は恥ずかしげにうつむく。
 中庭で見たときの仕草、話し方は確かに目を惹いたと思った。
「人気が出るとバカな取り巻きもどうしても湧いてくる。雫の周りにたむろってた、ロクに名前も知らない奴の一人が、同じようにたむろしてた女と関係を持った。そして女を孕ませて、学校にばれた」
 雫がつらそうに顔をしかめた。
「そいつらは雫の人気にあやかって寄ってきたクソ蟻だ! 雫は事件が明るみに出るまでそいつらの存在すら知らなかった!」
 雫も思い出しているのか、目に涙をうっすらと浮かばせて泣き笑いしていた。
「事件が報道されると、チヤホヤしていた奴らから真っ先に手のひらを返して雫を元凶みたいに非難した。人気者から一気にいじめの対象にしてきたよ。雫は不登校になりかけ、自殺すら考えるようになった」
 雫は唇をかみしめて体を震わせていた。
 そうか、前に言っていたすでに死にたい目に遭っているとはこのことか、と楓我は気づいた。
「つらいことを思い出させて……ごめん」
 謝ると、雫は必死に笑顔を浮かべて健気に首を振った。
 ──人気のある人への憧れと妬みは紙一重か。
 楓我は顔をしかめて進歩を見る。
「それで、進歩が雫さんを助けたのか」
「助けたとかじゃない」
「ううん、助けてくれた」
「違う」
「違わないよ!」
「違う! アイドルだの何だの、そういうのに狂信的に熱中する連中も、その本人もウザくて仕方なかった」
 その頃から進歩は進歩らしいな、と楓我は雫を哀れんだ。
「赤の他人の無責任な口から出任せ。人を傷つけるためだけの暴言、悪意。そんなクソな言葉で誰かが人生を狂わせられるなんて、そんな理不尽が嫌だった。それで……」
 熱くなった進歩が一度深呼吸する。
「雫にひとこと言ってやろうと近づいたよ。すると怖がって逃げ出そうとしたから、ふんづかまえた」
「だ、大丈夫か? そういうときに無理やりってのは逆効果だろ?」
 雫がその時を思い出しているのか、これまでになく苦笑いしていた。
「一回しか言わないから我慢しろ。嫌なら耳塞いでろ。どのみち僕は言うぞと言ったら、涙目で黙った」
 その頃から強引か、と楓我はある意味感心する。
「で、聞く気はあるようだから言ってやった」
「……覚えているよ」
 雫が諦めた表情で笑う。
「進歩くんはね、言ってくれたの。顔も知らない奴に言われた言葉がなんだ。向き合って顔つき合わせて、目を見て話せる奴以外の言葉なんて道を転がるゴミに聞き耳立てるようなもんだって、進歩くんはすごく真面目に、真剣に言ってくれた」
「……なるほど」
 人をただただ傷つけることだけが目的で放たれる暴力そのものの言葉は実際にある。そういう言葉を排除することは必要だ、と楓我は頷いた。
「その後ね、一回でわからなくても許す。悩みがあるなら、聞くだけなら聞くって言ってくれた」
 雫が微笑みながら進歩を見る。
「ちゃんと後のケアもしたわけだ」
「僕が言ったことを理解してるか気になっただけさ。そのあと、どうやら自殺は思いとどまってくれた。登校拒否も回避した。だけど、後の高校生活はそれでも散々だった。周囲のクソどもが居なくなるわけじゃないからね」
 進歩が吐き捨てるように言う。
「それをずっと支えたんだな」
「いや、だから」
「支えてくれたよ」
 雫が言い切る。進歩はもう黙るしか無いようだ。
「大学まで一緒に来るのはやっぱり並大抵じゃないよ。進歩、雫さんは……」
「だからこそ守る存在なんだ」
「なんで?」
「雫は、精神がまだ幼いんだ。頼れる安心感を愛情と間違えている。だから僕は雫を守る。それだけだ。そういう意味でだけは、雫は大事な存在だ」
 雫が不本意そうに進歩を睨む。進歩はそれを無視して鼻を鳴らした。
 大事な人。
 その意味はそれぞれだ。
 進歩のそれはやはり愛には違いない。だが、その愛も形は様々だ。
 雫さんを守る。そう言い切る進歩の決意に他人が何を言えようか。
