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幸運な病のレシピ 2021年9月11日〜20日

伝統ってなんだろうかというのは難しい。どこかの神殿や洞穴の奥に隠さた経典でも、DNAに書き込まれているわけでもない。

僕のレシピの一つの大事な柱は「伝統的な手順」というものがある。しかし、1960〜1980年代の社会の変化は「三世代の家族が企業で農家で生産の核であった世の中」を見事に破壊した。そしてその破壊は「家からの開放」と言う面もあり、個人が自由になったっと大喜びであった。

しかしながら、家庭というシェルターが持っていた2つの大きな機能をも破壊したのだ。家庭とは「シェルター」でありながら「貪欲を戒める檻」でもあったのだ。「シェルターと檻」この2つはセットにならねばならないのだ。

僕が、「格差・パブリック(貪欲が見事に大暴れ)」「いじめ・テロ・医療(シェルターのはずが商売=自分の利益となる)」を論じるのは、「伝統」というものを考えるために必要だからである。

そして伝統はかわる。母と父はそれぞれ長女と四男であった。サラリーマンと自営の裁縫家の夫婦は出会い、愛を育み精一杯生きた。家を建てて、自分たちの育った食事を思い出しながら、伝統を自分で見つけようとしたのである。

減塩しろという医師の言う事を笑い飛ばしていた母が、やがて、薄い味噌汁を作りマズイマズイと嘆いていたことを思い出す。年を取り、死ぬことを恐怖し始めた頃である。何種類もの薬を飲んでいた。ぼくが隣に住みながら気が付かなかったことを思い出すと辛い。

答えはどこなるのかなどというのはわからない。けどね、大事なのは誰かを思う心だ。僕は毎日のマユのご飯をつくる(笑)。

皆が居なくなり、一人になっても「思い出の家」のために食事を作る。だって、僕は家族の一人なのだから。

「思い出の家」は貪欲を戒め、食事作りを大事にする。自分の根っこでもある。それは宗教と呼ばれる人生を律するCODEでもある。

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僕らの苦しみは、この50年間の変化の中にある。

多くの人が「病因」のない「症状」に苦しんでいる。生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。みな、食事に原因があるのだ。クスリで検査値を下げても意味はない。お医者様がなぜ自分のことだと気が付かないのか不思議に思うことはない。多くの人がそうなのだ。権威というのは恐ろしい。伝統とすり替えられる。そして裏切られてその時に気がつくのだ。

毎日、素材から丁寧に作った食事を続ける価値はある。なにせ自分の死に方である。

美味しいもの食べて元気に暮らそうではないか!

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この記事は9月11日〜9月20日です

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#お好み焼き

【2021年9月20日】娘の誕生日、夕食はお好み焼きを娘が作ってくれた。美味いものである。何も作らないで夕食であった。ビールを買ってきた。僕はお好み役が大好きなのだが、美味しく出来ておる。しかし,また足がつったらどうしようか。神様、芍薬甘草湯様、そろそろ眠い。

美味しい人生である。幸せなのだろうか。よくわからない。何せまだ終わりが来ていない。しかし,足を蚊に食われてかゆい。

#誕生日 #ビール #麻婆豆腐 #ゆで落花生 #ごちそう

【2021年9月20日】娘の誕生日なのでお昼からごちそうである。ビールのんだ。麻婆豆腐は辛めに作った。生落花生を買ってきたので茹でた。湯で時間が短かった。後でバターで炒めた。誕生日のプレゼントは洗車であった。楽しいひと時であった。夜はまたパート2である。

ここには居ない家族のことを思っていた。少し寝たら足がつって目が覚めたが少しだけであった。神様も勘弁してくれたようである。


#豆苗スープ #豆おこわ

【2021年9月20日】マユにご飯をあげた。豆おこわは醤油を入れ忘れた。豆苗のスープはマアマアの出来。豆苗・ミョウガ・モヤシ・人参・玉ねぎを入れた。モヤシは包丁で1/3位に刻むと貧乏くさくない(笑)。「野菜は畑から水を運んでくる」とは言っても最近は水耕栽培であるが。土中のマイクロバイオームが集まっていたかつての野菜とは全く違ったものであろう。人糞を肥溜めで発行させて熱で寄生虫の卵を殺してその有機肥料を作っていたのは昔の話である。僕の家の傍には肥溜めがあった。人糞を集めていく人を「かっぽん組合」と呼び恐れたものだ。道路にマークが付くものであった。祖母にきいたことがあるが、昔はチリ紙(灰色の再生紙)を置いていっってくれたという。もちろん灰色のものはお尻拭くのに使った。僕の小さい頃までそれで拭いていた。白い色のものもあり、鼻をかんだものであるが、それは捨てないでやはり回収する人に渡すと灰色のものと交換されたと聞く。そう言えば、うちの実家に白いちり紙はまだあった。父はそれで鼻をかんでポケットに入れておいたものだ。半分におったものの真ん中でかんで畳んでおいて乾燥したらまた開いてかんでいた。子どもたちが嫌がったなあ。まあ、僕も嫌だが。


#マユのご飯 #後片付け 禁酒22日目

【2021年9月20日】朝4時である。マユのご飯を作った。キャベツ様の残りに手羽先の先、ダシを取ったカツオブシ、人参大根キャベツである。ゆで卵も2個これは4回に分ける。ひたし豆を買ってきたので昆布と一緒に煮た。朝に醤油おこわ(醤油味の赤飯の小豆のないもの)に入れて炊き込もうと思う。ミルクパンでの炊き込み母斑ブームはまだ続く。これからお風呂入って、人仕事するのだ(笑)。木曜からのあまり金にならないシステムの障害が昨日終わり何やかにやとお彼岸である。これからの人生を考えさせられる秋の始まりである。母の墓前に花を添えてこようか。百日紅がまだ残っている。ミョウガの青葉も綺麗だし。もう少し先になると菊が咲き始める。

