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「あなた自身の人生を歩んでください」(母という呪縛 娘という牢獄/齊藤彩)
2018年に滋賀県で、医学部9浪の娘が母親を殺害し、バラバラにして遺棄するショッキングな事件が起きた。その娘・髙橋あかり(当時31歳)には懲役10年の判決が下った。現在も獄中にいる彼女を、元共同通信の記者が面会と文通を通じて取材し、まとめたルポ作品。
この著者、95年生まれと若く、これが初の著書らしいのだが、ぐいぐい引き込まれる構成で1日で読み切ってしまった。
内容についての所感は、なんとなく
ドライでサイコパス(おいしいごはんが食べられますように/高瀬隼子)
芥川賞受賞作。
タイトルからかもめ食堂的なほっこり系を想像していたら、いい意味で裏切られた。
主人公は、同じメーカーに勤務する3人のアラサー男女。
職場で器用に立ち回る男子・二谷とその彼女の芦川、そして芦川の後輩女子・押尾。
芦川は仕事ができず体力もなく、それをカバーするかのようにオフィスに手作りのお菓子を持参して振る舞う。
二谷は芦川と順調に交際を続けながら「いずれ結婚するかも」と本気で考え
固有名詞の鬱(この部屋から東京タワーは永遠に見えない/麻布競馬場)
Twitterの人気者、麻布競馬場(@63cities)の小説をまとめた本。
いつしか彼の短編小説がバズっていて、センスのある文章を書く人だなぁと感心してからというもの、しばらくフォローして見ていた。
ほとんどTwitterやnoteにアップ済の作品ばかりで、「地方から東京に出てきて、早慶を出て就職し、ちょっと無理してタワマンに住み、だけど何者にもなれなかったアラサーの悲しき俺/私」みたいな鬱
生産性の罠(限りある時間の使い方/オリバー・バークマン)
人生は4000週間しかない。効率化ツールや時短家電で生産性を上げれば幸福度は上がるかというと、そうではない。生産性は罠であるー
たまたま立て続けに読んだ『DIE WITH ZERO』に通じる内容も多かったが、こちらも名著だった。読んでよかった…。
お金と時間は常にトレードオフの関係にあるが、『DIE WITH ZERO』がお金に焦点をあてた作品なら、こちらは時間に焦点をあてた作品の印象。時間と
記憶の配当(DIE WITH ZERO/ビル・パーキンス)
人生でいちばん大切なのは、思い出をつくることだ。
だから自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまずお金を使おう。また、人生の充実度を高めるのは、”そのときどきに相応しい経験”である。限りある時間とお金をいつ、何に使うかを正しく判断したうえで、DIE WITH ZERO=死ぬときにちょうどお金を使い果たすことを目指そう。
という趣旨の本。
有り金を使いまくれ!ということではなく、アリと
自己愛の描写(ぼくにはこれしかなかった。/早坂大輔)
高卒で就職、営業マンとして朝から夜中まで死に物狂いで働き続け、会社でそれなりの地位を得たものの鬱になりかけ、40歳を過ぎて脱サラ。本当にやりたいことは何かと自問自答した結果、昔から好きだった本を広めることを仕事にしようと、盛岡で「BOOK NERD」という書店を立ち上げた著者の半自伝的な作品。
あ、村上春樹好きなんすね…と思わざるを得ない文体と、一人称「ぼく」、エッセイなのに「きみたちは〜だろう
普通じゃないけど(普通の主婦だった私が50歳で東大に合格した夢をかなえる勉強法/安政真弓)
タイトルのまま、50歳で東大に合格し、本当に入学した主婦の勉強ノウハウが書かれた本。受験に関係のない社会人にも役に立つ!と言われ手に取ったが、読み終わって「これは普通の主婦ではないと叩かれてるんじゃないか…?」と思いレビューを見てみたら、案の定そうだった。(本を売るために編集者が付けたタイトルだから仕方ない。私にはわかるぞ。)
まず著者は、現役時代に3回も東大京大を受け、二浪の末に早稲田大学を卒
私の不幸は私が決める(慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/森山至貴×能町みね子)
クィア・スタディーズの専門家・教授であり自身もゲイである森山氏と、以前ここに書いた『結婚の奴』の著者であり、トランス女性である能町氏の「性と身体をめぐるクィアな対話」をまとめた作品。
※クィアという言葉は、日本語でいうオカマ・変態に近い侮蔑語である。ただ、本来は侮蔑的に使われていた「変態」が、自虐的に使われることでメジャーになっていったように、ネガティブなニュアンスが取れた状態でじわじわと浸透し
言語の人格(語学の天才まで1億光年/高野秀行)
早稲田大学探検部出身の作家が、25の言語を学ぶに至る過程を記したノンフィクション。著者は言語オタクではなく、「コンゴの幻獣を探す」「アヘンケシ栽培をする」といった風変わりな目標を達成するための手段として、現地の言葉を学ぶ必要があったと主張する。(が、この本を読んだ人のほとんどは、彼を語学の変態と位置付けるのではなかろうか)
1980年代の若者の勢いを感じさせる冒険譚として、また、テキストはおろか文