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幸運な病のレシピ 2021年9月1日〜10日

毎日続けることの価値を伝えるにはどうしたらいいのだろうかと考えた。

多くの人が「病因」のない「症状」に苦しんでいる。生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。みな、食事に原因があるのだ。クスリで検査値を下げても意味はない。

検査値というのは、身体というコロニーで生きる細胞生命(マイクロバイオーム)が互いにディールして自分を活かそうとする結果である。時に争い、時に協力するが、生命は年老いていつか潰える。そして世界から得たものは次の生命に受け継がれる。

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医学という「ヒト」に都合のいい知識の体系は、「身体の内にある細胞やマイクロバイオーム」が「一つの目的のために力を合わせている」かのごとくモデルする。それこそが問題の根源である。

擬人化というのは恐ろしいものである。ガンを敵に見立て免疫を正義の軍隊のように崇める。自己免疫疾患やアトピーなどはあたかも「症状」が悪のごときである。実際は、免疫の暴走である。警察や軍隊が多くの自国民を殺すようにである。デモを規制する警察は苦しんでいる庶民を目の敵にする。敵味方の区別などなく「破壊」するのが「免疫」の仕事である。そして、生命は再生されるのだ。

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僕から見たら、ガンは苦しんでいる細胞生命の姿である。苦しみの元を断たねば社会のうちのテロはなくならない。(お、タイムリーだ。)

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1997年に生活習慣病という概念が法律になる。「医療費の高騰を避け、国民の健康増進のため」と役人が考えついた嘘である(おそらく悪意はない)。「生活習慣」と言う名称で病を自己責任とさせているのだ。僕もまんまと引っかかったのだ。失明すると言われて、目が覚めた(笑)。

それは「政治的にt出しい栄養学=誰でも健康になる食事」があると言う妄想である。もし、病気になったなら、言いつけを守っていないからであり、健康(=絵検査値が正常ならば)ならばお褒めいただける。検査値を正常にするクスリでいくら体調が悪くっても、もっとひど目に合うぞと脅かされるのだ。しかし、自分もその道をたどるということぐらいわからないのだろうか?本当にお医者様は頭がよろしいことで。

僕が小さい頃の食事、家庭の中で母が丁寧に作っていた食事、失われたものの中にこそ解決の鍵が隠れている。
素材から、コストに縛られることなく食事を作ること。出来るだけ「食材の生命が終わった時点」から距離も時間も離れていない食事を作る。生命の内に住むマイクロバイオームは外に流れ出し、そこにあるムクロは単なる生命の残骸でしかなくなるのだ。50年前は冷凍技術も「乾燥・抽出・濃縮」の技術も進んでいなかった。この技術を推し進めたのは「安くでくらくらするくらい美味しい食品」が競争に勝って生んだ利益のおかげである。(売られている「食事」ではそうは行かない、満腹を売り、安い卸値で利益を出さなければならないのだ)

大事なことは、毎日続けること。食事の価値を信じられれば、毎日続けられる。

一旦、「病因のない病」が顕著化したら元には戻れない。僕の膵臓(と脂肪・筋肉組織)はもう血糖値を下げる力を持たない。しかし、悲しむことはない誰もがこの道を通り死ぬのだ。

ヒトは衰える。それは臓器移植でも再生治療でも逃れることは出来ない。「エイジングによる臓器不全」を不幸と見るか、新たに生きるためのステージと見るか、どちらを選ぶかはその人の判断である。

僕は、2015年に眼科医が「薄ら笑いを浮かべながら」バカを見る目で下した「失明宣言」をきっかけに新たな人生を踏み出したのだ。母の断薬、父の美味いと言って食べる姿を見つけることが出来た。あの眼科医ができるだけ不幸な死に方をしてもらいたいと願うのは不謹慎であろうが、病院を出る時の僕は治療を拒否して死のうと考えていたのだ。ヒトを絶望させるのが医師の役目ではあるまい。

しかし、やがて医師自身も絶望することになるのだ。哀れなり(笑)。

後に、この眼科医に眼底レーザー治療を指示された方が新潟大学病院で必要ないと診断されている話を聞いて驚いた。僕自身半年食事を変えて頑張ってA1cは13.5->6.5と落ちたが、果たして眼底の状態があの医師の言うようにステージ3だったのかどうかはわからない。カルテを見たいものである。半年後の別な医師の診断では眼底はステージ3ではないと言われた。治ったのか?最初の診断が怪しいと今では思う。そして、二番目の医師には黄斑部浮腫があると診断された。これも大騒ぎである、眼底に注射器をぶっこんでステロイド入れるのだ。注射針が入ってくるところが見えるという。調べてみたら3ヶ月ぐらいで元に戻るという。もう医者には行かないことにした。医者なんぞに行っていたら病気にされてしまう。それよリ美味しいご飯のほうが良い。健康診断も受けることはない。

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#マユのご飯

【2021年9月10日】今日の最後の料理はマユのご飯である。ここ数日の残っている小鍋料理に昨日の唐揚げ、朝の卵焼き、サイコンキャベツに白菜である。味をみたらものすごく美味しい。いいのだろうか?ラーメンの麺を食べなかったものも入れた。ヒトが食っても美味しいだろうさ。手羽先の先頭をにておいたものもある。コラーゲンや骨の色んな部分も入っている。手羽先の先の部分はマユの身体の骨を強くするのだろうなあ。それが証拠に、一番おいしそうにボリボリ食べる。イヌは正直だ、美味しいものを一生懸命食べる。明日の朝が楽しみである。

#イワシグラタントマトソース風

【2021年9月10日】イワシがあったのでグラタンにしようと思った。昔失敗したことがありリベンジである。ベースの野菜を炒めイワシを乗せたのだが腹の側に火があたっていないので生臭かったのである。パン粉でパリパリに焼いてもらいたいと来うリクエストであったが、イワシが小さかったのでグラタンにした。今回はバジルとローズマリーをオリーブオイルをフライパンで炒めて、イワシを両面ん加熱した。これが良かったようだ。ローズマリーも十分熱を入れないといらっとするのだが、それも飛ばした。バジルは最後に入れ蒸す感じにしたので最後まで香りが飛ばなかった。骨を抜かなかったがみんな食べることが出来た。丸なすは10円で買ったものがこれで使い切った。丸なすは、組織がしっかりしているのでトマト缶で煮込むような使い方が最適である。トルティアを買ってあったので包んで食べたりもしてこれも嬉しい。朝から機嫌の悪かった妻が笑顔になった。おいしい食事が何よりである。


