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あの若者達は今晩どこで眠るのか

 そのホテルにチェックインをした際に、「耳栓が御入用でしょうか?」と訊ねられた。時刻はかなり遅くなっており、非常に疲れてもいたが、その質問を受けた途端、ホテルを変更しようという衝動に駆られてしまった。

 戦後直後に建てられたためかなり古いホテルではあったが、その割には宿泊費は高額である印象を受けた。にも拘わらず、耳栓が必要になるほどの騒音が生じ得ると言う。

 二年半ぶりに宿泊する記念すべきホテルは、果たしてここで正解だったのであろうか。

 パンデミックが落ち着いてから最初に泊まるホテルは海外であるべきである、と決めていた。しかし、今回はドライブ行程の便宜上、スウェーデン国内となった。

 私は、そのホテルの所在するその町の名前をかつて聞いたことがなかった。その町の目抜き通りは、二分もあれば、徒歩にて北から南に抜けられてしまう、そのような規模の町であった。



 
 せめて最上階の部屋に変更してもらえるか交渉を試みようかと考えた。

 しかし近頃は、面倒な手続きあるいは交渉等に時間を費やすよりは、早々に諦めて前進する方が賢明だとも考えられるようにもなって来た。手続きに費やす時間そのものがコストなのであるから。

 とりあえず、あてがわれた五階の部屋に荷物を置きに上った。エレベーターはこの町で初めて設置されたものであるということであり、二人乗りではあったが外見は業務用に見えた。初動時からほぼ70年が経過している。

 部屋はリノベーションはされていたが壁紙の色彩は暗く、バスルームには、饐えたような匂いが心持ち漂っていた。



 


 
 夜の街を散策しようと、階段を下りてゆくと盛装をした若者達とすれ違った。より正確に描写をすると、廊下および階段の踊り場に、スーツ姿の男子学生と露出度の高いカクテルドレスをかろうじて纏った女学生の群れが立ちはだかっていた。私は彼らの真ん中を突き抜けながら階段を下りていった。

 すれ違った瞬間、彼らの体内に摂取された大量のアルコールと煙草の匂いが鼻に付いた。煙が苦手な私はかなり不機嫌な表情をしていたに違いない。

 タイミングの悪い日に都合の悪いホテルを予約してしまったものだ、再び後悔の念が頭を持ち上げた。

 この晩は、学生達が高校の卒業を祝うパーティーの日であったのだ。この時期、学生たちは、あらゆる方法にて卒業を祝う。

 トラックを借り切り、大音声の音楽をBGMに、荷台に立って踊りながら町を徘徊するという方法が主流である。この晩出会った学生達の場合は、このホテルのレストランとバーを借り切ってお祝いをしていたのであろう。


 ホテルを出た時、入り口付近にて、さらに濃厚な煙に燻された。そこにも数人の学生が屯っていたのだ。

 この町に立ち寄る日本人旅行者は果してどれほどいるのであろうか。この学生たちは日本人を見たことがあるのであろうか、などと呆然と考えながら煙の中を抜け、目抜き通りを歩き始めた。

 
 レストランが数軒、カジノが一軒、床屋、洋品店、おそらくエステ関係の店等を通り過ぎると目抜き通りは途切れた。私がスウェーデンに移住した当初に暮らしていた地方都市の目抜き通りも短かったが、それでもこの町の三倍の長さはあったであろう。


 

ここが何の店かは全く判別出来なかったか、肌寒い夕刻には物侘しい印象を与えたショーウィンドウであった


昨今、レトロ調の理髪店が流行っているが、このように競争の少ない小さい町でさえ、インテリアに拘っている点に称賛を述べたかった。一番奥の席は子供用の椅子であると理解出来る


 どこからか音楽が響いていた。

 私が時々聴いているスウェーデンの姉弟バンド、The knifeの曲であった。

 「私、貴方の弟が好きなの。そのことを伝えておいて」(この動画のバージョンでは何故か妹)

 私はその音の出どころを確認してみたかったため、その方角への音を辿った。






 音楽は、町の中心的なナイトクラブから響いて来ていた。ここにも、(おそらく)高校を卒業したばかりの学生達が屯っていた。

 その中の一人の青年が私の注意を引いた。

 その青年は、テーブルの上に立ちあがり、いきなりスーツのズボンを脱ぎはじめていた。彼は、私には背を向けていたので、正面からは何をしていたのかまでは判別出来なかったが、まわりの若者達は囃し立てていた。

 このようなシーンに出くわしたことはかつて無かったが、以前ネットにて印象に残った歴史的シーンが髣髴された。

 ロックグループ・ドアーズのヴォーカル、故ジム・モリソン氏の事件である。同氏が、1969年に行ったコンサートのステージ上にて裸になり、公然猥褻罪及び公然冒涜罪に問われた、という事件である。同氏の死後38年後に証拠不十分にて恩赦を受けたそうであるが、生きていれば今年は79歳になられていたはずである。

