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うちの会話の工夫。→集中しすぎる頭のコントロール

 ASDの大きな特性で、あまり一般的に知られてないと私が感じるのは、外から入ってくる、問題や謎をキャッチすると原因究明や解決のために、全力で脳が「勝手に」回転し始めてしまい、他人とのコミュニケーションを邪魔してしまうということ。

うちの場合だと、私が「ちょっと聞いてよ」という軽いノリで夫にその日思った事など話すと、夫は妻の私が何故そう思ったのかをすぐにでも究明しようとしてしまう。
これは男性によくありがちな男性脳的な思考だけど、夫の場合は、それを全くコントロールできない。
とにかく外から入ってきた言葉(文字/音声)や画像の意味を自分の腑に落とすことに真っしぐらの頭…というわけだ。

先日、私が職場の出来事を話し、「明日仕事行くの嫌だなぁー!」などと軽く愚痴をこぼした直後、夫が自分の仕事で上手くいっていなくて不安な話をし始め、今の仕事をやめてもっと稼げるところに転職した方がいいか?なんて話にまで発展した。
当然、私の頭の中はハテナだらけになる。なんせ、ただ愚痴を夫に聞いてもらえたら明日からまた頑張ろう!と思っていて、そんな深い話になるなんて全く思っていなかったから。

会話をしたい私の願いは、軽い愚痴を聞き流して、何なら笑い飛ばしてギャグにして明日を迎えたかった。でも夫はそもそも私に外で働かずに自分の作品づくりに専念して欲しいけど、自分の稼ぎがもっとあれば…という思いが強い人なので、その根本原因を一瞬にして掴みに行き、自分がどう動くべきか?の解決に真っしぐらだったというわけだ。

とっても優しい気持ちが大元なのに、その会話上のリアクションとしてはあまりに唐突すぎて、さすがに私も受け止めきれず、喧嘩になった。少し不安な私の気持ちを、ただ軽くいなしてくれていれば、次の日私はいつも通り出勤できたはずが、朝まで揉めて、話が拗れまくり、二人揃って欠勤する羽目になった。

じゃあどうしたらこういう行き違いが少しでも防げるかな?とその後、話し合った。

大問題に発展したけれど、原因はとても小さなところにある。
まず、視覚優位の夫の特性は、映像を見ることが癒しであり、ストレス発散。でも、映像を見ると魂まで吸い込まれる勢いで、少しの会話もできない。(言語は変換しないと意味に繋がらず脳の負担が大きいが、映像は変換必要なしという特性)だから最近は私が話したい時、テレビを自分で消してくれるようにはなった。
見る、聞く、話すも適当にできる私としては、テレビを消してまで話すような内容ではなかったりするので、映像を見ながら喋れるのがベストなんだけど、そこは妥協しつつ、そして問題はその先だ。
テレビを消して、話だけに集中してしまうと夫の頭は私の話の真相を究明し始めてしまうわけ…。つまり集中しすぎる。
家族以外なら外モードで「適当に聞き流す」ができるけど、私の事を大切に思ってくれてるからこそ「聞き流す」ができない。定型同士ならば、「じっくり聞く/適当に聞き流す」のポイント切り替えを感覚的に取捨選択して、話ができるけれど、夫にはそれが難しい。全力で聞くか、全く聞かないかどちらかになってしまう。

そこで私が解決を求める相談話以外は、「他の作業をしながら聞く」ことで集中しすぎず、感覚を分散できそうだと、夫自ら発見した。
夫はお掃除好きなので、レンジまわりやシンクを磨いたり、観葉植物のお手入れや、スマホでニュース記事を読みながら…など、自分の頭の回転との頃合いを見ながら、私の話を「聞き流す」ことが二人が心地良く生活するのにとても重要だと気付いた。(掃除は話を聞いてもらうと同時に、家が綺麗になるので一石二鳥で助かる(笑))

私には軽い日常会話が家庭において必須だけど、夫とはその軽い会話のやり取りが、たった一言二言でもズレてしまうのがストレス。深さや着目するところが違うからなんだけど、一見上手くやり取りできてる夫の外モードは、私の感覚で言う外モードとはだいぶ違って、実は何にも実感として理解できていないのに、言葉だけ発してる状態なので、私に対してはそんな事はしたくないわけだ。
それで二人の歩み寄りとしては、日常会話を夫が軽い作業をしながら、私の言葉を聞き流す。
ここにやっとたどり着いたわけだ。

一見、人の話を何かしながら聞くっていうのは失礼な態度にもなるんだけど、夫の放っておくとすべての言葉を原因究明、解決させようと自動的にしてしまう頭ならば、集中しすぎる思考を分散させるっていう発想は、他人と歩調を合わせるために必須になってくるのでは?と思う。
"深海魚"のASDと"飛び魚"の定型の例えで言うと、夫の棲息地である深海に私を連れ込んで窒息させないため、夫が浅瀬付近まで浮上するための方法の一つかな、と思う。


客観的に見ると、お掃除しながら、スマホいじりながら、真剣に会話を楽しむ二人…。こういったシュールな状況が他にも多々あるけれど、常識は家庭の中に持ち込まず、二人の間ではイレギュラーを良しとしていかないと、私たちの共同生活は難しい。

ASDと定型が上手くやっていくための話は、その話し合いの内容に焦点が行きがちだけれど、実はこういうそもそものシステム部分がかなり重要になってくるだろうなと思う。だって毎回、軽い気持ちで出た弱音のような一言が、仕事をやめるだとか、生きるか死ぬかの話にされたら、お互いの身が持たない。その対策として、夫が掃除やらスマホをいじって集中しすぎる神経を分散させて、私の求める深さに合わせる。私を窒息させないように、私は夫を浅瀬に連れ出し、無駄話をしすぎて疲れさせないようにしなければ、一緒には居られない。私が我慢をしないというのも、私たちにとってとても大事なことだったりする。
一般常識の態度や仕草に当てはめてしまうと色々誤解するので、お互いしっかり理由を理解し把握しておく事が大切だろうと思う。

私の今のところの理解としては、ASDは自分の脳の回転を相手に合わせてコントロールする事が自力ではほぼ不可能だから、他人と合わせなければいけないコミュニケーション等が難しいんだと解釈している。言葉が頭に入れば、問題→解決として自己完結してしまうASDは、相手の気持ちを汲めないのではなく、気持ちを汲むところに脳がフォーカスする隙がないのだ。それだと単純に、コミュニケーション欲求のある非ASDは不満足だということ。仕組みは至ってシンプルなんだけど、実生活で折り合いをつけるのは、お互いに容易ではない。

少しずつ理解したり、乗り越えた事を噛み砕いて文章にして、私もASDというニュータイプの思考回路を日々インプットして、これからも夫と仲良く暮らしていきたい。

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