見出し画像

PAIN OF SALVATION: "Concrete Lake"から25年。巡礼者が予言した戦争と分断、そして資本主義の歪み

「カラチャイ湖は50年近く核廃棄物を飲み込んできた。この湖の放射線は非常に強く、湖岸に1時間いれば、数週間で死に至る。今日、カラチャイ湖全体がコンクリートで覆われている」

スウェーデンの異端児 PAIN OF SALVATION のセカンド・アルバム "One Hour by the Concrete Lake" は、今日、アンダーグラウンド・クラシックとして崇拝される名盤となっています。25年前、メタル世界ではほぼ見かけることのなかった社会的で、独創的で、深みのあるコンセプト・アルバムは、陰鬱なムードと悲劇的なリリックを組み合わせた奇跡のプログ・メタルとして、DREAM THEATER とはまた一線を画す賞賛を浴びているのです。戦争がもたらす痛み、つまり兵器、核汚染、農地の消滅、水不足がいかに地球を危険で残酷な場所にしているのか…いかに争いや戦争が社会から阻害された人たちを生み出しているのか…

「"Concrete Lake" のコンセプトは、戦争産業に携わる男についての物語。"あなたがやらなくても、他の誰かがやる", "武器が殺すのではなく、人間が殺す",  "私に責任はない"。そう擦り込まれていた彼は、実際に自分の仕事が世界の他の地域にどのような影響を与えているのかを知るために、世界中の場所を訪れる旅を始める。そこで彼は、戦争産業、環境汚染、核産業と兵器、世界的な水の消費、西側世界によるウランの採掘と核廃棄物の保管による先住民族からの収奪といったトピックに触れる。
この作品は、現代の西洋的ライフスタイルの影響を知る恐ろしい窓で、そのすべてが、旧ソ連が50年代から核廃棄物を貯蔵していたカラチャイ湖の湖畔にたどり着くんだ」

"救済の痛み" を伴いながら、彼らは四半世紀も前に、すでに現代の不幸を予言していました。

「ある意味、社会の裏側にいる人たちがたくさんいて、僕はファースト・アルバムの "People Passing By" から、その人たちのことを書いてきたんだ。そういう人たちを危険視する社会が、実はそういう人たちを作り出しているということを強調したいんだと思う。僕たちの生き方、特に西洋社会の進歩は、壊れた個人を形成している。そして、僕たちはそのすべてを何かのせいにしなければならない。まず、僕たちは社会を構築し、その社会が少数の個人を崩壊させ、その個人が "マトモさ" を失うと、僕たちは驚いて "本当に奇妙な人々に対処しなければならない" と言う。彼らに対処する最善の方法は、彼らを見ないこと、見ないようにすること、さもなければ刑務所に入れるか、最悪の場合は完全に抹殺することだってね。それが僕のコンセプトの背景にある関係性だと思う。個人と社会との関係、そして社会が個人を形成する方法だね」

実際、3枚目のアルバム "The Perfect Element Pt.1" でも、Gildenlöw は社会から阻害された人々を描きました。

「阻害され、追放された人たち、彼らはある意味病気だと思われている。身体的な病気ではないが、精神的な病気のようなものだ。そして、社会はそれに対する解決策や治療法を持ち出す。この場合、パート1には男性と女性の主人公がいる。男は暴力と暴力によるコミュニケーションに夢中で、女は虐待を受けており、非常に自己破壊的。二人とも、自分に欠けている何かを探している。何かを失い、長年欠けていたものを手に入れようと、さまざまな方法を模索している。二人とも、過去のすべてに目をつぶり、自分がしてきたこと、されたことに気づかないよう、できる限りのことをしている。社会とは、そこに生きるすべての個人の総体なのだから。しかし、今日僕たちは、社会的意志や、個人の総和とは異なる独自の意志を持つ社会を見ることができると思う。もしそうだとしたら、社会そのものが、個人に勧めるのと同じような治療や処置を喜んで受けるだろうか?それが、次の第2部で僕が直面し、リスナーが直面することになる問題の考察となる」