#焼きサンド

【2021年9月10日】小腹がすいたので標準的な焼きサンドを食べた。6枚切りのライ麦パンを半分の厚さに切って、キャベツとハムとチーズで焼いていたら、セールスの電話が来て少し長めの焼き時間になった。仕事というのは大変だ。とにかくう売上なければならないからなんとっか会うまでが必死である。テレアポは辛い仕事である。廃品の回収とかサプリメントの売り込みや金融商品の案内。僕もひと煮物をうる商売なのでよく分かる。断るのは辛い。とは言っても、無碍に切るのはまた嫌な気持ちがする。10年くらい前に新潟市内に営業所をもって、飛び込みを回った時に、ある会社に行ったら、会社を上げて完全に無視されたことを覚えている。あれは嫌だったなあ。とは言っても話を聞くふりをして無理難題をふっかけてくるやつもいた。ありも嫌であった。どう断ればいいのか、いくつになっても考えさせられる。しかし、カネがないのは辛い。マユはパンが焼ける匂いがすると大喜びである。一緒に食べた。夜はイワシが買ってあったので手で開いてパン粉とチーズでグラタンにしようかしら。

#八王子ラーメン

【2021年9月10日】昼は何をくおうかと思っていたら、八王子ラーメンのことを書いてある記事を読んだ。一気に様々なことをもいだした。国体の仕事の5年目だった。少し余裕が出てきた頃である。玉ねぎのトッピングに驚いたが、美味しいのだ。辛くないのである。冷やし中華などにも使うことがある。なので作ることにした。と言っても普通の生ラーメンに玉ねぎをトッピングするだけである。豚キムチや昨日の鳥の卵とじと炊き込みご飯を食べて満腹である。一汁一菜というのは、江戸時代の農民に課せられた食事コード(ルール)で、混ぜご飯というのはそこにいろいろなものを入れるという抜け道だときいたことがある。おしんでは、大根飯が満腹のためのものであった、木枯し紋次郎では、コンニャクを食えない紋次郎を苦しめるためにコンン二ゃクの混ぜご飯が出た。小さい頃、兄を間引くのにコンニャクので窒息死させて、食事にそのコンニャクがでたという思い出が彼をコンニャク忌避症にしたのだ。笹沢 左保先生は偉大だ。今度大根飯にコンニャク入れて食べてみよう。マイクロバイーム的にはありである。


#鶏釜飯  #だし巻き卵 #キムチ豚 #味噌汁 #食洗機   禁酒13日目

【2021年9月10日】鳥を生姜で炒めて釜飯にしたらうまかろうとやってみたが、さほどでもなかった。とは言っても美味しい。卵は砂糖多めでジックリと攻めた。豚肉がもうだめになる寸残だったので、ジリジリと炒め甜麺醤と醤油に最後にキムチで炒めた。味噌汁はミョウガはなかった。あまり多くでない。少し剪定したほうがいいのだろうか。釜飯のミルクパンをコンロにかけてから後片付けをした。妻と僕とでは食洗機に対するポリシーが違う。何度大げんかになたことやら。これは、もう諦めたほうがいい。『とにかく流しにあるものをみんな入れる派:潔癖型』か『次に何が出るかを予測して、それを待つ派:効率待受型』のどちらかなのである。どっちもどっちである。いつか死に別れて一人で厨房に立った時に懐かしく思い出すであろう。いずれ僕らは一人死に対峙する。できればピンコロでお願いしたい。


#ミョウガの味噌汁   #揚げ物

【2021年9月9日】庭のミョウガがようやくでてきた。3時間前まで地面に繋がり「生命:マイクロバイオーム」を受け取っていたものを豆腐の味噌汁にした。揚げ物はスーパーで下ごしらえしたもの、梅干しを少し食べてみた味が落ち着いてきた。意外と硬い感じで嬉しかった。昨晩のレンコンを皆食べ終わった。父はキャベツが好きだった。必ず毎日刻んで更に盛っていた。美味しいかと聞くと「腹がスッキリするがな〜」と言っていた。母は毎日刻んでいた。時折二人の食卓に行くといつもキャベツが刻まれていた、少しだけキュウリが乗っているものであった。食事は個人的なものだ。一皿、一皿にそうなった経緯がある。僕は今でもよくキャベツを刻む。子供もつまも食べないことが多いが、僕は好きだ。皿の上に何が見えるのかときおり考える。しかし、蚊に刺された。ミョウガは美味しいのだが、蚊も僕が美味しいようだ。引き分けである。

#ゴーヤ・レンコン キンピラパスタ

【2021年9月9日】バジルのパスタにしようかと思ったが、レンコンをやっつけることにした。ゴーヤもあったので人参と生姜でキンピラにして、パスタを食べることにした。ローズマリーも入れて、結局はバジルオイルにしたが、豆板醤と甜麺醤に少し豚臭い豚肉を合わせて和風というか中華風と言うかわからん。ジャガイモはミルクパンで丁度パスタと同じくらいの時間でバターでホクホクにした。ゴーヤを薄く切ってこうやって炒めるのは初めてである。美味しく出来た。4時からつまのパートなので晩御飯にはなにか揚げ物を作ろうかしら。住み込みの下男は休む魔がない。


#味噌汁に残り物玄米60g

【2021年9月9日】昨日のレンコン肉詰めに味噌汁に鶏の唐揚げである。玄米は冷凍のものを解凍した。昼は昨日摘んだバジルでパスタにしようかしら。明日の資料を作って一日終わりそうである。段々仕事が進んでいく。少し金がほしい。沢山でもいいが。

#母の箪笥

【2021年9月9日】母の実家は箪笥屋さんだった。2016年に母が亡くなって箪笥を奥の部屋に動かしたのだが、今日は天気が良かったので仏間に移動させた。久しぶりに明るいところで見たが、立派な細工である。やがてこの箪笥も捨てられるであろうが、よく出来ている。僕は古いものを眺めるが好きだ。どちらかの箪笥に猫が駆け上ろうとしおしっこをかけたという母の話を思い出す。相当古いものだがまだつけうことにした。着物はおそらく母の母が使っていた帯もある。なにかの写真で見たことがある。断捨離などと言って捨てることが美徳のように言うが、僕にはそうは思えない。残すものがない孤独を感じる。父母の世代は幸運であった。僕は二人ををこの部屋で見送った。本当に今日はいい天気の秋の日である。僕らは豊かになったのだろうか?

