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暴力の国・日本

 サワディカップ! SRSの為にタイ語勉強中のとまよこ りゃんシーです。と言うのは嘘でこれしか知らん。

 さて前回の記事でインバウンドビジネスに関心があると書いたんですが、せっかく日本人なので、日本人ネイティブの僕が日本文化を紹介してみたいと思います。本当は英語で書きたいんですけどやっぱ英語できないから…w ここから先は日本人は読まなくて良いです。

 日本は太平洋に隣接した小さな島国です。熱すぎず寒すぎない穏やかな気候や海に囲まれ外敵が少なかった環境、大きすぎず小さすぎない国土や島が南北に長いことからくる生態系の多様性などにより独特な文化を築いているため、とても複雑な外交の歴史と理解に苦しむ文化があります。そんな謎な国、日本で生まれ育った僕が、日本について分かりやすく紹介してみたいと思います。


1、日本人の礼儀正しさに隠された「本音」

 僕は日本で生まれ育って、何度もこういった話を聞きました。「日本人は没個性的で統一的だ」一見それはロボットのように自我がないように聞こえますが、実際は真逆です。「没個性的な超個人主義」
 例えばアパートや団地など、日本の集合住宅を想像して下さい。外から見れば全て同じで面白味がないように見えます。しかしそのひとつひとつの部屋に入ると、とても個性的で他人が不可侵の世界なのです。つまり日本人は「外面」と「内面」で大きなギャップがある民族です。これには、島国と言うことが大きく関係しています。日本で生まれると、大抵は日本国外に出る事ができません。特に飛行機などがなかった時代、一人で舟を漕いで脱出するのは不可能でしょう。つまりずっと日本国内で生きていくことを余儀無くされます。そして国土の大部分が住みづらい山なので、人は否応なく平野で密集して暮らしていかなければなりません。大陸と比べると他人との距離が非常に近いのです。すると、必然的に諍いや争いが起きやすくなります。しかしいちいち諍いを起こしていると社会機能が故障してしまうので、友好的な関係を「装う」のです。そして個人が一人で夢想を重ねる事で、さまざまな芸術作品を紡いできました。
 日本の凄い所は、国民全てが一丸となって政府を抜きにして「共産主義国家」としての機能を果たしている部分にあります。そう、日本は表面的には共産主義国家です。しかし、日本人が本質的に共産主義的なのではなく、本質的には個人主義的である事に注意する必要があります。日本が共産主義を装っているのは、あくまで己の利益のためです。諍いを起こさないために嫌々「演じている」だけであり、日本人は皆このことに辟易しています。それは「義理(GIRI)」と言う概念で昔からアメリカでも知られています。日本でこれといった宗教が存在しないのも同じ理由です。日本人が最も恐れているのはこの「諍い」であり、その恐れがある限り日本人は信仰が無くても礼儀正しく誠実に振る舞い続けます。もちろんそれだけではなく、日本にも神を信仰する習慣はあります。しかしその場合の畏怖の対象はもっぱら「自然」、つまり地震などの災害に充てられます。しかし後者の問題は科学技術の発展と共に解決しました。かつては「侍」も恐怖の対象でしたが、第二次世界大戦で彼らは絶滅しました。ですから日本人は実は侍が好きではありません。今は「諍い」と「天災」(と、或いはヤクザ)、この2つが日本人の行動の柱となっているのです。
 日本の政治が上手く機能しない原因もここにあります。日本は共産主義国家を装う事で充分にnationとしての機能を果たしているのに、国民全員が民主主義国家としての税金を支払うことが義務付けられているわけです。そうすると、社会的保護が必要な底辺層~中級層の負担が大きくなってしまいます。共産主義的な「義理(GIRI)」を果たしながら、民主主義的な「税金」を支払うのはとても苦しく、そのために日本国民はいつでも税金を支払う事に否定的です。また、支払った税金が余ってしまい、政治家のポケットマネーになってしまっている事も多々あります。そして大多数の国民は基本的には政治の助けを必要としていません。このように、日本は助け合いと資本主義が混合していて、お互いに邪魔し合っています。これは西洋の文明を無理矢理日本文化に導入してしまった弊害です。もしあなたが労働者として日本に移住するつもりなら、僕は「今はやめた方が良い」と言います。
 日本人はとても優しく思いやりがあると言われていますがそれは間違いです。日本の自殺率の高さや幸福度の低さからも、日本人がただ優しいだけではないことが分かります。日本には「偽善(GIZEN,fake sincerity)」という言葉があります。これは「建前(TATEMAE)」よりも更に親切な人の事で、人に優しく振る舞う人のことを指しており、それはとても良い事として歓迎されています(しかし、彼らは決して「偽善は良い事だ」とは口にしませんが、ほとんどの日本人は偽善は良い事だと考えています)。また「陰湿(INSHITU)」と言う言葉もあります。これは公衆の前ではいい人だが2人きりになると隠れて悪意を見せるようなずるい人を指します。日本人は2人きりでどこにも記録の残らない状況にならないと悪意を見せません。また、日本では「羨ましい(I'm jealous)」と言う意味で「ずるい(You are sneaky)」と言います。この2つの意味はほとんど同じ意味として、時々混同されます。日本人を一言で表すと「陰湿」と言う言葉が似合います。また、日本では「秩序を守れない人間は人間と見なさなくてもよい」と言う深刻な迫害問題があります。複数の日本人からそのように思われるとその情報はたちまち共同体全体に伝わり、共同体全体がその人物を排除しようと「協力」します。そしてその人間は秘密裏に処理されます。罵られ、職を失い、生きていく事も許されません。隠れて直接危害を加えたり、仕事や食物を与えなかったり、ハラスメントを与え続ける事で自殺するように仕向けるのです。日本は多様化が進んできていてそういった人が増えていますが、まだまだ少数であり、不況も重なり仕事は見つかりません。もちろん、そういった人の為に現代では福祉制度が機能していますが、上手く福祉を受けられない人もいます。

