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登野城祭事日記:御神酒づくり、ミシャグパーシィ

「登野城祭事日記」は、石垣島・登野城村の祭事係に新米として参加させていただいている佐藤(月刊まーる二代目代目編集長)の、日記兼備忘録です。

今回のトピック

御神酒づくり~ミシャグパーシィ

場所

お神酒づくり:登野城公民館
ミシャグパーシィ:イヤナス御嶽、天川御嶽

日時

御神酒づくり:2024年7月24日(水):9:00~
ミシャグパーシィ:2024年7月28日(日)12時すぎ、14時過ぎ

出席者

お神酒づくり:字副会長 / 祭事顧問 / 祭事係
ミシャグパーシィ:演者の方々/ 祭事顧問 / 祭事係

持ち物・服装

御神酒づくり:お米、炊飯器(2升炊き)×2、障子紙、ポリバケツなど
ミシャグパーシィ:クンズキン着用


御神酒づくり

いよいよ豊年祭が4日後に迫るなか、オンプールで行われる神事「ミシャグパーシィ」に向けて、御神酒づくりが行われた。

注:この記事の中には「御神酒」「酒」などの呼称が多く含まれますが、そのいずれも、アルコール度数は到底1%を上回るものではありません。

ミシャグパーシィは、毎年イヤナス御嶽で行われる種取り行事の時と、豊年祭の時、イヤナス、天川両御嶽の神前で行なう、古式による豊作祈願行事である。
豊年祭の時は今年収穫された五穀(現在は米)で作られた御神酒(ミシィ又はミシャグという)を神前に捧げる。次にこれをバダス(木製でにぎり、注ぎ口、蓋つきの高さ十五厘ほどの、土びん状の器)に入れ、二重ねの木皿、(これを中皿と言う。現在は一個を使用)を高膳に乗せて、村の祭事係が参列代表(村人)の前に供える。かくて祭事係が給仕となり、村人が客となって対座し、給仕によってミシャグが中皿につがれ、給仕の一人がこれを捧げ持ち、他の一人はバダスを持って、共にこれを左右に上げ下ろししながらミシャグパーシィの歌を歌う。次に客がお膳を持ち、これも左右に上げ下ろししながらその歌の続きを歌う。給仕と客が交互に歌って終ると、最後に客がミシャグをのみほすという行事である。数回客が変わって行われる。
この歌は新穀で作られたミシャグを讃え、来夏世(来年)の豊作を祈るという趣旨の言葉で貫かれている古謡である。ミシャグパーシィと言う語は、これを訳すると『御神酒囃子』ということになる。

『登野城村の歴史と民俗』牧野清 より

御神酒の原料は、米、砂糖、水である。

お米を洗い、炊いて、冷まし、それに水を加えて挽き、数日間、冷暗所で保管しながら、毎日最低2回、青竹を使ってかき混ぜる。かき混ぜる際には発酵の進み具合を見ながら、砂糖や水を加えるなどして、適度な御神酒に仕上がるよう調整する。


7月24日 @公民館

この日公民館で行ったのは、お米を洗い、炊いて、冷ますところまで。
その後は大先輩が引き取り、製粉屋さんへの挽き依頼と、保管&発酵の管理を行なってくださった。

お米を炊くところまでは、普段の食事とそう変わらない
量がとんでもなく多いこと以外は。

3升炊きの炊飯器を2台体制で、各2回ご飯を炊く。
つまり、3×2×2で12升、実に120合である。

これは、お米がたくさんないと到底できない…
御神酒を作れる→お米がたくさんある→神様に豊作を感謝、ということで、豊作祈願を司どるものとして、御神酒ほどぴったりなものもそう無いのでは?という気分になった。

お米が炊き上がったら、それを障子紙に広げて冷ます。

なぜ一旦冷ますのか?については、「きっと、冷蔵庫に物を温かいまま入れないのと似たような理由だろう」と、大先輩。
つまり、温かいまま水を加えて挽き工程に移ると、腐敗を呼ぶ菌にとっての適温が長時間続くことになってしまうのだろう。

また、御神酒に使うお米は、あまり粘り気の強くないものがいい、とも伺った。これは、米の粘り気が強いと、挽く際に多くの水を必要とすることになり、米に対する水の比率が高くなるため。そうなると、発酵がうまくいかなかったり、水と発酵部分が分離してしまったりするそうだ。
そう考えると、一旦冷ますことは、米の粘り気を弱めることにも少し貢献しているのかもしれない。などと妄想した。

一旦冷ましたお米を、容器に移していく
そこに水を加えて、この日の工程は終了!