#マユが哲学しておる   禁酒13日目

【2021年9月9日】夜中の3時である。マユが椅子に寝ている。人生の憂鬱など感じることはない。色々といつも相談に乗ってもらっている。今日はいつものように、売上がないがどうするつもりだと言われ喧嘩になる。とは言っても、「どうにもならなくなったら死ぬから安心しろ」と言うしか無い。自営業は辛い。80歳まで経営者のままで死ぬと2千万の経営者保険に入っている。少し安心ではあるが、自分が使えないかねではなあ。やっぱ妻を社長にしておけばよかった。定期の住宅ローンの利率見直しで将来が不安で眠れないそうだ。先にいけなくなったら死ねばいいのだ。それより明日は何食べようか。今日はつまが片付けてくれた。庭のバジルとローズマリーを差した。いい香りである。

SELF-PITY
I never saw a wild thing
sorry for itself.
A small bird will drop frozen dead from a bough
without ever having felt sorry for itself.
「この瞬間を生きること」
今を精一杯生きる者は 自らをあわれむ事はない
いつか小鳥は凍え死んで枝から落ちる、それ以外の「生」など考えはしない。
D・Hロレンス


#ナスロース生姜焼き #ゴーヤバター醤油 #レンコン肉詰 #汁 # #

【2021年9月8日】今日はゴーヤを多めの油で揚げて醤油とバターで味を入れた。これは美味い。レンコンは蒸してその後で肉を詰めた。ジックリと長く炒め脂と味を出してから醤油で味を入れた。ロース肉はチリチリさせてナスをソテーしてから味を入れる。汁の「豚の香り」が強くでたので生姜を入れた。しゃぶしゃぶ肉でないと香りが強く出るので少し考えねばならない。かえって面白みが出た。キャベツの場合はさほど気にならない。食べ終わってから妻に少し悪くなっていたのかと聞かれた。オズオズと僕の逆鱗に触れないように聞くのだ。確かに材料を入れる時は悪くないことを確認するが豚くさいことがある。そういう時は聞き方が難しい。下手に腐っていたのではないかなどと言うと大爆発を誘発する。そういう時は、黙って残せば良いのだ。これはお店でも一緒、サービスした人に文句を言うのはお里が知れる。自分が殿様だと思いこんでいる奴ぐらい同しようもないものはない。ヒトの舌はそれぞれに違う。自分の舌に合わなかったらひっそりと残せばいい。僕は一緒に食事をしてその味が美味しくないと文句を言うのが大嫌い。残して二度と行かなければいいのだ。家庭料理の場合は別である。毎回出されたら辛い(笑)。作る方も頑張らねばならない。そして食べる方も美味しいものは美味しいと言わねばならない。殿様じゃないんだから。最近ようやく妻と喧嘩しなくなった。それでも、「ごちそうさま」を言わないことが多い。昔はそのたびに怒っていたものだ。僕はコンビニでもごちそうさまという。怪訝そうな顔雄をされる。どっちもどっちである金で買ったものには「ごちそうさま」も「いただきます」も言わない。金払っているのだからね。


#ベーコンエピ いろんなパン

【2021年9月8日】前から気になっていたパン屋さんがあったので顔を出した。ベーコンエピが丸型で驚いた。フランスパンの生地で焼いているのであるが、なんともしっとりとした出来上がりのパンもある。しかし、小麦粉使ってこんなにいろいろなものが出来るものである。パンというのも恐ろしいまでの文化である。発酵というのは面白い。そう言えば、息子が大学に旅立つ時に、ピザを焼いて食べさせてくれたことを思い出す。今生の別れだったのだろうか?食事というのは面白い。


#モロヘイヤ   素麺 禁酒12日目

【2021年9月8日】モロヘイヤが茹でられていたので食べるように言われた。素麺を100g茹でて半分食べた。トマトが最後の一個になった。旬のトマトは美味いがそろそろ硬い。昨日の天ぷらを一緒に食べて、カツオのたたきも乗せた。なんとも全部のせ状態である。せっかく粘りが出たので納豆もトッピングした。流石にこれだけ食べるとお腹いっぱいで気持ち悪い。汁は自作である。そう言えば、ダシを取るのに使った煮干しの炒ってあったなあ。これだけ作っても時間は素麺を茹でる時間だけで済む。毎食なにか作るとい言うのは面倒であるが、意味がある。時々打っているものを食べると又美味しい。出張の時は駅弁を食べていたがもうしばらく食べていない。あの昔食べた美味しい駅弁はどこに炒ったのだろうか。停車駅でホームに降りて買って戻ってくるものであった。東京に出張に行った父は帰りに高崎駅でだるま弁当を買ってきたものである。今ではスーパーの駅弁フェアでも並んでいるが、同じ味だとは思いたくない。昼は鶏釜飯をつくるか。


#汁    #パスタ

【2021年9月7日】パスタは4日に作ったものの残り、汁は娘が帰るので作っておいた。白菜と豚のシャブシャブ肉である。パスタにタバスコかけたらヒリヒリしてて大変だった。何日か経った物であっても美味しいものだ。ジャンクフードなどドバカにしたものではない。魅力的なのだ、そこが困ったものなのである。ああ、ホットドッグ食べたい。6枚切りのパンを半分に切って鶏の唐揚げを挟んで食べても美味しい。鶏の唐揚げが残っている。マユネーズをたっぷり差して、キャベツを挟んでフライパンで焼くと美味い。目玉焼き乗せても良い。明日の朝まで我慢できるであろうか?夜中に作っちまうか。ちょっとやりたいことがあるので力入れるにはなんか喰うのが一番。痩せないわけである。それでもビールは飲んどらん。いつまで持つだろうか。

#鶏唐揚    #エノキ天ぷら    #揚げ物一式

【2021年9月7日】エノキは多すぎたので熱が入らなくて半割にしてまた揚げた。次回はうまくやろう。鶏の唐揚げはニンニクと生姜たっぷりでコーンスターチをつけて高温で二度揚げである。マアマアであった。冷凍の春巻きと餃子を揚げた。朝の素麺の残りをを食べた。カツオのたたきとマダラ子は毎日食べておる。今日は少し暑い。炭水化物は毒ではない。魅力的すぎるから生命に必要なものを食事から追い出すのだ。いかん、ゴーヤ揚げるのの忘れていた。