2、日本の種族と多様性について

 僕は日本以外に住んだ事が無いのでこれがどの程度の違いなのか分かりませんが、シルクロードのターミナルでもあることから、日本は、一口に「日本人」と言っても実はけっこう混血しています。まず、日本の先住民について少し解説します。
 日本人には大きく分けて縄文人と弥生人がいます。縄文人は日本の先住民で、弥生人は紀元前4世紀ごろに大陸から渡ってきた人々ですので、現代の大陸の人間により近いと考えられます。弥生人は九州地方を中心に広がったので、簡単に分けると東日本と西日本で2つの民族が住むことになりました。気候の違いもあり、東日本人と西日本人はかなり違うと言われています。ただ、見た目に違いはあまり無い(正確には、弥生人は縄文人よりも顔が平たいと言われています)ので「racism」はありません。それよりも、秩序を守れるかどうかが彼らにとっての差別対象です。
 弥生人で代表的なのは「関西人」です。温暖で肥沃な土地に住む弥生人である関西人は頭の回転が速くおしゃべりで、他人との協調を好み陰湿な傾向があります。それに対し東北地方の特に山奥に住む縄文人は素朴で純粋でとても温厚です。「人が密集しているか」と言う事と「災害が多いか」そして「種族の違い」の3つによって、その地域の民族性が大きく異なるのが日本の特徴です。人が密集しておらず、災害も少ない地域の弥生人は、より大陸の人に近い価値観を持っている事でしょう。あなたの性格と県民性をよく照らし合わせてからの移住をお勧めします。

