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ruleoflaw まとめ

◯パワーオブバランスを壊そうとしている、もしくは壊したっていうことが善悪を判断する根拠だとしても、その基準設定なんかできないし、なかなか微妙でその判断は付けにくいよねえ。
そもそもが"戦争行為"がどうのという前に、ガバメントがruleoflawに依っていないで、国民の意思に拠らず、一人の恣意的な判断で運用されている時点で、その国の判断と行為はそもそも正義を欠いているのでね。
結局ruleoflaw対rulebylawのせめぎ合いなんだよね。
この世の中は正義(ruleoflaw)を欠くガバメントが勝利をしていいんですかということなんだよね。


◯ruleoflawは、もっともっと身近な暮らしの中で顕在化しなければいけない。
日本ではそういった意識がとても低いと思う。
ruleoflawは道徳ではないのだから、誰かがその顕在化を担わなければならないと思う。
その誰かが全く欠けている。
身近な自治のレベルに謂わば憲法の理念の存在が見えない。
rulebylawだけでは、社会の正義も、一人一人の平和も実現されない。
この世の中を、けしてソピストが跋扈するようなノモスにしてはいけない。


◯年末と言えば忠臣蔵。
純な気持ちになりたい時期にゴーンの逃亡。
図々しい会見を見せられてうんざり。
浅野内匠頭や四十七士の潔さ、格好良さと比べると、ゴーンの行動はゲスの極み。

年の瀬や水の流れも人の身も
あした待たるるこの宝船

刑罰の規定、処罰が適用できないような事柄についても、特に人を卑しめるハラスメントの類いは、社会を営む”人間“としては、けしてあるべきではない“重罪”。そこに正義がしっかりとあるのなら、やはり報いを求めたい。刑法の規定以外にも報いを求める制裁の手法はあって良いし、実際、社会にあるべき規範としては法律だけじゃないだろう。専制的な国家権力だけではなく、ハラスメントを行うような権力的な個人に対してもruleoflawは、その存在意義を示すべきだ。
ruleoflaw の実現は私人の役割であって良いと思う。
必殺仕置人もゴルゴサーティーンも、法律がなかなか適用されない事柄、適用が難しい事柄について、カタルシスを実現するからこそ、皆の好意を得るのだろう。


◯法の支配(ruleoflaw)の原理は、治者も被治者も均しく法に従うべきであるとし、とくに権力の座にある者がその権力を濫用することを強く戒め、そのことにたいする予防措置の必要性を強調する。

立法部も司法部も裁量権を行使することはジェニングスの言う通りであるが、にもかかわらず法の支配に関してイギリスで主として行政権の濫用の抑制が問題とされたのは、行政権が最も濫用され易いという事実を基盤としたものである。

そして、アメリカのように、独立にいたる一連の本国との抗争の中で立法権の濫用もまた行政権の濫用と同様に警戒されるべきだという考えが広くもたれると、違憲立法審査制が産み出されることになるのである。

(田中英夫 英米法のことば)


◯世界は何十年前と全く変わらず愕然としますが、そもそも社会の仕組、人間関係がパワー至上主義のまま変わりません。民主主義だって結局同じ。
そんなことを認めている内は国際関係も変わるはずがなくて。
我々の日々の暮らしの中でもどれほど正義がなされているのでしょうか。
司法や行政が関わりきれていない不合理な課題が山積しているじゃないですか。
なぜ組織にサイコパスが蔓延るのか。
なぜ虐めが司法で裁かれないのか。
長いものには巻かれろ、寄らば大樹の陰、泣く子と地頭には勝てない、力は正義なりとか。そういうことを言っている内は、非道なパワーが力を得て弱きものに牙を剥きます。
世界の国々や我々自身が法至上主義(ruleoflaw)にどれほど価値を持たせて日々の暮らしや施策の検討を行うことができているのか、振り返る必要があるのではないでしょうか。


◯よく役人仕事って言うけど、それは、例えば一つの決まりごと(規準)があると、その決まりごとがなぜあるのか、その決まりごとが目指す成果指標は何なのかを何も考えないで、ただ決まりごとという上部の部分(字面)だけを見て判断することをいうんだろうなと思う。まだruleoflawの一翼を担う一員とはなれておらず、rulebylaw時代の、まるでロシアや中国の役人と同じような思考だよね。
アイヒマンと変わらない。
特に地方自治体には法令の制定権も一次的な解釈権もあるんだからそんな思考はいただけない。
こういう部分が役所の若い職員にもきちんと教育がなされていない気がする。
何かしら行政権力を持たされるということは、広く深い思考と正義の実現を常に意識することが求められているということと思う。
成果が見られない規準の適用は妥当性を欠き、不適当あるいは不適法であることを認識したい。
このような一連の思考プロセスができて初めて若い職員にはノブレスオブリージュの意識が芽生える。
職員研修を考える際にも、ここが一番重視すべきポイントだと思う。
役人としての基本だと思う。
この辺ができていないと後々問題が噴出したり、議会や市民から責められてしまったりするものだ。


◯なんと言ってもローカルガヴァメントの問題は、思考や判断において、議会の議論においても、ruleoflawを上位に位置付けないことに尽きると思う。
ruleoflawを理解して取り込まなければ容易く力のある者に巻き込まれる。


