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【H】第二次プラザ合意で保護主義から世界を救え?—リチャード・クーの最新論説「トランプ・関税・為替レート:日米の選挙が伝えるメッセージ」の要約と感想

私はリチャード・クー氏の経済論が好きである。『追われる国の経済学』は、経済について思いを馳せる際によく参考にしている。

さて、そんなクー氏の最新論説が公開されていたので、要約して内容を紹介したうえで簡単に感想を述べたいと思う。

第1節で、要約の要約を行い、第2節で、少し詳しく内容を順番に紹介する。第3節で、私の簡単な感想を述べる。


1、「トランプ・関税・為替レート:日米の選挙が伝えるメッセージ」要約の要約

今年は選挙イヤーだったが、日本でもアメリカでも欧州でも与党が負けている。焦点は経済問題だ。日本とアメリカに関して言えば、それは与党がもっともらしいが正しくない経済理論に固執した結果である。

アメリカの場合は、民主党とそれを取り巻く主流派経済学者たちの奉ずる、自由貿易を無条件でよしとする理論だ。しかし、この理論に反して、貿易赤字が長引く場合には、そのことは国内の製造業が価格競争に負けて空洞化していることを意味する。それが労働者の実質賃金の上昇を抑え、高関税による保護主義を唱えるトランプを勝利させたのだ。

本来、貿易赤字ならドル安になり、国内産業の価格競争力が高まって貿易収支が均衡に向かうはずだ。しかし、80年代の資本移動の自由化以降、外国為替市場に証券投資家や投機家が参入して、高金利のドル資産を買って、ドル高を継続させた。それが貿易赤字を長期化させたのだ。

望ましいのは、第二次世界大戦にもつながった高関税による保護主義ではなく、ドル高の是正によるアメリカの製造業の価格競争力の復活である。だから、各国はドル高を協調的に是正する第二次プラザ合意の案でもってトランプと交渉し、保護主義から自由貿易を守るべきなのだ。

日本の場合、問題はとにかくデフレ脱却、すなわち、インフレ誘導が第一だとするアベノミクスだ。自民党は国民がインフレによる実質賃金の低下に苦しんでいる時に、インフレをアベノミクスの成果と誇ることで敗北したのだ。

現在の日本経済のボトルネックは労働供給の制約に移りつつあるので、国民民主党の主張する103万円の壁の引き上げは良い政策である。選挙の結果、この政策が脚光を浴びることになったのは望ましいことである。

2、より詳細な要約

クー氏の論説は選挙イヤーとされた今年の選挙結果に関するものだ。アメリカでも、EUでも、日本でも、株価は高く失業率も低いのにも関わらず、人々は経済について怒っているのだという。だからどこでも与党が負けたのだ。

2-1、アメリカの話―自由貿易の放棄か救出か

なぜ、株価も高いし、失業率も低いのに人々は経済に不満なのか?

ここで紹介されるデータは衝撃的だ。過去40年で株価は50倍になったのに、実質賃金の中央値は15%しか上がっていないのだ。なのに実質の家賃は2倍になっている。つまり、普通の人々の暮らしは苦しくなっているわけである。これでは人々が怒るのも無理はない。

さて、この原因とみなされるのは製造業の海外移転に象徴されるグローバリゼーションだ。これだけならよく聞く議論だが、クー氏は、日本やヨーロッパよりアメリカの社会分断がひどくなった理由として、ドル高の放置とその結果としての貿易赤字の放置を挙げる。

なぜ貿易赤字が問題なのか?貿易赤字は国外から買ったモノが国外に売ったモノより多いことを意味し、製造業と大いに関係がある。貿易赤字が多いとは、海外に売ったモノよりも海外から買ったモノが多いことを意味するからだ。それは製造業の空洞化の度合いを示す。クー氏によれば、「貿易赤字は社会の分断と選挙結果を分析するうえでより有益である」。

さて、貿易赤字がひどくなったのは、大幅な円高ドル安を達成したプラザ合意のあとに、もはやアメリカがドル高是正を考えなかったからだ。

だが、もっと根本的な問題はなぜドル高が続くかだ。貿易赤字が続けば、普通はドル安になる。たとえば日本の輸出業者が輸出でドルをたくさん稼ぎ、それを円に替えようとするのだから、ドル売り円買いでドル安に向かうはずなのだ。そうすると、今度はアメリカの国内産業が価格面で有利になって赤字が減り…と、為替相場によって貿易黒字も貿易赤字もあまり極端には続かないように調整されるはずなのである。