#素麺   #カツオのタタキ  #キツネ揚げ 禁酒12日目

【2021年9月7日】「カツオのタタキ」はっだしで食べるのが美味しいと知ってこれは素麺に良いだろうと思った。なので、素麺にトッピングした激旨である。ニンニクと生姜にネギを合わせて、だし汁は僕のオリジナル。一緒にマダラの子を乗せて、少し寂しいので厚揚げをシッカリと煮て気がつけば妻の温玉があったのであげて、塩ワカメは戻して少し煮てから刻む。これが思いの外美味しい。乾燥ワカメよりはるかに美味しい。生ならもっと良いが高いし少し目を離すと溶ける。ニンニクとミョウガ、生姜をすって漬け込んだ。素麺は美味いが、それだ毛で満腹になっては生活習慣病の思うツボである。しかし、独特に美味いものだ。100g作って半分以上あましても満腹である。午後に食べることにしよう。今日は妻がパートなので昼前には揚げ物とキャベツのかき揚げを作る。午後は残った素麺をツルルするのだ。涼しくなった秋の始まりであろうか。ミョウガ出てるか見てこよう。

#マユのご飯

【2021年9月6日】マユの御飯作った。夕方処理した手羽先の先端を叩いて茹でる。すごく喜んでくれる。人やイヌにはカルシュウムが必要だと言われるが、粉になったカルシュウムをこれだけ飲んでも骨粗鬆症や指変形は収まらない。対策が間違えているのだ。骨の粉だけ飲んだところで、その骨を溶かして再生する細胞群(代謝系)が壊れていては駄目に決まっている。私達は「食事の連鎖=別な生命が作っている代謝系」を食事から取ることでその生命の持っている様々な「命=立体構造を維持したタンパク・脂質」を受け取りのだ。そして「それ」は内なる海を通じて細胞が受け取り自分自身を再生するのだ。「乾燥・抽出・濃縮工程」を通った商品化された食事には「生命」は含まれていない。医者や栄養士が鼓判押すトクホや弁当は身体を壊して最後歯医者にかかって薬飲んで、辛い目に合う。「生活習慣病(検査値の単なる異常)とそれに続く臓器不全と言う災厄」への恐怖は収まらない。対策が間違えているのだ。「政治的に正しい栄養学」は従順な庶民を殺す。じぶんの命を守る行動をとったほうが良い。医者に行かねばならなくなったらもう遅い。先手必勝というのは自分にピッタリの食事を探して食材から「できるだけ近くで伝統的な(プロセスの)食事を作る」ことだ。医者なんぞ行ったら病気にされる。「健康診断」は、恐怖を植え付けて従順なクスリの消費者を作るためにあるのだ。母は亡くなる5年くらい前には10種類以上の薬を処方されベロは真っ白で便秘がひどく、真っすぐ歩けなかった。気がついた僕は毎日食事を作り、亡くなる3ヶ月前には一切の薬を断つことが出来た。もっと早く気がつけばよかった。ごめんね、母さん。

#生姜焼き    #手羽先麹    #汁    #マダラの子

【2021年9月6日】マダラは出始めだ。生姜を多く刻み。ジックリ煮込んだ。生姜焼きはロースの薄切りと丸なすを炒めた。手羽先は少しぬめりが出ていた。見つけたら過ぐにばらして塩しないといけない。それでもぬめりが出てしまったら、強めに塩して少しおいて洗うといい。生臭い匂いがするが、塩で落ちてくれたらすぐに焼くといい。唐揚げもいいがね。どうも鶏肉は、売っているスーパーで痛み方が違う。割引がかかっている場合は何よりも急ぐ。汁はとても大事、我が家での食事の核になる。キノコ、白菜、しゃぶしゃぶ肉、人参が入る。考えてみると人参は殆どの料理で使っている。美味しいのである。かなり野菜を使ったので明日の朝は妻が買い出しに行く。僕がうかつなスーパーで買うと警告が出る。地元のスーパーがあるのだ。小さくて安くて新鮮でだがレジが古く長く並ぶので僕は行かない。明日の料理を考えねばならん。鶏肉があるので唐揚げだな。先日はニンニクをしてコーンスターチで揚げてよかったので明日もしよう。キャベツのかき揚げを作って素麺もくおう。何を食べるかが決まると料理の手順も決まる。キャベツのかき揚げだけでなく、えのき茸も多いので豚肉で巻いてあげると良いかもしれない。ベーコンはないが今日の汁で使った豚肉が少しそれようである。エノキに軽くこなしてから豚肉でまこうか。準備万端である。あ、明日の朝のマユのご飯がない夜中に作っておこうか。そうそう、今日手羽先の先頭を叩いて茹でておいたからキャベツの芯を使って丁度いい。ああ、忙しい。


#ラッキョ    #バケット

【2021年9月6日】朝はラッキョがなかったので買いに行って、ベーコンピタとバケットを買ってしまった。トマトを切ったらオリーブオイルを絡めて食べたら美味いのではないかという提案を受けて、バジルオイルをフライパンで少し戻してトマト入れた。めちゃ美味いので、バジルはもっとオイルに漬けることにした。カレーにラッキョのセテラご飯も食べたくなったので食べた。朝作ったカレーが完食である。あれだけの量の生姜をみんな食った。美味いので毒ではあるまい。生姜は体にいいと粉末や濃縮液を売る連中も多いが多分駄目だと思う。食べて旨くないものは大事な要素が失われているのだ。「乾燥・抽出・濃縮」の工程は商品を大量に作るには適している。抽出することで医師の太鼓判を押す栄養素を食材から丁寧に調理するより「多く集め」売りさばける。加熱することで多くのマイクロバイォーム(バイキン)は殺せる。しかし、食材の持っている生命も殺すのである。そんな物食っていたら殺される。なかなかいいオチである。そろそろスーパーに「マダラの子(卵巣)」が出始めた。買ってきた・母は糸コンニャクと人参、そして生姜で煮た。僕も、同じ様に煮る。今夜は「マダラの子の煮付け」である。手羽先もあるしマユのご飯も作らねばならない。多忙である。