#キャベツ様 #イナダ・手羽先焼き #大根味噌汁 #煮干し煎り

【2021年9月19日】キャベツ様とはタジン鍋でキャベツと豚肉を蒸し上げるのだ。一切水を入れないで軽い塩である。20年以上前にキャンプで友人に教えてもらった。ビタクラフトの無水鍋で作ったのだがキャンプには最適であった。とにかく美味しい。弱火でキャベツの水が出て肉が蒸し上げられる。イナダは三枚に降ろさないで焼き上がった所で醤油を差した。焼き立てはいいのだが、少し経つと「生がえる感じ」がして好きではない。今度は焼きびたしてみようか。

昨日つくった味噌の煮込みは美味しいものである。ダシ汁を作ったのだが煮干と昆布とかつお節を炒った。これが結構美味しいと言うか、滋味溢れている。嬉しいものである。チマチマ食べる。大根と茗荷で味噌汁を作った。

明日の朝までにマユのご飯を作らねばならない。多分キャベツ様が残るのであれを使って、野菜をたっぷり入れよう。どうも、彼は魚が好きではない。そうだ、手羽先の「先」を煮ておいたものがる。大根とキャベツの外の葉を入れてやろう。美味しそうに食べる姿が目に浮かぶ。家族が美味しそうにご飯を食べてくれるのは楽しいものである。

残り物

【2021年9月19日】サンドイッチ、鳥のグリル、などを食べて、洋服の整理をした。実家の箪笥にうつすことにしたのだ。母の嫁入り箪笥に僕の背広が入る。感慨深い。かなっ立派な箪笥である。母の父は箪笥屋さんだったので木の細工が多い。もう作ることもできなくなった品々である。片付けていたら食べ物についてくる玩具が出てきた。これも過ぎゆく者たちなのだろう。僕も同じである。ポンと捨てることが出来ないのが面倒である。

#赤飯

【2021年9月19日】小豆が煮えたので赤飯を作った。ミルクパンで釜飯を作っていたのでその延長である。水加減にもよるのだろうが15~20分である。あんまり御飯を食べないので炊飯器だと洗うに面倒なのでミルクパンを使う。考えてみればパエリアとかリゾットなどのように米を食材の一つと考えると自由度が高まる。メゼご飯蒼を炊飯器で2-3合炊くと余って仕方がない。ミルクパンなら、0.5合くらいでも美味しさが爆発である。山盛りの白米の美味しさは遠い夏の日の花火のようである。しかし、炭水化物は美味しい。

味噌汁と出しつゆを同時に作った。日曜の朝である。夜は75円のイナダを焼くことにしよう。そうそう鳥も残っておる。ロースの薄切りがあるから生姜焼きにスライスしたキャベツでいこう。ここしばらくのキャベツの質が変わった。日本には20種類以上のキャベツが流通しているという。スライスが美味しいキャベツもあり、お好み焼きがいいものもある。キャベツ様というタジン鍋で脂身の多めのブアと塩で蒸す料理が好きである。今日してみたくなってきた。食事のことを考えていると夢が膨らむ。金がかからん。


#後片付け #食洗機 #小豆煮 禁酒22日目

【2021年9月19日】朝方に食器洗いである。食洗機との和解が成立したのはそんなに昔のことではない。僕が詰めると駄目だと烙印を押された。確かに僕が詰めると油が落ちなかったり、もう一度回さないと駄目なことが多かった。機会のくせにと腹を立てたが、それは間違えであると気がついた。共に厨房を守り、家族を守る大事な相棒なのである。

スポンジであぶらをおとしてから、詰めるのである。食器の大きさとカーブ(深さ)で定位置を決める。箸の入れる場所は決まっているのででたらすぐに入れる。もちろんスポンジで拭ってから。

お椀とタッパ(軽いもの)は最後まで待つ。小皿も隙間に入れられるので、固定位置が埋まった後で入れる。大皿の間には隙間を固定できるもの(箸やお玉、ヘラ)を挟み込む。洗っている内に外れることがあるので外れても大丈夫なように気をつける。縦に置くと外れて「旋回噴水羽根」を止めるので横に入れる。

食洗機のムスカしいところは最初に入れて回し始める水流が皿を動かすことだ。箸立ての一番右の底が壊れていて、細いものが下に落ちる様になっているので動かしている間に橋が「羽根」を止めることがある。水の音が変わるのですぐに分かる。

小豆を浸し始めた。後で赤飯を作るつもりなのだ。もち米を買ってきてもらった。出し汁に使う煮干しとコブも浸し始めた。今日は日曜日なのだ。



#寿司と蕎麦

【2021年9月18日】4時過ぎにマユのご飯。夕食はマユと二人、作ったものを盛り付けて食べた。舞茸ご飯は意外と好評で完食。ポテサラも残り少し、後でサンドイッチにしよう。イナダの味噌煮が美味しくできた。なにせ2匹150円である。明日は残りを塩焼きにする。9時くらいに妻がスーパーから半額の寿司を買ってきて食べるのが土曜日の楽しみである。寿司が半額で天ぷらもたくさん買ってきたので蕎麦を茹でて美味しく頂いた。マユも蕎麦っ喰いである。茗荷は庭のもの大根おろしにネギにオクラを刻んだ。蕎麦は薬味を食べる。

慎まやかで、何と贅沢であろうか。

#鳥パリッとチーズのせ焼き #ポテトサラダ

【2021年9月18日】いつもより少な目に作った。ポテサラは難しい料理だ。ピーマン・玉ねぎ・人参を生で、カボチャを茹でて多めに入れた。鳥は漬け込んであるモモをパリッと焼いて、オーブンでチーズを乗せて焼いた。フライパンお油を白ワインでソースにして、オーブンで飛ばした。レストランポイポイである。小ぶりの玉ねぎが安かったということで大量にある。揚げ物は冷凍のリザーブ物を一掃した。随分前に買った「小アジの甘酢あん」とかあったのでびっくり。夜はこれ食べよう。今日はこれで何もしなくと良いと言いながら、なんか作りそうである。

