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えん結びの花 三・予感

「ねぇ、さっき大きな声がしていたけど……」
 ふと、後ろから聞き慣れない声がかけられる。
「あ、いや……」
 まずい、と楓我が杏月をかばうようにしながら振り返る。
「ん? 杏月さんじゃない」
 現れた女性は首をかしげて楓我の後ろにいる杏月を見つけ、その名を呼んだ。
しずくさん……」
 知り合いらしく、杏月が女性の名を呟いた。
「どしたの? 顔色悪いよ? その人誰?」
 雫がいぶかしげに楓我を見る。
 雫は杏月より少し小柄で瞳が大きい、愛嬌のある顔立ちをしていた。
 雫はどこか演技がかったような仕草で腕を組むと楓我を警戒するように眺め回す。
「大丈夫。楓我くんは友だちだよ。大知の親友なの」
「……ああ、大知さんが言ってた人か。って、あれ? 彼は一緒じゃないの? どした? おしどり夫婦がケンカでもした?」
 鳥がさえずるような軽快な口調だった。それだけに質問の重さが杏月に突き刺さり、みるみる顔が曇る。
「あの、雫さん、でいいんだよね?」
「うん」
「俺は根守楓我。さっき杏月さんが言ったとおり、大知の親友」
「そうみたいだね。楓我くんでいい?」
 雫はふわりとした笑みを浮かべた。
「好きに。それで、これはあまり大っぴらにしないでほしいんだけど……」
 雫は先ほどまでの警戒感はどこへやら。もう親しげな顔で、ん? と目を合わせる。
 だが、ここまで言っておきながら自分から大知の件を言うのはどうなのか、と杏月を見る。視線に気づいた杏月は弱々しく頷いた。
「大知は……亡くなったんだ」
「えっ」
 雫はリスのような仕草で身を縮め、眼を丸くした。
「詳しくはまだ言えない」
「あ、うん。ええと……。あの、ご、ご愁傷さま」
 いかにもこういった言葉は言い慣れていないという体で雫は頭を下げる。
「そういうわけで話はまた今度でいいかな」
「うん。杏月さん、失礼なこと言ってごめんね……」
「いいよ。こっちこそ話せなくてごめんなさい」
 お互いに頭を下げ、杏月が楓我を見る。
「今日は、色々驚かせてごめんね」
「いや、教えてくれて本当にありがとう。今日はもうゆっくり休んで」
「うん……」
「杏月さん、帰るの? 送ってあげようか? 確か家遠くないよね」
 雫が杏月の顔を覗き込みながら申し出る。
「俺が送るのもなんだし、お願いしていいかな」
 ありがとう、とか細い声で応じた杏月に雫は任せて、と頷いた。
「杏月さん、立てる?」
 雫が杏月に手を差し出す。杏月はなんとか立ち上がり、手を取られながら歩き出す。
 杏月はふらつくような動作で頭を下げ、雫も小さく手を振った。
 楓我も二人の背中を見送る。
 ──まるで、孫とおばあちゃんみたいだ。
 そんな失礼なことを思ってしまうほど杏月の背中は小さく、弱々しく見えていた。
「あ、そうだ……」
 突然杏月が顔を上げて振り向く。
「明日がお葬式なの。家族葬にするって。楓我くんも参加してあげて」
「えっ!?」
 楓我は慌てて駆け寄る。
「ごめんなさい、私、これを渡すために来ていたんだった」
 杏月が鞄の中からハガキを取り出し楓我に渡す。
「明日の午前10時から……」
 楓我は改めて故人の名に大知が書いてあるのを確認する。
 大知は本当に死んだのだ、と楓我は改めて認めざるをえない。
「急でごめんね。喪服がなかったら黒っぽい服とかで大丈夫。私から伝えておくから」
「ありがとう。助かるよ」
「それで……」
 杏月が何か言い淀んだ。
「……あ、あの人……大知と最後のお別れ、してあげて」
「? もちろん」
「あの、話してるとこ悪いけどそろそろいいかな? もう足震えてきて……」
