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えん結びの花 七・告白

「言え」
 楓我の低い声に押されたと言うわけでもなさそうだが、進歩はため息と一緒に語り始めた。
「雫がその頃、僕に告白してきたんだよ」
「それだけ付き合いが長くて告白してきたこと、無かったのか?」
「あくまで友人としてだが雫との付き合いはそれなりだ。だが、あの時まで言葉でああもハッキリ言われたことはない。あの日、本当に突然の事だったよ」
「へぇ。受け入れた?」
「断ったに決まってるだろ! だけど……」
「告白後、二人で現象が起きるようになった、か?」
「なんでだ……。僕はフッたのに……」
 進歩が訳がわからない、と首を振る。
 二人の間にまた静寂が流れた。
「それ以降、雫さんの状態は?」
「少し体調にバラツキが見られるようになった。急に寝込むぐらい具合が悪くなったかと思えば、次の日はケロッとしている。どちらかといえば具合が悪い頻度が多くなっている気がする」
 楓我は中庭で見た杏月を思い出す。
 あの時の杏月も弱々しかったかと思えば急に饒舌になったりしていた。
「そして不思議なくらい僕に対し積極的になっている。最近はますますテンションが高いと言うか、おかしくなっている。うっとおしいくらいに迫ってくるよ」
 普通に聞けばのろけにしか聞こえないが、大知と杏月の件から察するにとてもそんな気分にはならなかった。
「それだけ気にかけているのに、何でもないっていうのか?」
「だから僕たちは恋仲じゃない。雫は勘違いしているだけだ」
 進歩が頑なに否定する。
「たとえそうでも、雫さんにも現象が出ているんだ。赤の他人とは言わせないぞ」
「だが……!」
「お前が大好きな、現実と実際の状況、結果をよぉく見ろ」
 進歩が口をつぐむ。
「あと、進歩自身の体調はどうなんだ? 植物を弱らせる現象って、強くなったり弱くなったりするのか?」
「……前より強いと思う」
「それ、まずいだろ」
「まだ植物を見るだけで殺せるほどじゃない」
「そこまでいったら本当にヤバいんだろ? ほかは?」
「現象が起きるようになった頃から頭痛は時々あったな。だがまぁ、そんなに体調も精神も変わってないと思う」
「会うたびに口が悪くなっている気はするが」
 楓我は拳のテープを見て言う。進歩は頬の湿布を指で掻くようにしつつ。
「そうだね。強いて言うなら僕もすこし、気が高ぶっていたかもね。どうも君の顔を見ると煽りたくなるような……」
 進歩は少し疲れた表情で呟く。
「…人を殴ったのなんてお前が初めてだったのに…。あの時、なんであんなに……」
 楓我は自分の手を見て苦々しく顔をしかめる。
「とにかく、何であれ雫が苦しまなければならない理由なんてあるものか。雫がこれ以上苦しむなんて……。好きな実験だけやっていればいいんだ。呪いだろうがなんだろうが、雫を変なことに巻き込もうとするなら許さない」
「実験?」
「雫はね、チャラチャラして軽く見えるかもしれないが、高校の頃は理系だった。生徒の中じゃ人気こそあったが決して浮かれてはいなかった」
「いや、軽くなんて見てないけど」
「大学で生物学科を選んだのは、発生学や遺伝子学を深く学びたいと思ったからだ。結構優秀なんだよ、雫は」
 進歩は自分のことのように自慢気に語った。
「やっぱり……」
「違う」
 楓我が言いかけると重ねるようにして否定する。
「愛情とかじゃない。僕はただ、側にいる時に景気の悪い顔をされるのが嫌なんだ。笑顔でいてくれなきゃ困る」
 ──それを愛と呼ばずに何という?
