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家族のこととか

家庭の中でのコミュニケーションの取り方が、かなり子供に影響を与えてしまうんだなと思うと少し怖くなる。
私もまた家庭での人との関係性によって、うまく感情表現ができなくなっていたり自分の感情がわからなかったりするときがある。

私は親を恨んだりはあまりしていないつもりなんだけど、それでもやっぱり親と接する時には少しの不快感や不安感、いらだちを覚える時がある。
特に母親の方は悪気があったわけではないし、特に私が小さかった頃はしんどい環境にいて余裕がないのも尤もだった。そして何より私を愛していることは分かっているから、恨みの感情は湧いてこない。

小さい頃のなんとなくのイメージや、今も続く反射的に抱く不快感や不安感から考察できるのは、昔の自分も小さいなりに親の機嫌を見ていたんだろうなということ。
未だになんでそこで親がキレたり不機嫌になったりするのか分からないし、それをビビっていることがある。今まで気づいてなかったけど、親が同空間にいるときはずーーっとそれを横目に気にしていたし、だから気持ちがずっと張り詰めていた。これを十数年続けていた私はかなりのストレスを持ってたんじゃないかな。
多分関わっていた人が母親だけなら、ここまでじゃなかったかもしれないし、母親がくれた愛にももっと早く気付けたんじゃないかなと思う。ずっと緊張してイライラしていたから、父親より立場の弱い(ごめんね)母親には当ってしまうことも沢山あった。ごめんね。でも小さい子供は家の中での人の関係性を見て、安心したいから言うことを聞いておいたほうが良い人の機嫌を伺ったり、その人の言うことを正義だと思い込んだりする。

家にいて親が機嫌が悪いときはすぐわかったし、親の夫婦仲が悪かったので誰に対して苛立ってるのかも大体分かってた。
そんな感じでずっと張り詰めた中にいたので、外(学校など)でも同じような気の使い方をしていた気がする。それで家でのように被害を避けられたりしたら良いんだけど、とても悲しいことに、他所の子たちにとって私と同じようなコミュニケーションが主流になっているとは限らない。
だから私はどこでどんな気の使い方をするのが正解か分からなかったし、自分が周りより数テンポズレてしまっていることに段々気づき始め、その頃には周りもなんだかとっつきにくいのか空気の読めなさを感じたのか分からないけど、合わなくなっていった。
正直なところ、私にできたのは同級生に嫌われないよう出来る限り目立たず丁重に接しておくことだったし、またお勉強だけは多少できたので先生にも悪く見られないように愛想笑いを貼り付けておくことだった。今思い出しても胸が痛いな。ちょっと毒舌な友達は"私が媚を売っている・贔屓されている"というようなことを言っていたし、気持ちが悪いと思っていたに違いない。こんなことを書くのも私にとって傷口に塩になってる。自分で自分を擁護してばかりだけど、それでギリギリ自分の精神を保ってたんだと思うよ。

(この中学時代のちょい毒舌同級生と先日会ってきたばかりなので、それについても機会があればまた書きますね。)

少し長く書いたけど、私は親の機嫌が理解しがたい理由で悪い方に変わったりしてビクつきながら過ごしてて、まず親に安心して接することができなくなってしまっていた。(今も少しある)
そしてその不安感を起点としたコミュニケーションによって、家の外の子たちに本当の意味で馴染めず社会に対して不安感や敵意を抱くようになってしまった。
こんなことに今頃気づいたんだけど、今はもう自分がどんな感情を抱いているのか、どうやって人に思いを伝えればいいのかが分からなくなってしまっている。なにを考えたら正解なのか、どんな風に言ったら良いのかずっと考えてるときもある。

苦しんだらまた一歩
気づいたらまた一歩
納得できたらまた一歩
意識的であっても、なくても私自身挑戦をし続けているんだと思う。



1つ言えるのは、
まだ苦しいし私にとってはこんなに苦しい事があったんだけど
それでも母親の愛は伝わったし、それには安心できるから、本当に注いでくれた愛ってすごいなって思うよ。
世のお母さんを労ったり勇気づけようなんておこがましい気持ちで言うつもりはないですが、注いだ愛はいつかきっと伝わると思います。そしてそれがその子の1番しんどいときを救ってくれるんだと思います。ファンタジーなどではなく、かならず。
そして愛っていうのは受け取った側にとってはかけがえのない宝物なんだけど、一生懸命に頑張ってるお母さん方は壮大なことをしているつもり無く自然に注ぎ続けていたりしていると思うんです。

いつもありがとう(*˘︶˘*).。.:*♡


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