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悪魔にされてしまった山羊、夜の魔女リリスとフェミニズム。

今日は、最新Youtubeで魔女術WSサバト「Litha」についてお話しした、悪魔にされてしまった山羊の汚名を返上していきます。

キリスト教によって悪魔にされた、山羊と自然信仰の魔女たち。

誰かが変えなきゃ、山羊もやってらんないですよ(笑)

この世界で、疑う事もせず、正しいと思い込んできた事。
お金持ちになる事、資本主義が正義か?有名になること、フォロワーが多い事が正義か?
人が集まる人、お金が集まる場所が、本当に正義か?
目に見える優しさだけが、本当の優しさか?
本当に信じるべきは、誰なのか?何なのか?
その答えは、多くの人が簡単に理解できる場所にはありません。

太陽の魔力が最高潮に達するリーザで行う魔術は、より強力になります。
だからこそ、リーザのサバトは、あなたの真の「強さ」を問いかけているのだろうと思います。

光極まりて、闇に転ずる時。
あなたの正義は悪かもしれない、あなたの悪は正義かもしれない。
移ろいゆくものから「揺るがないわたし」を見つけに来てください。

現在ご予約受付中の魔女術WSサバト「Litha」では、この悪魔にされてしまった豊穣の象徴、山羊神「バフォメット」のウィッチクラフトをしながら、

善と悪。二元論(dualism)の狭間で、自分が「悪」とするもの / 「正義」としているもの。何が悪で、何が正義かについて、皆さんと深く考えていければと思います。

宗教的な背景(主にやっぱりキリスト教)

ヤギが悪魔の象徴になった理由は、宗教的な背景があります。

古くから聖書では、イエスに従う者を子羊、従わない者を山羊に例えて、右側の羊は祝福、左側の山羊は呪い。善と対比する悪として表現され、温厚で大人しい羊は正義の象徴とされ、対して、ヤギは神に逆らう異端の象徴とされていました。

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

新約聖書 / マタイによる福音書25章31~36節

「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

新約聖書 / マタイによる福音書25章41~46節

ヨーロッパ諸国でキリスト教文化が発展する過程において、宗教画を描く画家たちによって、山羊は悪魔の象徴として強調されるようになり、美術分野にも大きく影響していきました。

中世の美術史に描かれた「悪魔の象徴」

中でも宇宙子が興味深いと思っているのは、
自由主義、啓蒙思想の信念を持っていた、リベラル派のフランシスコ・デ・ゴヤ(スペイン)が制作した絵画『Witches' Sabbath(魔女の夜宴 / まじょのやえん)』(1820年〜1823年)にも、山羊の姿をしたサタンが描かれています。

フランシスコ・デ・ゴヤ『Witches' Sabbath(魔女の夜宴 / まじょのやえん)』(1820年〜1823年)

1789年に描かれた同連作『Witches' Sabbath(魔女の夜宴 / まじょのやえん)』シリーズでは、中央の黒いヤギに、魔女が子どもを差し出す様子が描かれており、後方には既に生贄に捧げられた3人の子供が吊るされています。

フランシスコ・デ・ゴヤ『Witches' Sabbath(魔女の夜宴 / まじょのやえん)』(1789年)

宇宙子が面白いと思った理由は、リベラル派のゴヤが描いた「魔女の夜宴」の初期のバージョンでも、悪魔は恐ろしい女性の輪に囲まれた山羊として表現されているのですが、

山羊は子供に向かって右脚ではなく左脚を伸ばし、三日月はキャンバスの左上に描かれていて、キリスト教の「右側の羊は祝福、左側の山羊は呪い。」と言う、当時の宗教画の意図と、善と悪の表現方法を、逆転させた視点で魔術のイメージを描いているのですね。

逆転させた視点と言うのは、
科学、宗教、社会の発展を主張した当時のリベラル派の活動家の多くは、破壊分子として非難され、「悪魔の代理人」として告発されていました。
リベラル派のゴヤがキリスト教の宗教画家と逆転の視点で描いた表現方法は、後の美術史学者たちによって、異端審問・魔女裁判への非難と見なされています。

