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神社はお願いする場所ではない

神社でご利益を求める


わたしたちは神社で、
「こうなりますように」
とお願い事をしてご利益をもらおうとしてしまいます。

縁結び、学業成就などの神社は多いですか、
これはご利益を貰いにくる人が多いため、
後付で設定されたものだと考えられます。

人の悩みの大半は、恋愛、仕事などある程度決まったものなので、
商品もそれに合わせると売れやすいという理屈です。

神社も経営がありますから、
ビジネスの論理で動くこともあるということでしょう。

ご利益を貰いに行く人が大半な一方、

神社はお願い事をする場所をする場所ではない。

という情報をどこかで見聞きしたこともあるかもしれません。

お願いをしないなら、神社は何をしに行く場所なのでしょうか?

神社は誓う場所


結論、
神社は、どんな自分として生きるか誓う場所

節目ごとの意図をし理想の自分でいることを、
自分に言い聞かせる場所。

ということです。
つまり、「自分はこう生きます。」と自分に宣言する場所です。

反対に、

現実は自分でつくっていますから、

「こうなりますように」

とお願いしてしまうと、

「自分は欠乏している」という言い聞かせをしてしまうことになります。
結果、望む現実は遠ざかってしまいます。


望む自分に近づくにしても、遠ざかるにしても神社はその速度を早めます。

自己宣言を行うに当たって、
未来のイメージする際には、頭の中をクリアにすると効果が高まります。

神社は自然豊かで、きれいに掃除されています。

都会にあるとしても、
どこか喧騒から隔絶された雰囲気があり、リラックスできます。

また、鳥居をくぐる、手を合わせる、礼をする。
などの儀式要素があるため、

誓いを立てるための精神の準備を、段階的にすることができ、
誓いを立てるのに適した環境(精神状態)を整えることができます。



神社の本殿には鏡があります。
私達が神社で手を合わせているのは、
鏡ということです。
(扉が開いていれば、見えるかもしれません。)

鏡は、「か が(我) み」といいます。
これは、神はどこか別の場所にいるのではなく、
自分の、最も意識レベルの高い部分(心の深い部分)
を神ということなのではないでしょうか。

普段の生活では、低いレベルの意識状態(我)にあることで神に気づけなくなっていて、
神を外側に求めてしまうのだと思います。

低い意識レベルというのは、自分と他者を分ける段階のことです。
これが我の正体だと考えることができます。

『パワーかフォースか』でいうところの、
プライド以下は他者との比較が元にあります。

神社は我より深い部分に目を向け、

どういう自分であることを決めるか。

それを誓う(意図する)場所なのだと思います。
より高いレベルでいることを誓うのです。

フォースの意識レベルから、パワーの意識レベルに移行すること。
そのものです。

パワーの意識レベルでいると物事がうまく運ぶことは「ニ種類のモチベーション」で書きました。

ぜひご一読くださいませ。

参考

『パワーかフォースか』

楽天

https://item.rakuten.co.jp/book/15496913/

Amazon


『願えば叶う エイブラハム22の教え』

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