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雑感記録(278)

【「詩的」であるということ】


先日、僕は詩にやはり何某かの希望があるのではないかと考えたという旨の内容の記録を残した。『現代日本の批評』に刺激を受け、僕自身も更新をしていかねばなるまいと、ある種初心に戻れた訳である。感謝してもしきれない。

それでここ数日、詩と言うものについて色々と考えているのだけれども、やはりどうも難しい。この記録にもある通り、「詩的言語」というよりも「私的言語」で描かれる訳であって、中々その本意というか、感覚というものが掴みにくい。そこが詩の醍醐味であると言ってしまえばそれまでなんだろうけれども、しかし様々な詩を読むとぶつかることが多い。

僕は最近の…と評定して良いものかは不明だが、吉増剛造の詩は好きである。この「好き」というのは単純に面白いということもある訳だが、言葉で「世界」を構築しつつ、その奥へ奥へとdigしているのである。僕はかつてジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』と吉増剛造の詩集『怪物君』を引き合いに出してあることないことを、のべつ幕無しに語った訳だが、吉増剛造の方が私的であることは間違いがない。

それで、僕は先程から「詩的言語」ではなく、「私的言語」だと書いている訳だが、そもそも「詩的」って何だろうな…と思えてきてしまっている。


日本国語大辞典によると、詩的というのは「詩のおもむきがあるさま。美的な快感をよびおこすさま。」というようにある。

何だか僕はここでもう既に詩の難しさにぶつかる。「詩のおもむきがあるさま」というのは酷く説明不足な気がする。勿論言葉自体が「詩的」となっているのだからニュアンスとして「○○っぽい」というものを孕むのは当然のことである。しかし、「詩っぽい」と言われて、果たしてそれが「詩っぽい」と評定することが容易に出来ることなのだろうか。

しばしば、と言っても僕は時たまカッコつける為に使うんだが「これにはポエジーを感じる」とか言ってしまうことがある。所謂「エモい」みたいな感覚で使用している感じがする。言葉は至極曖昧だ。だが、そういう部分に少なくとも救われている人だって居るのかもしれないなと柄にもないことを思ってみたりする。

そうすると、僕たちが「詩的」という時、それが「詩」であると思っていることである訳だ。例えば「この風景は詩的だ」とか「情景は詩的だ」とか…言い方や使い方は人によって様々だろうが、何かプラスのイメージを持った言葉であり、それが付くだけでどんなものも芸術化してしまう。そんな印象を僕は勝手に思っている。

だが、そもそも、何故「詩」と言うものがそういう所にまで浸透したのかということを考えなければならないと思う。もっと具体的に書こう。例えば何か美しい風景や出来事を眼にしたり体験したりしたとしよう。それを表現する時…じゃあ、夕日が水平線に沈む景色を見ているとしよう。この美しさを仮に伝えようとするとき「これは詩的だ」と言うか「これは小説的だ」と言うかで美しさも変化する。

これは僕個人の肌感だけれども、「詩的だ」と言う方がどこか神秘さみたいなものがあるように思うし、少しだけ厳かな感じがしなくもない。


さて、ここでも1つの疑問が湧く訳で、そもそもどうして「詩」が神秘さや美しさを孕んでいるのかということである。

こういう時に、色々と語れる何かがあれば良いのだけれども、生憎今の僕には詳細に語れる術はない。ここから書くことはあくまでも僕の推測の域を出ないし、事実の羅列になるかもしれない。もし、詩とはなんであるかということを知りたい場合には僕は個人的にだが吉増剛造『詩とは何か』、谷川俊太郎・大岡信『詩の誕生』、三好達治『詩を読む人のために』が良いだろう。あるいは萩原朔太郎『月に吠える』の「序」なんかが良いかもしれない。普通に読んでも面白いのでオススメである。

歴史的な観点からすれば、詩とは例えば『ギルガメシュ叙事詩』をはじめ、『イリアス』や『オデュッセイア』、あるいは『アエネーイス』や、『マハーバーラタ』などから始まった訳で、僕の印象としては「叙事詩」という表現があるようにあったことを詩として表現しているのだ。だが、実際僕は『イリアス』を読んだが、あれが詩だというのが実はあまりしっくり来ていない。

僕はそう考えると、アリストテレスが書いた『詩学』の影響は大きいんだなとふと思った。それが1つの、詩を語る上での定点になってしまっているのだから。「叙事詩」「抒情詩」「劇詩」みたいな構図で語られる。細かい分類については生憎、手元にないので書けない訳だが、しかし僕からすれば果たして「詩」と呼ぶべきかどうかは甚だ疑問が残るところではある。