#カレー    #生姜 、ニンニク、ジャガイモ 禁酒11日目

【2021年9月6日】カレーを食べる夢を見て起きた。メイクイーンが一つ残っていたのでジャガイモのお告げだ。ジャガイモ君はひたひたの水でジックリと茹で始める。蓋がカタカタ言っている間に生姜、ニンニク、人参、玉葱を刻んで、ひき肉をじっくりと火を通し始める。根生姜は中々食べにくい。カレーにするのが一番である。ひき肉をチリチリにしながら、根生姜とにんにくを肉の油であげるようにする。脂はひき肉のものを使う。このプロセスが大事、生姜の美味しさが出てくる。ニンニクは大きめにするほうが好きだ。ジックリと熱が通ると甘い味わいが出る。人参を参戦、フライパンの水分が飛んだら玉ねぎを入れてジックりとソフリットにする。玉ねぎの水分が飛んで姿が見えなくなる頃カレールー(別鍋)を入れて一つにまとめる。昨日の鳥カツ、妻の作った味噌汁、温玉。トマトとキャベツを合わせて朝食である。高価な食材など使わないがこれほど美味いカレーはない。時折、売っているカレーも食べたくなるが、おおよそ期待は外れる。バーモントカレーの半分を割って使い残ったものは文に入れておく。時折ジャワカレーも使うが、家族には好まれない。何よりも一緒に入れる野菜が大事。夢のお告げではゴーヤが入っていたが、忘れた。ニンニクと福神漬は欠品である。後で買ってこよう。夢は未来を予想すると言うが、本当のことだ。

#コーンアイス    #20 %オフサンドイッチ

【2021年9月5日】まいった、アイス買っちまった。夜中に楽しもうと思ったのだが、妻に半割にされて、マユに下の方半分あげた。イヌはチョコ食べると体に悪いという。人も同じである。一緒に悪徳を楽しむのだ。サンドイッチは見たことのないものだったので研究のために買った(笑)。ヒトの作ったものに文句をつけるのも何だが、ちょっとつらかった。しかし、白いパンはくらくらするくらい美味しい。幾らでも食えるのだが、マユさんに差し上げた。あんまり一度に食べると悪いので冷蔵庫に入れて少しずつ食べるのである。しかし、レタスがすこーし入っているのだが物悲しくなる。肉か鳥かか分からなかったのだが、なにかの加工肉のようであった。値段なりである。口直しに素麺食べたかったが、明日にすることにした。毎日食事は続く。又明日には腹がすくことであろう。恐ろしいことに。

#カツオのたたき    #春雨スープ系

【2021年9月5日】夕食は少し集中が足りなかった(笑)。皆少しずつ気に入らない。こういう事もある。カツオにはニンニクとミョウガの微塵でポン酢につけておくべきであった。最後に作って罪滅ぼしをした。春雨の炒めはナスが少し日の通りが悪かった。キャベツの炒めはフライパンが小さかった。食事作りは決断の瞬間の集まりである。なれと気の緩みがいかん(笑)。失敗しても仕方がない。みんな食っちまった。カツオのたたきは少し大きめだったので半分くらい余った。明日食べることにする。にんにくとみょうがとしょうがにつけておいたので、違った味に出るだろう。大体からしてカツオのたたきは大きいから扱いが悪い。結構余ることが多い。マユに少しあげた、大喜びである。


#温かい蕎麦  

【2021年9月5日】先日の天ぷらと蕎麦が残っていたので、自作のめんつゆで食べた。めんつゆが無くなったので作ることにした。煮干と昆布とかつお節でジックリ加熱して最後に醤油を入れて仕上げる。時間をおいてペットボトルに入れる。売っているものより美味しい、自画自賛である。毎日お腹が減る。1960年代までの「政治的に正しい栄養学」では体温を維持するためにお腹がへると言われていた(今もそう思われている)。カロリーと言う単位はジュールと変わったが燃焼した時の温度上昇の単位である。しかし、今の分子生物学でのエネルギーの利用(僕の考えであるが)は体温の維持だとは考えられていない。皮膚は毎日100gずつ滑落する。赤血球は一秒間に120万個が破壊されて作られる。120日で20兆個の赤血球が破壊されるのだ。同様に殆どの細胞は内部でタンパク質や脂質を破壊して作り直している。タンパク質の平均的な寿命は2日である。インスリンは身体の内なる海を流れるが、食事が身体に入ってきたタイミングで分泌され5分で分解される。1960年代の最新の医学によれば工場出荷の自動車のようなものであり、食事はガソリンのように考えている。多くの医師や栄養学者が信奉する「政治的に正しい栄養学」も同じである。不足したり超過したりするのは「ビタミンやミネラル」と言った「必須栄養素」と抽象的な「三大栄養素(ブドウ糖・タンパク・脂質)」だとされている。その考え方が『生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。』を生んでいる。素材の内にある「生命=タンパク・脂質の立体構造」を維持したプロセsの調理こそが重要なのだ。「乾燥・濃縮・抽出」プロセスは食材から生命を失わせる。そして、そんな食事は美味しいのだ。僕は食いしん坊なのだ。バンザイ。

#ゴーヤ   #ラーメン

【2021年9月5日】ゴーヤ300円だったと言うので何にしようかと迷ったが炒めてラーメンにトッピングした。ナスは10円である。医師の食事指導などは役に立たない。結局はトクホやら栄養士の設計した弁当やらを喰うことになる。食事は栄養素を喰うものではない。美味しさは一人一人違う、それこそが個性なのだ。そして、食べたいものを好きに選ばねばならない。お店で売っているものは皮が違っているが中身は一緒の温泉まんじゅうである。アンコは美味いからいくらでも食えるが、それは身体を作らない。徐々に壊す。ゴーヤは難しい。十分加熱しないと苦味が残るが溶け出すと旨くない。今日は切って塩してコーンスターチをまぶしてひき肉とゴマ油で強く加熱した。丸なすを少し後に加えて一緒に焼き込んで焼肉のタレで味を入れた。モヤシとキャベツは麺を茹でる前に茹でて丼に配置する。一人前の麺を妻とマユと3人で分けた。スープは少し増やして鶏ガラスープを入れて味を足す。とピングが強い味なので丁度いい。まさや亭の生ラーメンは美味い。お店で食べるのも良いのだが、麺が多い、野菜と肉が少ない。高価なチャーシュウでなくても良い、安いお肉を入れればもう嬉しいものだ。娘はレトルトでパスタ食っとった。子供は自立しているし、身体の求めるものは違う。無理に食わせてはいけない。「過食・拒食・依存」は私たちの食事が心の産物であることをよく示している。一旦切れてしまった食事作りの伝統をいかに見つけるかは難しいことである。僕は食事の価値を見つけたいのだ。そしてその価値はひとりひとり違うのだ。医師の食事指導はそこがわかっていない。年取って検査値を正常にする薬飲みながら「政治的に正しい食事」していくのだ。医師にとっては何度も美味しいカモがネギ背負ってくるのだ。