 まだ愛をろくに知らない自分には何も言う事はできないし、考え方を変えさせるなど夢のまた夢だ。
 楓我はわかった、と頷くしかできなかった。
 楓我が折れたと見て進歩はようやく溜飲を下げたらしく、険のあった顔が和らぐのが見て取れ、それが一段落の合図となる。
「予想くらいしかできなかったな」
 楓我が呟き、進歩も不本意げに口を曲げる。
「まぁ、これが限度。仕方ないね。これを呪いと仮定して……」
「誰かが想い人のいる人に呪いをかけた。呪いをかけられた人が思いを遂げると、二人に呪いがかかり、そして、およそ半年後に死亡する。そして、死の間際にその呪いは他の誰かに伝染り、連鎖する……」
「外道な呪いだ」
「進歩、雫さんと少しでも離れる気は」
「無い」
 進歩が鋭く睨む。最初に会った頃の敵意ありありの頃の進歩の顔だ。
「そうか……」
「だが君ほど……。そう、クソがつくくらい真面目に人を心配してくれる他人に会ったことは無い。そこは、感謝する」
「あの……楓我くん、進歩くんの口が悪くて、色々とごめんね」
「謝るな」
「ううん、私は謝るよ。進歩くんが失礼なぶんは私がフォローしないとね」
 引かない雫を見て、進歩が珍しく折れた素振りを見せた。
「他に新しい情報は無い。これは……実質詰み、かな」
 進歩の言葉に雫も楓我も顔をうつむかせる。
「いや、何かある」
 楓我は半ばヤケとも思える気持ちで拳を握る。
「君の気概は良しとするが……」
 進歩の呟きが虚しく響く。
「きっと何かあるんだ。何か……。たとえば、伝承の方の縁結びの花の内容だと、恋人の二人は花を文代わりにしたと言われているんだ。花っていう共通点はきっと、何か関係しているはずなんだ」
 楓我が唸りながら頭を抱えていると、進歩が毛を逆立てるようにして目を丸くする。
「なんだそれ?」
「え? いや、だから縁結びの花の……」
「花を文にした? 知らないぞ、そんな話は」
「えっ?」
「話すんだ。今すぐ!」
「わ、わかった」
 楓我は迫力に押されるがまま、マリーに聞いた伝承を語り始める。

 かつて、芝森山の山間に村があった。
 そこに住む農家の花売りの娘と山の下にある町の武家の息子が身分違いの恋に落ちた。
 文字の読めない娘のため、武家の息子は花の種類に意味を込めてそれを文代わりにして密会を重ねていた。だが密告により露見。
 別れさせられそうになった二人はせめて二人の縁を繋いだ花だけでも永遠に共にあるようにと願い、森の奥で泉の側に花を植え、二人は心中した。
 その後、村と町では恋仲になった者が変死を繰り返す。
 恋仲になったのに死なねばならなかった二人の呪いであると噂され、祈祷師のお告げで二人の怒り、悲しみ、呪いをおさめるために泉のほとりに祠が建てられた。
 祠には二人の悲しみを慰め、怒りを鎮めるため二人で一体となる石仏が納められ二人の好きな花が植えられた。その後、呪いは収まりやがて咲き誇る花を贈ると相手と結ばれると言われるようになった。しかし、安易に別れるようであれば命を落とす。

「だ、そうだ」
「……似てるじゃないか。都市伝説の方の話と!」
 進歩が頭を抑えながら呟く。興奮で頭痛がしているようだ。
「なんなんだいその話は? 僕が知っている話とぜんぜん違う。楓我、それは本当に縁結びの花の伝承なのか?」
「マリーはそこらの日本人より日本の伝承に詳しい。本だけじゃなく足を使って話を聞くんだ。実際に地元の人から聞いているし、マリーがまとめたのが元の話に近いんじゃないか」
「なら、僕たちが知っているのは何だい?」
「昔話だって今と昔じゃ全然内容が違うだろ。例えばカチカチ山なんてまずおばあさんが殺されておじいさんがそれを食わされるし、たぬきは泥舟ごと沈められて死ぬ復習劇だ。あとさるかに合戦も……」
「そうだったな」
 進歩はうなずき、雫は内容のえぐさに目を丸くしている。
「まぁ、こんなふうに昔の話はどんどん変わってゆくんだよ。ろくに記録も残っていない話なら尚更だな」
