メタバースがもたらすもの
ただのプレイヤーで終わらせない
昨今、目まぐるしい勢いで、
メタバースなど仮想現実の技術が高まっています。
これによって、
場所の制約がなく様々な場所を旅行したり、
ゲームや音楽をより臨場感を持って楽しむことができるようになり、
私たちはより高度なエンタメを楽しむことができるようになります。
しかし、技術が進歩して、
より高度なエンタメを楽しめることにだけに焦点を当て、プレイヤーとして使うだけでは少々もったいないです。
メタバースから得られる大きな恩恵は別のところにあります。
今回は メタバースがもたらす私たちの認識の拡大について考察します。
この世は仮想現実
メタバースは、
コンピュータ上に世界を丸ごと作り出す。
というのを最終地点にしています。
新宿や渋谷がリアルに再現されている映像を見たことがある人もいるかもしれません。
現在はハードウェアの性能が足りず再現できていませんが、それも時間の問題のようです。
このような現状から考えて、
より臨場感のあるゲームを楽しめるようになることに期待する人がほとんどでしょう。
個人的に私もとても楽しみです。
しかし、それと一方で、
もう一つ持つべき視点を提案したいと思います。
それは、
この世界自体が 仮想現実であるという可能性です 。
私たちが生きる現代ですら、
コンピューター上に世界を丸ごと作り出すのが目と鼻の先にあるような状態です。
ということは、
私たちより進んだ文明が、
今私たちの存在する世界を作り出し、
私たちはその中のキャラクターの1人として存在しているのではないか?
という視点を持つことができます。
常識的には、
宇宙はビッグバンから生じた。
ということで納得している場合がほとんどです。
では、なぜビッグバンが起きたのでしょうか?
何かしらの意図が働いてビッグバンが生じていると考えるのが自然ですが、
その意図については深く考えないことが多いでしょう。
しかしメタバースのように、
発達した文明を持つ存在により、
ビッグバンが起こされたと考えると辻褄が合います。
ビッグバンとはコンピューターの電源を入れた瞬間なのです。
そして私たちはそのコンピューターが作るゲームの世界の住人なのです。
仮想現実をどう生きる?
普段、
ゲームやアニメや漫画で登場するキャラクターがその世界を作った存在のことを考えているか想像してみてください。
そして、私たちがそのキャラだとしたらどうでしょうか?
作者のことを考えることは、
認識の壁があり、ごく少数の人にしか超えられませんでした。
ブッダやキリスト、少数の学者などです。
しかし、現代の私達は、
当たり前にその壁を越えようとしています。
それは、ゲームやマンガやアニメ、
そしてメタバースなど、
自分の住む世界より低い次元の世界を作ることができたからです。
低い 次元を作ることによって、
自分が住む世界も、
より高次元のものによって作られたものかもしれないと疑うことができるのです。
世界はマトリョーシカのように、
入れ子になっているのではないかという発想です。
メタバースの発達により、
私たち自身が作り出した、
より低い次元に入り込んでエンタメを楽しむのも良いですが、
より高い次元に思いを馳せてみるのはいかがでしょうか?
より高い次元をリアルに認識することができるようになると、
今いる次元での出来事は思いのままに操れるようになります。
可能性の次元を俯瞰してみてより好ましいものを選択することができるのです。
それはまさに私たちがゲームを買う時に、
どれをプレイするか決めるようにです。
グランドセフトオートとどうぶつの森
は全く違う世界ですが、
どちらをプレイするも自由に選択できます。
私達の生きる世界も、
全く違う好きなものを選べるのです。
メタバースを楽しむ時、
単なるプレイヤーとしてだけでなく、
クリエイターの視点を持ちましょう。
自分が世界を作るなら、
どんな世界が良いか?
その認識を持った上でプレイを楽しみましょう。
するとメタバースを余すことなく楽しめることになります。
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