7月27日 @大先輩の冷蔵倉庫

この日は大先輩の冷蔵倉庫にて、御神酒の様子を見学させていただいた。
3日前から、どんな具合に変化しているのか…!

かなり変化!
容器ごとに少しずつ発酵の具合も違うので、微調整しながら青竹で混ぜる

混ぜるのに使うのが青竹でなければならない理由も、興味をそそるポイントである。大先輩は「青竹についている菌が発酵に良い作用をもたらすか、悪い菌への殺菌作用なんかがあるんだろう」と仰っていた。なるほど。

昔どこかで、「西洋人はワインを甘い目で見て、よく褒める。日本人はサケを厳しい目で見て、よく貶す。それは、西洋人にとってのワインは神からの頂き物で、日本人にとってのサケは神への捧げ物だからである。」という話を聞いたことがある。この話の真偽は全く定かではないし、自分もそうした文化に特別詳しいわけではないので、鵜呑みはできない。
が、ワインとサケを作り出す"発酵"の働きが、自然(≒神)のサイドにおかれる文化と、人間サイドに置かれる文化があるのだとしたら、その世界観の違いは面白い。
菌の力を借りることを期待して青竹で液体をかき混ぜる作業は、人間サイドというか、人間と、ままならない自然との"協業"といった方が正しいだろうか。

とにかく、こうして、人間が願いを込めながら、気まぐれな自然の力を借りてつくられた御神酒が、緑豊かなイヤナス御嶽、天川御嶽で囃し立てられる姿はきっと、大変似つかわしいものになるだろうと思えた。

各容器の上には、清めの「サン」が載せられている

7月28日 豊年祭オンプール当日 @イヤナス御嶽、天川御嶽

時は移ろい、オンプールの当日。
この日、イヤナス、天川両御嶽にてミシャグパーシィの本番が行われる。

豊年祭の時は今年収穫された五穀(現在は米)で作られた御神酒(ミシィ又はミシャグという)を神前に捧げる。次にこれをバダス(木製でにぎり、注ぎ口、蓋つきの高さ十五厘ほどの、土びん状の器)に入れ、二重ねの木皿、(これを中皿と言う。現在は一個を使用)を高膳に乗せて、村の祭事係が参列代表(村人)の前に供える。

『登野城村の歴史と民俗』牧野清 より
リハーサル時に撮影したバダス、中皿、高膳

かくて祭事係が給仕となり、村人が客となって対座し、給仕によってミシャグが中皿につがれ、給仕の一人がこれを捧げ持ち、他の一人はバダスを持って、共にこれを左右に上げ下ろししながらミシャグパーシィの歌を歌う。次に客がお膳を持ち、これも左右に上げ下ろししながらその歌の続きを歌う。給仕と客が交互に歌って終ると、最後に客がミシャグをのみほすという行事である。数回客が変わって行われる。

『登野城村の歴史と民俗』牧野清 より

今年は、イヤナス御嶽で5回(お客様20名)、天川御嶽で2回(お客様8名)、ミシャグパーシィの歌を歌った。(イヤナス御嶽での回数はうろ覚え)

天川御嶽にて。

▪️ミシャグパーシィ 歌詞

【給仕】
ケーラーマイヌ イシナグヌヨ ウニガイ
(みんなの作っている稲が 来夏世は石のように固くみのるよう お願い申し上げます。)
カントゥマス ウイトゥマスヌヨ ウミシャグ
((このお神酒は)神から賜った畑 非常に良い畑から とれた(粟でつくった)御神酒です。)

【客】
ウフグラン チィンツィケヌヨ ウユワイ
(大きな倉庫に (収穫物を)一ぱい積み上げての 豊作の祝いです。)

