(27)青い海 夕日が傾き、所々ペンキのはげ落ちたバルコニーの手すりの一片を強い光で照らしていた。春の香りが鼻先を擽った。まだ大和の治安がそこまで悪化していなか…
(26)渦 ペドロは群衆の中の一人が、指差すのを見た。拍手は鳴り止まず、官邸を包み込んでいた。だが、そこにいるはずの田積の姿がないことに改めて気づかされると、ペ…
(25)浅海 田積の声が聞こえた気がした。佐藤と共に列車に乗り込んださくらは、窓の下を覗き込み、錆びた漁船が鎖で繋がれたままの小さな港を見つけた。黄色い河が荒々…
(24)潮騒 窓辺から吹き込む風にレースの刺繍が施されたカーテンが揺れ動いていた。端に薄茶色の黴がこびり付き、湿った潮風と共にすえた匂いが流れてきた。窓辺に置か…
(23)静かの海 田積は咄嗟に目を瞑った瞬間、パンドラの箱を開けた時に生まれた一つの世界のように様々な風景が花火のように打ち上がるのを見た。 心臓の鼓動が規…
(22)水面 ジルマは息を飲んだ。伝承とは人々の曖昧な記憶を元に紡がれていくもので少しずつ事実とは異なっていくものだった。だが、目の前にあるこの小さな内海は、母…
(21)幻 ジルマの手には鼠色に鈍く光るショットガンが握られていた。すすきの生い茂る朽ち果てた自治会館を出て、浅海が何度か足を運んでいたあの洞窟へと自然と足が向…
(20)地下 「ここには、ありったけの人間の憎悪と醜い願望とが詰め込まれている。さて、お前にそのような感情はあるのやら」 鬼沢が案内した実験場よりさらに地下深く…
(19)綻び 藤本は響子の露わになった小ぶりの乳房を一瞥し、次に肉の塊となった哀れな男の亡骸を見た。 「貴様はなにをしにきた」 響子は胸を隠すこともなく顎を上げ…
(18)玉葱畑 カルロスは黒い傘で埋め尽くされた広場のあちこちに炎を見つけた。群衆の怒りは留まるところがない。ジョシュ・ラモス首相の容態は安定していたが、相変わ…
(17)青い炎 日明はしばらく目を覚まさない大和人の女の額に手をあてた。緩やかなカーブを描く眉毛の下に大きな瞳があり、長い睫がのびていた。小さい寝息を立てていた…
(16)青い鳥 河の上に浮かぶ湯気のような蒸気が風でかき消された頃合いに、巨大な神殿が現れた。雲の立ちこめる薄暗い空の下に真っ直ぐに伸びた柱…
(15)着弾 その昔、大和でもっとも長く美しい橋としての姿はとうに失われていた。アスファルトはひび割れ、所々が剥がれ落ちて海の底へと沈んでいた。橋梁をつり下げ…
(14)泥 「君はdirty bombを知っているかい」 鬼沢は机の上に軍靴を乗せて葉巻をくわえたまま藤本に問いかけた。日本刀を脇に刺した上背のある男を鬼沢は顔色一つ変えず…
(13)秘密 藤本は気を失った響子の傍らで頭を抱えた。我を忘れて怒りをぶつけるべきではなかった。あのまま力を込めて喉仏の骨を折っていたら大変なことになっていた。 …
(12)望遠鏡 一晩たっても帰らない弟を待つ浅海の背中に、ジルマは腕組みして眉を顰めた。硬いベッドでリアが鼾をかきながら眠っている。雨でぼやけた窓の外をずっと見…
ダビングかれん
2022年2月6日 23:22
(27)青い海 夕日が傾き、所々ペンキのはげ落ちたバルコニーの手すりの一片を強い光で照らしていた。春の香りが鼻先を擽った。まだ大和の治安がそこまで悪化していなかった新婚の頃、ジープに乗って妻と菜の花畑を見に行った。花粉が入り交じる生暖かい風が車窓から吹き抜けて小夜の髪先を揺らした。藤本は鼻歌を歌う妻の浮かれた様子を何とはなしに眺めていた。黄色い河の破片がどこからともなく飛んできて、ひび割れだら
2022年2月6日 23:18