「そ、そうかぁ。うわぁ……。おばあさん食べられちゃうんだ……」
 雫は原文の内容に戸惑っていた。
「もしも」
 進歩が呟く。
「ありえないが、これが呪いだとすれば、その伝承の恋仲の二人が、二人を祀るために作られた祠に……なにかある? 植物を弱める現象も、花を大切にするはずが、何かがあって逆の現象を起こしている?」
「でも、伝承だと別れようとすると死ぬ、だぞ? 死んでいるのはみんな仲睦まじいさなかの突然死だ」
「だからそのあたりに何か異常が起きているんじゃないかと言っているのさ。元々恋仲の二人をくっつけようと応援したり、逆に別れようとするなら殺すようなヤツらだ」
「恨みの念の強さは決して侮れない。生者でも、死者でも……」
 楓我は噛みしめるように呟く。
「しかし、例えそうだとしても場所はどこだい? 伝承の祠なんてまず本当にあるのかな?」
 進歩の言葉が重く響く。
「そもそも祠から二人がわざわざ街に出て恋仲を応援するなんて、荒唐無稽すぎるよな」
「……あのね」
 雫が控えめに手を挙げる。
「そんな事考えたくないって思っていたんだけど、でも、気になる事があるの」
「何でもいい。言うんだ」
 進歩が有無を言わさず促す。
「呪いが伝染すると仮定してだけどね? 花っていうのが気になったんだ。種が飛ぶみたいに何か核があって伝染するなら、呪いが祠から離れることもあるかなって」
「だとすると飛び散るんだよね。呪いが」
 進歩がそれは考えたくなかった、と眉間にシワを寄せる。
「あと、多分、その原因として思い当たる子がいる」
「誰だ?!」
 進歩が目を剥く。
「で、でも、その子のおかげで私勇気をもらったし、何も悪いことなんて」
「その判断は僕がする。誰なんだい?」
 雫は申し訳なさげに首をすぼめて小さく呟く。
「……確か、智美ちゃんって子。私、その子からお話を聞いて、それで進歩くんに……」
「名前を知っているのか? つまりここの大学にいるのか?」
「た、多分」
「楓我、その女の事を調べるんだ! その女が絶対に犯人だ!」
「いや、犯人かどうかはともかく……。でも、大学に在籍していたとして、今どき他人に個人情報はそうそう教えないぞ」
 楓我の指摘に進歩が舌打ちする。
「……何か、他に無いのか?」
「あ、そうだ。大したことないかもだけど」
 雫がもう一度手を挙げる。
「だから何でもいい! 全部言うんだ!」
「ご、ごめん。あのね、智美ちゃん、腕にちょっとアザがあったの」
「アザ?」
「あ、これあんまり言わないでって言われてるんだけど……」
「だから!」
「わ、わかったよ! 智美ちゃん、少し前に山で遭難しかけてケガをして、それが痕になったんだって。でも、自分にとってはむしろ勲章だって言ってたの」
「山でケガ。遭難しかけた……」
 楓我が呟く。
「勲章、つまりその女にとって嬉しいことがあった……」
「進歩」
「何だ?」
「杏月さんも、アザみたいな傷のある女性に会っている」
 進歩が毛を逆立てる。
「雫! 女に会ったのはいつだ?」
「ろ……6月ごろ」
「楓我! その頃から前の新聞を調べるんだ! 遭難と言ったな? 地方紙ならきっと記事がある! 雫、ネットでも調べるんだ」
「わかったけど……進歩、お前は?」
「センターに掛け合ってくるさ」
「……ほどほどにしてくれよ」
 進歩は言葉も聞かずに図書室を出ていった。
「進歩くんたら……。ごめんね、楓我くん」
「いや、今は何でも情報が欲しい。雫さん、悪いけどネットは頼む。俺は新聞を遡るよ」
「うん、無理しないでね。でも、智美さんは杏月さんにも会ってた……。まさか……」
「いや、きっと彼女は何も呪いを広めようなんて気は無かったはずだ。彼女が遭難したその時、なにかがあったんだ!」
「そ、そうだよね! 智美さん、すごく真剣だったもの。私、頑張る!」
