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聖なる沈黙の10日間で心を浄化する、ヴィパッサナー瞑想【体験記】

誰ともしゃべらず、目も合わせず、デジタル機器にも一切触れず、10日間瞑想し続ける合宿へ行く。

知人からそう聞いたのは、昨年の12月末でした。

その瞑想法は、「ヴィパッサナー瞑想」と言うらしい。

それまでの私は瞑想をやったことはほとんどないし、「ただ目を閉じてじっと座っているなんて退屈すぎて無理」くらいに思っていました。でも、このときはなぜか「その合宿、行ってみたい!」と心が大きく動くのを感じました。

年が明け、今年に入ってから申し込みをしようとHPをチェックしたものの、どうやら人気なようで、すぐに満席になっていました。受付時間と同時に申し込みをしても、なんとキャンセル待ち。それでも数日後、「空きが出たから参加できます」と連絡をいただきました。

そうして私は、2023年3月29日から4月9日まで、京都の瞑想センター「ダンマバーヌ」での合宿に参加できることが決まりました。

10日間の合宿を終えて数日前に自宅に帰ってきた今は、まだ瞑想の余韻が残っているように思います。この体験を、どう言葉にしたら良いのか。「悟りが開けました!」なんてことはもちろんないし、「最高でした!」と表現するのも、なんだか違う。

それでも、もしこの記事を読むことでヴィパッサナー瞑想に興味を持ち、実際に体験する人が1人でもいるとしたら、私にとっては何よりの喜びだと感じます。簡単に言葉にできない10日間の体験、ここで感じたことを、この記事に綴っていきたいと思います。

そもそもヴィパッサナー瞑想って?

世の中に広まっている瞑想法は、大きく2つに分けることができます。一つはサマタ瞑想。もう一つがヴィパッサナー瞑想です。

サマタ瞑想は、一つの対象に意識を向けて集中する瞑想法。その対象は、深い呼吸や呪文、お経、音楽などです。多くの人が行っている瞑想法で、私が知っている瞑想のイメージもこれでした。

一方で、ヴィパッサナー瞑想は、集中するための特定の対象物はなく、ただ自分の体感覚を観察する瞑想法です。自分自身を観察することで心を浄化ししていきます。

修行を重ねるにつれて、自分の周囲で起こるものごとに対して心が乱されることはなくなり、どんな状況であっても平静さを保つことができるようになります。

京都の瞑想センター「ダンマバーヌ」の環境

ヴィパッサナー瞑想の合宿施設は、日本だと千葉と京都の2ヶ所があります。私が滞在したのは京都の瞑想センター「ダンマバーヌ」。

京都駅から電車やバスを乗り継いで1時間半ほどで到着します。

京都の瞑想センター「ダンマバーヌ」の入口

広い敷地の中に、食堂や瞑想ホール、宿泊棟、シャワー・トイレ棟などが建てられています。

1階部分は宿泊部屋、2階部分は瞑想ホール
左が食堂ホール、右奥は男性の宿泊スペース

合宿中は他者と会話したりジェスチャーを含むコミュニケーションは一切取ることができません。男女の接触も禁止されているため、瞑想スペースや生活で使うスペースはすべて分かれています。

建物の奥に広がっている中庭

滞在中に散歩ができるように広い中庭があります。ここでも男女が接触しないようにするため、散歩できるスペースが分けられています。

私はよく休み時間に中庭のベンチに座ってストレッチをしていました。

シャワー、トイレ、洗面のスペース

シャワーやトイレ、洗面台は一つの棟にまとまっています。シャワーを使用できる時間は朝昼晩で決まっていて、それぞれが好きなタイミングで利用します。

1ヶ所だけ湯船がついていましたが、人気がありいつも誰かが使っていたので私は基本的にシャワーのみで過ごしました。

宿泊する部屋

初めて参加する生徒は、複数人で使用する部屋に案内されます。私が滞在したのは6人部屋でした。隣のベットとの距離は割と近いのですが、合宿が始まったらもちろん一切会話はせず、自分1人で過ごしているように行動します。2回以上参加している方は個室の部屋を使うことができるようです。

