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【警鐘】英語学習の終点はどこか?TOEICなどの試験の点数を追い求めたら負のループ入り必至

小学校から強制的に始まる英語の学習。
それは、苦しいのに一緒に居続けないといけないDV夫のような存在。

こんにちは、語学の裏設定のゆうです。今日は、「英語学習の終点はどこなのか?」について小学生の英検から順を追って駆け上がって見ていきましょう。

自らの意思で学んでいるというより、強制させられた結果今まで仕方なく英語学習とおつきあいしていませんか?

結婚に例えてみると、

・自由恋愛の結果の結婚のようでもなく、
・お見合い結婚のようでもなく、
政略結婚のような無理やり感が漂っています。

たとえ政略結婚でも、相手が思いのほか良い人だったらそれはそれで満足することでしょうが、大部分の人は不満足な一生を送ることになります。


英語も同じです。


無理やり押し付けられた英語が、たまたま相性が良かったという幸運な人は今ごろ、素敵な英語ライフを送っていることでしょう。

しかしそれは少数派だと思います。


半分以上の人は、英語学習がある生活は悲惨なはずです。
DV夫という表現がピッタリなことでしょう。

おまけに、逃げようにも逃げられない。
学校や社会に強制させれてしまっているから。

いつになったら、開放されるの?
DVは違法。言葉の暴力は有罪判決が出る。
でも学びたくない言葉の学習を押し付けることは違法じゃない。

このように、ありったけの理不尽な設定で学ばされる英語はどこが終点なのでしょう?

・試験や検定を取り続けても英語学習に終点は来ない
・押し付けられた駒を捨てる
・押し付けられた駒を幸せの種に変える

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1.試験や検定で紐解く英語学習の終点

英語の試験はどこまで取得すれば、英語の学習から開放されたと言えるのか?

それを小学生が最初に直面する英検辺りから順に駆け上がっていこうと思います。

結論から言えば、試験・検定ベースで評価すると地獄を見ます。難易度MAXの検定にたどり着けるのはほんの一握りの人たちだけで、残りの人は詰むこと間違いなし...でしょう。


  ・英検[5級~1級]

最も簡単な英語から、最も難しい英語まで全てをカバーしています。5級は中学英語の初歩の初歩で、1級は英語の達人でも合格率は10%程度だと言われるくらい難しい。

それゆえ、ほとんどの英語上級者には英検1級が英語学習の頂点に思えてしまいます。

しかし、上には上があり、あとで紹介するGMATや国連英検という試験を突破しなくては試験ベースで考える「英語マスター」は到底できたとは言えないでしょう。


   ・入試問題&センター試験

今後英語に縁がないであろうと言う人でも、ここまでは大部分が強制的につきあわされます。

高校3年生まで、、ということで年数にして12年間。

簡単に想像できるように、センターで満点が英語がマスターしたとは言えません。

なら、TOEICで満点を取れば良いのでしょうか?


  ・TOEIC

センター試験で英語の勉強とは一生関わらない!と決めていた人でも、日本社会で生きていくためにはTOEICが必要だったりするので、気づいたら英語の勉強を再開しているという状況に陥っていたり。

昇進にも響くし、給料額にも響く。「陥っている」と書いたのは、

仕事で英語に構っている時間がないのに、学生時代よりも限られた時間と体力の中で英語を学ばないといけないからです。


英語のおかげで毎日が楽しくなるどころか、苦しくなっている。英語楽しい!と口では言っていながらも、実は心の中では苦しんでいる場合が多いのでは?

そんなわけで、私がTOEICに対して持っている印象は、「泣きたい顔の上に無理やりスマイルマークを書かされている状況」です。

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まさにDV。しかもDVのあと慰めてくる型のたちの悪いDV夫。



普段英語を教えている私が、英語の教育に反対しても良いのか??

と聞かれたら、堂々と良いと答えます。私の中では英語は「贅沢品」という位置づけなので、全員に強制させるものではないと考えています。贅沢品は欲しい人だけ手に入れたら良いのではないか、と。

少し本筋からそれましたが、

社会的に成功したい→昇進したい→TOEICで良い点数を取る

という構図が日本に有るので、英語が嫌いな人はさっさといい点数を取って、英語学習から離脱するのが精神衛生に良いと思います。

DVヅラのTOEICからは慰謝料 (点数) 取って離婚!