ただ、ここで抑えておきたいことの重要な点は、そもそも、古代ギリシャに於いて「何かを創作する事」ということ自体を「ポイエーシス(poíēsis)」と表現する。そこからだんだんと「詩作」というような形に派生していき、現在の「詩(poem)」という様な流れになるということである。つまりは、「創作活動」そのものが「詩」の源流であると……言うのはあまりにも突飛な発言過ぎる訳だが、根底にはそういうものがある訳だ。

だが、これでは「詩」というものが神聖であるという所には繋がらない。それに僕は先程から散々と「詩的」は「私的」であるという部分にも些か接続できないのである訳で。もう少し考えてみる必要がある。


そもそも、先に挙げた『イリアス』や『オデュッセイア』あるいは『アエネーイス』や『マハーバーラタ』なども、目的としては口承での歴史を書き留めたものに過ぎない訳であり、あくまでそこに描かれるのは物語である。記録的な側面が多分にある訳だと僕は考えている。これがどう神聖なものに伝わるのかということについては、とりわけ日本の状況で考えてみると我々には身近に感じられるのではないか。

結論から言えば、それは日本には「和歌」という根深い文化がある。これが我々の生活に根深く存在しているからこそ、日本人にとっては「詩」というものがどことなく神聖さを持っているという様な印象を持つのではないかと思われるのである。だが、ここで注意したいのは、やはり日本の「和歌」を日本オリジナルの「詩」という風に捉えてしまうのは些か短絡的な物言いである。現在ではその「和歌」も大きく捉えて「詩」の1つと捉えてしまいがちだが、いずれにしろそこの認識も大きな影響を与えているのではないかと僕は勘繰っているということだけここに記しておくことにする。

日本の場合、「和歌」を捉えるのは非常に簡単な事である。それは僕等が日本に生きているからである。これは民族的な問題、幻想的な話にはなってしまうが僕等のDNAの中でそういうものがどこか底に沈んでいるのかもしれない。そういった感性的な部分。「これは"あはれ"だ」という様な感性と言うものはもしかしたら僕等のDNAとしてあるのかもしれない。まあ、ここら辺りについてはまた考えることにでもしよう。

いずれにしろ、日本では「和歌」というものが存在している訳である。

着目するのは、あまりにも、これまた短絡的な話だが、誰が「和歌」を担ったのかということについて抑える必要がある。だが、それはもう言わずもがな、天皇である。あるいは宮廷貴族である。彼らによって「和歌」は醸成されたという事実がある訳で、それを殊更大きく取り上げて書くことはしない。何故ならこれは周知のことだからである。

『万葉集』にしても、『古今和歌集』にしても、『新古今和歌集』にしても…。ある程度知識と教養の持てる貴族が中心であり、また歌会などもそういった貴族の中で流行ったものである。そもそも、「和歌」というのはある意味で天皇に献上する歌という意味合いもあるのではないかと僕は思う。だが、天皇が沢山「和歌」を詠んだからと言って、貴族が沢山「和歌」を詠んだからと言って、それが神聖さに直結するというの不思議である。

だが、『古事記』や『日本書紀』、僕は『古事記』の方が好きだが、そういった部分で天皇は日本を作り、神であるという部分から「和歌」というのはどことなく神聖さを持っているということを考えている。だが、これも言ってしまえば至極当たり前な話である。恐らく「和歌」を学んでいる人からすれば周知の事実であることは言うまでもないだろう。とかく、そういった神的な存在が「和歌」を詠むのだから、それは神聖さを持つには十分だろう。

しかし、これはあくまで「和歌」に限った話である。そこが「詩」に対してどう接続して行くというのだろうか。


僕が思うにだけれども、そもそも「詩」という概念が日本に入って来たのは明治期なのだろうと思う。

そもそも、日本に於ける「詩」という概念は漢詩なのだろうと思う。漢詩だって考えてみれば、古来より日本には存在していた訳だが、広く一般に学ばれるようになったのは江戸に入ってからではなかったか。だが、漢詩とは言え、ある程度の法則がある訳だ。高校までの知識しかない訳で、あまりそれについて書くことは出来ないが、五言絶句や七言律詩といった一定のフォーマットが決まっている。「和歌」もある意味ではそれの日本語版と言い換えてもいいのではないか。