 気がつけば、杏月にもたれかかれた雫がかなり辛そうにしている。杏月より小柄な分、負担になっているらしい。
「ごめん。雫さん、大丈夫? 俺も手伝おうか?」
「ま、まかせて! へーきへーき!」
 雫は杏月を引きずるようにしながらその場を後にした。
 さっき、杏月さんは何を言い淀んでいた? と楓我は眉を寄せる。
 あの人? ……まさか、大知の名前が出なかった? いや、それは彼女に対して失礼すぎるだろう、と楓我はかぶりを振ってその考えを打ち捨てる。
 それよりも早く帰り、喪服に代わる服があるか確かめなければならない。だが、楓我の足は動かなかった。
 地面に引き寄せられるようにしてベンチに座り空を見上げる。雲は絶えず形を変え、現れては消えてを繰り返している。
 視線を落とすと、先程まで咲いていた百日草の花がしおれて花弁がはらはらと散っていた。
「生死一如、か……」
「それをすんなり受け入れろ、なんて無理な話だ。一般人にはね」
 独り言に言葉を返され、楓我は声のした方向を見る。
 そこにいたのは短めの頭髪で楓我より少し背が高く、静かな目をした男だった。
「生物全般はどうせいつかは死ぬ。騒いでも仕方ないから落ち着け、などと、まぁ一般的な人間には無理な話だろうね。だろう? 君は少なくともそれが解る側の人間だと見たが、どうかな?」
 言葉遣いは丁寧に聞こえるが、どこか横柄な話し方だった。男は楓我にどうなんだ? と上から目線を向ける。
「……あくまでも気構えという事でいいと思うよ。死んだ時に慌てないで、じゃなくて、その時までに心残りが無いように生きよう。そのくらいに思えば楽にならないかな」
 男はその返しにわずかに眉をひそめた。
「そんなふうなユルい考えでいいのか? 説法屋」
「え? 俺、そんな呼ばれ方してた?」
「自分の評判くらい把握しておくべきだな」
「……まぁ、なんでもいいけどさ。君は何か聞いてほしいことや悩みがあったりする? あんまり時間無いけど、良ければ聞くよ」
「今僕に悩みがないか聞いてくるとは、なかなかいい心臓をしている。そういうの嫌いじゃないよ」
 男は少しだけ感心した、とニヤついた顔で肩を揺らす。
「人間が抱く悩みなんて九分九厘が他人には理解できない、もしくは理解する事はできても同意するに値しない、極めて個人的なものばかりさ」
 それは否定できない、と楓我は黙って聞く。
「一緒に考えて脳を使うなんて無駄だと思うよ。人の悩みに脳のリソースをわざわざ割いてその場しのぎの相手をする説法という商売にはよくもまぁ面倒なことをする、と言う意味で敬意を払わざるを得ないね」
「……なるほど」
 含みのある言葉だが楓我はそれもそうか、と頷いた。
 男は反発するどころか肯定してきた楓我を見て調子が狂う、と眉をひそめる。
「別に君の説法商売を否定する気は無い」
「人を惑わすのはやめろとでも言うのかと思った」
「僕の邪魔さえしなければね。騙されるやつ、騙すやつ、どっちも悪いのさ。主に頭が」
 今初めて会って邪魔も何も、と思ったが楓我は飲み込む。
「ところで、君はいったい……」
「こら! 進歩すすむくん! 楓我くんにちょっかい出しちゃダメー!」
 そこへ雫が戻ってきて声を上げた。
 声を聞いた進歩はいかにも苦虫を噛み潰したというような顔をする。
「進歩くんが東屋の方に行ったからもしかしてって思ったらやっぱり……」
 雫が口をとがらせて進歩を睨む。進歩は雫を見て大げさに肩をすくめた。
「あの、杏月さんは?」
「あ、ごめん。大学出ようしたら杏月さん歩けなくなっちゃって。今、保健センターで寝てる。これから親御さんが迎えに来てくれるって。大知さんのこともあって心配だから、すぐ来られるようにしていたみたい」
