"I can't speak English."は相手を傷つける。日本語と英語の「できる」の違いとは?!
こんにちは、語学の裏設定のゆうです。今日は、英語ができないことを外国人に伝える時、"I can't speak English"と言うと知らぬ間に恥をかいている件についてです。
英語でダダダダダと話しかけられて、混乱のさなか苦し紛れに発した一言が
"I can't speak English."
だったということはありませんか?
実はこの一言が相手に不快な印象を与えてしまっているのですが、もっと怖いのはそうと気づかずに言ってしまっている点です。
"I can't speak English"と言われた相手は何を思うのでしょうか?大体の人は下のように思いますし、
“Well, you have just said you can't speak English in English.”
(今英語で英語ができない、と言ったよね)
ちょっと裏事情を明かしますと、日本人のこの「can」の使い方が、密かに英語ネイティブ同士の会話のネタにもなっていたりします。
日本語と英語では、「できる」に対する感覚がそもそも違うのです。
本記事を読むと、"I can't speak English"ではなく、"I don't speak English"と言うことで印象を180度好転させられる理由と、そこから見えてくる英会話の暗黙のルールが分かります。
1.日本語と英語の「できる」は違う
日本語のできるは漢字で書くと「出来る (いでくる)」、英語のできるは「can」ですよね。
それぞれの違いにスポットライトを当てると、日本語と英語の味が違うことに気づきます。
・「できる」は完成度が高い
「出来る」は「出て来る」が変化してできた言葉で、「出現する」とか「発生する」が意味の中心になっています。実際に、
・新しいビルができた
・宿題ができた
・子供ができた
・歌うことができる
そこに「実際に何かが完成した姿」が浮かびませんか?最後の歌う能力についても然りで、周りの人が認めるくらいある程度の水準で歌える姿浮かびませんか?
日本語で言う「できる」は、完成度が高いのです。
「できる」という言葉に現実が追いついていないと、「できる」と言ってはダメ。完璧主義を生んでしまうのです。
・完成度は不問。できる気がしたらOKな「Can」
英語はどうでしょうか?
Canが示すのは「潜在性」なので、「やろうと思い立った時にやれるだけのキャパがある」が意味の中心になります。ただし、根拠に欠ける無鉄砲な潜在能力値ではなく、ある程度の根拠が見込める場合に限ります。
意気込みレベル的には、「ガチればできるさ」程度なら「can」なのです。
言い換えると、「can」という言葉に現実が追いついていなくても良いのです。
Can you speak Japanese ?
(今その気になれば日本語を話せますか?)
それゆえに、下のような会話も成り立つのです。
Can you do this for me?
(もしやろうと思ってくれたら、やってくれますかね?)
Yes I can. But I don't do it.
(やろうと思ったらできるけど、しないよ。)
英語と日本語の「可能」に対する考え方には根本的な開きがありますが、なんとなく掴めたでしょうか?
2.Can'tではなくDon'tを使う
「Can」はやろうと思った時の潜在値。
「できる」は実際にできるかどうかの事実値。
ゆえに「Can't」は、やろうと思ってもできない。英単語も英文法も何も知らず、為す術がないような状態を指すのです。
ところが、"I can't speak English"という文は、一応英単語を使った文ですし、文法的にも正しい立派な文章です。
"I can't speak English"という文章が言える時点で、あなたの英語は既に「can」レベルに到達していると言えるのです。それゆえ、この表現は自己矛盾極まりなく、大変奇妙に見えてしまうのです。
そのようなCanの裏設定があるからこそ、英語圏の人からすれば、
「この人、なぜ英語で英語ができないって言っているの?」
と不思議がられるのです。
それだけではなく、思考が非常にネガティブな人なんだなとも思われてしまうので、人付き合いを避けられます。
ではどうするのでしょうか?
I don't speak English very well.
(実際問題、まだ英語をそこまで上手には扱えません)
という表現に変えるのです。
Can'tをDon'tに変えるだけで、相手があなたを見る表情が変わります。
友達作りが、ハードモードからイージーモードに変わります。
英語圏の人は基本的にポジティブな種族です。それゆえ、Can'tという負のオーラの源泉を取り去ることで、あなたの印象は格段に上がるのです。
ポジティブに話す。これが英会話の暗黙のルールです。
3.I don't speak Englishよりおしゃれな表現
すこし余裕が出てきたら下のような表現を使い、「とっつきやすい人」を演じてみましょう。
Can'tを避ければとりあえずの印象は確保できます。
I don't speak much English.
(あまり英語を話しません )
My English is not that good.
(私の英語はそこまでまだ上手じゃない)
I am not 100% fluent in English, but I am getting better.
(100%流暢ではないですが、良くなっていますよ)
3つめの表現は非常にポジティブなので、「この人なら英語を教えたい」と思わせることができるでしょう。
ちょっと長いですが、覚えればそこにかけた以上の成果が出ると思うので、余力のある人はちょっと練習してみてはいかがでしょうか。
4.実はCan you speak English ?は失礼
第一章にて、Can you speak English ?という失礼な文章をさりげなく出してみましたが、違和感を感じましたでしょうか?
この文が意図するのは「君にはそれだけの実力があるの?」ということで、「移民か何かなの?」と問うているような感覚です。
例えると、初対面の人に「日本語うまいですね」と言われるくらいムッとするフレーズなのです。
日本語ネイティブとして見てもらえていない、という人格否定にも近いような殺傷能力がCan you speak Englishにはあります。もちろん、正しくはDo you speak English?です。
人を喜ばせるのも一言、悲しませるのも一言、だなんて良く言われますが、デリケートな「Can」の内情を表すのにピッタリな言葉でしょう。
5.「できる」の国民性と「Can」の国民性
完璧主義を求めるハイスタンダードな日本語の「できる」か。
自信と一粒の根拠だけで、できると言ってしまう英語の「Can」か。
どちらの言語で普段考えるかによって、挑戦に対するとっつきやすさが変わってくると思います。
慎重さが求められるときは完璧主義の匂いが強い日本語思考で。いろいろ挑戦したい時は英語思考で。このような使い分けが、柔軟性の高い生き方に繋がるのではないでしょうか。
私のブログではたびたび、言語はツールだけではなく人格でもあると述べてきましたが、英語で考える英語人格、日本語で考える日本語人格、その適宜な使い分けが人生の総合満足度に寄与すると考えています。これについては今後も記事にしていきますね。
日本語が悪い。英語が良い。というどちらの言語が、より正義かという生き方ではなく、「どちらも違ってどちらも良いから、いいとこ取りをしよう」という考え方で生きていけれたら、日本語も英語も人生も楽しめると思います。
まとめ
英語でI can't speak Englishと答えてしまうのは、あからさまな嘘だと捉えられてしまいます。
ケーキ食べたよね?と聞かれ、口のクリームが付いているのに「食べてないよ」と言っているのと同じレベルです。
英語を話すときは英語に見合った態度が必要です。頭ごなしに否定するのではなく、「まだ完璧にはできないけど、このくらいならできる」という前向きな態度を示すことが重要なのです。
いかがでしたか?
あまり英語を重く受け止めすぎないようにしてみましょう。
たまには肩の力を抜いて話してみましょう。
英語を避けたいと思ったり、英語が怖いと思ったりするのは、完璧主義で、過剰に謙虚になりがちな日本人の国民性が大きいのではないでしょうか。
英語の「軽さ」を意識すれば英語でのコミュニケーションが、もっと楽しくなるはずです。