僕が作るのではない。身体の内なる海に棲み私を操っているマイクロバイオームが作るのだ。宗教が禁止するセックスも、タガが外れたような食事も、嗜好品への依存も、蟲たちの仕業である。「人生の悲喜劇」を生み文学や哲学を作った母である。ウンウン、いいお話である。


#イナダ #舞茸飯 禁酒21日目

【2021年9月18日】イナダ2匹で150円、一匹は焼いて一匹は煮付ける。舞茸と牛肉で「ミルクパン炊き込みご飯」を作った。手羽先はすぐに解体して塩しないと匂いが出るので厄介だ。それが、おいしさの秘密である。一等先に米を洗って舞茸大根カボチャ牛肉生姜にダシと醤油少しで20分前後である。大根とかぼちゃが入ったので雰囲気が変わった。おしんの大根飯を思い出して作ってみた。イナダは根菜と合わせて炊いた。大根人参生姜タケノココンニャクが入る。水からイナダも炊いていく。沸騰させないで味を出して行く。アクが出るので取りながら炊いていくと、嬉しそうにコトコトと揺れながらこちらを見る(笑)。醤油で炊くことが多いのだが、今日は味噌で味を入れてみた。猛烈に美味しい。佐渡産のイナダである、多分冷凍を通っていない。妻愛用のスーパーでは近海物を安く出してくれる。

糖尿病は「栄養失調」だという一派がいる。亜鉛が足りないだとか様々な「栄養素」を売りつけようとする。僕も栄養失調だというコンセプトは良いと思う。しかし、商品化された食事の「調理プロセス」で抜け落ちてしまうものこそが問題であると思っている。「乾燥・抽出・濃縮」が調理プロセスに入り、素材を柔らかくする為に蒸してフガフガにした根菜に「クラクラするほど美味い出し汁」をかけて出来上がりである。幾らそこに「亜鉛をふりかけた所で、キーレートして吸収されます」と言った所で、それは身体の内で使わえない。現実を見れば分かる。トクホが健やかな老後をもたらしているか?経営者に富を、庶民に苦痛を与えるだけだ。

素材の食物自身が持っている「生命=タンパク・脂質が立体構造を保ち多くのミネラルをその内側に保っている」を取り込む食事作りが大事だ。sこの50年で「家族と言うシェルター」は吹き飛んだ。母から嫁に伝えられた食事の価値も「因習で科学でない」と断じられて捨てられた。「政治的に正しい栄養学」が私たちの人生を「病因」のない「症状」で彩ている。生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。頭のよろしいお医者様は自分がその道をたどるとは気がつかないのだ。僕は知識のない馬鹿だから糖尿病になった。そして気がついた。幸運であった。

食物連鎖とは食べ物の中のパーツを少ないコストで使うのだ。同時に必要なだけバラして体内に招き入れる。一番の免疫(生命のスカラベンジャー)の仕事はそれだ。

#仕立て直しカレー  #豚キムチ

【2021年9月17日】くたびれて何もしたくないので、弁当買おうかとメニュー見ていたらカレーを食べたいことに気がついた。レトルトを買いに行こうかと思ったら、冷蔵庫にかなり昔の豚キムチがあったので玉ねぎと合わせて炒めればカレーの具になる。ルーは別鍋で溶かして合わせる。とにかく具をどっさりと入れるのが大事。レトルトでもいいけど玉ねぎ炒めてみればもう嬉しい。パスタが余っていたのでカレーっをかけてたべたのだ。細うどんも食っちまった。外に出て買ってくるより早い。今日は何も作らないと言っておきながら、厨房に経つと心が躍る。後片付けもして、昨日の煮付けを小鍋に移して冷蔵庫に入れる。毎日の厨房仕事はなっれればなんとでもない。つまが玉ねぎや肉を買ってきている。明日はパートで遅くなる日なのだ。弁当は何にしようかねえ。しかし、金がかからん。


#細うどん  #八王子ラーメン

【2021年9月17日】細うどんに玉ねぎをトッピングして食べた。玉ねぎは細かく切ると辛くないのだ。国体で八王子に一週間いた時に食べたのだが、美味しかった。なので細うどんに玉ねぎの山盛りで食べることにした。肉が少し悪くなってきているのでジリっと焼いてトウチと豆板醤で強めに味を入れた。細うどんを食べるまでに肉と玉葱とでお腹が一杯になる様に食べるのだ。最近は、炭水化物を適度に取ることにしておるのだ。ただし、肉野菜で満腹の後に入ってくるように仕掛けるのだ。炭水化物は生命の通貨だ。これほど美味いものもない。肉うどんになった(笑)。肉と脂質を合わせて食べる。生玉ねぎは僕にあっているようである。この季節は長ネギよりも安い。しかし、金がかからん。


#無花果

【2021年9月17日】4個「無花果」がなった。一つもらえたのでマユに見せびらかしていたら取られた。美味しかったようである。妻は3つ食べて皮をマユにあげて少し実を僕が貰えた。市販の物は熟する前に取るのでもそもそするが、落ちる寸前の無花果はとろとろしていて美味しい。

僕は果物をほぼ食べないのだが、これは美味しかった。3−4年前にステッキのような苗木を植えて今年は選定して実を大きくなるようにした。面白いものだ。果実が成熟するのは発酵の大様な働きがあるのだろうなあ。しかし、そういう研究は学者はしない。金にならないからなあ。可愛そうである。