自由に使える脱水機

洗濯機はありませんが、洗剤は用意されているので各自で手洗いして脱水機にかけ、干すことができます。

女性専用の洗濯物干しスペース

洗濯物を干すスペースや洗濯バサミ、ハンガーは十分でした。天気が分からないので雨が降り始めるといつやむか気になりますが、屋根がついているのでびしょ濡れになることはありません。

部屋干しは禁止されているので、基本的にはみんなここに洗濯物を干します。

どんな10日間を過ごすのか

瞑想修行をする10日間と前後1日ずつを含めて12日間を瞑想センター「ダンマバーヌ」で過ごします。

初日は夕方までに行き、受付で貴重品やスマホ、筆記用具、本などをすべて預けます。合宿中は、デジタル機器に触れることはもちろん、読書をしたり文字を書いたりすることもできません。

深い瞑想状態に入るため、人とのコミュニケーションも絶ちます。会話することの他、ジェスチャーやあいづち、筆談も禁止されています。まるで1人で修行をしているかのように10日間を過ごすのです。

スケジュールは最終日を除いて毎日同じです。基本的には瞑想している時間がほとんど。特別忙しかったり厳しかったりするわけではありませんが、時間はきちんと守ることが求められます。

ざっくりと紹介すると、以下のような感じです。

4:00 起床
4:30-6:30 瞑想(2h)
6:30-8:00 朝食、休憩
8:00-11:00 瞑想(3h)
11:00-13:00 昼食、休憩
13:00-17:00 瞑想(4h)
17:00-18:00 ティータイム、休憩
18:00-19:00 瞑想(1h)
19:00-20:30 講話
20:30-21:00 瞑想(0.5h)
21:30 就寝

1、2時間ごとに短い休憩はあるものの、毎日10時間半瞑想し続けるのは決して楽ではありませんでした。休憩時間に仮眠をとっていれば睡魔に襲われることはそこまでありませんでしたが、何よりつからったのは体の痛みです。

私はこの合宿に参加するまでほとんど瞑想をしたことがなかったので、座り続けることにも慣れていませんでした。どんな座り方だと体への負担が少ないのかもよく分からないままスタート。それでも周囲の方を観察して真似してみたり、いろいろと座り方を試してみたりする中で、徐々に負担の少ない座り方を習得していきました。

基本的に瞑想中はどんな座り方でもいいですし体勢を変えても良いのですが、なんと4日目からは「1時間、全く体を動かしてはいけない」という縛りのある瞑想時間が1日に3回もありました。

「体が痛くても反応せずにただ観察する」という、渇望や嫌悪に反応しないトレーニングのためです。1時間たったあとは、いつも体がバキバキと鳴る音が瞑想ホールに響いていました(笑)

最終日の10日目だけは、聖なる沈黙が解かれます。深い瞑想状態に入ったまま、急に日常に戻ったら刺激が強すぎるからです。沈黙が解かれると、みんなたくさんしゃべります。

ヴィパッサナー瞑想の指導者、ゴエンカ氏の教え

合宿では、毎晩1時間半ヴィパッサナー瞑想の指導者であるゴエンカ氏の講話の音声を聴くことができます。毎晩の講話によるインプットと瞑想の実践によって、ヴィパッサナー瞑想とは何かを少しずつ理解することができました。

(メモを取ることができないので、私の記憶を頼りに書くことにはなってしまうのですが、)講話の中で、“瞑想によって体感覚を観察することが、なぜ心の平静さにつながるのか”を説明してくれました。

私たち人間は、人生の中で起こる出来事に対して、ひたすら「反応」を繰り返してきたとゴエンカ氏は言います。あらゆる反応の中で、私たちを苦しめているのが「渇望」と「嫌悪」に対する反応です。「もっとほしい!」「あの人がムカつく!」などと感じる状態が、苦しみを生み出し続けてきたのです。この流れを断つ術を身につけるために行うのが、ヴィパッサナー瞑想です。

