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よりぬきしりんさん

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2023年1月の記事一覧

エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

エッセイ/Quod Erat Demonstrandum

毛錢の話なのである。

取りみだして失礼、とりあえず、読んでいただければよいのだ。

*

カントもびっくり、きょうも律儀に、朝いちばんのルーティーンである、「娘と歌いながらだれもフォローしていないツイアカのおすすめを読む」を実行していた私は、このツイートを目にし、ことばどおり仰天した。

一読して、軽い動悸をもよおしたものの、これは症状かもしれない。再読して、やや呼吸が荒くなるのを覚えたが、これ

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エッセイ/スラムは消えたのか?

エッセイ/スラムは消えたのか?

昨夜は、科学映像館のサイトから、「スラム」(1960年)という資料映画を観た。

私は映画――さらに言えば映像・音声メディア全般――が大の苦手だ。等質に、無情に侵略してくる情報の大波に、思考と感性がついてゆけない、潰されてしまうからである。私的に観なければならない Youtube 動画は、0.5倍速か0.75倍速に下げる。溢れそうになったら、止める。

世の中は止まらない、こちらから逃げるしかない

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エッセイ/写「真」

エッセイ/写「真」

真実とはなにか、真理とはなにか、と問うとき、この言語で問われたその問いは、すでに幾分、間が抜けてみえるのだ。(もっとも、どの言語であれ、その問いそのものが間抜けていないか、私には何とも言えない。)

ことばという魔物は、いつでもじわじわと純粋思念を侵食するが、「写真」ということばも、そのひとつだろう。
それが白黒の粗い画像の時代から、誰の仕業か、こいつは「真を写す」などと、荷の重すぎる名を背負わさ

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随筆/往きて、還らむ

妻も娘もピアノ一すじ、だけど私はギター推し。
ぴえん。

J.S.バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』を村治佳織が演奏したこのチャンネルは、主に、私の望みの喜びである。
私と同い年の村治佳織、べっぴんさんね、声もいいのよ。

弦を指がかすかに掻く、hiccup、という音を待ちわびる。端正な主旋律のなかで、ささやかな私(たち)が必死に、豊かにかなしく生きて死ぬ、また、ささやかな私(たち)が必死に、豊か

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エッセイ/ほんとう

エッセイ/ほんとう

りきんでも、かけ声かけても、どうにもこうにも力が入らず、仕事を休んだ。ベッドに寝ころがって、はめ殺しの羊羹みたいな窓から、まっさおな空を見ている。写真をとってみたんだ。

私が見ているのは、この空じゃない。ほんとうは、空がもっとあおく、屋根の雪がもっと白いのだ。スマホのカメラ、素人の腕――そんな話じゃない。ほんとう、と口にだしたときの、ざらっとした後ろめたさ、ばれもせず、指摘もされない、そんなうそ

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詩/ てじな

詩/ てじな

わたしはしあわせです

まずはきめるわけです
そう
いまここできめましょうか
すると
すべてのものさしが
むいみになる
ものさしこそ
しょあくのこんげんですから
わたしであること
これ
すなわち
しあわせということ
I am happy へのげんそうを
かなぐりすて
I am happiness になるですね
だれにも
そのなふだをとりあげる
けんげんはない
なんでもかんでも
そのはこにいれちま

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日記/ 政権批判

寒いですねえ、と言っているのだ。あの禿頭の紳士もあのアナ雪のトレーナーの女の子もあの金髪の店員もハシブトガラスも、だれもが、口を開けば、寒いですねえ、ええ、寒いですねえ。なんとまた、藝のないことよ。マイナス7度程度で、岸田政権の無策批判もまいぜんシスターズの声変わりも彼氏の怪しい動静の愚痴もかあかあかあも忘れはて、ビッグ・ブラザーの指令に従うように、ハイル・なんとかのように。創造性に乏しく、従順き

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あっちこっち

あっちこっち

たとえば、航空写真を撮ったあとには、ポートレイトを撮りたくなる。
心ゆくまで電子顕微鏡で細胞組織を見たら、次には満天の星空など眺めていたい。

自伝を読んだら、そのひとが生きたころの地域、国、世界、もろもろについて知りたい。
ある出来事を概説的、包括的に学べば、その渦中にあった誰かしらの日記や書簡、そんなものを無性に読みたい。

うどんがつづけば、鶏モモ焼きが食いたくなる。おせちもいいけど、カレー

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