そうだ!そうしたい、という方のために、以前「英語学習を終わらせる勉強術」について記事にしました。興味のある方は合わせてお読みください。


  ・TOEFL / IETLS

TOEICとは2文字違いの試験ですが、難易度には雲泥の差があります。

TOEICの満点はTOEFLでの7割に及びません。

なぜこんなに難しいかと言うと、留学や移民したい人向けの試験だからです。例えば、大学留学・大学院留学の足切り点として使われたりします。

この試験で上位の成績がが取れる人は、確かに英語力は高いです。

しかしまだ終着点ではないのです。

大学も、大学院も、入ったら卒業する。卒業したら新たな人生のチャプターが始まる。移民も同じ。永住権を得たら、新しい人生のチャプターが始まる。TOEFL・IETLSの終着点ですら、英語ライフの通過点ですので、この2つの試験は英語の学習の終点とは到底言えないことでしょう。


  ・GMAT

たとえ試験の難易度が上がったとしても、やはり結果は同じです。

難易度はゲキムズのTOEFL・IETLSより更に鬼畜に。ネイティブですらまともな点数が獲れないことで有名な試験です。それもそのはず、GMATは一流大学院に入るための試験です。

GMAT保有者は今後英語で仕事をする機会が多いと思いますが、その分野のプロフェッショナルとして活躍するのであれば、英語の学習はまだまだ続くでしょうし、それなので、GMATレベルの試験の点数をとっても英語学習の終点にはなりえないことでしょう。


  ・国連英検特A級

合格率が10%を切り、7%に。

難易度が上がっても、ここまでの流れからして、特A級も英語の学習の終点にはならないと言えますよね。

同じく、取得してからもプロフェッショナルとして活躍し続けるので英語の学習は続けなければならない。

つまり、英語の試験ベースで英語学習の終点を考えると、そこには終点がないということだけが明らかになるだけです。

というわけで、国連英検特A級を目指すことがない一般の英語学習者はもっと別のところに英語学習の重きを置いたほうが良いと思うわけです。


2.自分の英語の人格が成熟するのを目指す

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早い話、英語の学習は弓道・剣道・柔道と同じです。

どれだけ級を獲ろうが、段位を獲ろうが、黒帯を獲ろうが、終わりなんてものはありません。

もし有るとすれば、人間として完成されること、この1点でしょう。

剣道の有段者が、万引で捕まっただなんて話を聞いたら、たとえ剣道5段であっても人間として終わっている、と思われるのがオチですから、段位という数字はただの飾りであることが分かります。


英語は道(ドウ)です。

剣道も最初は押し付けられることから始まるかもしれません。DVを超えるような、熾烈な指導を何年も耐え忍ぶことになるでしょう。

でも何年も、自分という人間を完成させるために奮闘している内に、剣道をやっていてよかったと思うようになってくる。

なぜなら自己の完成を目指しているから。


中学生の頃から思っていたことですが、私は1言語1人格だと思っています。

英語なら英語の人格が有るし、中国語なら中国語の人格が有る。

それぞれがその人の中で育ち、成熟することで、Higher self(より高い次元の自分)になれると思うし、そんな道(ドウ)の精神を英語学習の中に取り入れたら良いと思うのです。

この辺のより深い話は字数の関係から割愛しますが、

英語学習の目標と、自分磨きの目標が、同じ方向を向いた時、その人にとって初めて英語学習の終りとなる点が現れると思う次第です。



まとめ

・試験や検定を取り続けても英語学習に終点は来ない
→高難易度の試験の上を上り詰めても、その先があるから
・押し付けられた駒を捨てる
→英語が嫌いでTOEICをやらされてる人は、高得点(慰謝料)をとってから、英語と離婚するのも手
・押し付けられた駒を幸せの種に変える
→剣道のように、自己の完成を英語で目指してみる

英語学習の目標を、自分磨きの目標と重ねれば、自分磨きの終着点が英語学習の終着点になる。

PS

英語学習はあるレベルに到達することという視点で捉えるよりも、続けることに意味があるのかもしれません。その理由は、音読が幸福感につながるということがわかっているからでして、以前記事にまとめました。

なぜTOEICに苦しむ人が多いのか?思うに、英語産業の裏側がドロドロだからではないでしょうか。私はこのように考えています。


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