アルバムごとに視点を変化させるのも PAIN OF SALVATION のやり方。

「"Remedy Lane" は愛、セックス、宗教、生、死、過去。自分自身と自分の生き方に対する信念を失うこと、愛への不信感について多くを描いている。浮気、セックス、自殺未遂、周囲への影響…過ちから再び成長すること、そして自分自身を見つけることで救済を見出そうとすることについて歌っている。
すべてのアルバムをある視点から振り返ってみると、明確な動きや旅が見えてくるのが面白いと思う。エントロピー(Entropy)とユートピア(Utopia)という2つの言葉を組み合わせてエントロピア(Entropia)と呼ぶことにした世界で父と子の関係を見つめた "Entropia" では社会的な視点を通して個人を見つめ、"Remedy Lane" では個人の視点を通して社会を見つめるというように、視点は絶えず変化している。いわば、大の中の小を見る旅から、小の中の大を見る旅なんだ」

陰鬱なムードといえば、スウェーデンという出自が、彼らの音楽に反映されているのはたしかなようです。

「最近は、民族音楽、特にあのような悲しい意味合いの音楽がとても好きになった。陰と陽、少なくとも2つの異なるバリエーションがあるという点では、アメリカのカントリーに似ていると思う。最初の頃は、カントリーは本当に嫌いな音楽スタイルのひとつだった。スウェーデンではあまり聴かないけど、たまに演奏される。でも、あるカントリーを聴くと、それがとても悲しくて、すごくいいんだ。スウェーデンの民族音楽も同じだよ。スウェーデンの民族音楽にはポルスカというものがあって、これは3拍子のようなもので、こうしたビートを使った素晴らしい民族音楽の中には、メロディーがそれに逆らっているものがあって、とてもリズミカルでグルーヴィーに聞こえる。ヴァイオリンが3、4人いて、他の楽器もあるようなものがとても好きなんだ」

バンドのコアである Daniel Gildenlöw によれば、"One Hour by the Concrete Lake" のプロットの主人公は兵器産業の機械の "ネジ"。つまり、労働者です。このカリスマ的リード・シンガー/ギタリストは、90年代の世界各地の戦争や紛争を深く研究、分析してこのテーマに関する重大な事実を発見しました。兵士以外にも、戦争には想像以上に多くの人が関わり、その多くが何かしらの痛みを抱えている。戦場で働く労働者の良心の呵責は、私たちを苦悩に満ちた自己探求の冒険へと誘い、内なる悪魔と向き合い、痛みを伴う教訓を残してくれます。

「人生や音楽にはコントラストとバランスが大切だ。正反対のものが完璧なハーモニーを奏でるのを見るのが好きだし、ピエロが泣くのを見るのも好きだ。対照的なもの、奇跡、憎しみ、闘争......すべては僕たちの周りに毎日存在している。しかし、その対比自体が目的であってはならない」

重要なのは、"One Hour by the Concrete Lake" が、名人芸を懐に忍ばせたオルタナティブなプログ・メタルで、ゆえにその多彩で挑戦的な音楽的アレンジが優れた歌詞を覆い隠してしまうことがないという点でしょう。実際、当時のインタビューで Gildenlöw は FAITH NO MORE からの影響を口にしています。

「似ているバンドとして、FAITH NO MORE の名前を挙げる人が多いんだ。プログレッシブ・メタルを聴かない人は、タイトなパッセージがあるから DREAM THEATER に似ていると言うけれど、実際に DREAM THEATER を聴いている人はそうは思わない。個人差が大きいね。
ただ、FAITH NO MORE を聴けて本当に良かった。音大に通っていた頃、FNM にどっぷりハマった友人がいて、その時僕は "Epic "しか聴いたことがなかった。だから、アメリカ南部のカントリーに影響を受けた、カウボーイハットをかぶった奇妙な男たちというイメージを持っていたんだ。でもその後 FNM にハマってね。"Zombie Eaters" と "R.V." が初めて深く入り込めた曲だったと思う。Jim Martin をバンドから追い出す前は本当に緊張感があった。歌い方をひとつにするのではなく、自分の声を楽器のように使いたいという人の歌を聴いて、とてもワクワクしたんだよね。僕は自分の声をいろいろな方法で使いたいと思っていたので、そういうバンドを聴いたとき、ああ、僕のやり方でいいんだと思ったね。
逆に、僕にとってヘヴィ・メタルは本当に不思議だよ。プログレ・メタルというジャンルも、高音のボーカルが常に上にいて、いつも同じことをやっているという、ある意味固定されたポジションだ。僕にとっては、あるギタリストが、あるひとつの奏法、あるひとつの音域しか弾かないようなものだ。ギタリストがいつも6弦の高音域を使い、ネックのとても高い位置でいつも同じような演奏をしたら、誰もが癇に障るだろうね」