 雫はPCのあるデスクに向かい、楓我は過去の新聞を持てるだけ持ち記事を虱潰しに探す。
「杏月さんは前にここで新聞を見ていた。もしかしたら、杏月さんも智美さんが何かを知っていると気づいていたのかもしれない」
 楓我は図書室にいた杏月の姿を思い出す。
 ──あの時、探しものを手伝っていればもしかしたら……。
 いや、今はとにかく探そう、と楓我は新聞に目を落とす。
 地方紙なら、それほどの事件でなくとも多少の賑わいになるのなら記事として載っているはずだ、と楓我は記事を隅から隅まで読み漁る。
 雫は結局ネットでは絞り込みができず、進歩は個人情報の壁に阻まれ早々に門前払いされ、最終的に全員で新聞を一緒に調べていた。だがやはり体調が思わしくないのか二人の手は遅く、調査は遅々として進まなかった。
 楓我はひたすら文字を読み潰す。窓の外の陽が傾き始めた頃。
「これだ!」
 6月から7ヶ月遡り、去年の11月の新聞に目的の記事を見つけた。
 楓我の言葉に進歩と雫が駆け寄る。
「名前は出てないけど十八歳の高校三年生女子が11月10日に柴森山で遭難。翌日に自力で停留所付近に下山したところを救助……とある」
「それだ」
 進歩が目を光らせる。
「おそらくそこで何かが起きた。呪いを解くならそこに原因がある筈だ」
「呪いか……」
 楓我が眉をひそめる。
「どうした? そういうのは得意だろう?」
「いや、進歩こそ呪い前提で話しているのが意外でさ」
「今のところそこを否定する要素が見当たらない。少なくともその線をたぐっていく事が真相に繋がる。それだけさ」
「柔軟だな」
「時間もなさそうだしね」
 進歩の呟きに楓我がぞくりと背筋を寒くする。
「それにしても、そこまでわかったのならいっそ本人にどういうつもりなのかを問い詰めたいものだ。新聞社に聞けば案外住所とか漏らすかもしれない」
 進歩が意地悪そうにニヤリとする。
「それは無理だな」
 楓我が新聞を眺めながら言う。
「個人情報保護か? だが抜け道も……」
「今年の6月13日のお悔やみ欄に」
 楓我の言葉に進歩が眉をひそめ、雫が息を呑む。
「美川智美、18歳」
 雫が口に手を当てて目を見開く。
「智美って……。そんな……」
「死人に口無し、か」
 進歩が溜息をこぼした。
「11月に呪われ、6月に死亡。これも約半年……。模範的だな。おそらく『ツガイ』も同時期に死んでるんじゃないか?」
 言い方はともかく確かに、と思った。
「きっと、彼女も誰か好きな人がいた。その人と結ばれたい一心だった。そんな人を責めることなんて出来るもんか」
 楓我の言葉に雫が頷く。
「それで殺される相手はたまったもんじゃないと思うが」
 直球な進歩の返しに楓我と雫は言葉をつまらせた。
 そして楓我は気づいた。
 ──だから、進歩は絶対に認めないのか?
「とにかく」
 進歩はのけぞるように椅子に座って虚空を眺めていたが、突然体を起こす。
「説法屋、縁結びの花の真相を暴くんだ。柴森山へはバスで行ける。早速今から行くぞ」
「あの、進歩くん、バス……、もうない」
 雫がスマホを見ながら申し訳無さげに呟く。
「なんだって?」
「平日は午前8時31分の駅からの始発が一本。午後は5時55分に柴森山停留所発の一本。今日はもう終わってる。で、土日祝は午前11時5分の1日一本だ」
 楓我が告げると進歩もスマホを見て舌打ちする。
「タクシーだと片道で1万以上か。行けなくはないが……」
 スマホのルート検索が無情な情報を突きつける。
「待て。今から行っても夜だ。夜中の登山なんて遭難しに行くようなものだぞ」
「そうだよ、やめたほうが……」
「なら明日の始発で行くだけだ」
 雫の言葉を無視して進歩が言う。
「それはいいけど、何の情報もないのに祠を見つけるなんてできるのか?」
「着の身着のままで山に登って生還したんだぜ。救出場所から現場は近いと思うよ」
 進歩は獲物を狙うような目で遠くに見える柴森山を見上げた。