この調整が働かなくなったのは1980年以来、資本移動の自由化が進み、外国為替市場に輸出入業者以外が参入してきたからだ。すなわち、証券投資家や投機家であり、彼らが高金利のドル資産を買い続けたがゆえに、貿易赤字にも関わらずドル高が維持されたのだ。そのドル高をアメリカはプラザ合意を最後にして、それ以降はもはや是正しようとしなかったのである。

貿易赤字にも関わらず続くドル高、それによって継続する貿易赤字、それが示す製造業の空洞化と労働者の苦境。これが2016年のトランプ当選の背景である。というのも、当時のトランプの具体的な政策は、国内産業と労働者を保護するための保護主義な政策なものしかなかったからだ。

トランプ以降、共和党は保護主義に転換する。民主党もバイデン政権はトランプ関税を継続したのだが、なぜかバイデンとハリスは今回の選挙で貿易と産業復興の問題を避けていた。

その象徴が今夏に円が160円を超えた時のバイデンの反応だ。バイデンは「私たちの通貨、彼らの問題」といい、ドル高円安をまったく自分たちには問題ないものとみなした。このとき対するトランプはドル高を「大間違いだ」と牽制する発言をし、いわゆる令和のブラックマンデーに至る一過程となったのは記憶に新しいところだろう。

なぜ、こうなったのか。民主党の支持者たちはいわゆるエリートで、金融・メディア・アカデミアなど強いドルによって雇用を奪われたり賃金が下がったりしない人々なのだ。トランプに反対した16人のノーベル経済学賞受賞の経済学者なども、強いドルによって自らの産業が空洞化する痛みなど感じたことのないものばかりだろうと思われるのだ。こういったエリートたちへの反感がトランプを再び勝利させたのである。

こういった主流派経済学者たちは、自由貿易が国内で勝者と敗者を生み出すことは認めつつも、全体としては自由貿易は利益が勝ると説く。しかし、それは貿易収支が均衡ないし黒字の場合に限られる。貿易収支が赤字の時には国内の誰かの所得が奪われ続けているし、その奪われる方が得るものよりも多いことが示唆されるのである。

さて、そういうわけで自由貿易至上主義は間違っているのだが、その間違いを突いて勝利したトランプはというと、既存の秩序を壊すのは得意でも、新しい秩序を作るのは苦手そうである。それはこれまでの慣例を破って北朝鮮の金正恩と会いはしたものの、結局は決裂してしまった過程に見て取れる。

また、そもそも自由貿易自体が関税による保護貿易主義が結局は第二次世界大戦につながったという反省から採用されているものである。関税による保護主義への回帰は、その点で後退である。

むしろ、プラザ合意のようなドル安誘導の道を模索するべきなのだが、この経験が政治家や学者に忘れられているのだ。プラザ合意は保護主義から自由貿易を守るためにレーガンが採った政策なのである。

日本、イギリス、ユーロ圏、そして中国が協力して第二のプラザ合意を実現するべきである。それによってトランプと交渉して関税の引き上げを阻止するのだ。自由貿易を否定する関税保護主義か、プラザ合意的な為替操作により自由貿易を守るか、これが問題なのである。

2-2、日本の話―インフレ至上主義と日銀悪玉論の陥穽

日本の選挙結果に話を移す。日本では政権与党の自民党が敗北したが、敗北したのは自民党だけではなく、立憲民主党も大して票を伸ばせず、共産党や維新も票を減らした。

票を伸ばしたのは国民民主党とれいわ新選組であり、この二つは経済問題を中心に主張を展開したところに特徴がある。日本でも本当の争点は経済問題だったのだ。

さて、その経済問題とはインフレである。自民党はアベノミクスによるデフレ脱却を主張しており、人々がインフレによる実質賃金と生活レベルの低下に苦しんでいる今回の選挙でも、インフレを成果として誇ったのである。

