【noteを書くことはコーヒーを淹れることに近い】
今日は、今の時代に生きる私たちにとって
noteを書くということがどのような意味を持つのか
私が感じた事について綴ります。
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現代人を取り囲む圧倒的情報量
文明の発展により、生活様式は昔と比べて大きく変わってきました。
今ではインターネットが普及し、情報が溢れかえっている時代です。
こんな時代において、
「現代人の私たちの脳は、たった1日で中世の人が一生に出会うのと同じだけの刺激に晒されている」
らしいです。
…ん?ってなりましたよね。
突然言われると、すんなり理解出来ないと思います(笑)
もう一度言います。
「現代人の私たちの脳は、”たった1日”で中世の人が”一生”に出会うのと同じだけの刺激に晒されている」
たった1日だけで…?
中世の人たちが生まれて死ぬまでに受けていた刺激を、たった1日で…?
そうらしいです。とんでも無いですよね。
1日で何千という選択を脳内で繰り返すと言われている現代人の私たちは
当時の人たちより、受け取る情報量が圧倒的に多くなったということです。
それだけ現在は情報が溢れかえっている。
Instagramを開けば、見ず知らずの人が撮った写真を。
Twitterを開けば、何処の誰かも知らない人の呟きを。
YouTubeを開けば、世界中で作成された動画を。
そんな莫大な情報たちに飲み込まれているのが、私たち現代人と言うわけです。
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情報が溢れた世界ではオンリーワンになるのも難しい
私が子どもの頃、ある歌が大ヒットしました。
「No. 1にならなくてもいい、もともと特別なonly one」
自分らしくあれば良いという歌詞に多くの人が共感した、当時を象徴するような歌でした。
そして、それから本当に多様性が認められる時代へと突入します。
画一的な考え方では無く、色んな人がいると認める社会。
そして各個人も、真に求める人生を追求して良い社会。
インターネットの普及で個人が発信出来るようになったことで、その動きに拍車が掛かりました。
色んな生き方をしている人々の発信に感化され、「私も!俺も!」と挙って自分らしい生き方を追求する人が沢山出てきたと思います。
自分なりの「もともと特別なonly one」を模索し始めた人が万といると思います。
だから、最近ではこちらの著書が飛ぶように売れていると聞きます。
しかし、実際はどうですかね?
真の自分で存在出来ている人はどれくらいいるでしょうか?
本当に生きたいと思う人生を歩めている人はどれくらいいるでしょうか?
今取り組んでいることがたった一度の人生でやりたい事だと、心の底から信じている人はどれくらいいるでしょうか?
「もともと特別なonly one」でいられる人はどれくらいいるでしょうか?
この問いにハッキリとYESと答えられる人は、恐らくそれほど多くないと思います。
「隣の芝は青く見える」とはよく言ったものです。
これだけ情報が溢れた社会において、他の人の人生が輝かしく見えてしまい、自分のonly oneが分からなくなる。
隣の隣の隣の…世界中の庭が見えている現代において、自分の庭の芝のみに集中するのは非常に難しい。
そんな社会に私たちは生きていると、私は感じています。
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自分が淹れたコーヒーは世界に唯一無二の味
こんな大量の情報が溢れ、ある意味相対的な柵から抜け出せない世界において
自らで淹れるコーヒーと言うのは、極めて純粋な創造だと私は感じています。
つまり、数少ない「絶対的な自己表現」ということ。
あなたのonly oneの一部ということ。
何故なら、「同じ豆を同じ淹れ方で淹れたとしても味が異なる」から。
「自分が淹れたコーヒーは世界に唯一無二の味」なんです。
世界には数々の美味しいコーヒーがあります。
今ではコンビニでも十分美味しいコーヒーが手に入るようになりました。
それでも、自らで淹れるコーヒーとは一線を画している。
何故ならあなたが淹れたコーヒーを再現する事は他の誰にも出来ないから。
だからコーヒーを淹れる際、隣の芝なんて全く気にならないんです。
自分が出した味と向き合い、反省点を見つけ、またコーヒーを淹れる。
この純粋なPDCAサイクルは、この絡み合った世界において
等身大の自分と寄り添える数少ない機会だと感じています。
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noteもまた清らかなあなた自身
そしてnoteを書くこともまた、コーヒーを淹れるのと同様に
私たちにとって、純粋な創造なんだと思います。
つまり、あたなの中のonly oneが作り出してくれるもの。
あなたが書く文章はあなたにしか書けないから。
一度投稿してしまえば、その一つの記事も溢れ切った情報の一欠片になってしまうわけですが。
それでも、それを書いたあなたにとっては、極めて重要な軌跡になるのではないかと想像します。
つまりnoteは、
この複雑に絡み合った世界において、溢れ切った情報に埋れ自分を見失わないための、非常に有効な自己との対話の機会なんだと思います。
あなたのonly oneを揺らぐこと無く表現できる場なんだと思います。
だから、中にはnoteをパッタリと辞めてしまう人もいますが、
「隣の芝」は気にせず、あなた自身のonly oneを見失わないために
出来ればずっと続けたいものですね!
これからも皆さんのnoteが読めるのを楽しみにしています。
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