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消雲堂綺談

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私は怪談奇談が好きで、身近な怪異を稚拙な文章にまとめております。
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2021年1月の記事一覧

土方と亀姫 参

土方と亀姫 参

「ふふふ、情けないのう。そなたらは京での戦いに負け、江戸に逃げ帰ったと思うや、甲州でも負けた。近藤を見殺しにし、その後も負け続け、この会津でも負け戦か。ほんに情けないのう」
土方は落ち着いていた。もしかすると猪苗代城の高橋権大夫の姫君かもしれないからだ。高橋は会津藩士で猪苗代城代をつとめていた。
「これは手厳しい。確かに負け戦続きで誠に情けのうござる。して、失礼とは思いまするが、高橋権大夫様の娘御

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土方と亀姫 弐

土方と亀姫 弐

「何者だっ!」斉藤が愛刀の鬼神丸国重を抜いて土方の前に出た。

鬼神丸国重は、摂州(現・大阪府池田市)の刀匠、池田鬼神丸不動国重が天和2年(1682)に作刀した業物で、刀長は2尺3寸1分(約67センチ)。

土方も和泉守兼定の鯉口を切って身構えた。和泉守兼定は、関(現・岐阜県関市)の刀匠兼定のことで、4代目以降は会津藩の祖、保科正之が会津に連れ帰り、お抱え鍛冶とした。土方の刀は11代目の会津兼定が

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土方と亀姫 壱

土方と亀姫 壱

東征軍に制圧された母成峠を脱出した斉藤一は猪苗代城に辿り着いた。城には先に土方歳三が着いていた。土方は母成峠に向う途中で東征軍の一部に攻撃され、そのまま猪苗代城まで逃げてきたのだった。斉藤は土方の表情をうかがいながら「これからどうされますか?」と聞いた。返事はなかった。土方は敗走の悔しさからか目が虚ろで呆けた表情をしていた。

「奴らは思いもしなかったところから来やがった」土方は斉藤の顔を見ずに呟

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「猪苗代湖」

「猪苗代湖」

高校時代の夏休み。福島県耶麻郡猪苗代町。

薄暗くなった夕方に猪苗代湖畔の砂浜を散歩していると、吐き気を催すほどの匂いが漂ってきた。魚でも死んで腐敗しているんだろう?と骨が見えるほどに腐った魚の死骸をイメージしながら、そのまま歩き続けると、背の高い葦原の中に黒くて大きな土盛りのようなモノが見えた。訝しながら近づいてみると、土盛りと見えたモノは大きな馬の死骸だった。大きな体の向こう側に首があるのか、

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上海くん

上海くん

僕が出版社で働いていたときのことだ。記者のなかにずば抜けた理解力と文章力を持ったIという男がいた。当時ほとんどが40歳以上のロートル社員の中にあって彼は20代後半だったから随分と若々しく見えた。

Iは石川県出身で、早稲田大学を卒業したあと五反田にある家電や電気関係に老舗新聞社であるD新聞に勤めた。D新聞社と言えば、業界では一流紙なのだが、彼はおべっかばかりの広告狙いの単純な仕事内容に飽きて、数年

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生死生命論「ニーチェに出逢う前」

生死生命論「ニーチェに出逢う前」

僕たちは、日々、会社や学校まで電車やバスに乗って通います.これが生死運命の全体像です.始発駅が誕生で到着駅が死です.簡単に書いてしまいますが、まあ我慢してください.人によって通勤通学時間は変わります.家の前が会社や学校の人もいるだろうし、3時間以上かけて通う人もいます.この所用時間が人生時間です.通勤通学場所が家の前の人は生まれてすぐに死ぬ.長い時間をかけて通う人は長生きということになります.