「そうか」
「最近具合が悪かったの知ってたのに、そこまでとは気づかなかくて……。友だち失格だなぁ」
 雫が申し訳無さそうにうなだれる。
「人の気分や体調なんて、たとえ親だってそうそうわからないよ」
「進歩くん! だからそう言うこと言わないの!」
 進歩の棘のある言葉に雫が噛みつく。
「あ、それでね、本当は親御さんが来るまで杏月さんに付き添いたかったけど、そこまではいいって言うから別れたの。まぁ、具合悪い時は静かなほうがいいよね。私……あんまり大人しいほうじゃないし」
 雫は少し残念そうに眉を下げる。
「いや、本当にありがとう」
「ううん。友だちだもん」
 雫が柔らかく微笑み、そしてキリッと眉を上げる。
「進歩くん、楓我くんに迷惑かけじゃダメでしょ?」
 雫が進歩を見上げながら口を尖らせる。
「口八丁で恋愛だ、悩みだを解決してくださる彼がどんな顔をしているのか見てみたかっただけさ。あと、さっきの彼女にもね」
「じゃあ見たからもういいでしょ? 行こう。ごめんね、こういう人で」
 雫が楓我に恥ずかしそうに微笑み、進歩の腕を掴む。
「いや、僕はまだ話が……」
「いいから! 私と帰るの!」
「だから、僕と君が一緒に帰る必要は無いだろう? と言うか、君も大人しくしているべきだ。あんまり歩きまわると……」
「私のことはいいから! 後がつかえているし。あと進歩くん課題がまだでしょ? 明日だよ? 終わるまで寝かさないから! 進歩くんこそ配信なんかしている暇無いよ!」
「ま、待てって!」
 雫は進歩の腕を掴んで引っ張ってゆく。
 進歩は抵抗する素振りをしつつも、黙って雫に引きずられていった。今の口ぶりからすると二人はどうやら同じ学部らしい。
 雫の意外な行動力に感心しつつ、今の騒ぎで少し気が楽になったと楓我は思った。
 これもまた縁かと思いつつ、そういえば、と雫の言葉を思い出す。
「で、後がつかえているって?」
 何が? と考える楓我に近づく人影があった。
「……よう」
 伺うような表情をした玲王が軽く手を挙げてきた。
 今は取り巻きはいない。眼の前に立つ玲王の目は楓我を見ているようで見ていなかった。
 楓我がこんな時に、と眉をひそめる。
 この前のお礼参りか何かだったら嫌だなと思っていた楓我に玲王が大きな紙袋を突き出した。
「これは?」
「だから! 相談乗るんだろ? この前そう言ったよな? 礼も用意したからな!」
 そういえば言ったな、と楓我は紙袋を受け取る。中には羊羹が有名な和菓子屋の折り詰めが入っていた。
 ──別に和菓子じゃないと駄目ってことは無いんだけど和菓子率高いな。
 自分はそういうイメージなんだろうか? と楓我は紙袋を眺める。
「で? い、いいんだよな?」
「いいよ。別に手土産がないと話を聞かないなんてこともないんだけど」
「わかるもんか。受け取ったからには聞いてもらうからな」
 つまり解決しろと言うことか。
 だが、玲王は態度こそ威圧的に振る舞っているが、今は迷いと不安をにじませた表情をしている。
 なによりもその瞳は助けを求めていた。
 先ほど進歩から自分の説法に散々な烙印を押されたばかりだ。
 だが、それでもやはり悩む人がいるのなら話を聞きたい。形ばかりでも救いたい、と楓我は思った。
 たとえそれが自分のためであっても。
「じゃあ、ええと……」
「佐々木玲王だ。名前でもなんかわかったりするんだろ」
「いや、俺は別に占いをしているわけじゃないから」
「なんだ、違うのかよ」
「で、君の悩みは?」
「おう、どっから言えばいいか……」
 玲王はどっかりと座って腕を組み、少し考えて話し始める。
「俺よ、親父からよくできた息子だって言われてる。いや、自慢じゃねぇからな」
 真面目な表情の玲王を見て楓我がうなづく。