来年はもう少し沢山剪定しよう。これから美味しくなるのだろうか?まだ青いものが多くついている。

#マユのご飯 #ペットフード #ドッグフード #手作りドッグフード    禁酒20日目

【2021年9月17日】マユのご飯を作った。ペットフードを売りたい方々は専門家の作った栄養が正しいペットフードを食べさせろという。忙しい私達は、ペットの為に買って食べさせる。若いうちは問題がないが、年取っていくと獣医通いが当たり前になる。安いペットフードは高い医療費が掛かり、高額なペットフードは比較的安く済むという。人と同じではないか。僕は家族の食事を作る。

雑食という食物連鎖は「ヒト」が作ったものである。野生動物にそもそもの食物連鎖から離れた食事を食べさせることで家畜とした。「イヌ・猫・豚・牛」これ以外の獣も、家畜化には2つの条件がある。「人の作った食事」で育つことができることと、「檻の中で交尾して仔を持つ」ことである。

家畜化出来ない生命は「気候=食物連鎖」に合わせて生きる。渡り鳥は食べ物を求め遠くへ飛び、草食動物は同じ草を食べる。コアラやパンダがステーキ食う姿は想像できない。食物連鎖というのは食事の内にある生命を自分というコロニーの内に放ち自分となるための大事な生命のパーツである。

そして、従来の食物連鎖の持っている「律」を外れるとピンコロでない生命の終わりを迎えるのだ。牛は粉骨の飼料を食べるのでO157がルーメンで発生する。ヒトはドッグフードみたいな食い物食っているから年取ると『「病因」のない「症状」に苦しんでいる。生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。』で苦しむのだ。

食事には価値がある。この50年の社会の変化こそが本当の問題である。

#パスタ #仕立直し

【2021年9月16日】昨日のハンバーグが残っていた。パスタに絡めて仕立て直した。昨日のギスと今日の高野豆腐、朝の味噌汁を食べた。何も作らないつもりだったのだが、ハンバーグの顔を見ていたらパスタになりたがていた(玉ねぎたっぷりとピーマンにトマトソースで仕立て直したのだ)。やっぱ、料理が好きなのだ。美味しいものが大好きなのだ。

数日の間の料理を食べることで食事はバラエティに富む。身体というコロニーで必要とするものは、毎日変わる。そしてその時の自分が美味しそうだなと思うものが大事なのだ。医者や栄養士の指示するトクホやテレビのおすすめメニューではない。自分自身を知っているのは自分だけだ。多くのレシピは喰い切りの食卓を描く。それは皆が望むものなのだ。望むものを売るのは当たり前だ。しかし自分にピッタリの食事は売っていない。金で買えないものは僅かだが。まだ残っている。
美味しそうなものは売っている。しかし、それは「政治的に正しい栄養学」の食事だ。今の私達を苦しめているのは食事なのだ。そして時にははそれでいいだろう。僕のレシピは毎日毎食作る。一日一回は3-4種類の料理を作る。他の食事のときは、作ったものを組み合わせて食べる。魚、肉、汁、できるだけ混ぜて、工夫する。「一汁一菜」だの、「ワンディッシュ」と言うのは盛り付けて食べる形式なのだ。大事なことは食べる形式ではなく、毎日続ける決意だ。ピンコロの人生の終わりが、この食事の先にあると信じることなのだ。食事の価値とは、自分らしい食事を見つけることだ。

僕がのレシピが大事だと思っているものは、『残っている物をいかに食べるかの技術』である。冷蔵庫という強い味方がある。一回煮しめを作り3日食べる。肉やハンバーグは少し残るくらい作ったら味を入れ直して食べる。唐揚げなどは必ず余るから卵で閉じる。食べ物を上手く使うには一回の料理の量は多くなるが、上手に食べることができる。沢山の小鍋に囲まれて、僕は毎食作って食べる。


#鶏もものパリッと焼き #高野豆腐のおでん #鮭 #厚揚げ焼き

【2021年9月16日】妻の弁当を作った。さっきつけ込んだ鶏ももをフライパンでやつけた。バターと白ワインで味を整えた。どうも上手く行ったようだ。高野豆腐は随分前のものを戻して使った。おでんのダシは手軽で美味しいので重宝する。カツにするつもりの鳥の胸と薄揚げにコンニャクでまとめた。夜の汁はこれでいいことにする。鮭を2切れだけ焼いたのだがもったいないので厚揚げを耐熱容器で一緒に焼いてネギちらした。手軽で美味しい。ネギが焼ける時に出るエキスの香りというか味がいいのだ。醤油が焦げるのもいい。小さい頃父が好きであった。
今日はもう作らないで良いかもしれない。後片付けして少し寝て一仕事するのである。中々厄介な問題に昨日から囚われている。ハンバーグでパスタ作ろうかしら。なんかこってりしたものが食べたいような気がする。しかし、どうしてお腹は減るのかねえ。身体の内なる蓼食う虫に聞いてみたい物だ。


#蕎麦

【2021年9月16日】蕎麦は薬味を食べる。紫蘇とミョウガは庭から取ってきた。大根は鬼おろしで下ろすと辛くない。ゴマをすって生姜を摺った。こうやって喰うといい。高めの蕎麦屋さんに行くと小さな器に何やかにやが薬味で出るが自分で作る時は山盛りである。蕎麦は値段の高いものではないが食べ物は値段ではない。器も素晴らしい。八尾の陶芸家の先生に焼いてもらった。ザルに盛るより水の切れが良いし、程々にしっとり感が残る。あらったりの使い勝手もいい。少し休んだら妻の弁当の用意をして少し寝る(笑)。一日中なんか作っておる。