3、日本語について

 このような背景があり、日本語では主語を明言しません。例えば「私は」と発言してしまうと、それは利己的に思われてしまうからです。ですから主語を曖昧にする事で共同体全体を主語にしているように思わせるのです。他の部分も、諍いを防ぐ為にどんどんシンプルになっていきました。そして、直接的な表現を極限まで削ぐことで、ボリュームはシンプルに、しかし意味は深くなった日本語を使って想像して遊ぶのが一つの文化となっていきましたが、それはここでは深く紹介しません。一言で言えば、日本語は印象派芸術でもあると言う事です。しかし、考えてみて下さい。印象派の絵画だけで複雑な事をどうやって伝えればいいのでしょうか? その為に発展したのが「キーセンテンス」です。日本語で日本人とコミュニケーションを取る為には、日本語を覚えるだけではなく、暗号的な「使い方」を学ばなければならないのです。そのために日本では暗号のようにたくさんの「キーセンテンス」が存在し、それらを伝える事で自分の感情を共有する事が出来るようになったのです。日本の子供は遊びを通してその「キーセンテンス」を出来る限り多く覚えなければならず、そしてその中に含まれる「諍いを避けたい」と言うコンテクストまで理解して成長し、そこで初めて「日本人」の仲間として社会に受け入れられるのです。これは、西洋の教育を参考にして作られた「学校」の教育では教えないため、子供達は子供同士のやり取りの中でこれらを自然に身につける必要があります。話が逸れますが、日本では学校教育があまり重要視されません。「ガリ勉(GALIBEN,shortened GALIGALI BENKYO,literal translation is a "Hard learner")」と言う言葉は試験の成績を良くするためにコミュニティに適応する努力をせず勉強ばかりしている生徒のことを嘲笑する侮蔑語です。日本では知識や教養を身につける事は重要視されない傾向があります。そのため、「学力テスト」の点数や学歴は知識や教養ではなく、勉強せず頭の回転の速さやIQを示すものだと多くの日本人は考えています。
 さてそれではこれからは、この日本語について簡単に説明してみましょう。

①言葉の順番は考えなくて良い

 日本語の救いは、単語の順番を深く考えなくて良い所です。これは、ひとつの単語に含まれる意味が多いために、言葉の順番を変えても伝わるからです。そのために日本人は情報を「文章」ではなく「単語」で理解する傾向があります。日本人と会話する時に単語だけでやり取りするのが効果的なのもそれが理由です。

②「オノマトペ」を覚える

 シンプルな日本語の単語とは逆にたくさん数があるのがオノマトペだと言われています。日本語を学ぶ上でまずオノマトペの使い方を覚えると、日本語の伝達能力が上がります。例えば「てくてく(TEKUTEKU)」は歩く、「すたすた(STASTA)」は早歩きです。先程の「がりがり(GALIGALI)」は引っ掻く事を表し、転じて熱心にペンを走らせる(ペンで紙を引っ掻く)事も指します(同音異語として痩せている事も指しますが、イントネーションが違います)。助詞も必要ありませんし平仮名2文字を繰り返すだけですから、覚えるのも簡単です。

③動詞は主語と目的語を含む

 日本語は動詞の活用形がとても多いです。例えば「来る」は「カ行変格活用」と言われ未然形・連用形・終止形・連体形・已然形・命令形の順に「こ・き・くる・くる・くれ・こい」と5つ活用します。このような動詞の活用形は他にも大きく分けて「五段活用」「上一段活用」「下一段活用」「サ行変格活用」の5種類があります。そして「来る」の尊敬語(尊敬動詞)が「いらっしゃる」で、辞書形・過去形・丁寧現在形・丁寧過去形・可能形・テ形・命令形・意向形・〜えば形・使役・〜ちゃう形・〜ちまう形・連用形・〜なさい形・受け身形・〜たら形などさまざまな形で変形します。
 なぜ、こんなにも動詞の活用形が多いのかと言うと、動詞と、或いはオノマトペだけでほとんどの意味をカバーできるようになっているからです。「いらっしゃる」の主語は決して自分にはなりません。いらっしゃるの主語は必ず第三者であり、しかも尊重すべき相手です。このように、自分と相手で動詞が変わり、そこに尊敬や目的語などのメッセージを含むのが日本語の特徴です。この活用を覚えなければ、日本語を正しく使うことは出来ません。
 また、主語によって動詞が変わる場合もあります。「あげる」はgive、「もらう」は have gaveですが別の動詞を使います。また、「太る」は人が食べ過ぎて体重が増加する事を表しているので、「食べる」と言う動詞も主語も必要ありません。