#熟年離婚   #後片付け 禁酒10日目

【2021年9月5日】朝3時である。後片付けをした。週の半分は僕が片付ける。熟年離婚というのは定年後の離婚である。防ぐためには家事をシッカリとすることである。殿様のような食事作りでは駄目だ。大して上手くもない独りよがりの食事を作って、後片付けをやれと放り出したりしてはいけない。それこそ妻の殺意の元である。ウチでは洗い方が甘いと妻が洗うこともあるが、基本的に厨房仕事は住み込みの下男である僕の仕事である(笑)。食洗機はユスギ乾燥機だと考えるといい。一日3人で食事をすると食器は食洗機2回分くらいになる。食洗機かた器を出すのは意外と面倒なのだ。私達を守ってくれていた三世代が同居する家庭は1960年代からの社会の変動が「家庭=家業・農家」と言う構造を破壊して失われたのだ。夫一人の稼ぎでは家庭を維持できないサラリーマンという階級は、「家庭と言うシェルター」を維持するコストを大企業の収益に変えた。食事作りは理科の実験ではない。材料を刻んで煮ればいいと言うっものではない。毎日続けることこそが大事なのだ。父と母がそうしていたように。今も父が後片付けをしている姿を思い出す。母は和裁の内職で僕を育ててくれた。魚を捌くのと後片付けは父の仕事だった。いつも割烹着を着て台所に立っていた姿を思い出す。

#豚汁系   #お寿司

【2021年9月4日】8時過ぎると半額の寿司を買って妻が帰ってきたので少し頂いた。2人がいない間丸なす(10円)を刻んで、冬瓜の残り少しとモヤシ刻んで入れて豚汁にした。ジャガイモが入っていないので豚汁系である(笑)。肉は脂身が大事。シッカリと脂を捨てないで食べるには汁が一番。蕎麦を入れると美味い。信州生まれの友人が一番美味しい傍の食べ方は味噌汁に入れることだと言ったのを覚えている。たしかに美味しい。寿司は、妻の苦手なものを頂いた。卵はマユと半分訳である。揚げ物は満腹になる。枝豆は夏の主食である。ものすごく安い値段ででているので冷蔵庫にはたっぷりと茹でられている。そんなに好きではなかったのだが、いつの間にかモソモソと喰うようになった。ビールのお供に良いと言うが、もう一週間ビール飲んどらん。これは嬉しいというか、痩せて来ている。モテモテになったらどうしようか?これを杞憂という。

#揚げ物   #蕎麦 禁酒9日目

【2021年9月4日】妻がパートなので揚げ物である。胸肉をカツにしてナスを天ぷらにしたら、そばを食べたくなった。僕は蕎麦が好きだ糖尿病華やかしき頃は我慢が大変だった。今はドッサリと肉魚野菜を食べる。今日は鳥のかつやイカのフライがある。椎茸に肉を詰めて揚げた。朝は添え物のパスタを作ったので食っちまった。血糖値(ブドウ糖)は生命の通貨、葉が作り根を通して土中の生命に渡り、生命の単位を受け取る。生命の通貨(炭水化物)は魅力的だから、食事の中から生命が失われる。身体は再生を出来ず、徐々に壊れていく。炭水化物(ブドウ糖)が血管を破壊して災厄をもたらすというのは医師の妄言だ。今私達を苦しめている『生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。』はビタミンやミネラルといった「1960年代の最先端の知見の栄養素」の不足でも過剰でもはない。未知の感染症でもない。食事の中の生命のパーツが失われたのだ。商品化された食事は「タンパク・脂質の持っている立体構造」を失うのだ。生命を見ない分子生物学は都合のいい格言程度にしか役に立たない。



#血糖値自己測定   #痙攣

【2021年9月3日】わはは、血糖値がツンと上がる。足がつって目が覚めた。おそらくこの2つには因果関係がある、酒を飲まないとあまり起こらないので油断しておった。自分たちに都合のいいものしか見ない医学は足の痙攣を「原因不明の病気」だという。身体というコロニーを共同で経営する細胞生命たちがディールをしている。スネの細胞は全体を知らない。周りの間質液(血管を循環しながら身体の内を満たす海)に孤独に生きる細胞生命なのだ。身体は脳が指示するパーツではない。それぞれに生を受け海に浮かぶ孤島でなのだ。食事に対する当たり前の反応でしかない。身体は常に変わる。組織は常に様々なサイトカイン(検査値)を分泌する。やがて、身体のパーツは次々と死ぬ。そして新しい生命が生まれる。食事やセックスを通じて生命を受け取るのだ。輪廻転生は宗教の妄言ではない。「命」についての直感なのである。僕の食事は生命にあふれている。

#スーパーの焼きそば   #かっぱ巻

【2021年9月3日】わはは、食っちまった。すんげえ美味かった。


#丸なす味噌  #煮付け #汁

【2021年9月3日】丸なすが安かった(1つ10円)のでたくさん家に来た。豚と炒めて味噌味を入れた。紫蘇を入れても美味しい。ニラはオマケだたそう汁に入れた。白菜も安くなってきている。これから少し旬が変わる。地元のスーパーは嬉しい。魚と手羽先を照り焼きにした。こういうのも嬉しい。手羽先は悪くなる一歩手前。もう一パックあるので明日又処理する。料理は下ごしらえが一番大事、材料も旬の安いものを買うのがよろし。旬で地元のものが一番美味しい。お腹いっぱいである。少し寝ることにした。


#フライパン焼きサンド

【2021年9月3日】6枚切りパンが1枚あったので半分の厚さに切ってキャベツとマヨネーズとハム入れてジックリ加熱して目玉焼きでくるんでおやつである。焼きサンドはフライパンが良い。パタンと閉じるやつも2つあるが、フライパンでジックリと火を通すほうが料理っぽい。まあ、あちらのほうが面倒はないが。今日は冷麺にパンに炭水化物かなり食べた。快便である。不思議なものである。食べたものは一回全部体内に入って十二指腸に外分泌されて、再度取り込まれる。単純なドーナッツ的な消化器のモデルは身体の解剖学的精密さを見誤る。消化系の複雑で巧妙な仕掛けは驚きの一言である。免役が町に集中していると言うが、粘膜はそもそも免疫系のジクジクたるダンスホールである。多くのタンパク質を非活性化して身体というコロニーに取り込む。生命はよく似た仕掛けを持っている。タンパク質は共通である部分も多い。豚のインスリンがそのまま取り込まれたら命に関わる。しかし、そこをすり抜けるからダンスの場が身体の内側に移り災厄が起こる。身体の内面で免役が炎症を起こすのだ。それを私達はアレルギーと呼ぶ。