#ガーリックライス #ローズマリー #多重投薬 #断薬

【2021年9月16日】昨日の夜食べたガーリックライスの残りとハンバーグにポテサラを食べた。自生しているローズマリーをとってきて鳥に合わせた。ニンニク入りである。なにか食べるときには厨房仕事も絡めるといい。鳥のももは一捻りで美味しくなる。今日は4時から妻のパートなので2時位から弁当を作る。いつも揚げ物だと悲しいので今日はつけ込んだ鶏ももをパリッと焼く。胸もあるからカツも作ろうかいな。やっぱ、揚げるんかい。昨日の半額天ぷらがあるのでそばも茹でておこう。夜の汁はどうするかまだ決まっていないが、キャベツに豚で味噌味がいいかもしれない。僕の高校の弁当最後の日に母が、これで終わったと喜んだことを今も思い出す。4歳年上に一人いたので相当大変だったろう。しかし、本当に大変なのは高校出たあとである。3年も浪人するとは思いもよらなかったであろう。苦労をかけると親は長生きときくが、幸せであったろうか?最後の5年は食事をできるだけ作ってあげていた。歳を取る不安を訴える母へ、医師は簡単に不安を無くする薬を処方する。典型的な「多重投薬」であった。僕が食事を作ることで薬からの依存を断ち切れた。食事作りは共に生きる決意である。すっかり断薬出来たのは亡くなる3ヶ月前であった。ゴメンな、早く気がつけなくて。けど色々教えてもらえて僕は幸運だった。


#紫蘇 #バジル #茗荷   #依存症    禁酒19日目

【2021年9月16日】酒飲まなくなって19日目である。しかし、店に行くと天井までビールが積んである。テレビやネットでは美男美女が旨さに驚愕しておる。「禁酒法」は問題の本質を隠すために現象を罰したという意味で「生活習慣病」の検査値を「矯す薬」によくにている。何度禁酒したことだろうか。いずれ破綻することは分かっていても、どうにも止められない。1980年代に吹き飛ばされた「家族と言うシェルター」は「貪欲を戒める檻でもあった」。そして苦しみを共にして癒そうとする絆でもあったのだ。好きで酒など飲むわけがない。飲まねばやってられない現実が見えてしまうのだ。まあ、たまには飲みたい。嗜好品は喜びを分かち合うパーツでもあるのだ。いいことがあったらケーキくらい食べてもいいだろうさ。コロナ対策の自粛は「令和の禁酒法」と僕は呼んでいる、最初の頃「ホストクラブバッシング」がすごかったことは忘れられない。そっもホストクラブに行くというのは「家庭という檻」に入り切らない「スリット(裂け目:文字通り)」が問題である。そしてそれは、「行き場のないマッシュルーム(かわいい:俺)」と対になっているのだ。この季節の庭はいい。ミョウガを妻が、紫蘇とバジルを僕がとってきた。バジルはオリーブオイルに浸すことにした。フレッ湯バジルはあまり好きではない(かっこ悪いが)。昼は蕎麦くおうか。妻は今日、テニスのレッスンのあとでパートである。何と活動的な事だ。僕は一日不具合対応であろう。なおればいいが。

#八宝菜 #ハンバーグ #ギス #鳥手羽

【2021年9月15日】夜はなにか「汁もの」が必要だ。肉や海鮮がたっぷりはいって野菜もたくさんがいい。お腹はこれだけでも一杯になるのだ。ハンバーグはひき肉て作ったが少しつなぎが弱くてボヤケた味になった。なかなか難しい。コツはあるのだろうがなあ。ギスは塩を巻いて弱火で焼いた。ボロリ安いので20分架かったが、美味しい。鳥手羽は一番好評だ。マユも大好きである。匂いでわかるのだろうなあ。今日はシステム障害があって寝れそうにないのでスーパーで安売りを買ってきた。半額になっても利益が出るものを売る(返品なしの惣菜系は仕入れ40%)というのは経済の当たり前の姿であるが、満腹を売るためには炭水化物に頼るのである。しかいs,炭水化物、美味しいから大好きである。程々にして生きていかねばならない。マユはパンズもらえるから大喜びである。2時位に一回休憩だな。


#サンドイッチ

【2021年9月15日】マカロニポテサラにカツを押せてサンドイッチ食べた。マユも大喜びであった。耳はみんなあげている。パンは6枚切りを半分の厚さにして作った。パスタも食べたのだ。

#紫蘇の実和風パスタ   禁酒18日目

【2021年9月15日】昨日の紫蘇の実を使ってパスタを作ることにした。ナスを強火でソテーする。今のナスは面白い。味を吸って、自分の味も出す。ナスの組織が開いたところ他の野菜が入り、肉が入る。玉ねぎを細めしんなりにする。ピーマン・人参もいいかと思う。ピーマンは香りが高いので嬉しい。人参はとにかく使う、炒めにも汁にもサラダにも入る。野菜が適切に加熱され、水分が出てのどが渇いた頃に、たっぷりと肉を入れて味をまとめる。肉を焼いた時のソースも入れて味を整える。野菜や肉を捨てるところなく使う。コンニャクは正解であった。大きめに切って味を吸わせると嬉しい。そう言えばダシとるのに使ったかつお節があったなあ。いかんタケノコ忘れた。夜に回そうか。茹で方は、少し硬めで、最後に合わせて少し味を吸わせる。パスタに限らず炭水化物は味の接着剤である。身体の内側でもブドウ糖は様々な物質に結びついて(糖修飾)荷札になったり様々な役割をする。昨日のサンドイッチも食べてしもた。温泉卵上げればカルボナーラになると気がついたが、遅かった。人生の後悔は後からするものである。まだ少し腹が減っておる。少し仕事してまた喰おうっと。


