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思考のアップデートのきっかけは、ASD。
「人は誰もが自分を中心に、自分の枠組みで世界を解釈し、体験している」
そんな当たり前の事を実感として、私が気付けたのは、恥ずかしながら40数年生きてきて、つい最近のこと。
例えば、自分がとても視力が良かった頃は、多感な若い感性と相まって、他人の顔の毛穴までよく見えてしまい、他人に顔を見られた時をとても気にしていたけれど、歳を取って乱視が酷くなってからは、視界が大抵ボヤボヤなので、細かいと
感覚が違う者同士の「共有」
「味覚」と「嗅覚」
新婚当初、夫と食事をしてる時に、「この炊き込みご飯いい香りで美味しい〜」とか、「豆苗って味は癖がないけど匂いが独特だよね」と私が話しかけても「味は美味しいよ」という返事しかなく、度々違和感があって、特に山椒だとか大葉とかの香の物でも、食事中に夫の口から「香り」についての感想が出てくる事がなかったんですね。
「これすごくいい香りだけど、感じてる?」
「んー、言われてみ
わたしの日常は、あなたの非日常。
夫(ASD傾向)とのコミュニケーションに齟齬を感じてから、ASDとは何か?を追ってきた私ですが、お互いの欲求の根本で、快/不快に分かれる大きな違いがあって、そこには『ペルソナ』の有/無が深く関係しているのでは?という仮説です。
コミュニケーションに対する夫の不快と、私の快
Twitterの相互さんで、ASD当事者として発信してらっしゃるHOTASさんに、先日、こんな疑問を投げかけられました
揉めた時の私へ。とりあえず、これ読んで!
さて、私たち夫婦は同居以来、数多の時間を揉めごとや話し合いに費やしてきました。(結婚生活は3年ちょっとですが、交際期間も含めると12年ほど)とにかく、揉めると、私の言葉に感情がよりたくさん乗っかり(嘆き、悲しみ、苛立ち、不安など…)それを夫が処理しきれず、満足いく答えが返ってこないモヤモヤで、更に私が言葉を重ねて、夫がオーバーフローしてお互い苦しんでしまう…なんてのも、ありましたありました。
「共感力」て何を指してるの?
ASD特性の話になると必ず出てくるワードのうちのひとつに「共感力」があると思いますが、共感力自体は、定型とかASDとか関係ないと私は思うんです。
定型でも、共感力の高い人、低い人いますし、ASD特性があってもそこは同じだと思うのですよ。
因みに私の夫は、共感力がすごく高い人なんですが、新婚当初、私はそれにまったく気付けませんでした。それどころか、人の気持ちにすごく鈍感な人だと思っていたくら
『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜後編〜
さて、前編からの続き。『二人の器』が満たされないと、私は満たされていたはずの自分のウツワまで干上がる感覚を味わってしまう。つまり、いくらそれぞれの気持ちが満たされていたとしても、二人の感情の共有次第で、私のご機嫌が左右されてしまうのが最大の問題だという事になる。それならば、何をどうしたら良いのだろう?
私と同じように「他人とやり取りをして元気をもらう」と感じる他の人にも詳しく聞きたいところだ
『ルビンの壺』 ー感情の共有は夢か現か?〜前編〜
「二人の器」の存在 私たち夫婦がかなり苦戦するのは、やはり「感情面(=気持ち)」のやり取りだ。目に見えない気持ちを共有する事が、なかなか難しい。
気持ちを"ウツワ"に喩えると、私には私のウツワがあり、夫には夫のウツワがあり、夫はそれぞれのウツワが満たされてご機嫌な状態ならば満足で、それ以上何を望むの?といった具合だ。
しかし私には『二人の器』という夫と私、二人の気持ちを共同で注ぐ"気持ちの共用
うちの会話の工夫。→集中しすぎる頭のコントロール
ASDの大きな特性で、あまり一般的に知られてないと私が感じるのは、外から入ってくる、問題や謎をキャッチすると原因究明や解決のために、全力で脳が「勝手に」回転し始めてしまい、他人とのコミュニケーションを邪魔してしまうということ。
うちの場合だと、私が「ちょっと聞いてよ」という軽いノリで夫にその日思った事など話すと、夫は妻の私が何故そう思ったのかをすぐにでも究明しようとしてしまう。
これは男性によ
誰かの定めた型など手放して、自分の色を思い出す。
「定型」とは、
常識からはみ出た部分をトリミングして定型の型に上手くハマっている状態の事であり、
「定型」と言う人たちは実在せずに
「みんな同じ」に切り抜くための「型紙」
ーーつまり人ではなく、平均値の事なのではないか。
ASDと引き合いに出す定型というのは
「コミュニケーションが問題なく取れる人」
という型で
ADHDと引き合いに出す定型は
「社会生活が問題なく送れる人」
という型になるだろう
気持ちを共有する=心の現状把握
夫婦の会話で違和感がどうしても消えないのが、私が話したあとの夫のリアクションの無さで、「聞いてもらえた」という手応えを私が得られないところだ。夫の頭の宇宙にシュ!っと吸い込まれて、一体何を理解し、聞いてくれたのか、まったく分からない。
それって一体何なのか?と言うと「二人で共通認識した」という、心の目と目が合うような感覚を非ASDの私の頭は、どうしても求めてしまうという事だと思う。
その感覚は
星と星のあいだの呼吸。
夫には内面の記憶がない。
(正確には、自ら思い出せない)
視覚優位だから頭の中は画像ライブラリーになっていてタイトルがついていない。名無しの宇宙。
私の記憶には言語化したタイトルが何となくついていて、関連した言葉や時間軸、音や映像に触発されて内面の記憶=その時の気持ちも思い出される。だから、少なくとも私の感覚で考えていたら、いつまでたっても夫とは夫婦の思い出話は共有できそうにない。
自分の親兄弟
『いいと思うよ』の真意。
自分の本心を奥底にしまってしまい
なかなか私に向けて表現できない夫。
今日は、この連続ツイートの補足。
私が何か提案した時の「いいと思うよ」「いいんじゃない?」は私からはジャッジに聞こえる時があるんだけど、夫はそういうつもりはさらさらないと思う。
この「いいと思うよ」
という台詞には結構、奥深い理由がある。
夫にとっては人の気持ちの詳細って分からないから、私を不機嫌にさせてしまうのが何より