プログレッシブ・メタルをほとんど聴いてこなかったと言う Gildenlöw が崇拝するバンドがもう一つ。

「サイモン&ガーファンクルは僕の理想の歌詞の代弁者だろう。近くて詩的で政治的。一瞬で壁を取り払い、裸のままでも驚くほど生きているような、美しさと感情的な内容を持つ重要な言葉を放つ」

Gildenlöw にとって、ボーカルとギターは共に同じくらい重要な表現手段です。

「両方同時に始めたと言わざるを得ないと思う。8歳か9歳の時にギターを弾き始めて、その時点では自分がシンガーであることを意識していなかったのかもしれないけどね。ギターは楽器で、声は同じように楽器とは考えられていないから、ボーカルはやっていたけど、ギターやドラムと同じように楽器だという意識はあまりなかった。でも、両方同時にやり始めたから、両方同時に演奏する練習はたくさんしていたね」

Gildenlöw, 弟の Khristoffer (ベース), Johann Halgren (ギター), Fredrik Hermanson (キーボード), そして Johann Langel (ドラムス) の5人のアンサンブルは、複雑なアレンジを軽快に、機敏に、そして自信をもって、作品のコンセプトを描いていきます。しかし、PAIN OF SALVATION にとっては、"難解なことを簡単にやりすぎる" ことが時に問題となるようです。

「それが最大の問題だと、僕は今でも思っている。"Concrete Lake" の "Handful of Nothing" を聴いた人たちは、"ああ、これは最高級の曲だ" と言った。僕は "うん、いい曲だと思うよ" と言ったけど、これは彼らにとっては高度なリズムだけど、僕はずっと昔からそれに取り組んできたんだ。だから、僕にとってはそれが普通で、ある意味高度だとも思わないんだよ」

ちょうど1時間のアルバムは大きく3つのエピソードに分かれています。"Spirit of the Land" で幕を開け、トラック2~4は物語の主人公が操作する "機械" を描写。トラック5~7では、機械と戦う "人間の精神" が描かれます。最後の4曲(8-11)はカラチャイ湖に捧げられたもので、主人公は "変化" がまずは自分の中だけで始まること、つまり自分がこれから世界で行う行動に気づいていきます。

「1990年以来、世界70カ国で93の戦争が勃発し、550万人が犠牲になった。その75%は民間人であり、そのうちの100万人は子供であった・・・」

Daniel Gildenlöw にとって、言葉や政治的メッセージは完全に個人的なもの。実際、彼は、世界を救うための十字軍の巡礼者のように、すべての言葉をひどく深刻に受け止めています。そうして、アルバムの9曲目は "巡礼者"(Pilgrim)と呼ばれました。 Gildenlöw が西洋文化の闇や病、戦争の真実に対する怒りを表現するとき、彼は本当に命をかけます。彼はただ嘆いているのではなく、まるで腹に砲弾を撃ち込まれたかのようにもがき苦しんでいます。そうした彼の生き様や哲学が、この作品のコンセプトを効果的なものにしているのです。これは、一人の偉大なアーティストが率いるディストピア・オペラであり、意識の覚醒という祭壇の上で炎を燃やすステージなのです。

「私は目覚めた!私は目覚めたのだ。
傷を隠しても痛みは和らがない。
眠っても完全には戻らない。
内側から変わるために...」

ただし、悪夢的で、痛々しく、刺々しいかもしれませんが、Gildenlöw は完全に落胆しているわけではありません。メタリックな演奏を使ってこの世の地獄を表現しているのは明らかですが、この物語にある "プログ" とは、危機を脱する方法についての Gildenlöw の主張ではないでしょうか。人文科学の永遠の研究者である Gildenlöw は、少なくとも当時は、まだ希望を失っていませんでした。
例えば、Covid、例えば分断、例えばアメリカの国会議事堂襲撃事件、例えばロシアの侵略戦争。しかし、現代においても人類は工業化、貿易、経済成長に夢中になるあまり、この終わりのない "豊かさ" のプロセスを通して、人間らしさそのものを忘れてしまってはいないでしょうか? Gildenlöw の鳴らしていた警鐘とはまさに、豊かさという欲に駆られた人間性とつながりの喪失でした。