#チャーハン  #紫蘇の実

【2021年9月14日】22時である。妻が帰ってきたので少し僕も食べた。妻は無言であった。仕事は辛かろうなあ。稼ぎがなくてすまない。今年は国体が中止になって売上が半分である。「ヒモ」的な61歳である。先にいけなくなったら経営者保険で3000万プレゼントするからね。せめてソレまではいいもの食べて元気に生きねば。何度も繰り返し喧嘩するが、みんな貧乏が悪い。しかし、どうなるのだろうか?酒を飲まなくなって17日が過ぎた。もう迷ってはいないのだ。朝のチャーハンが美味しそうだったので食べた。アイスとポテチを買った。明日の朝は昨日の豚バラに玉ねぎで和風のパスタにしようと思い、買っていた紫蘇の実を醤油につけて茗荷をちらした。農協で買ったもので生の紫蘇の実はこの時期美味しい。大体、食事作りは向こう一日は考えておく。冷蔵庫の材料と相談する。大体良い返事を聞かせてくれる。


#なめこ味噌汁  #後片付け #カツサンド

【2021年9月14日】4時半くらいにはマユのごはんの時間である。妻が帰るのは遅いが娘は少し早く帰ってくる。大きめの豆腐となめこで汁を作った。後片付けをしながらマユにご飯を出して少し休む。カツサンドを食べることにした。ポテサラと合わせて食べると嬉しい。6枚切りを半分の厚さに切ってキャベツと挟む。昨日のナスのトロトロも一緒に食べるとお腹いっぱいでパンが半分残った。夜中に食べることにしよう。炭水化物は生命の通貨である。身体のコロニーのうちの細胞はブドウ糖を使い生命活動を行う。水素と炭素をブドウ糖は効率的にミトコンドリアへと運びADP<=>ATPのサイクルを行い生命活動を維持するのだ。だから僕らは炭水化物を渇望する。そして、タンパク・脂質は食物連鎖の重要なパーツである。食物の内なる海に立体構造を維持しながら漂っている(相分離)その立体構造を巧みに「切り繋ぎ」自分自身の生命のパーツにする。代謝というのは、分子のレベルから組み立てるわけではない。食物連鎖の内にある何十万という連鎖のタンパク質や脂質から切り出して使うのだ。1960年代の分子栄養学は、「身体の内に作る代謝系を持たない栄養素=分かりやすい欠乏症が起こる=必須栄養素」こそが大事であると考えた。

その時代(1960年代)はまだ食事を家で作っていたのだ。だから分かりやすい欠乏症や中毒症が「食事」にとっての大事なものだと思われた。

今私達を苦しめているのは食事を買わざるを得なくなった社会の変化にある。そして医者は気がつかないほうが金になるのだ。予防学という分かりやすいアウトカム(検査値を薬で上下させる)に患者は納得する。しかし、自分も通る道だということがわからないのだろうか?


#揚げ物   #ポテトサラダ

【2021年9月14日】火曜日は揚げ物をする。揚げ終わる頃妻が佐渡沖の南蛮えびを頭とって片栗で揚げたら美味いものである。カツの下ごしらえの時のタタキ方が少なく中が生であった。確認するのに半分に割ってみたら赤いので、粉つけてもう一回揚げた。鳥のカツは難しい。肉たたきで普段は叩くのだが今日は面倒だったのでそのまま行ったらああ見事にこれである。油が少し色づいているので外見はよく揚がっていたのだがね。ポテサラ爺さんの話が昔話題になたけど、僕はボテ皿爺さんになる。ポテサラって手間のかかる素敵な料理なんだよね。今日は奮発してサラダマカロニに入りである。これがまた嬉しんだよね。今日は妻もパートでいないのでマユと二人である。揚げ物とポテサラって時折一緒に進行するが、とにかくボールの数とザルの散乱が凄い。後片付けが見事に大事なのだけど、夕飯作りの時に一緒にやっつけるのだ。今日は「良いなめこ」があるのでなめこ汁にすることにした。


#チャーハン    禁酒17日目 祝97.1kg

【2021年9月14日】タイの香り米を使ってチャーハンを作った。香り米は僅かな量なのでミルクパンで10分程度で炊けた。昨日のブロック肉とネギ、卵で作ったのだ。美味い。塩だけの味付けだが十分肉に味が入っているので美味しい。油たっぷりに卵を溶き入れて熱々のご飯を載せて返す。卵はたっぷりの油で揚げるように。そのまま蒸しながら「ご飯」の方に焼きを入れて、具材を全部入れた。後は何度も返していくと良い。卵がご飯に染み込みながら味を繋いでいく。インディカ米でのチャーハンははじめてだ。一回作る分だけ炊くのが難しくてインディカ米は買っていなかったが、ミルクパンで炊くと良いことがわかった。もう少し練習しよう。売っているチャーハンに比らべたら何と肉の多いことか。レタスやセロリが入っても良い。ゴーヤも美味しいかもな。炭水化物は美味しさをひきつけて集める。そして、生命の通貨である。どの生命もが欲しがるが、通貨だけでは生命は維持できない。「タンパク・脂質」を食べ物のうちから、細胞の体液の内にある状態=立体構造を活かしたままに調理するのが大事。そこには伝統的な私たちの調理法があるのだ。そして、おいしい。酒や炭水化物は嗜好品で圧倒的に魅力的でコストも安い。食卓から生命を押し出してしまう。