そもそもデフレ脱却すなわちインフレ化に過度に焦点を合わせるアベノミクスそのものにも問題があった。過去の高度経済成長期には日本経済は強くインフレだったが、インフレだから経済が強かったのではない。需要が強いから経済が強くインフレも生じたのである。

また、アベノミクスが日銀にデフレの全責任を負わせた点も誤りであった。バランスシート不況やグローバル化というデフレ要因を見逃し、全てを日銀のせいにしたからこそ、金融緩和の異様な長期化を招き、それが今回の円安インフレにつながったのである。

ただ、今回の選挙で自民党が少数与党に転落し、国民民主との連携が不可避となったことはよいことである。というのも、国民民主が主張する103万円の壁の引き上げは労働供給のボトルネックをなくすことで、労働力不足の日本経済に大きな利益となりうるからである。税収減が問題とされているが、ボトルネック解消で経済が拡大するならば、その問題はさほど大きくないだろう。

3、簡単な感想—アメリカは再分配、日本は財務省悪玉論が必要だ

グローバリゼーション(製造業の海外移転、移民の流入)による先進国労働者の没落が先進国の社会分断を生み、反グローバリズムが勢いを増しているというのは、近年ではほぼ常識となりつつある認識であり、特に目新しくはない。

本稿の独自性は、その分断が特にアメリカで酷い理由を、プラザ合意以降のドル高放置に見出した点にあるだろう。ただ、いまの時点ならばいざ知らず、2016年のトランプ初当選の時を考えると、あの時はドル高だったのだろうかとも思う。あの頃は1ドル100円程度だった。あれでドル高だというなら、アメリカの製造業の衰退と労働者の苦境を改善するためには、もっとドル安でなければならないのだろうか。

そう考えると、結局、為替レートが幾分かドル安になるぐらいではどうしようもないのではという気もしてくる。先進国の雇用コストはどうしたってグローバリゼーション下では新興国に太刀打ちできないのだ。極論、為替レートの調整で新興国に対抗しようと思えば、先進国の購買力が新興国並みになるほどの調整が必要となるだろう。それでは本末転倒ではないか。

とすると、クー氏の批判する関税による保護貿易主義の方がいいのか?それは貿易を停滞させて世界経済に打撃を与え、国際政治に緊張をもたらすというデメリットがある。さらに、為替レートの調整のような先進国の人々の購買力の減少が必要ない代わりに物価は上がるだろう。あまりいいようには思えない。

そういったことを考えるに、正しい対処はむしろ、為替レートの調整でも、関税でもなく、再分配の強化なのではないかという気もしてくるのだ。労働者の境遇の悪化が問題であるのなら、その労働者に対する再分配を強化すればいいのではないだろうか。アメリカではグローバリゼーションで莫大な利益を得ている主体も多いのだから。

これがなぜ受けいれられないのか?富裕層がグローバリゼーションで海外に逃げるからだろうか?それとも、やはりアメリカンドリームと裏表の自助の思想が強いからなのか?ただ、今後のAIやロボティクスの発達による生産性向上のなかで、いつまでも多くの人が労働で所得を稼ぐということは非現実的になってくるだろう。直近でいえば、自動運転の普及はかなりの雇用を削減するだろう。いつか、労働の倫理に関する転換の時が来るはずである。

日本についてのクー氏の考えはどうか。クー氏は、デフレ脱却至上主義(とにかくインフレにすれば良い)と日銀悪玉論を批判しているが、それに対するオルタナティブを提示しているわけではない。

クー氏は、インフレがそれ自体で良いというのはインフレのあった高度成長期への間違ったノスタルジーであって、むしろ、重要なのは供給が追いつけないほどの需要の強さであり、インフレはその結果に過ぎないと述べていると思われる。

とすれば、需要の創出こそが重要であり、金融政策が効かないなら、政府ができることは財政政策しかない。その怠慢が問題なのであり、とすれば、日銀悪玉論の代わりに財務省悪玉論が正しいことになろう。実際、クー氏は言及していないが、財務省悪玉論は、躍進した二つの政党、国民民主とれいわの共通の特徴でもある。もちろん、根本的には財務省を制御できなかった政治の怠慢ではあるにしてもだ。

クー氏は明確に述べていないが、ここで書かれていることからはそのような結論が導き出せるはずだ。これは広い意味で積極財政派の私としては、我が意えたりという結論である。

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