 この現象はやはり親しい間の者同士で起きるのでは? と楓我は思った。
 だが、そうなると自分は違ってしまう。マリーからは保留……実質拒否されたのだ。いや、もしかしたら好意を持つと相手にも勝手に……。
「感染……?」
 楓我の呟きに進歩の顔が緊張を帯びた。
「当然考えた」
 進歩が苦い顔で空を見上げる。
「例えば命に関わるようなウイルス性脳炎だとその症状に頭痛、嘔吐、意識障害とかがあるが」
「症状が似ているじゃないか。じゃあ、もしかして二人が死ぬのは何かの細菌とか……」
「そういうのは、感染してたら絶対にわかるんだよ」
 進歩が大きなため息とともに呟く。
「検死で見逃すなんてありえない」
「……新種とか」
「ホラー映画じゃないんだぞ? そんなものがポンポン発生してたまるもんか。パンデミックになる」
「……そうか」
「たとえ正体不明でも感染していること自体はわかるし、蚊媒介感染にしても飛沫感染とかにしても経路が限定的すぎる。同じ部屋に閉じ込めていたわけでもないのに恋仲同士限定で伝染るなんてありえない」
「もう本当に呪いだな」
「癪だが、他にいい言葉が浮かばないのは認める」
 進歩は舌打ちする。
「それにしても進歩、詳しいな」
「生物学科を舐めないでくれ」
「進歩が生物学科を専攻したのは、感情とかの正体を解明するため?」
「当然。心理を悪用した詐欺やマインドコントロールをロジック的に解決する手法を確立してやるさ」
 進歩は鼻を鳴らす。
「そういうのを配信でバラして詐欺師に引っかかるようなバカを減らすのが楽しい」
 俗な理由に聞こえるが、それは結局人を幸せにしたいという気持ちからくるのでは、と楓我は感じ、思わず笑みが漏れた。
「なら、この現象の正体も明かさないとな」
「もちろんだ」
「……呪いの症状と仮定してだが、やっぱり現象の強さは症状の進行と連携していると見ていいと思うんだ」
「それには賛成する」
「だから俺のは……」
 楓我がコスモスを触る。一分ほどしても特に変化は見られない気がしたが、触っていた茎一本だけが少したわんでお辞儀をし始めた。
「……改めて見ると怖いな、これ」
「何故植物なのかも含めてね。呪いの主は綺麗な花が嫌いかな?」
 進歩が蔑むような顔で言う。
「何にしろ、もっとサンプルがいる。今のままじゃ、ありのままを話してもせいぜい似非宗教の勧誘だ」
「サンプルって言うな」
「何でもいいんだよ。他に誰か、心当たりは無いか?」
「恋愛相談はいくつかあったけど、それらみんなが対象だったら追いきれない」
「お盛んなことだ」
 進歩は呆れ顔で言う。
「説法屋、何か新しい発見があれば教えてもらう。人助けするのが仕事だろう?」
「仕事でもなんでも無いが……」
 確かに放っておくこともできない、と楓我は頷く。
 進歩は炭酸コーヒーを飲み干し、立ち上がろうとする。だが、足がもつれて転びかけた。
「おい!」
「なんでもない」
 そういいつつ、進歩は頭を抑えていた。顔は歪み、とてもつらそうだ。
「もう一度保健センターに……」
「いいって言ってるだろう。ずいぶんお人好しなんだな。さっきは遠慮なくぶん殴ったくせに」
「……さっきは悪かった。本当に、頭が真っ白になるくらい血が昇ったんだ。でも、お前が具合悪そうなら担いででも病院に連れて行く」
「大した善人だ」
「……偽善だ」
 楓我が顔をしかめ、それを見た進歩は。
「なら、それは良い偽善というやつだね」
「良い……?」
「っつ……」
 進歩が頭を抑え、缶を落とす。乾いた音が響き、進歩の体が大きくふらついた。楓我が思わず支えたそのとき。
「進歩くん!」
 息を切らせながら雫が現れた。
 進歩の様子を見て不安そうに両手を握っているその姿は嫌味ではなく、劇の囚われのヒロインを見ているかのようだった。
「……また来たし」
 進歩が楓我の手を払い、ヒロイン登場にあからさまに嫌な顔をする。
「進歩くん、大丈夫?」
 明らかに進歩が何かされていないかを心配している。楓我はまた拳が痛んだ気がした。
「じゃ、俺は行くから」
「あ、あの」
 てっきり無視してくるものと思っていた雫が声をかけてきた。
「……す、進歩くんをぶったのは……嫌だけど、でも、進歩くん、口がちょっと……失礼な時あるから、だから怒ったんだよね? あの、ごめんなさい」