「私は次々と、より大きな機械を見つける。
一歩一歩、私は前より賢くなる。しかし、結局それは私を燃やすのだ...」

組織で何らかの役割を果たしたことのある人なら誰でも、"自分はこの一部でいいのか" という内なるジレンマの中で、Gildenlöw の物語に共感できるはずです。この作品は私たちの内なる羅針盤であり、日々の戦いの中で観察し、欲にまみれた資本主義の "ネジ" となるのか、別の生き方を選ぶのか、どちら側につくかを考える "機会" を与えてくれます。苦しみ、傷つき、もしかしたら自己嫌悪に陥り続けるかもしれませんが、それでも思考は人生に欠かせないものなのですから。

「"Entropia" では弟の Kristoffer が19歳で、彼がバンドに加入したのは16歳の時だった...面白い年齢だね。"Queensryche" が "Operation: Mindcrime" をレコーディングしたのは30代だったらしいんだ。僕らは彼らが本当に若かったと思うだろうけど、そうじゃなかったんだ。
"Entropia" はある意味とても新鮮で、ある意味とても生々しい。"Entropia" のそういう部分が好きだし、ある意味、"Concrete Lake" よりもグルーヴとソウルがある。一方、"Concrete Lake" はより集中していて、より成熟している。"Entropia" のグルーブ感やちょっとした素朴さを受け止めつつ、集中力と成熟度をもって、もちろん新しい要素も取り入れつつ、いいものに仕上げていけたと思う」

ちなみに、この時彼は日本盤に追加されるボーナス・トラックについて触れています。

「基本的に、CDは日本盤よりも輸入盤の方が安いので、ボーナス・トラックは国内市場を維持するための手段なんだ。この状況がいつまで続くかはわからないが...。
僕が知っている最悪の事態は、大好きなアルバムの再リリース盤を買ったのに、価値のないボーナス・トラックが付けられていて、アルバムの全体像やフィーリングを台無しにしていることだ。例えば、PEARL JAM の "Ten" の最後のくだらないトラックだ。そんなものはいらない!僕自身は、1曲追加されたからといってアルバムを買うことはないね」

奇跡のデビュー作 "Entropia" の後、"Concrete Lake" とその後に発表された2枚のアルバムは、バンドのキャリアの中で最高傑作とみなされています。"Perfect Element" も "Remedy Lane" も、より良く作られ、より良く録音され、よりリッチな名作です。しかし、より尖っていて、より暗く、より現実とつながっている "Concrete Lake" はやはり唯一無二。何より、Gildenlöw の1時間にもわたる "予言書" を紐解けば、きっと今、我々がなすべきことが伝わるはずですから。

「汚い真実を知りたいかい?僕は "プログレ・バンド" であることが嫌いだ。なぜかって?この言葉は、一般的に僕を死ぬほど退屈させる音楽のラベルと化している。もちろん例外はある。本当にプログレッシブなバンドもいくつかある。しかし、そうしたバンドはプログレッシブ・メタルの内側の領域以外で見つけることの方が多い。
僕にとっては、"プログレッシブ" という表現には遊び心や限界への挑戦という概念が含まれていなければならない。そのラベル自体が目的なのではなく、音楽の本質に従った結果としてそうなるべきだ。プログレッシブ・メタルが "最も DREAM THEATER に似ている" という意味なら、僕らは反対せざるを得ない。"Images and Words" が発表されたとき、僕はとても気に入ったけど、残念ながらその結果、何千ものバンドがそのマジックを再現しようとしている。"最もオープンマインドで実験的" という意味なら賛成かもしれない。というのも、PAIN OF SALVATION の最も顕著な方向性のひとつは、技術や奇妙さがより繊細になりつつあることだから。僕はすべての楽器を演奏するから、そのほとんどを頭の中で一音一音、一小節一小節、感情ごとにアレンジする。アートや素朴さを求めるなら、そのアーキテクチャーの実際のコアの奥深くまで探さなければ見つからない」

http://sin23ou.heavy.jp

参考文献:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?