「イトトンボの帰還」ー詩ー
母の兄は 少しいかつくて
ラガーマンだった
痩せていた 妹を
負ぶって
神田の 淡路坂を 一挙に
駆けのぼってみせた
よくふざけては そんな
酔狂をする人だった
M大で法律を学び
いずれは 裁判官になると
家族に 話すのが
つねだった
その人生が 否応なく
中断されたのが
戦争による 学徒出陣だ
雨の 降りしきる日
M大の正門前は
出陣学徒が スクラムを組み
校歌を 高らかに何度も 歌う
みんな全身 ずぶぬれだった
でも 歌声はますます広がり
見送る人たちのくちからも
歌が生まれた
母も 兄の出征姿を
蛇の目もささずに
じっと 祈るように
見守っていた
晩年 母はM大の校門の
前を通るたびに
立ち止まり
「兄さんは ここから
戦争に行ったんよぉ」と
話してくれた
兄からの 最後の 手紙は
広島の 呉から だった
口数の少なかった兄が
手紙の上では
珍しく 雄弁だった
「ご両親様 23年間 育てていただき
自分は 果報ものでございました。
この度、武運を得て、出陣することと
あいなりました。
必ずや ご両親を守る盾となります。
どうぞ いつまでもご息災にて
お暮しください。
澄子様 兄として もっといろいろなことを
お前に教えてやれずに、戦いに出向くことに
なった。 卑怯者といわれぬように存分に
戦ってみせる。
死んだら 夏にはちいさなイトトンボ
になって おまえを尋ねていくからな。
いじめないでくれよ。ご多幸を祈念する」
1940年(昭和20年)4月7日に
兄の乗船した戦艦ヤマトは
撃沈された。 生存者は多くいない
ほとんどが 艦とともに 海の
底で 眠るように 息をしている
毎年 お盆近くに なると
庭に 小さな イトトンボが
ふわふわと やってくるようになった
庭に置かれた 狸の置物の
頭にとまり じっと見ている
すでに頭に 白銀を載せた
母は 小さな皿に
鰹節をおいて トンボに
話しかける
兄さん かえってきて
くれたんね
今年は 蒼い洋服着とるね
「もうすぐ 私も そちらに
行けるから もう少し待っててね」
トンボは 長く細い羽根を
数回振るわせて 返事をしてくれる
この墨絵の 挿絵のような 光景は
毎年 続いているらしい
最後まで 読んでいただきありがとうございます。
これからも お心をなごますような詩を投稿して
まいりますので、スキ、コメント、フォローなどを
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