「成績も……まぁいい方だ。親父が貿易の会社やってて、それを継げって言われているから、人の使い方は勉強しているつもりなんだ」
「大変だね」
「そう! そうなんだ! 大変なんだよ!」
 楓我の何気ない呟きに玲王が食いつく。
「どうやれば人がついてくるか、従うかとかよ。でも、本とか検索したのでやっても……なんかうまくいかねぇんだ」
「この前はたくさん友だちが居たよね」
「……あいつら、来なくなった」
 玲王が顔を歪めてうなだれる。
「なんでなんだよ! メシ奢ってやったりとかしてたのに。スニーカーとかいいヤツやったりした。いい思いさせてやってたじゃねぇか……。カッコ悪いから言わねぇけど、俺の小遣いから結構な額奢ってんだぜ? なのに……」
 玲王が苦々しく顔を歪めて楓我の顔を見る。なぜだ? と瞳が訴えていた。
「佐々木は親から何か贈り物をもらった事はある?」
「は? あるよ。たっぷり」
「小さい頃から?」
「ああ、なにかあるごとに色々くれた。誕生日はもちろん、小学校、中学、高校の入学。テストでいい点取ったときとかもな。気前いいんだぜ。大学の入学でももちろんくれた」
 玲王は得意顔で言う。
「特に大学入った時のはすげぇぞ。新車くれたんだ」
「嬉しかった?」
「当たり前だ! オプションも全部ぶっ込んでんだぜ。すごいだろ!」
「それで?」
「……ん?」
「その車の色は?」
「え? ああ。あー……。えっと……白……いや、パールなんとかで……」
「最後に乗ったのは?」
「そりゃしょっちゅう……いや、ちょっと忙しくて……。あれ……?」
「なんて名前?」
「あ……」
 玲王は質問の答を必死に考えるがなぜか答えが出ない。
「なんで……」
「贈り物って、物を貰うから嬉しいんじゃないんだよ」
「は? モノ貰うから贈り物だろ。バカかよ?」
「モノっていうのは、相手が伝えたい気持を仕方なく形にしたものだと思う」
「仕方なく?」
 楓我の言葉に玲王が目を丸くする。
「一番伝えたいのは祝いたい気持ち」
「そ、そりゃあ……」
「その気持ちが無い贈り物は、きっと代価なんだ」
「代価……?」
 玲王の顔が青ざめる。
「何かを達成できたから、もしくはできると見込まれて、その代わりに贈られるのなら、それは贈り物というより報酬だよね」
「報酬……」
「仕事ならそれでいいけどね」
 楓我が言うと、玲王は顔に手をあて、弱々しく呟く。
「親父はよ、よくモノをくれるんだ。小さい頃は、嬉しかった。嬉しかったよ。本当に。でも……」
 玲王は顔を上げ、楓我に視線を向ける。
「でも……、そう言われると、親父はこれをやるから勉強頑張れ。これをやるから大学に行けとかばっかりで……。そう言われれば、最近は何か貰っても嬉しく……」
 そこまで言い、玲王があっと目を見開く。
「あのよ、そういうのって……こ、恋人関係でも、あったりするのか?」
「むしろ恋人こそ、そういうところに敏感なんじゃないかな?」
 玲王の顔から血の気が引いた。
「俺……。惚れた子がいるんだ。去年のクリパでさ、思い切って告白したんだ。で、成功してさ、そいつと一緒にいると安心するんだ。だからずっと側に居させたかった。嬉しくて自慢したかった」
 玲王が緊張でまぶたを痙攣させる。
「色々買ってやって」
「彼女に言葉や態度は見せた?」
「……いや……。だってあいつも俺のこと好きっていうから……」
「思いや言葉が一方通行じゃ、その子は寂しいんじゃないかな?」
 玲王が目を見開いて息を呑む。
「モノをあげるのは興味を引くには一番手っ取り早い。でも……」
「ちょ、ちょっと待て!」
 玲王が手をかざして言葉を遮る。
「聞いておいて悪いけどよ……。なんか、わかりそうなんだ。考えさせてくれ!」