(26)渦 ペドロは群衆の中の一人が、指差すのを見た。拍手は鳴り止まず、官邸を包み込んでいた。だが、そこにいるはずの田積の姿がないことに改めて気づかされると、ペドロは下を向いた。「あれを見ろ!」 甲高い移民の少年の声だった。立ち並ぶ背の高いビルの隙間から、黄色い河が壁のように立ち塞がり、遠くの町が巨大な触手に襲われているのが見えた。「何だあれは!」「逃げろ!」たちまち悲
2022年2月6日 23:16
(25)浅海 田積の声が聞こえた気がした。佐藤と共に列車に乗り込んださくらは、窓の下を覗き込み、錆びた漁船が鎖で繋がれたままの小さな港を見つけた。黄色い河が荒々しく打ち付ける荒廃した世界に目を見張った。静寂の中でさくらは耳を澄ました。低く這うような地鳴りの音だった。佐藤は初めて見るそのすさまじい威力と臭気とを発する黄色い河を呆然と見守っていた。 ひびだらけの木製の床に、誰かの吐き出した
2022年2月6日 23:11
(24)潮騒 窓辺から吹き込む風にレースの刺繍が施されたカーテンが揺れ動いていた。端に薄茶色の黴がこびり付き、湿った潮風と共にすえた匂いが流れてきた。窓辺に置かれたアンティーク調の薄緑色の肘掛け椅子の脇には腰まで延びた髪が風に揺られて生き物のように動く少女が佇んでいた。カーテンの向こうにはバルコニーが広がり、そのさらに先から、黄色い河の荒い波音が流れ込んだ。少女は、こちらへ銃を向ける2人
2022年2月6日 23:07
(23)静かの海 田積は咄嗟に目を瞑った瞬間、パンドラの箱を開けた時に生まれた一つの世界のように様々な風景が花火のように打ち上がるのを見た。 心臓の鼓動が規則的に響いた。真っ暗だった。暗闇の中でトカゲのような小さな手を目の前に透かしてみた。どろどろとした液体に身を委ねた。眠くて仕方がなかった。水の中にいるはずなのに呼吸は楽だった。不純物の欠片が横切っていった。愉快だった。玩具を掴む
2022年2月6日 23:04
(22)水面 ジルマは息を飲んだ。伝承とは人々の曖昧な記憶を元に紡がれていくもので少しずつ事実とは異なっていくものだった。だが、目の前にあるこの小さな内海は、母がおとぎ話のように話してくれた海の色と違いは見あたらなかった。美しく輝くサファイアに熱を当てて、どろどろの飴状に溶かしたような目のくらむブルーだった。ジルマはその伝説を目の当たりにしたことを俄に信じられなかった。リアも言葉が出ないようだ
2022年2月6日 22:55
(21)幻 ジルマの手には鼠色に鈍く光るショットガンが握られていた。すすきの生い茂る朽ち果てた自治会館を出て、浅海が何度か足を運んでいたあの洞窟へと自然と足が向いた。さらにその先に見えたのが、荒れ狂う黄色い河だった。何かに導かれるようにジルマは歩いていった。ジェットエンジンのついた船は船着き場にあと一つしか残されていなかった。小屋に繋がれた船の先についたロープをほどき、波の荒い河へと送り出した
2022年2月6日 22:50
(20)地下「ここには、ありったけの人間の憎悪と醜い願望とが詰め込まれている。さて、お前にそのような感情はあるのやら」 鬼沢が案内した実験場よりさらに地下深く、永遠に続く薄暗い階段を下っていくと、あちこちからネズミが現れては藤本の足下を横切っていった。「あいにく、俺にはそんな下卑た心はない。自分の正しいと思うものを信じるのみだ」「果たして、それが本当に正しいと言えるのか。人の正義感
2022年2月6日 22:45
