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葉隠とは奇談集成の書とみつけたり 壱

「葉隠」は、「武士道とは死ぬことと見つけたり」というフレーズひとつから歪んだ勘違いで“右翼思想の書”と考えている方も多いと思います。また、武士をサラリーマンに見立てて葉隠を社員教育の書のように考えている方もいるでしょう。しかし、武士というのは一歩間違えば死を選ばなければならない“合理を求める明治維新とともに滅びてしまった職業”なのですから、お気楽な親米右翼思想やサラリーマンと一緒にしてはいけません。

そのように間違った捉えられ方をしている葉隠は、実は、武士道を貫こうという思いのもとに数々のエピソードを取り上げている…謂わば柳田国男風の民俗学的な奇談集成だと僕は思っているのです。これから少しずつ紹介してみたいと思います。

1.「人を嬲(なぶ)って、斬られ損」

徳久という者は人と変わったところがあり、抜けたように見える男だった。徳久が客を招いた際に”どじょうなます”を出したので、人々は徳久を「徳久殿のどじょうなます」と渾名して嘲笑した。

ある日、出仕のとき、心ない者が徳久を「どじょうなます」と言ってからかった。すると徳久は、からかった者を抜き打ちに斬り捨てててしまった。

詮議があり、家中では「殿中にて無思慮な行いをした徳久に切腹を命じられますように」という意見が多かったが、それを聞いた直茂(佐賀藩の藩祖 鍋島直茂)は、「からかわれて黙っている者は臆病者であり、殿中であるからといって無礼打ちの場所を選べるはずもない。人を嬲る方が愚かであり、斬られ損というものだ」と言ってお咎めなしとした。

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