『古今和歌集』に於いて紀貫之が様々な技法、例えば掛詞であったり、枕詞などのお作法的な部分を明確化した訳である。それも単純に考えるとするならば、漢詩のある種システマティックな部分を継承していると考えてもいいような…悪いような…。いずれにしろ、日本人にとって「詩」と言えばそれは漢詩のことを指している訳である。

ところが、明治期に入って西欧の文明や文化などが流入してくる。

仮に外国に向けて「和歌」を説明する時、「This is "WAKA”.」と説明することが出来るだろうか。これは僕の想像だが、「Japanese Poem」と紹介することしか出来ないのではなかったか。そうすると、外部の文化の流入によって「和歌」そのものというよりも、「詩」の一種、とりわけ漢詩のような「日本詩」という立場で説明されたのではなかろうかと僕は思っている。そう考えてみると、日本人にとって「和歌」という1つのアイデンティティみたいなものがどんどん横にスライドしてしまったような感じがしなくもない。

恐らく、明治期に外山正一や矢田部亮吉などによって出された『新体詩抄』というのも西欧の「詩」という中で、如何に日本的な「詩」を目指すかという流れの中で書かれたものなのだろうとも思う。つまりは、彼らにとっても「和歌」は「和歌」であって「詩」ではない。これこそが「日本の詩」であると表明するために書かれたものなのではなかろうかと僕は勝手に想像している。彼らは西欧の「詩」のスタイルに準拠した形で、日本の「和歌」と西欧の「詩」を区別したかったのではなかったかという、日本人のプライドを感じさせるのである。

それでも、やはり「和歌」の文化は先にも書いたがもはや日本人のDNAレヴェルで染みついてしまっているものであり、いくら『新体詩抄』と銘打ったところで、そんなものに敗けるはずもない。そういった西欧の文化の流入の中で「和歌」も「詩」の一部、それも西欧に対抗できる「詩」の一部として認識されてしまったのではなかろうかと僕は考えているのである。


とすると、「詩」がどこか神聖であるという認識が生まれるのも必然と言えば必然なのかもしれない。しかし、今まで書いたことはあくまで日本人にフォーカスしているというだけであって、外国の「詩」事情には一切触れていないということを考えると無意味な考えであるということは言うまでもない。

そんなことはさておき、いずれにしろ、日本の中でもそういった「詩」が存在するようになってきた訳だ。「詩」と「和歌」は異なる物であるという認識が西欧文化の流入によりどこか一色淡にされてしまったのではないか。その中で、新たに「日本の詩」として書き始めるからややこしくなってしまったというそんな印象を僕は持っている訳だ。

それで話は最初に戻りたい訳だが…。

まず以て、「詩的」とは何であるかということであるが、これは僕の中で「私的」であるということに変わりはない。特にだが、日本人はそもそも書き言葉と話し言葉を使い分けている人間だ。明治期の書物なんかは面白くて、これは小説の話になってしまう訳だが、所謂「言文一致体」の問題である。話し言葉と書き言葉の統一。これによって我々は言い方は些か悪いが、今までどこか日本に於ける高尚とされていた文学が開かれる。

そうすると、心情の吐露。つまりは内面の暴露みたいなものが容易くなり、より自身の心持やら何やらが表現しやすくなったということは言うまでもない。「詩」というのもそういう影響を多分に受けたのだろうと僕は思っていて、とりわけ小説は「世界」の構築に走って行ったが、「詩」は内面の吐露に移行して行ったのだと思うのだ。そういった「言文一致」については、何と!偶然にも!あの!柄谷行人が!『日本近代文学の起源』で書いているので、それを読んで貰うと良いだろう。

僕等が「これは詩的だ」というのは詰まるところ「これは私的だ」と同義なのではないかと僕は思っている。あくまで自身の内面に根深くある感覚なのだろうと僕は思っている。そしてそういった土壌にはやはりこういった背景があるのではないかとも思っているという、なんとも身も蓋もない話である。


それか「これは素敵だ」というのを「これは詩的だ」と言っておけば恰好が付くからなのかとバカみたいなことも考えてみたりしている。

とかく、「詩的」ということについて考えていきたいなと何となく思ったという話である。また、「詩的言語」ということを考えるにあたっては恐らく、ロシアフォルマリズムのことも差し当って考慮しなければなるまい。所謂ロシアアヴァンギャルドと言われた運動理論的な側面もある訳なのだから、そこにも注意を払わねばなるまい。

やはり、詩について考えるのは小説について考えるよりももしかしたら奥は深いのかもしれない…なんてな。

よしなに。


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