要するに皮肉って表現してるんですよね。こういった表現って、実に魔女っぽいと私は思うんですよね。笑

ドイツの画家兼彫刻家ハンス・バルドゥングによって描かれた、悪魔の化身としてヤギに乗って空を飛ぶ魔女の版画「Hexensabbat , Hans Baldung Grien (1508)」などでは、

美術において明暗のコントラストを指すキアロスクーロの表現方法で、魔女と山羊を悪とした明暗のコントラストが強調されています。

Hexensabbat , Hans Baldung Grien (1508)

その他、キリスト教の多くの宗教画の「山羊は悪魔の象徴」キャンペーンでも、ユダヤ人を揶揄してヤギの頭で描かれている、などありますが、

スケープゴート(贖罪の山羊)

古代ユダヤ教においても、7番目の月の10日を贖罪の日として祝い、人々の罪の許しを得るための身代わりとして、ヤギを生贄に捧げる「Scapegoat / スケープゴート(贖罪の山羊)」と呼ばれる風習がありました。

また、ギリシャ神話に出てくるヘルメスの息子=山羊の姿をした神パンも、昼寝を邪魔された事に怒り狂い、この怒りがあまりにも激しく恐ろしいものであったので、羊が狂乱して大騒ぎが起き、羊飼いや人々からヤギが嫌われるようになりました。(これも魔女っぽい笑)

そして、古代ローマでは、山羊は欲望と性的快楽の象徴とみなされており、ここからやがて、バフォメットのようなヤギ頭の悪魔が考え出され、悪魔崇拝者が好んでヤギの仮面をかぶったりするようになりました。

悪魔にされてしまった山羊神「バフォメット」

悪魔=山羊のイメージは、バフォメットに由来しています。タロットカードの悪魔も、このバフォメットです。

バフォメット(Baphomet)は、キリスト教の有名な悪魔の一人で、黒ミサを司り、黒山羊の頭と黒い翼をもつ姿で知られています。バフォメットは両性具有のため、男神の力と女性のバランスをとる事でしばしば尊敬され、魔女たちの崇拝対象となり、魔女狩りを通してヨーロッパ中にその肖像が拡散しました。

picture by Enrique Meseguer(Pixabay)

キリスト教の弾圧による魔女狩りと、悪魔にされてしまった山羊神「バフォメット」は密接に関係しています。

なぜなら、バフォメットは、本来は「豊穣」をもたらす自然の山羊神だからです。

キリスト教以前は、全てのものに魂が宿る、日本の「八百万の神々」ようなアニミズムの素朴な自然信仰は、牧畜や狩猟などの生活から、祭司(シャーマン)が角のついた獣の仮面をかぶって踊ったりと、動物を祭ることも多かったのです。

この自由崇拝が、一神教のキリスト教からすると、絶対「悪」。布教する為には、異教の神を悪魔の存在に仕立て上げる必要がありました。
悪がなければ、自分達が正義になれませんからね。

善と悪、この二元論(dualism)の狭間で、もう一人、宇宙子がいつも思い浮かべるのが、旧約聖書で「夜の魔女」と言及されている「リリス」です。

夜の魔女、リリス。


夜の魔女「リリス」は、天地創造の際に、アダムと同事に神によって創造された女性であり、男性と対等な存在です。

リリスは、アダムの最初の妻(もしくは、妻となる筈であった)とされていますが、男性であるアダムと対等に扱われなかった事に耐えられず、神を呪い、楽園を飛び出して、魔女となったとされています。

 アダムは、アダムの肋骨からつくられたイブと結ばれ、神は、アダムの元を去ったリリスに対し罰を与えました。  リリスはその後、悪魔との間に大量の悪魔を生み出し、自身も悪魔に変貌したと言われています。このような説からリリスは、「夜の女王」や「悪魔の母」と呼ばれるようになりました。