【給仕】
ナカザラヌ ウミシャグ イ、ハヤシバドゥ ユヤナウル
(中皿(木製の皿)に一ぱい 御神酒を注いで捧げ この歌を歌いはやしてお祈りすると 来夏世はきっと稔ります。)
イ、ウヤケ ナカザラユ パヤシバドゥ ユヤナウル
(豊作は この中皿の御神酒を はやし讃えますと 来夏世はきっと稔ります。
イ、ウヤケ ユナホウジャガ
(豊かな年を 稔りの年を祈ります。)

【客】
ニウスイヌ ウミシャグ イ、ハヤシバドゥ ユヤナウル
(粟で作った この御神酒を 讃えはやしますと 来夏世はきっと豊作です。)
イ、ウヤケ ユナホウジャガ
(豊かな年を 稔りの年を祈ります。)

【給仕】
アマイ ユナホウジャガ
(豊かな年を 稔りの年を祈ります。)
---
【給仕】
ニウスイノ ウミシャグ ンマサカバサ ヨンナ
(粟で作った この御神酒は なんとおいしく、香りよく できていることでしょう。)

【客】
ウヤキヨウ ンマサカバサ ヨンナ
(豊かな年の御神酒は まことにおいしく、香りよく できております。)

【給仕】
ウキタボーレ
(どうぞお受けください。)

【客】
ウヤキヌブジィ ウー、シィサレー
(豊年の賜りもの はい、ありがとうございます。)

『登野城村の歴史と民俗』牧野清 より

地域の大大先輩方を前に、手間暇かけてつくられた御神酒を讃える歌を歌う。緊張のほどはとんでもなく、神事中のことはあまり覚えていない。

イヤナス御嶽でのミシャグパーシィは、新聞でも取り上げていただいた。

そんな自分の姿が偶然、翌朝の八重山毎日新聞第一面にデカデカと載ってしまったのは、(もちろん光栄でありつつ)たいへん恐縮、困惑する出来事であった。が、その記事を見た地域の先輩方から「新聞に載ってたね!」と沢山お声がけいただいたのは、嬉しいことだった。
新聞で見かけた時に「アイツだ!」と判別できるくらい自分のことを見知ってくださる方が、こんなにも地域にいらっしゃる、ということが実感され、大変暖かく、改めて有り難く感じられたのだ。


ミシャグパーシィを通して、昨年読んだ本に書いてあったことを思い出した。

おそらく、アルコールは人間が所有する最も社会的な薬と言えるだろう。その生産には仲間との協力が求められ、消費するときもたいていは仲間と一緒だ。古代シュメール人がビールを飲んでいる絵が残されているが、一個のひょうたんにストローをいくつも差し込み、皆で飲んでいる。(中略)
人類学者によると、ほとんどの文化圏において、酒を飲むことは社会的儀式の一環であり、大型動物をしとめて火で料理するのと同じく、社会の結束を強めるのに役立っているそうだ。

『人間は料理をする(下) 空気と土』マイケル・ポーラン より

お酒をつくり、皆で飲むことはきっと、そこにいる人と人、あるいは人と自然に、なんらかの"縁"をつくりだすのだ。
それはきっとお酒だけに限った話ではなく、儀式(神事)という場を中心に、"縁"が生まれたり、強まったり、形が変わったりする。

なんのための儀式か?というのは、切り取るレイヤーや、関わる個々人によって異なるはずで、言葉にするのは難しいだろうし、言わぬが花の世界であろうとも思う。

自分の心には、ミシャグパーシィとその周りの出来事が、自分と地域の"縁"のかたちに何か変化をもたらしたような、フワッとした感覚が澱のように残った。

この澱がいったい何なのか?何をもたらすのか?
それが自分でわかるようになるのはきっと、祭りの興奮を冷まし、心の片隅にしばらく置いておかれたあとなのだと思う。


▼登野城祭事日記、記事集です!


この記事を書いた人

佐藤仁
登野城村(超新米)祭事係。
大阪からの移住者
『月刊まーる』2代目編集長。
本業は、グラフィックやサービスのデザインなど。
自分の事務所に併設の私設図書館「みちくさ文庫」運営中。

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