酒のんどるときにはずいぶんひどいことも多かった。夜は何くおうかねえ。ひき肉があるのでハンバーグにするか。昨日の鳥の団子は煮付けようか、照りやこうか。なんとも食べ物のことばかり考えておる。月曜くらいまでにしようと思っていることがまだ終わらない。何よりも気合が入らん。うだうだしていても仕方がないが、どうにも仕方がない。しかし、政治家も役人もお気楽な商売である。やっぱ。デスノートがいる、ヨンドゥの口笛で飛ぶやつでも良い。


#冷麺 #豚キムチ  #モランボン  

【2021年9月3日】朝に引き続いて冷麺であった。牛肉と野菜を炒めた。ワカメは少し煮るのだが、おいしい。妻と半分分けで満腹である。枝豆とぶどうも食べた。半生の冷麺なのだが、結構美味い。ふるる冷麺というのが乾麺であるのだが、そちらは細麺である。気がつくと冷麺大好きなのであった。一つには麺の滋味が大事、同様にスープの味わいが大事。インスタントの麺物はは一緒に何を食べるかが大事である。ナスを炒め牛肉の味わいをすってくれて、アスパラもグッドである。お腹いっぱい。今日はうだうだとして掃除したりでお休みの日である。毎日日曜である。営業に行かなくっちゃ。もう少しグダグダするのである。夜は昨日の鶏団子を串討手焼こうか。少し眠ることにする。

#ガスレンジの掃除 #換気扇の掃除

【2021年9月3日】ドーキンスは「延長した自己」と言う言葉でビーバーの巣や巧妙な動物の構築物を論じる。僕は厨房は延長した自己と考える。綺麗も汚いも、それが悪いとかいいということではない。自分自身は食事なりのものになる。換気扇は年に1−2回掃除する。油が相当すごいのだ。この換気扇を買う時に掃除のしやすさを一番に選んだ。毎年、10月の終わりぐらいにする。国体の仕事が終わった頃である。去年はしなかったような気がする。国体が中止になったからなあ。それどころではなかったのだ。小さい頃、台所の換気扇はボロボロで掃除もしにくかったものだ。年一回父と一緒に掃除したものである。向かいの壁も拭いておおよそ1時間の工程であった。


#ヘアカット #犬用バリカン

【2021年9月3日】もう随分長く床屋に行っていない。僕と父の髪を刈るのにバリカンを買って、妻が刈ってくれていた。おかげで床屋に行かなくてすむようになったのだ。最近は、マユ用のバリカンを買ったのでそれで僕の髪も刈る。安いヘアカットのお店に行くようになっていた。昔は町内の床屋さんに行っていたものだが、いつの間にか行かなくなっていた。町内の床屋さんに父はいつも行っていたのだが、母が亡くなった後、その床屋さんも閉じてしまった。少し離れたところに子供さんのお店があって。そこに時折連れて行ったものだ。最初は片道だけ送り、やがて往復を迎えに行くようになった。その内に妻が父の髪をバリカンするようになった。その頃から父のことを可愛いといい額をペシペシしたりしたものだ。2番めの子供ができた時に、妊娠したことを知らない父が、子供は一人でいいと言ってから妻と父は長く不仲であった。もうその子も大学を半ば過ぎた。

床屋さんには父が亡くなった時に弔問に来てもらえて驚いた。色々と話を聞いた。母の父が不動産屋さんで1時間ほど離れた町からここに引っ越してきたのだという。昔床屋さんは、町内の情報の「ハブ」であった。そこにヒトは集い、世界を見つめ、町内を語り、絆を作った。子供は漫画を読んで楽しんだものである。毎月行っては父の散髪の間少年マンガ誌を読んで巻頭特集の科学に驚き世界の神秘に夢をはした。髪を刈ってもらうたびに、そんな事を思い出す。


#冷麺  #豚キムチ  #モランボン   禁酒8日目

【2021年9月3日】昨晩、アイスを買いに行ってキムチと冷麺を買った。冷麺に豚キムチを乗せて食べることにしたのだ。夜食に何も食べなかったので腹が減って目が覚めたので早速、アスパラ・人参・豚肉をキムチと炒めてモヤシ・ホウレンソウ・ワカメを茹でて食べた。豚キムチは最後にキムチを入れて火を通す。早いうちから入れたり漬け込んだりしないほうが僕は好きだ。醤油とオイスターソースで甘みを入れて食べた。美味しかったのでマユには2本あげた。残りは皆僕のものである。朝から何と言う贅沢であろうか。モランボンの物は結構好きである。焼肉のタレも他とは一線を画する値段である。アジは、好き嫌いはあるであろうが、上品である。昼はもう一種類の方を食べる。髪を切らないといけない。妻に犬用のバリカンで切ってもらえる。お代は冷麺である。なんとも和やかな仕事のない月初めである。雑草をとっても蚊食われないくらい涼しい。

#蓮根鶏団子汁

【2021年9月2日】マユと二人の夜である、ご飯食べたがっているのであげて、蓮根をすってオロシにして、鶏団子にした。人参とピーマンに生姜、つなぎに小麦粉を入れてよく捏ねた。沸騰したお湯で煮上げて白菜としいたけを入れた汁にした。もちろん湯がいたお湯を使った。段々白菜が出てくる時期だ。鶏団子は小麦粉を適切に入れないと上手くない。昔作った時は足りなかったのでフガフガな感じになった。今日はどうだろうか?しっかりにつけて味を染みさせないといけない。冬は鶏団子汁をよく食べたが、あまりこちら以外では食べたことがないような気がする。「蓮根のオロシ」で固めるのは面白い。炭水化物は味をまとめる天才だ。団子の半分は冷蔵庫に入れて明日食べよう。醤油で照り入れてもいいだろうし。面白みがある。少しだけ頂いて、後は夜中に食べよう。


#鶏の唐揚げ #メイクイーンのチーズはさみガレット  

【2021年9月2日】夜は妻がパートなので鶏を唐揚げにした。コーンスターチが残っていたのでニンニクでつけて高温で揚げた。いい感じである。メイクイーンはスライスして細く切ってチーズを挟んで焼いた。結構美味しかった。くたびれたので少し寝る。