#ナスのトロトロ #ロース生姜焼き #ブロック肉

【2021年9月13日】豚のブロック肉をオーブンで焼いた。15分100度で10分休んでもう10分である。ニンニクとバジルオイルで焼きを入れてからオーブにするといい。厚めに切って照りを入れる。ダシ汁で味を作った。ロースの薄切りは残っていたのでやっつけた。ミョウガを買ってきたので一緒に炒めたが美味しいのである。庭の茗荷は中々出てこない。ナスのトロトロは好きな料理だ。面倒だったので、油多めで野菜を順位炒めて。一回上げてからひき肉を炒めて野菜を戻した。ここしばらくゴーヤを普通に炒めている。今回も入れてみたら美味かった。当たり前の食材として使うのが良いと気がついた。そんなに苦くはない。どうしていままで、こういう使い方を考えなかったのだろうか。無論ゴーヤチャンプルは美味しい。しかし、そればっかではないだろう、オムレツに入れたり目玉焼きと一緒に炒めたり、相当幅のある使い方ができる上に安いし美味しい。特別な食材から、普通の野菜になったのである。ブロック肉が少し残ったが明日細かく刻んでビーフンと合わせて食べよう。誰もあるから美味しくできるだろう。イカも買ったが失敗した。ホタルイカはこれでいかったのですけどね。鮭は定期的にこのスーパーで買う。


#中華焼きそば

【2021年9月13日】中華麺があったので茹でてフライパンで炒める、焦げが入るくらいで昨日のレバーのトロトロを加える。非常に美味しい。毎日syくじを作ると絶対に余る。それをいかに美味しく食べるかが問題である。イワシのグラタン元ルティアしたが、朝と同じで少し飽きてしまった。なんだかんだ言ってもお腹いっぱいである。ああ、今晩は何食べようか。そう言えばブロック肉がある。あれ食べようか。ブロッコリー的なものがほしい。明日は妻のパートなので揚げ物を作る。鳥の胸のカツと冷蔵物だ。白菜が美味しくなって来ているので八宝菜もいい。大根はオデンにするか。まだ少しなつの硬さがある。

#トルティーヤピザ   禁酒16日目 祝97.7kg

【2021年9月13日】小麦粉のトルティーアなのでパンと変わりないと思うことなかれ。サンドイッチにもピザにも嬉しいものである。昨晩仕事しながら食べたいなあと思いつつ値落ち下ので今朝は作った。チーズにトマトソースでチーズに目玉焼きそして先日のイワシグラタンである。デロンギのピザストーンは秀逸である。煮しめとコーンスープも付けたが、コーンスープは父が亡くなってから一回も食べていなかった(そもそも僕は食べない)。父の昼食にパンを出すことが多く、コーンスープを使っていた。思い出したら泣きそうである。こんなもん食わせてたんだよなあ。秋晴れのいい天気である。さつまいもが安くなると妻は干し芋を作るのだが乾き始めるとどんどん減っていく、これもまたいいのおだろう。数年前に「いきなり団子」を作ったことを思い出す。子供が大喜びしたものだ。テレビのアニメでやっていて面白く思い作ってみたのだ。秋である、ミョウガを見に行って思い切り蚊に刺された。良い功徳をした。宝くじ当たらんかねえ。

#レバーゴーヤ八宝菜 #鳥手羽炙り焼き

【2021年9月12日】八宝菜というと沢山の野菜が入ってとろみが付いている中華味のものだが、今日はレバーとゴーヤを炒めて豆チ醤と醤油で博愛とモヤシを合わせた。レバーと豚肉は油通しをしてから野菜に合わせた。久しぶりのレバーであった。ニラがなかったがこうやれば何ら問題はない。煮しめに、大量の大根おろしと蕎麦である。昨日のそばを食べ終わった。煮しめが2椀あるのは仏前の一つを持ってきたから、忘れておった。今日は温かい一日であった。一日パソコン意向ってソースを書いていたので目がショムショムである。「怠け者の節句働き」という。僕は年中休日(節句)である。セックスではない。悲しいが。まだ少し頑張らねばならない。何を!

#オクラ蕎麦

【2021年9月12日】妻がオクラを茹でたので、細かく刻んでオクラ蕎麦にした。天ぷらは昨日のもの、麺つゆは市販のものを貰ったので食べてみた。売られているものはそれなりに美味しい。しかし、美味しいそばつゆってどんな味だったのかを忘れてしまった。自分で作ったものもいいし、売っているものもそんなにひどくはない。忘れられない蕎麦ってどんな味だったろうか?東京時代はバイクでいろいろなところに蕎麦食いに行った。蕎麦喰いが好きな友人が居た。地元の有名な蕎麦屋さんがある。山の中の一軒家でカエシをツボに入れて床下に仕舞ってあるときいた。本当だろうか。結婚前であった。あの頃は若くて味を覚えていない。山菜が上手に揚げられていたことを思い出す。値段が嵩くてあんまりお腹いっぱいにならずに不満であった。美味しさに出会うのは難しい。鉄工所で働きはじめてどうにも毎日がやるせなかった頃である。また行きたいのだが、どうだろうか。秋口にはあちらの方の養鯉場に行くので寄ってみようか。蕎麦喰いが好きな友人は何をしているだろうか?あまり「気持ちのいい別れ方」をしていないので少し気になる。


#目玉焼き

【2021年9月12日】朝7時である、少し寝て起きた。目玉焼きをつくてソースをかけたらどんな味かと思いかけてみた。何とお好み焼きの味である。ソースはオリバーを使っている。大阪ではメジャーなソースで、この辺りでは業務スーパーに良いしか見ない。納豆は叩いてみた。ひき割りと銘打って売っているものは好きではない。叩くと美味しいのだがまな板の洗が大変である。しかしネギの風味が入って美味しい。もう少し寒くなるとネギが美味しくなるので楽しみである。秋は美味し鋳物が多くなってくる季節である。裸で寝ていると寒いくらいである。今日はシャツを着た。煮しめは味が少し薄かったので、濃い目にしてもう少し煮ることにした。レンコンが硬いのが嬉しくない。やはり煮しめは難しい。