 果して、ナイトクラブで見掛けたこの青年もかなり泥酔していたのであろう。


 私はその場を離れ、街の反対側へ方向転換した。

 音楽は次第に、川のせせらぎに代替されつつあった。


 



 この景観を記憶に納めるためだけでも、夜の散歩に出掛けて来た甲斐があった。

 都市あるいは町が発展する土地の近くには、往々にして水路が重要な役割を担っていたことを改めて再認識させられる。

 

 ホテルの部屋の窓からあたりの景観を見下ろしてみる。

   


 
 地方都市、あるいは大都市の郊外の生活というものは平穏なものなのであろうか。

 残念ながらそうであるとは限らない。この小さな町でも最近、若者同士の暴力事件があり、保護者たちの自警団が夜間パトロールをすることになったと報道されていた。

 刺激が少ない土地にて若者達が求めるものは果して何か、想像にも難くない。

 この晩、高校卒業に因む饗宴は夜中過ぎまで続けられていたらしく、広場には大型アメリカ車が並んでいた。

 結局のところ、

 その晩、耳栓が必要になるほどの騒音に悩まされることはなかった。

 次の朝、朝食ブッフェレストランに下りて行くのは多少気が重かった。酒と煙草の匂いを漂わせる若者達と席を並べて朝食を取る羽目になると危惧したからである。





 予測に反して、席を立つ時になっても、昨晩騒いでいた学生たちはレストランに姿を現さなかった。まだ眠っていたのか、あるいは、もともと、このホテルには泊まって居なかったのか、それは今でも不明である。

 公衆の面前にてズボンを下ろしていた青年は、泥酔し過ぎてトラブルに遭ったりはしなかったであろうか。

 その晩彼らがどこで眠ったにせよ、饗宴は終わった。彼らの高校生活も終わった。彼らは夏休みの間は思い切り羽目を外すかもしれない。

 しかし、夏が終わったら彼らは人生の新しい一歩を踏み出さなければならない。

 この小さい町で育った彼らはこれからどこへ行くのであろうか。

 この町で知り合った人と結婚して、定年を迎えるまでこの町の役所等にて勤め上げるのか。教師あるいは看護師になって地域に貢献してゆくのか。大都会あるいは海外に出て自分の実力を試そうとするのであろうか。世界各地で暮らしたあとに、結局、故郷を偲び再びこの町に戻る人もいるであろう。

 国会およびEUにてかなり知名度の高い女性政治家がこの町の出身であるということを最近知り、些か意外な印象を抱いた。

   

 

 この町にて宿泊したホテルは、今回の旅行で泊まったホテルの中では、一番歴史が古く、老朽化が進んでいる部分もあったはずではあったが、インテリアには一番気を遣っているようであった。おもてなしの点では合格であったということかもしれない。


 将来的にこの町を再訪する理由はおそらくない。

 あの晩私は、せせらぎが一層響く水門の正面に佇み、この小さな町の青年達の現在と未来に想いを馳せていた。その静穏なせせらぎは、ある情景を追懐させた。

 数年間に訪れた香川県琴平町、金倉の川沿いにて、その対岸の昭和風情漂う旧新地を臨みながら、似たような心情に陥ったことだ。


今回も長文になってしまいましたがお付き合い頂き有難う御座いました。

最近は世界の将来を憂慮させるニュースが連日報道されております。

そのように心痛な状況の中でも多くの方々がSDGsを高唱されており、個人レベルでも世の中を少しでも明るくしてゆくことに情熱を燃やされていらっしゃる方々が多く存在します。

こちらnoteにても、多くのそのような方々と知り合う機会があり、その方々の惜しまぬ努力とクリエイティビティに感服しております。その中でも、今回は以下の方々を紹介させて頂きたいと思います(順不同)。


アロハデザインさん

世界各国、日本各地の多くの方々から提供していただいた玉稿を、美しい写真と共にレイアウトされ、それに英文の翻訳文まで付けて無償のウェブマガジンとして発行されている木ノ下さん。空港のラウンジ、旅の途中などでゆっくりと捲ってみたいマガジンです。三周年記念おめでとうございます。お疲れさまでした。


これでも母さん、

辛い経験をされていらっしゃる方々に、「一人で頑張らなくていいからね」、といつも温かい言葉を掛けて下さっているこれでも母さん。この活動以外にも多くの企画でnote世界を賑わせて下さっている方です。


これでも母さん、一奥さん、みこちゃん、ゼロの紙さん、洋介さん、その他多くの方々が協力、共筆された心の文集、「THE NEW COOL NOTER 第3回10月 「始まる世界」部門: みんなの珠玉の記念文集有志文集」。皆様の甚大なる努力のお陰で発行の運びとなりましたね。本当におめでとうございます。お疲れさまでした。

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