#マユのご飯  

【2021年9月2日】眉にご飯を作り始めて、最初はどうしていいか分からなかった。あるとき、マユが食べながらちょっと首を傾げることに気がついたのだ。好き嫌いをするのだ。それ以来生命にとっての好き嫌いとは何かと考える。その身体というコロニーにとって必要なものかどうなのかということなのだ。無論嗜好品は除くのだが。野菜と肉を中心に炭水化物も時々あげる。ヒトと同じなのだと考えれば食材のうちの生命(タンパク・脂質の立体構造とそれが溶け込んでいる水溶液の相分離)が維持される食事を目指すのだ。生命は身体を渡り再生する。粘膜はコロニーに取り込むための「免疫系が棲み」「体外の生命」と踊り一つになるダンスホールなのだ。セックスと食事は同じ「律」を持つ。


#炊き込みご飯 #干しエビ #煮豆 禁酒7日目(97.1kg)

【2021年9月2日】干しエビを米につけて30分くらいしたら根菜と一緒に炊き込む。少しダシの素を入れて20分火加減を調整する。ミルクパンで炊き込みご飯である。一合くらいの米の時はこれが一番洗う手間がない。無論炊飯器でもいいが、焦がし加減が難しい。豆もあったので煮ることにした。マユのご飯も作らないといけない。朝は忙しい。一週間目の禁酒である。なんとも続く。20日くらいは続くのであるが、そのくらいからチマチマ飲み始めるのだ。体重は順調に減る。僕の身体の内側の代謝系は酒で太る。無論ご飯食べたり蕎麦食ったり乱暴な飲み方をするからである。よく締めのラーメンが行けないと言うが、僕は始まりから牛丼食いながらビール飲んだり、乱暴運転にもほどがある。毎日一食多く食べるようなものである。しかし、仕事がないのは辛い。

#揚げ焼きそば

【2021年9月1日】半額の太麺があったので昼は一玉を焼きそばにして、夜は一玉を揚げた。たっぷりの野菜と肉とで「あん」を作ると美味しい。今日はシャンタンの練調味料を使って味を入れた。ナスと冬瓜、肉は先に素揚げにして、野菜を炒めてまとまってきたら戻してとろみを入れた。野菜と肉でお腹いっぱいになるので一人前の麺を3人で食べる。鳥の胸肉がたくさん溜まってきたのでローズマリー、ニンニクとプレス焼きにした。最後に白ワインと醤油で味を整えた。鱒を先日半額で買ってきていたのだがあったので、鳥と一緒に網焼きにした。クタクタで弁当買ってこようと提案していたのだが、野菜炒めだけ作ろうと思い作り始めたら、止まらなくなった。こういう暴走はいいのではないか。しかし、麺を揚げるとは思わなかったぞ。人生は何が起こるかわからない。冷蔵庫に何かがあれば身体が勝手に動くのだ(笑)。9時位にスーパー行ってなにか半額もの買ってきたい気持ちである。


#梅干し

【2021年9月1日】梅干しは面白い毎年違った様に出来る。大きめの樽に入れておくと使い勝手が悪いので小分けした。10月くらいから食べ始めるのが良いという。友人に2つ送り、残りはチマチマと食べようと思う。今年は紫蘇をほぼ入れることが出来なかったので、どうなることやら。地域によっては入れないところもあるのが面白い。同じ梅干しという名称であっても発酵食品は手順一つで大きく変わる。発酵学者は梅干しは発酵食品ではないと言うが、馬鹿じゃなかろうか。生命は全て「腐る」姿を変えながら世界に溶け込んでいくのだ。カネになることを学問と思っているから学者は生命を知るためには役に立たない。僕は「身体・食事・生命」を知りたいのだ。大げさである。ピンコロの人生を迎えるために精一杯自分と食事を見つめる。僕の梅干しは美味い。6月に収穫した梅が、段々、梅干しになっていく。梅干しのエキスが何よりも大事だと母はいつも言っていた。マイクロバイオーム学的に見ても正しい。あの一すくいの中にどれだけの生命がいることだろうか、ゆっくりと代謝されて、何らかの意味を持つようになるのだ。誰にでも効くスーパーフードではないが、身体というコロニーの内で何らかの働きをする。身体のうちでの代謝は「直交的(因果関係が単純に見える)」ではなく、目まぐるしく変わる。グランドほどの広さのビリヤードを考えてばいい。玉の数は数億でゲームの終わりははるか先だ。タンパク質は平均2日で分解され作り直されていく。インスリンは5分で分解される。見えるものしか見ない医者なんぞにバカ呼ばわりされる筋合いはない(ん、なんか有ったの?)。

例年、壺にひとつなのだが今年は多く出来た。選定しなかったので粒が小さいのだ。来年は、庭に紫蘇を植えて梅と同じ土でできた紫蘇を使ってみよう。たぶん、愛が生まれているだろうさ。


#お好み焼き #禁酒6日目

【2021年9月1日】大阪お好み焼きは誤解されている。パンケーキに豚肉を乗せた物ではない。キャベツのクリームシチューなのだ。大阪に初めて行った時に驚いたのは「お好み焼き・たこ焼きの美味しさ」である。小麦粉は控えめで、加熱はじっくりして、中がとろとろなのだ。それに習い、僕のお好み焼きには水が入らない。キャベツを塩でもんでしっとりと水が出てきたらそこに粉をふるのである。できるだけ少量である。卵を溶いてキャベツを薄く粉の水溶液を絡むようである。大事なことは、上から押さえつけないのだ。しっかりとキャベツを塩もみしておくのが重要。粉がキャベツの水と絡み、卵がとこみ加熱でキャベツを繋いでいく。ジックリと熱が上がりキャベツの内側に温度が入っていく。バラ肉の脂はジックリと溶け込んでいき、旨味に変わる。キャベツを丸ごと味わうメニューなのだ。その後、大阪では高級な食材を使いことで値段が高くなるメニューへと変わっていった。作る技術が要らなくなって行ったのだ。友人と一緒に訪ねた時、昔の味だと言われたことを思い出す。大阪はとても素晴らしい。

それまで食べたお好み焼きは小麦粉のドロドロの水溶液にキャベツが入り豚バラが乗ったものであった。ああ、西成の「お千代さん」、妻と結婚した時に新婚旅行で大阪に行った(関空からイタリア行ったのだけどトランジットで2泊した)。もう20年も昔のことだが、美味しかったことを思い出す。


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。