ぼんやりと素朴に自然と無邪気に。結局ここに戻る。
水にありがとうと言葉をかければ結晶の形を変える理由。大元は全て繋がって。
数億年続いた争いのない素朴で高度な文明に責任や正義という言葉や概念が存在しただろうか。
自然を破壊し自らの快楽と幸福を求めるだけならばヒトは地球の癌でしかない。利便性と効率化がしたいのならばヒトである必要も無い。
行法を知り意識の矛先を知らなければ社会という生き物と共存している限り自己の悪魔を完全に断ち切る事は不可能。瞑想をする事は修行ではない。行法とは幾つもの自己身体的意識とバランスを構築する事。
カミは無関係な現象に対しは冷酷。宇宙の原理原則に乗っ取り歩めばカミと無縁、無関係では無くなる。最もこの世でヒトを殺しているのはカミなのだから。それも気まぐれに。
天地の権輿、草木言語いし時。自然と同化していた私達。
現代の神社は行かない方が良い。わざわざ行く必要が無い。場所ではなく日常が肝。
そもそもカネや構造という現象が存在しなければ努力,失敗,礼儀,常識,甘え,正義,成功などという低次元な言語や概念すら存在していない。自然と調和し素朴に無邪気にヒトらしく生きるだけで良かった。それこそアニミズム的縄文的高度な暮らしである。
https://www.amazon.co.jp/s?i=digital-text&rh=p_27%3A%E4%BB%99%E9%81%93+%E8%89%AF&s=relevancerank&text=%E4%BB%99%E9%81%93+%E8%89%AF&ref=dp_byline_sr_ebooks_1
米に花と書いて糀