◯身震いするほど恐ろしい犯罪だが、自分が大学時代には国際法のテキストにもその設置は難しいとされた国際刑事裁判所ができて、このような判決を出せるようになったということはたいへん意義深い。
東京裁判の時は戦争犯罪で個人を訴追する法源も無かったが。
その判決を出した判事達を指名手配したなどと言うロシア。---片腹痛いわ。
ruleoflawの無い国は本当にダメだ。


◯ruleoflawが存在しないとするガバメントがある。だから戦争が無くならない。


◯今回のコロナウイルスの件で、法治主義(rulebylaw)に基づいて、すなわち議会で成立した法律に基づいて施策を執行するということは、行政部(執行部)にとって、施策実施の遅延について、その責任を立法部(議会)になすりつけ、自らの迅速な責任を伴う執行を忌避し、その責任を逃れるものであることを理解しました。しかしながら、平常時とは異なる、特に緊急な事態が起こった場合等には、行政部は己が責任において、法治主義(rulebylaw)に基づくのではなく、法の支配(ruleoflaw)に基づいているものとの仮説をもって自ら決断し、迅速に施策を執行することが必要なのではないでしょうか。
日本国憲法においては、行政府は法の支配に依ることが明記されているわけですから、その執行の是非は後に司法部が判断すればよいのです。それが国民に対する行政部の責任の取り方であろうと思うのです。
国の運営については、その制度だけではなく、その仕組の活用とか、運営に係る工夫について、もう少し迅速な課題への対応が可能となるように心配りをした方が良いと思います。
それが危機管理であると思います。
英国のチュードル王朝は、時代の要請に応じるためにしばしば国王の大権を行使しましたが、その辣腕な政治的な配慮により、国会の援助を得て、国民の意思に逆らうことがありませんでした。
今政府と国会に求められているのは、このような言わば協働したリーダーシップでありましょう。


◯横暴な権力の存在を是としない。
生命とALの差を是としない。
善と悪の境界を是としない。
民主制と資本主義を是としない。
現自治制を是としない。
この社会の現状を是としない。
現在と未来の隙間を是としない。
現実と仮想の違いを是としない。
常識を是としない。
規範を是としない。
そして、心の痛みに素直に涙し、ruleoflawを信じて、この世の悪の全てを憎み、否定する。
弱き者を踏み台に権力や世間になびくエゴイズムを許さない。


◯ウクライナは抵抗しようとしている。
立派だ。日本は北方領土から竹島、尖閣と、無抵抗の内に取られた。政府は取られたことを認めない。本土に攻め入られても抵抗をしないのだろう。そして何十年も不法占拠だと言い続けるのだろう。国民の命も黙って差し出すのだろう。
アメリカは日本を助けられそうにない。
ruleoflaw(法の支配)の、世界や他国における欠如を言うことは容易い。
でも、法の支配は国民のために自国が実現しようと動くべきことではないのか。


◯過日、スカイツリーで行ったさいたま市をプロモートするパネルディスカッションで、

さいたま市を拠点として日本中のお母さんの就労、子育てを支援する方がこんなことを言っていました。

さいたま市の強みの一つは東京に近いこと。

もう、上野東京ラインで来れば、浦和駅から東京駅まで22〜3分。

これは通勤、通学、買い物、遊びに便利だっていうこともあるけれども、

羽田に近いし、全国や世界を相手にして仕事をする本拠を、さいたま市に置けるということ。

さいたま市民は世界中で活躍できるということ。

そんな意味合いのことを仰っていました。

そうだと想います。

さいたま市では、市民も行政も、日本中や世界を相手にしてイノベーションを起こす。

そして、世界中の皆と相互に利益を分かち合う。

そうでありたい。

そんな地理的な環境に恵まれているんだから。

皆でどんどん全国や世界に飛び出して。

そんなグローバルな人材や企業、施策を生み出す自治体でありたいな。

そう想います。

そのためには全ての“さいたま人”が、真面目に、誠実な態度で、真摯に、常に優しさと品性をもって利他的に行動することが大切です。

だからこそ多くの人々から信頼される。

世界の中でも、特にティピカルに“善”が満ちるまちでありたい。

世界中から、世界中の人々から、
常にruleoflawの視点から見られていることを忘れないようにしたい。


◯今回のコロナウイルスの件で、法治主義(rulebylaw)に基づいて、すなわち議会で成立した法律に基づいて施策を執行するということは、行政部(執行部)にとって、施策実施の遅延について、その責任を立法部(議会)になすりつけ、自らの迅速な責任を伴う執行を忌避し、その責任を逃れるものであることを理解しました。しかしながら、平常時とは異なる、特に緊急な事態が起こった場合等には、行政部は己が責任において、法治主義(rulebylaw)に基づくのではなく、法の支配(ruleoflaw)に基づいているものとの仮説をもって自ら決断し、迅速に施策を執行することが必要なのではないでしょうか。
日本国憲法においては、行政府は法の支配に依ることが明記されているわけですから、その執行の是非は後に司法部が判断すればよいのです。それが国民に対する行政部の責任の取り方であろうと思うのです。
国の運営については、その制度だけではなく、その仕組の活用とか、運営に係る工夫について、もう少し迅速な課題への対応が可能となるように心配りをした方が良いと思います。
それが危機管理であると思います。
英国のチュードル王朝は、時代の要請に応じるためにしばしば国王の大権を行使しましたが、その辣腕な政治的な配慮により、国会の援助を得て、国民の意思に逆らうことがありませんでした。
今政府と国会に求められているのは、このような言わば協働したリーダーシップでありましょう。

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