 謝るな、と進歩が口を挟もうとする。だが、雫は進歩の口を手でふさいでそのまま頭を下げる。
「俺も悪かった。じゃあ」
「情報屋。明日もう一度ここで情報整理するぞ。無駄に時間を空ける余裕はない。何か他に調べられる事があればそれまでに調べておくんだ。あと無駄に関係ないやつに話して事を大きくするなよ。ノイズになる」
「……知っていることは話したつもりだし、他に調べることなんて無いと思うけどな」
「そう思っている奴ほど抜けがあるんだ。誰が何を、どうしてやっていたのか。関わった人間に当て嵌めてみるといい。見落としはあちこちにある。思い込みは愚だ」
「何をどうして……」
 確かに何かあったような、と楓我は思った。その顔を見た進歩は口角を上げる。
 うまく載せられたか、と楓我は思った。
 進歩と別れ、構内に戻る前に振り向くと、顔を押さえられて痛がっている進歩と、心配そうに顔を覗き込む雫の姿が見えた。
「……あれでか?」
 楓我は呆れると同時に二人の様子に羨ましさを覚え、痛む拳に情けなさを滲ませながらその場を後にする。
 空を見上げれば代わり映えしない雲がこちらを見ているような、そんな気がした。

 10月31日。火曜日。午後1時。
 楓我は図書室に来ていた。
 杏月と最後に会ったとき、彼女が本を読んでいたことを思い出した楓我は何の本を読んでいたのかと本棚を調べる。
 ──なぜ読んでいたのか。きっと目的があったはずだ。
 できるだけ古い歴史や物語の本を探し、カビ臭いページを開いていたそのとき。
「何の本をお探し?」
 ふと、背後から声がかけられた。
「……それがわからなくて、探しているんだ」
 振り向くとマリーがいる。楓我は逃げたい心を押し込めてぎこちなく笑った。
「どうして?」
「大知と杏月さんの事でちょっとね」
「ねぇ、大丈夫? まだお葬式から三日だよ? 昨日だって荒れてたじゃない。あんな楓我、見たこと無かったよ」
「……ごめん」
「あの時は思わず突き飛ばしちゃってごめんね。でも、あのままだったらちょっと……いや、かなりヤバかったと思う」
「うん、おかげで大事にならずに済んだ。迷惑かけて申し訳ない。昨日はおかしかったんだ」
 楓我がマリーに手をあわせて詫びる。
「反省したならいいの。そのことはもう言わない。大知のことだったんだよね?」
 楓我が眉を下げつつ頷く。
「自分がどう言われても怒らないけど、友だちが悪く言われると怒るんだよね」
「申し訳ない」
「そればっかり」
「……謝るしか思いつかなくて」
「楓我、あなたが手を上げたこと以外はなんにも悪いことじゃないよ。で? 私、手伝うよ?」
「いや、遠慮じゃなくて、漠然としすぎて頼みようがないんだ」
「方向性くらいは無いの?」
「強いて言うなら伝承、都市伝説とかの類いってことくらいかな。恋人たちの死に植物が関係しているなんてそんな……」
「植物……。なら、縁結びの花って伝承があるよ?」
 マリーの即答に楓我が手にしていた本がばさりと落ちた。
「なんでそんなこと知ってるんだ?」
「日本に興味を持ったきっかけこそアニメだけど、私が何を専攻していると思ってるかな? あと、そういうのってアメリカにもあるんだよ。まあ、オカルトはいっているのも多いけど」
「……そうか、あってもおかしくはないか。海外の都市伝説が元ネタっていうのもあるもんな。頼む、教えてくれ」
「いいよ。そのかわり、私も話に加えて」
「えっ?」
「立て込んだ話してるよね? 大知と杏月にも関係しているんでしょ? 私も二人の友だちだよ。蚊帳の外なんて絶対に嫌」
 ふとマスターの言葉が頭に思い浮かぶ。頑張り続けて、それでも駄目なら人を頼れ。三人寄れば文殊の知恵だ。
 ──自分の意地なんて気にしている場合じゃない。だけど……。
「マリー、今は俺を信じて……いや、信じなくてもいいから、騙されたと思ってその話を教えてくれないか? 話せる時が来たら必ず話す」
「ここは一緒に謎を突き止めよう、って言う流れなのに……」
 マリーはむぅ、と口を曲げる。
 その大きな瞳で見つめられると心の奥底まで見透かされそうな気がして、思わず後退りしたくなり困惑する。今までなら、いくら睨まれてもこんな可愛い顔でなら、と思えていたのに。
「いいよ。騙されてあげる」
