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父親の思い出 その5 NHK~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 父は昭和を駆け抜けた人でした。インターネットは知らず、最先端の情報機器はテレビでした。父はテレビ、ラジオ、本が大好きでした。

 今回はそのラジオとテレビの話し。
(昭和の家庭をちょと覗いてみて下さい。)

 父はNHKが大好きでした。
朝は、6時からFMラジオでクラシック音楽を毎日聴いていました。 

NHK FM「バロック音楽のたのしみ」

 目覚まし代わりに。朝は1時間弱家中にバロック音楽が流れていました。FMの試験放送時代から今日迄も番組名は変遷していますが、朝のクラシックは変わらず放送されています。父に限らず固定リスナーが沢山いるのでしょうね。

 朝食時は必ず7時のNHKけさのニュース。


 私は子供番組を見たいのですが、頑(かたく)なにニュースを視聴していました。
(私はニュースが終わったら、子供番組はそこそこに、学校に行くまでピアノの練習でした。(笑))

 これが良かった。

 私の頭に毎日ニュースを通じて教養が構成されて行きました。分からないながらニュースのシャワーを浴びていたので、悔しくて毎日一所懸命理解しょうとしていました。しかし、父からのニュースに関しての説明やコメントは皆無でした。唯一当時流行っていた学生運動に関して、
「こうはなるな」
と。珍しくコメントしたので強く印象に残っています。

 ですから後に駿台予備校で元東大闘争全学共闘会議代表という触れ込みに興味が湧き、山本(義隆)先生の物理の授業をおっかなびっくり受講するという未来が待っていました。

 その件(くだり)については、下掲を参考になさって下さい。

 朝のニュースもわからないなりに毎日視聴していると不思議なことにそれが軸になって、教養番組とバラエティーの2つのジャンルが頭に整理されて、それぞれを楽しめるようになりました。

 私との関わりは、この辺り迄で、それ以外は応接間兼書斎で、ゆったりと好みの番組を視聴したり読書を楽しんだりしていました。
 ベータマックスのビデオデッキを買ってからは、本と同様に興味の赴くままに録画予約をして楽しんでいました。本と同様にビデオテープの山が築かれたことは言うまでもありません。特にBBCのシェイクスピアを全編放送された時は、流石英文科という感じて、全て録画して何度も楽しんでいました。

 子供ながらに傍から見ていても、分かりやすい昭和の教養人といった生活でした。

 言葉少なですが、父は私の人生のリファレンスの一つでした。


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