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脱皮

脱皮

朝、歯を磨いていると、鼻の穴がムズムズする。「鼻毛が伸びたか?」と思って鏡に顔を近づけて鼻腔を広げて覗き込む。

鼻毛が長く伸びている様子はないが、鼻の奥から何かが僕を覗いているような気がした。同時に何だかコリコリとした丸っこくて固い何かが鼻の穴を蠢いている。

ティッシュを一枚抜き出して鼻をかんでみる「ふんっ!」スカッとした空気が鼻の中で空を切って、ズキンと頭が痛む。2~3回繰り返してみてティッ

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死に逝く者「手紙」

死に逝く者「手紙」

以前勤めていた会社の元上司Mから送られた手紙を水道橋の神田川に捨てたことを思い出した。妻が乳がんの摘出手術をする前のことだった。手紙の主であるMは、僕が所属する業界新聞の副編集長だったが、大阪生まれなのに要領の悪い人で、定年過ぎまで長く会社に勤めた後に肺がんを患い、埼玉県にあるがん病院に長く入院した後、あっけなく死んでしまった。

そのMが肺がんで入院したと聞いたが僕は見舞いに行かなかった。当時、

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手塚治虫作品とトゥルーマンショー

手塚治虫作品とトゥルーマンショー

僕は2004年から約17年にわたって様々なSNS媒体に投稿していて、その数は数え切れないほどになっています。書けば書くほどに上手になるというのは僕には当てはまらないことでした。読み返してみると、これはもう酷いものです。なかには何を書こうとしているのかわからないものもたくさんあります。僕より小学生の文章の方が上手だと思います。ただ、自分で書くのも何ですが…その観点が面白いものもあるのです。以下の文章

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異相の人

異相の人

僕は2004年頃からブログを始めましたが、その後、節操なくいくつものブログサービスでブログを作り、数え切れないほどの文章を書きました。僕のブログ「消雲堂の安全対策」から転載。

尾州犬山(愛知県犬山市)の酒屋の話。

弘化4年(1847年)の春、ある日の深夜、酒屋に鼻の高い異相の人が現れて「酒をくれ」と言う。酒屋の主が酒を与えると、升でガブガブと飲み、あっという間に数石(1石は10斗、1斗は10升

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葉隠は奇談集成の書とみつけたり 弐

葉隠は奇談集成の書とみつけたり 弐

2.「乱心」

鍋島綱茂(肥前佐賀藩の3代目藩主)の時代のこと。

参勤交代で綱成は江戸にいた。応対、お使い、お供などを勤めた者の中で、西二右衛門、深江六左衛門、納富九郎左衛門、石井源左衛門などが優秀だった。なかでも二右衛門は馬術の名手として名を馳せていた。しかもなかなかの洒落者であり、馬に乗る際の着物に凝った。馬乗袴というのはこの二右衛門からはじまったものであるという。身分は部屋住みである。裏で

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葉隠とは奇談集成の書とみつけたり 壱

葉隠とは奇談集成の書とみつけたり 壱

「葉隠」は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というフレーズひとつから歪んだ勘違いで“右翼思想の書”と考えている方も多いと思います。また、武士をサラリーマンに見立てて葉隠を社員教育の書のように考えている方もいるでしょう。しかし、武士というのは一歩間違えば死を選ばなければならない“合理を求める明治維新とともに滅びてしまった職業”なのですから、お気楽な親米右翼思想やサラリーマンと一緒にしてはいけません

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皇女和宮

皇女和宮

山川菊栄さんの「覚書 幕末の水戸藩」に、こんな話がある。

明治42、3年頃、山川さんと一緒に女学校を卒業した友だちが結婚し、その新婚の家に来てほしいと誘われたので訪ねてみると、そこは芝増上寺の境内の中だった。彼女の夫の伯父さんが増上寺の住職をしていたのだった。

増上寺俯瞰図(増上寺の和宮さんのお墓もある「徳川将軍墓所」で、墓参りすると写真ハガキと一緒にいただけます。有料です)

友だちは境内の

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新撰組覚書「血筋」

新撰組覚書「血筋」

幕末の日本を悪い意味で揺るがせた水戸藩の藩主徳川斉昭は、正室・吉子女王(徳川慶喜の母)や側室・万里小路睦子(徳川昭武の母)ほかの女性に、男女合わせて37人もの子を産ませている。それが徳川慶喜、昭武、喜徳などである。

僕は、徳川幕府を崩壊に導いたのは、多数の過激テロリストを排出した水戸藩だと思っている。そのくせ明治維新が成功すると水戸藩の功績は無視されて薩長が権力を掌握してしまうのである。水戸藩は

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