この世のすべてのものは、「生まれては消え」を繰り返していく。常に変化していて、永遠に存在し続けるものはありません。

あらゆるものは、素粒子でできているからです。素粒子は波にも粒にもなり、一瞬一瞬変化し続ける物質の最小単位。私たち人間の体や心も素粒子でできているので、今この瞬間も変化し続けています。

なので、渇望や嫌悪に対する反応を示すことなく、ただあるがままを観察していれば、それはいつか消えていき、苦しみが深くなることもありません。

瞑想中は、ひたすら自分の体の感覚に意識を向けます。体のどこかが痛かったりかゆかったりしても、「ああ、足が痛い。なんでこんなところに来たんだろう」「あれ、何も感じない。どうしよう。ちゃんと瞑想できていないのかも…」と考えるのは、反応しているということ。そうならないように、心の平静さを保ちながら、ただそのままを見続ける訓練を続けていきます。

10日間の瞑想の中で変化した自分の思考

私はたった10日間瞑想しただけなので、「これによってとても生きやすくなりました!」「反応することがなくなりました!」なんてことはもちろん言えません。きっと渇望することはあるだろうし、嫌悪感を抱くこともあると思います。

でも、瞑想をし続ける中で、徐々に自分の思考が変化していくのを感じました。1日目や2日目は、気になっている仕事や生活のことがあれこれと頭を巡っていました。

「あの仕事、もっとこうしたらよかったな…」
「あの決断は間違っていたかな…」

と、いろんな後悔が次々と頭に浮かんでくるのです。それでも「完全なる心の平静を保って瞑想しよう」と自分に言い聞かせ、ひたすら自分の体の感覚を観察し続けました。

すると、体の痛みを感じることはあっても、それが永遠に続くわけではないことを体感します。現に今この瞬間は瞑想をしていないですし、体の痛みはありません。自分の中に生まれた嫌悪は、永遠ではないのです。

渇望や嫌悪に反応することで、その苦しみはより一層深まることを、何となくですが体で感じるような気がしました。

心の浄化につながった“瞑想以外”の要素

ヴィパッサナー瞑想の修行で注目されるのは「瞑想そのもの」であるのは当然だと思いますが、私に影響を与えたのはそれだけではありませんでした。

ヴィパッサナー瞑想の思想の一つに、「愛と慈しみの心を大切にすること」があります。

合宿の参加費は無料で、参加の意志があって決まりを守れる人であれば誰でも参加することができます。宿泊費や食事代も支払う必要もありません。

一体なぜなのか?

これはヴィパッサナー瞑想の伝統によって守られてきたことで、運営に関わる費用はすべて寄付で賄われています。アシスタント指導者の先生やコースマネージャー、食事や掃除などのサポートをしてくれる方は、金銭的な報酬を受け取ることはありません。

「自分の奉仕によって、多くの人が恩恵を受けられますように」

そんな純粋な願いによって、このヴィパッサナー瞑想の合宿が長い間運営され続けているのです。

毎日美味しい食事が用意され、自分たちが使ったトイレやシャワー室はいつもきれいに掃除されている。困ったときにはコースマネージャーが助けてくれ、瞑想で分からないことがあるときはアシスタント指導者の先生が丁寧に助言をしてくれます。

1円も払っていない私に、自分の知識や経験、時間を惜しみなく提供してくれる人がいることに、ただ、ありがたい、という感謝の念が心の中でじんわりと広がっていくのを感じました。

私は、どれだけ自分のことばかりを考えて生きてきたのだろう?