13世紀のカバラ文書の中では、悪魔の君主サマエルの伴侶となった説もあります。

リリスの子供であるリリンは、男性をたぶらかし血や精気を吸い取ったり、子供を流産させたり、子供をさらって食べたとされています。

夜の魔女、リリス。恐ろしく感じるかもしれませんが、私は、この姿こそ、今日まで様々な歴史の文献に記されてきた、「魔女」と扱われる「odd」な存在の、言葉本来の意味を表していると思っています。

夜の魔女リリスは「男女平等が叶わないと知って自立の道を選んだ」キャラクターです。
現代では「男性からの支配や社会からの抑圧からの解放」を訴える女性解放運動の象徴ともされており、その思想に共感する人々により、リリスはフェミニズムのシンボルとして肯定的に再評価されるようになりました。

善と悪。二元論(dualism)の狭間で、自分が「悪」とするもの / 「正義」としているもの。何が悪で、何が正義かを、神にも屈する事なくリリスは自分で決めました。孤独や悲しみの果てに、常識では無く自分の正義を貫いた、夜の魔女リリスの在り方は、今の時代に合った「女性の強さ」の象徴だと、宇宙子は強く共感しています。

宇宙子が山羊の汚名を返上する理由

そして今回の魔女術WSサバト「Litha」で、「光極まりて、闇に転ずる」を根幹のテーマにしたのには理由があります。それは、

日本の「魔女」のイメージが、白すぎるから。

魔女がそれだけのはず無いであろう。
と、「魔女」の背景を理解していれば、分かりそうなものですが、

これは、日本語で出版されている魔女に関する書籍の影響だと思います。
つまり、日本の出版社が、WiccaやGreen Witchの良い部分だけ(ハーブなど)を掻い摘んで、売るための「白魔女」イメージ戦略をしたのだろうと思います。

勿論そう言った一面もありますが、一面に過ぎません。
流行を生み出す側と、流行に乗っかる側の、視点の違いもあるかもしれませんが、

日本人は、良く言えば純粋、悪く言えば世間知らずなのかもしれません。

私が思うに、「現代魔女」と呼ばれる方たちと、白すぎる魔女の方たちは、’魔女を魔女たらしめるもの’が全く違うのだろうと思います。

キリスト教の魔女狩りを思い出してください。
街頭の「光」に群がるのは、蛾です。キラキラとしたイメージに寄ってくるのは、思慮深い魔女では無いのだろうと思います。

逆を行くように、突然、悪魔のヤギになった宇宙子。
意味が分からない方からしたら、ただただイカれた魔女に映るのかもしれませんが

「悪魔にされてしまった「豊穣の象徴」(山羊)」については、ケルトやペイガンの自然信仰や民俗学、宗教など、現代魔女のバックグラウンドと密接に関わっており、現代でも、角の生えた山羊や獣たちの個性豊かなお面をかぶり、火を囲み、自然信仰の在り方を体現されている方たちは沢山います。

「現代魔女」と呼ばれる方たちと、白すぎる魔女たちとの違い、魔女を魔女たらしめるものの違いは、

先日【魔女対談】現代魔女リアル最前線の「裏サバト」の動画でも話に上がっていますが、

魔術への知的探求や深い霊的体験の実践だけでなく、正に毎回、魔女術WSサバトでお伝えしている、これら魔女の背景への深い理解と敬意なのだと思っています。

冒頭や動画のメッセージでも言いましたが

この世界で、疑う事もせず、正しいと思い込んできた事。
お金持ちになる事、資本主義が正義か?有名になること、フォロワーが多い事が正義か?
人が集まる人、お金が集まる場所が、本当に正義か?
目に見える優しさだけが、本当の優しさか?
本当に信じるべきは、誰なのか?何なのか?
その答えは、多くの人が簡単に理解できる場所にはありません。

そう。多くの人が簡単に理解できる場所には無いはずなんです。

なぜなら、「魔女」と呼ばれる存在は、本来、

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