見出し画像

「今日、初めて笑ったかも」

休日、一日中家でゴロゴロしている日や
平日、仕事に行くまでの時間。

朝、カーテンを開けて「あ、雨だ。」

時計を見て、「やばい、急がなきゃ。」

熱い飲み物を飲んで、「あちっ!」

この程度の独り言はポツポツ呟くことがある。

しかし

一人暮らしをしていると、一日中、口を開かないことが時々ある。
次に誰かと言葉を交わす瞬間まで。


再び、人間になる


“話す”という行為は、頭が働くことだとつくづく感じる。

何も言葉を発していないと、レッスンでスムーズに言葉が出てこなかったり、声が出にくくて歌いづらくなったりする。
そのため、休日以外の日はできるだけ、人と話すよう心がけている。

しかし、私にとって人と話すことは、割と大きくエネルギーを消費してしまう行為だ。
その代償として、
色々な人とたくさん話した次の日は、深く長く、眠ってしまう。


最近のこと。
一言も話していない午前中を乗り越え、
人と会い、話す午後。

会話をしていて、笑った時に

「今日、初めて笑ったかも!」

と、言葉にしていた。

「今日で一番笑ったかも!」

と、表現したこともある。

…本当に素直な、
自分が自分に感じた、率直な感想だった。

笑う瞬間まで、
なんだか感情のない、ただ生きているだけの生き物のようになってしまっていた自分が、再び、人間になったような感覚。

今日で初めて、感情を取り戻した。
今日で初めて、孤独ではなくなった。
今日で初めて、人と話し、会話が楽しいと思えた喜び。

おかげで私は今、元気が出た。
そんな気分。


一人の時間が続くと、
誰かと会った時、正直疲れてしまうこともある。

しかし、誰かと話すことは
「人間として生きている」と、実感できることでもあるように思う。

一人でいる時は、一人だから
誰も自分のことを認識できないし、確認できない。

そのため、「その一人の時間は“夢”でした」
と言われても否定のしようがないような感じがする。

しかし誰かと話して、自分が感じたことを、自分で改めて再認識すると、
「ああ、やっぱり生きていたんだな」と思う。


笑うことと、予想以上に低い声


笑う
ことで

表情筋が動き、それまで表情が乏しかったことに気づく。
電気が点いたように、気持ちがパッと明るくなる。
「あはは」と声に出すことで、
笑っている自分の声を聞いて、楽しそうな自分を客観的に再認識する。

一人暮らしをしていた、学生時代もそうだった。

大学に行くまで。
アルバイトに行くまで。
友人と会うまで。

一人で過ごす時間が長ければ長いほど、
その後に誰かと会った時の、自分のギャップに少し戸惑う。

「あ、いま私、笑った。」
と、他人事のように自分が笑ったことに感動することがあった。


反対に、自分のテンションの低さに驚くパターンもある。

例えば一人で日用品の買い物に行って
お会計のあと、「ありがとうございます」や
レジ袋の有無を聞かれ、「大丈夫です」と言う時。

自分の声の高さ、低さに驚くこともある。

自分のイメージよりも声が高く、明るい時もあるけれど
自分の声と思えないほど、低い声が出ていた時。

特に元気がないとか不機嫌だとか言うこともなく低い声が出て、自分でびっくりしていることもあるため…
誰かと話す前には、できるだけテンションを上げ、自分で声のトーンをコントロールできるようにしておきたいものだ。


一方で
その時の店員さんとの何気ない会話が、
自分にとって「今日で初めて笑った瞬間」になる時もあるため、面白い。


「今日、初めて笑ったかも!」

と言った後。相手に対して
「私を“現実”に、そして“人間”に戻してくれてありがとう!」
という気持ちになり

“現実”で“人間”になった私は
そこからどんどん元気を取り戻す。

一日の中で、
初めて笑った瞬間
一番笑った瞬間
これからも大切にしていきたいと思う。

そしてそのことに気づかせてくれる
周りの人たちは、
本当にありがたい存在だ。


2023.11.25


この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?