④キーセンテンスを覚える

 次に先程紹介した幾つかのキーセンテンスを紹介している動画を紹介します。これは、スラングのようなもので、時代や年代などのコミュニティによっても変わります。

 「善処します」は「やりません」と言う意味、「行けたら行く」は「行きません」と言う意味、「私では力不足です」は「やりたくない」と言う意味、「あなたはきっと気に入らない」は「させたくない、あげたくない」という意味です。そしてあなたはさらに、このような言葉を文字通りの意味で使わない事に注意しなければなりません。あなたには言葉通りの意味だとしても、日本人は誤解し腹を立てる可能性があります。
 以上の事からも分かる通り、日本語では「謙虚な気持ち」を表現する事がとても難しいです。なぜならあなたが本当に謙虚な気持ちであるか、そうでないかに関わらず、謙虚に振る舞う事が必要だからです。「へりくだる(HELIKUDALU,means to be pretense humble)」と言う言葉があり、これは「謙虚に思っていなくても謙虚に振る舞う」と言う意味で、とても良い言葉として認識されています。そのためにかつての日本人は本当にリスペクトを表明する時は指を切ったり腹を切ったりする事で自分のhumbleを表明していたのです。ちなみに、「誠意を見せろ(Show me your "SEII")」と言われたら、誠実にしろ、嘘をつくなと言う意味ではなく、このように何かしらの犠牲を献上しろと言う意味になります(もちろん、現代では(女性を除いて)肉体である必要はありませんが、高価な贈り物や自分の人生そのものや時間である必要があります)。

最後に

 いかがでしたか? 日本と言う国は何も特別ではない、ただ狭いから「仕方なく(there is no other way)」優しくしているだけの普通の人間だという事が分かってもらえたでしょうか。日本には「空気を読む(KUUKI O YOMU,to keep a low profile)」と言う言葉があります。これが日本人の全てを表す言葉であり、「空気が読める人かどうか」が日本人にとって最も重要であり、日本に受け入れられるかどうかでもあります。「空気を読む」は、「相手を思いやる」という意味だと訳される事が多いですが、その通りの時もありますし、そうでない時もあります。正確には「共同体システムの崩壊を防ぐ」と言う事です。そこに善悪はありません。ただの「生存戦略」であり「戦略的同一性保持」です。
 日本は狭く、人が密集しているため暴動や内乱がとても起きやすいです。だから「侍」のような武力を使う人が台頭し、一番強い侍である「将軍」が長らく日本を治めていました。ちなみに、日本で男性の権力が強いのも力や暴力の価値が高いからです。日本史に詳しくない方の為に簡単に説明すると、日本では天皇が国を治めていたわけではなく、実際の統治は将軍が行っていました。天皇と侍の関係は昔からあまり良くありません。日本の平民は常に貴族(と天皇を信仰する人々)と侍の間の戦争に振り回されてきましたし、時代に応じてどちらにも従う必要がありました。そのような戦や災害が多い国だからこそ、助け合わなければ生きていけなかったのです。ですから日本人が一番憎んでいるのが「迷惑(MEIWAKU)」、生産を邪魔する人なのです。あなたが日本と言う狭い国で共同体として暮らすことを決めたのであれば、災害や争いに加担せず生産に力を注ぐために「空気を読む」人間となる必要があります。そして、今の日本の政治システムは先に書いた通りあまり効率的ではありません。税金を払っても十分に生活できるようになってから移住する事をお勧めします。
 最後に、日本人は移民を歓迎しています。但しそれは日本語やコンテクストを理解し、相手に迷惑を掛けない人に限ります。それさえ守れれば、人種に関係なく、空気の読めない自分の娘よりもずっとあなたを大切にすることでしょう。

 まあ大体こんなものだろうか。僕が感じた日本社会を説明してみた。
 しかしよく考えたらこれから大変な時代になるなと思う。南海トラフ地震とか北朝鮮ミサイルとか氷河期とか災害もあるけど、移民問題が大変だよな。弥生人の大移民に次ぐ歴史に残る大移民が始まるぞ。そうすると狭い国土の中でまた大量の内乱が起きて……。日本人かわいそうになってきた(笑)
 どうなんですかね。災害がある以上西洋のような個人主義には絶対なり得ないと思うけど、もっと翻訳技術が発達したり英語教育が進んだりして日本と世界の行き来が簡単になれば多少は個人主義的なものは進むだろうか。きっとそうだね。今その過渡期だから意見がぶつかるよね。憲法九条の問題とか。まあ「政府」がなくなるって事はもうさすがに絶対有り得ないんだから、西洋の社会システムを導入している以上西洋の思想で生きた方が得かも知れないな、この先も。

 それでは、とまよこ りゃんシーでした。

発達障害なりに色々考えて生きてます。応援していただけると嬉しいです。