 マリーが囁くように言い、笑う。
「でもあんまり待たされるのは嫌だよ?」
「俺も、待たせたくない」
 マリーはしょうがないなぁ、とくすぐったそうな顔で微笑む。楓我はその笑みに目が眩みそうだった。

 楓我が東屋に向かうと、すでに進歩がベンチに座っていた。
 雫も一緒にいる。
 楓我に気づいた進歩は苦い顔でよう、とおざなりに手を上げ、雫はこんにちは、と手を振り楓我を迎えた。
「できるだけノイズは抑えるって言ってなかったか?」
「進歩くんも最近体調がちょっと……。だから、よかったら私も手伝いたいなって思って。大丈夫。これでも口は堅いよ?」
 雫がうん、と力強く頷くが進歩は対象的に顔をしかめる。
「……雫さんはどこまで知っている?」
 進歩は露骨に視線をそらす。
「おい」
「君と話していることはほとんど……」
「巻き込むなって言ったよな?」
 進歩が初めて気まずそうな表情を浮かべる。
「み、見られたんだよ。昨日風呂に入っている時に勝手に部屋のパソコンを覗いて、それで……」
「部屋?」
 進歩があっと口をつむぐ。
「雫さん、お前のところに入り浸ってる?」
 顔を向けると雫は困った表情で首を傾げる。
「あはは……。モニター開きっぱなしだったからつい……。あ、でも私と進歩くんは別におかしな関係じゃ……ないよ、まだ。進歩くんの部屋広いから顕微鏡とか置かせてもらって、一緒に勉強したりとか……。そういう意味で、お世話になってます」
 ──こいつ、雫さんには実はとことん甘いか?
 俺は必死にマリーの誘惑を振り切ったのに、といよいよ不満が吹き出しそうになるが、事の深刻さを思い出して溜飲を下げ、雫に問う。
「雫さんは怖くないのか? 進歩は雫さんのことを心配して関わらせないようにしていたと思うんだ」
「植物を弱らせちゃう現象と原因不明の死が関係あるかもって知った時は怖かったけど……。でも私、死にたいって思うような目にはもう遭って」
「雫!」
 進歩が強い声で雫の言葉を遮る。
 雫は口を閉じ、言葉を言い直した。
「と、とにかく、私も何か調べたかったの。もし呪いの正体が実は細菌やウイルスなら呪いが伝染る理由が説明つくかなって思ったけど、大知さんの診断書に病死の可能性はないってあったから困っちゃって」
「お前、ほんとに全部喋ってんのな?」
 楓我が呆れて言う。
「もうわかった! とりあえずもういいから君は帰れ」
「やだよ。せっかく楓我くんが来てくれたのに。私も話を聞きたい!」
 だよね? と雫が楓我を見る。
「……わかった。仕方ない。じゃあ聞こうか。何かわかったことはあるか?」
 進歩が眉間にしわを寄せながら楓我に問う。
 楓我は本当に雫には甘いのだ、と進歩の意外な人臭さを喜ぶべきか非難すべきか迷う。
「今回の件に関係しそうな伝承を聞いたよ。ここにはおよそ三百年前にあった恋人同士の……」
「待て、それ、縁結びの花じゃないだろうな?」
 進歩が言葉を遮って楓我を睨む。
「え? 知ってる?」
「あのな……。もったいぶっておいて、そんな話しか仕入れられないのか?」
 進歩が大げさにため息を吐いた。
 話をしてくれたマリーまで否定されたような気分になり、楓我がうなだれる。
「このあたりの歴史を少し調べればすぐ出てくるような話だよ。柴森山に神社を建てるために利用された伝承だろ」
「オカルトとか伝承系はノータッチかと思ってた」
「言っただろう。そういう話の裏を暴くのは大好きだって。その程度を調べない訳がない。見くびられたものだな。チャンネル見ろ。そういうのは洗い済みだ」
 進歩が楓我をあからさまに見下し鼻で笑う。
「そこまで言うことないでしょ? 知られたお話でも、何か新しい発見とかあるかもしれないじゃない」
 雫が言うが、進歩は首を振る。
「町おこしに利用されるような有名な文献に今更何があるんだ? どうやら一日無駄にしたようだね」
「それは進歩くんもでしょ? 新しい情報、ないよ?」
 雫の言葉に進歩が口をつぐみ、苦い顔を浮かべた。
「とにかく、いちばん大事な祠の場所もわからないような話で何をどうするんだい?」
 言われてみればもっともだ、と楓我はため息をこぼす。
 何かほかの情報が必要だ、と考えていた楓我に「おい」と声がかけられた。
 聞き覚えのある声に振り向くと、そこには玲王がいた。