#後片付け  #煮しめ #食洗機ゲーム 禁酒15日目

【2021年9月12日】朝4時である、後片付けと煮しめを作った。食洗機は難しい。詰めすぎてもてもスカスカでも負けた気がする。乾燥後に一枚一枚確認して勝ち負けを争う。自分と食洗機の勝負である。煮しめを作らねばと思いながらレンコンを毎日眺めていた。大根を妻が買ってきたがまだ夏大根である。シッカリと下茹でしたら良いのではないかと思いレンコンと下茹ですることにした。先日のだしを取った時の煮干しを少し入れてみた。多めのお湯から煮初めて、味がちょうどよくなるまで煮ていく。その味が素材の中にもしみていく、素材からも味が出て一つになるのだ。売られている煮付けは素材を蒸気で蒸してクレームが来ないように柔らかくして強いダシの素を使いどこをとっても顆粒ダシの味しかしない。母と温泉に行って皆でご飯食べた時煮付けの入れ物を箸でトントンしながら「これは美味しくない」と言っていたのを思い出す。行儀が悪いと思って眉をひそめたが、本当に美味しくなかった。自分で料理を作れなくなった頃だ。「食べ物には文句を言わなかったのになあ」と後で思った。たくさんの部屋に温泉の人がお膳を持って右左と忙しそうだった。彼女たちは悪くない。何十人もにものお客さんに出さなきゃいけないのだ。作ろうたって簡単ではない。そんな食事でも金だして食べに行く僕らが悪い。とは言っても、もうどこにも美味しいものは売っていない。無論庶民が買えるものではと言う条件付きであるが。今日の煮しめは上手く出来た。母さんには間に合わなかったが。「一椀」仏前に持っていこうや。

#半額のお寿司

【2021年9月11日】妻がパートから帰る途中のスーパーで買ってくる事が多い。9貫の一パックなので、それぞれに選ぶ。元気のいい時はバトルになるが、僕はだいたいこの3つである。最初は子供魚の寿司は譲っていたのだが、何年も経つ内にこれが好きになった。こういう現象を何と言うのだろうか?「老いては子に従え」ではないな。「泣く泣く良い方をとる」でもないな。「習いセになる」であろう。マユには少しご飯をやった。マユさんにもすし飯は美味しいようである。

#蕎麦 #蕎麦受け皿

【2021年9月11日】友人の陶芸家(大阪八尾の「陶芸倶楽部 おばた」)の蕎麦受けの皿である。ザルはカビる感じがするので気に入らない。焼き物は良い。水の切れも良い。蕎麦が美味しくなる。野菜を蒸すにも使えそうである。そう言えば、瀬戸のせいろって見ないなあ。シュウマイとかおいて蒸してみようかしら。南蛮海老の唐揚げを作った(昼に作り忘れていた)。作ったゴーヤのかき揚げと、揚げ物を食べた。僕は蕎麦が好きである。昔は少し硬めが好みだったが、最近は柔らかめが好きだ。揚げ物と一緒に少し濃い目の汁でそばを食うとは何と贅沢であろうか。レンコンの揚げ物もうまし!

#鳥ローズマリー絡め揚 #ゴーヤ海鮮かき揚げ #レンコン揚げ #イカリング #白身フライ #ソーセージ天

【2021年9月11日】料理番組は理科の実験のようだ。皆準備が整い丁寧にやっていく。実際に僕がつくるときはそんな事はできない。着手から食べ始めまで、せいぜいで1時間だ。当然材料を切りながら揚げる。揚げている間に材料処理して、キャベツを刻むし、後片付けもする。その食卓に美味しさが並ぶようにである。揚げ物は鍋を休めないことだ。かと言って、揚げているときも間は話せない。冷凍のフライも使うがメインではない。できるだけ素材を処理して粉つけて揚げるのだ。下ごしらえをしていくと鍋の着火から適温になるのに、どうしても時間が足りない。仕事も料理も納期が大事である。妻がパートにでっかけるのに弁当が間に合わなければ何の役にも立たない。なので揚げ物は弁当向けを先に揚げてからほかが追いかけることが多い。今日は鳥をローズマリーだらけにして揚げてみた。ナンプラを使い、ニンニクと生姜たっぷりである。100点だった。ローズマリーが意外とパリパリで美味しい。片栗をまぶして、小麦粉を合わせたからであろうか。今度ローズマリーのかきあげしてみよう、庭に生えているのが嬉しい。海鮮とゴーヤもかき揚げにした。海鮮が解凍して生臭かったが塩して洗って臭みを抜いた。これも100点である。夜は蕎麦を茹でて食べることにする。


#味噌汁 #昼の唐揚げの仕込み #手創り味噌 禁酒14日目

【2021年9月11日】味噌汁には4種類くらいの具が嬉しい。母はいつも2種類、多くて三種類しか入れなかった。味噌は、田舎の人にでかい桶いっぱいに作ってもらっていたもの青食べていた。表面にカビはえるのでビニールのカバーをして塩を積んでいたものだ。やがて、田舎の方も作らなくなり、袋入を書い、医師の妄言を真に受けて、薄い味噌汁をマズイマズイと飲んでいた。鼻水みたいだと言ったのをよく覚えている。昔の味噌汁はコッテリと味噌が入っても塩っぱくはなかった。コクが有り美味しいものであった。味噌汁の具を多く入れると「シンショもカマドも持ってられない」と贅沢を戒められたが、今から考えればあの頃の味噌汁のほうが遥かに贅沢である。毎年味噌を手作りしようと思うのだが、機会がない。今年はやってみたいものだ。今日はつまのパートなので揚げ物をする。鶏肉にニンニクと生姜とローズマリーを入れてナンプラーと微量のカレー粉を合わせた、1時間位あけてから揚げる。片栗で行こうか。明け方にマユに起こされてご飯あげた。タッパに入れた8食分が冷蔵庫にあるのだ。11:30から食事を作り指すのだ。今日は缶たんい済ませてしまう。昨日、冷凍の揚げ物も買ったのである。レバ^も買ったのでレバニラは夜つくる。相変わらずビール飲みたい。



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。