 頼む、と玲王が手を合わせる。
「合掌ができるなら、きっと大丈夫」
「え?」
「手を合わせるのは自分の心を誰かに伝えたい、願いを届けたい、そういう気持ちを表す仕草。それができるなら希望はある」
「あ、ああ……」
 良くわからないが、と玲王がうなづく。
「とにかく、俺は大丈夫なんだな?」
「頑張って」
「お、おう!」
 何気ない応援の言葉なのに玲王は妙に戸惑い、逃げるような素振りで歩き足をもつれさせる。玲王はバツが悪そうにちらりと振り向いてから去っていった。
 玲王を見送った楓我は羊羹の折り詰めを見ながら、少し胸が空くのを感じた。
 役に立ったという喜びとともに、やっぱり話を聞くのは自分のためなのか、という自責の念も湧く。だが今はまずは大知を送り出さなければならない。杏月も慰めたい。明日の葬儀までに体調が良くなってくれれば、なにか話ができるだろうか、と考える。
 ──それから……。
 マリーの顔を思い浮かべると、その笑顔を想像するだけで目がくらむ気がした。
 ──俺はやっぱりマリーが……。
「つっ……!」
 突然、頭の中を脈打つような痛みが走る。目の奥にも刺すような痛みを感じた。
 座っているのによろけそうになり、思わず近くの蔓を掴んで踏ん張り深呼吸する。
 頭の上に何かが落ちたのを感じて顔をあげると、蔦の葉が何枚も落ちていた。
「えっ?」
 葉の生え変わりはいつでもあるだろうと思うが、あまりにもピンポイントに落ちたので驚く。思わず自分の手を見たそのとき、救急車のサイレンが響いてきた。
 ──まさか。
 サイレンの音が消えてほんの少し間を置き、雫が駆けてきた。
「楓我くん! 杏月さんが! たいへ……きゃっ!」
 楓我は雫の姿を見た瞬間、声をかけられる前に駆け出していた。
 エントランスのポーチに救急車が止まっていた。駆けつけた楓我が見たのは、保健センターから担架に載せられ運ばれていく杏月だった。
「杏月さん!」
 担架に駆け寄った楓我は蝋人形のように蒼白になった杏月を見る。
「君! 邪魔だ!」
「す、すいません」
 救急隊員が声を上げ、楓我は我に返る。慌てて下がろうとしたその時。
「……楓我、くん」
 杏月が呻くように声をあげ楓我を見た。それを見た救急隊員が担架の速度を少しだけ緩める。救急隊員は少しだけだ、と楓我に目配せする。
「……あなたは、あなたの心で……想いを……。私は……まちがっ……」
「わかった。もういいから!」
「あの子を……責めないで……」
「あの子?」
 そこまで言い、杏月は右手を震わせながら目に押し付ける。
 引っ掻くような仕草だが、指に力が入らずそのまま腕がぱたりと落ち、そして体が痙攣する。救急隊員は急いで担架を走らせ始めた。
 楓我はさらに杏月を追おうとするが、ポーチに車が一台止まり、男女が駆け寄ってきたのを見て足を止める。
「杏月!」
 両親だ、と楓我は気づいた。
 隊員は担架を走らせながら両親に何かを言い、救急車に杏月を運び込む。母親はそのまま救急車に乗り込み扉が閉められ、サイレンを鳴らして走っていった。父親は大急ぎで車に戻り、救急車を追っていった。
 大学構内の曲がった道を進む救急車は、音を歪ませながら遠ざかっていった。
 楓我は先程の杏月の顔と言葉が脳裏に焼き付いていた。忘れてはいけないと思った。
 ──これが最期になる。
 思いたくもない確信があり、そしてそれは現実となった。

「杏月くんが、亡くなったそうだ……」

 夜に掛かってきた裕三の言葉に楓我は脱力し、スマホが手から落ちる。
「もしもし? 大丈夫か? 根守くん……!」
 ──そんな事、ドラマだけだと思っていたのに、あるんだなぁ。
 楓我は遠い風景を眺めているような気分で床に落ちたスマホを見つめていた。