(19)綻び 藤本は響子の露わになった小ぶりの乳房を一瞥し、次に肉の塊となった哀れな男の亡骸を見た。「貴様はなにをしにきた」響子は胸を隠すこともなく顎を上げた。その横で若い将校が2人、鬼沢の遺体を担架に乗せていた。「誰が殺した」「私ではない」「誰がやったんだ!」将校はすかさず藤本のこめかみに銃口を突きつけた。「口の聞き方に気をつけろ」藤本は横目で睨みつけると、将
2022年2月6日 22:40
(18)玉葱畑 カルロスは黒い傘で埋め尽くされた広場のあちこちに炎を見つけた。群衆の怒りは留まるところがない。ジョシュ・ラモス首相の容態は安定していたが、相変わらず意識は戻っていなかった。カルロスは葉巻に火をつけて主のいない席に置き去りになった書類の束に目を落とした。 治安維持局に当てた書簡、防衛省への指示系統をまとめた資料、記者会見の年月日の入った古い資料、どれもこれといったものは一つも
2022年2月6日 22:36
(17)青い炎 日明はしばらく目を覚まさない大和人の女の額に手をあてた。緩やかなカーブを描く眉毛の下に大きな瞳があり、長い睫がのびていた。小さい寝息を立てていた。美しい女だった。夫は怒りと絶望に狂い、響子の手についに落ちたことに哀れみを感じた。「もう囚われの身はいやですよ」立ち上がりかけたところで、小夜の声が不意に肩を叩いた。振り返ると、大きな瞳をこちらに向けていた。「起きていたの
2022年2月6日 22:32
(16)青い鳥 河の上に浮かぶ湯気のような蒸気が風でかき消された頃合いに、巨大な神殿が現れた。雲の立ちこめる薄暗い空の下に真っ直ぐに伸びた柱がいくつも立ちならび、彫刻が施された三角形のペディメントが佇んでいた。洪水で流出してしまったパルテノン神殿に模した彫刻もしっかりと再現されていたが、近づくと、あちこちに亀裂が入り、今にも朽ち果てそうな巨大な張りぼてと気づいた。 浅海
2022年2月6日 22:29
(15)着弾 その昔、大和でもっとも長く美しい橋としての姿はとうに失われていた。アスファルトはひび割れ、所々が剥がれ落ちて海の底へと沈んでいた。橋梁をつり下げるワイヤーは錆びてちぎれかかっている。ずいぶん前に車道は封鎖され、警告の看板が出入り口を塞いでいた。人一人がかろうじて歩いて通れるくらいの歩道だけが橋の役割を果たしていた。だが、霧の中にひっそりと佇むこの巨大なお化け橋を利用する者
2022年2月6日 22:25
(14)泥「君はdirty bombを知っているかい」鬼沢は机の上に軍靴を乗せて葉巻をくわえたまま藤本に問いかけた。日本刀を脇に刺した上背のある男を鬼沢は顔色一つ変えずに部屋に招き入れた。「今日はそんな話をしにきたわけではない」「まあ、座りたまえ」藤本は背後から散弾銃を突きつけられているのに気づいたが、鞘から鈍く光る刀身を引き抜いた。「侍気取りか」「黙れ」「さて、先
2022年2月6日 22:20
(13)秘密 藤本は気を失った響子の傍らで頭を抱えた。我を忘れて怒りをぶつけるべきではなかった。あのまま力を込めて喉仏の骨を折っていたら大変なことになっていた。 気道を確保するため、横たわる響子のシャツの胸元を開けると、骨ばった肩甲骨が再び目についた。小夜のような女性らしい柔らかさや膨らみが全くない、無駄なものをすべてそげ落とした貧相な体だった。何も知らず、ただ悪魔の囁きを吹き込まれただ
2022年2月6日 22:15
(12)望遠鏡 一晩たっても帰らない弟を待つ浅海の背中に、ジルマは腕組みして眉を顰めた。硬いベッドでリアが鼾をかきながら眠っている。雨でぼやけた窓の外をずっと見つめたまま何も話さなかった。気温が一気に下がったからか撃たれた傷口がずきずきと痛む。眠れないのは浅海の目障りな様子だけが理由ではなかった。 汚い宿だった。カーペットの端々に茶色い染みが浮き出てスリッパも履き古されたものを渡された