自分はこんなに苦しい。
自分はこんなに頑張っている。
だからこれくらいもらうべきだ。

自分、自分、自分、自分………

自分を労わること。
自分に優しくすること。

それらはとても大切なことだと思います。でも、それと同時に、多くの人の恩恵によって自分の人生が満たされていることを忘れてはいけないのです。

ヴィパッサナー瞑想は、合宿に参加し、毎日瞑想を続けることだけでは本当の意味で自分のものにすることはできないと言います。

正しく瞑想を続けること。そして、奉仕すること。この2つが揃って、初めてヴィパッサナー瞑想の教えを体感することができます。

なんの見返りも求めずに、生きとし生けるものの幸せを願い、自分が提供できるものを惜しまないこと。それこそが、人生の苦しみを絶つための大切な要素なのかもしれません。

私がヴィパッサナー瞑想の合宿に参加した理由

冒頭に書いた通り、私がヴィパッサナー瞑想の合宿に参加したのは、ほとんど「直感」でした。

ただ、行きたいと思ったから。

これまで瞑想をしてきたわけでもなく、ヴィパッサナー瞑想の内容を知っていたわけでもないのに、なぜか強くそう思ったのでした。

「ヴィパッサナー瞑想の合宿に行ってくる」と周囲の人たちに伝えると、必ず聞かれたのが「なんで行こうと思ったの?」という質問でした。

その答えは「行きたいと思ったから」なのだけど、もう少し説明をするのであれば、「誰ともしゃべらず、瞑想だけをし続けたら10日後にどんな感覚になるのかが知りたかったから」でした。

合宿を終えた今、その問いに対しては「心の静寂さを感じている」と答えます。

10日間の人としゃべらず瞑想をし続ける中で、自分の中に渦巻いているさまざまな思考や感情が、時間をかけて外に出て行くのを感じました。人とコミュニケーションを取らず、何の情報も入ってこないので、思考や感情が刺激されることはありません。

そのような状態で何日も過ごし、瞑想を続けていくと、心の静寂さを感じるようになります。「ただ、ある」という感覚です。

あれがよかった。これが悪かった。気持ちいい。気持ち悪い。これをしたい。あれは嫌だ。などの思考や感情の波は消えていきます。

合宿を終えて自宅に戻り、数日経った今も、その静寂さは続いています。もちろんこの先の人生の中でさまざまな刺激を受ける場面には多く出くわすでしょう。そのときにも、常に心の平静さを保つことができているとしたら、私は「悟っている状態」と言えます。でも、当然そんなことはありません。

刺激を受けた感覚は、常に反応を繰り返していくと思います。そうだとしても、心の平静さを取り戻す術を教わったので、「またここに立ち帰ろう」という気持ちでいることができます。

ただの好奇心から参加したヴィパッサナー瞑想の合宿。今考えると、生活の中でのいろんな刺激に反応を繰り返し苦悩を感じている状態から、脱却したいときだったのかもしれないなと感じます。

ヴィパッサナー瞑想に興味がある方へ

もしあなたがヴィパッサナー瞑想に興味を持たれているなら、ご自身の心に正直に従ってみてください。人生の中で、今がそのタイミングだと感じるなら、それを無視する理由はないと思います。

ただ、ヴィパッサナー瞑想の合宿は、人との交流を広げることや休暇を楽しむこと、日常生活から逃避すること、病気を治すことなどを目的に参加するものではありません。もしそのような目的で参加を考えているのであれば、もう一度、ご自身の中で参加する理由を整理してみても良いかもしれません。

合宿への参加を希望する方は増えているようで、受付開始してからはすぐに満席になってしまいます。受付開始時間は事前に案内されているので、開始と同時に申し込みをすることをおすすめします。

日常生活の中で、12日間もの日程を空け、その間誰とも連絡が取れない環境に身を置くことは、多くの人にとって簡単なことではないと思います。そうだとしても、合宿に参加することで見える世界は大きく変わります。

今すぐにではなかったとしても、必要なタイミングで、必要な方に、ヴィパッサナー瞑想が届くことを願っています。


みなさんの全員が、この究極の真理を体験することができますように。

すべての人びとが、苦しみから解放されますように。

真の平安、真の調和、真の幸福を享受することができますように。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

日本ヴィパッサナー協会HP:ゴエンカ氏の講話より


音声配信でもヴィパッサナー瞑想の体験について話しました。


最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。