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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(13)第3部 ストーリー設計の原則 重大局面、クライマックス、解決

投稿の間隔が空いてしまい、申し訳ありません。
『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十四回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第3部 ストーリー設計の原則
13 重大局面、クライマックス、解決

【重大局面】

人生最大最強の「敵対する力」と向き合って、欲求の対象を手に入れるために最後のアクションを起こそうと決断した主人公は、ジレンマに直面する。
(P367より引用)

主人公がここでおこなう選択によって、観客はその人物の本質、つまり究極の人柄を深く知ることになる。
重大局面のシーンは、ストーリーのいちばん重要な価値要素を示すものだ。
中核の価値要素がなんであるかがここまでに明確になっていなくても、主人公が重大局面を迎えてくだす決断によって、それが浮き彫りになる。
(P367より引用)

「契機事件」、「段階的な混乱」を経て進んできたストーリーの「三つ目の要素」が「重大局面」だと著者は述べています。
ここに至るまでにも主人公はストーリー内でさまざまな決断をしているはずですが、「重大局面」においては、何としても手にしたいものを得られるかどうかの分かれ目となる「究極の決断」を迫られます。


【重大局面の配置】

重大局面をどこに置くかは、クライマックスの長さによって決まる。
(P369より引用)

『テルマ&ルイーズ』では、重大局面のシーンで、主人公の女たちは投獄か死のどちらかを選ぶことになる。
ふたりは互いの顔を見つめて究極の決断をくだし、勇敢にも死を選択する。
そして、迷わず車をグランドキャニオンの谷へ向かって走らせる――まれにみる短いクライマックスだが、深淵に落ちていく車をスローモーションやストップモーションで映し、シーンを引き延ばしている。
(P369より引用)

一方、クライマックスがもっと長く、アクションにさらなる展開をともなうストーリーもある。
そうした作品では、最後から二番目の幕で究極の決断をくだし、最終幕にすべてをクライマックスとすることも可能だ。
カサブランカ』では、第二幕のクライマックスで(中略)両立しない善のジレンマに直面したリックは、イルザをラズロのもとに返してふたりをアメリカ行きの飛行機に乗せるという無死の決断をくだす。
イルザへの情熱を抑え込む選択であり、リックという人物の本質をよく示している。
第三幕は十五分に及ぶクライマックスであり、夫婦の脱出を助けるためのリックの驚くべき計画が明らかになる。
(P369~370より引用)

上記のどちらにもあてはまらない「重大局面」のシーンも存在する、と著者は述べています。
それは、契機事件の後にすぐ「究極の決断」が来る作品で、例としては『007』シリーズ
「ジェームズ・ボンドが、与えられた任務を受ける」というのが決断であり、その後は、アクションに継ぐアクションのクライマックスシーンが長く続きます。


【重大局面の設計】

究極の決断とクライマックスは、物語の最後に同一の場所でつづけて起こるのが一般的だが、究極の決断がある場所でおこなわれ、ストーリー・クライマックスがのちに別の場所で生じる作品も少なくない。
(P371より引用)

ある場所で重大局面が生じ、のちのに別の場所でクライマックスを迎える場合は、そのふたつのシーンがうまくつながり、時間と空間の矛盾がなく溶け合うようにしなくてはならない。
(P371より引用)

「究極の決断がある場所でおこなわれ、ストーリー・クライマックスがのちに別の場所で生じる作品」の例としては、『クレイマー・クレイマー』が挙げられています。

裁判で、元妻に息子の親権を奪われた主人公は、第三幕の冒頭、弁護士から「控訴をすれば勝ち目はある」と告げられます。
ですがそのためには、息子を証言台に立たせて、両親のどちらと暮らしたいかを選ばせなければなりません。
主人公は、そんなことをすれば息子の心に生涯消えない傷が残ると考え、苦悩の末、「それはできない」と答えます。
これが彼の「究極の決断」です。
クライマックスは別の場所、セントラル・パークで息子と散歩をするシーンです。
主人公は息子に、「もう一緒には暮らせない」と涙まじりに語ります。

究極の決断をする場面は動きが止まる。(P371より引用)

究極の決断は必須シーンだ。
しっかりスクリーンに映し、簡単に終わらせてはいけない。(中略)
ここまでで観客の感情は盛りあがっていて、それがあふれ出すのを重大局面のシーンが堰き止めている。
主人公が決断へ向かうのを、観客は身を乗り出して見守っている。
「どうするんだろう? どんな決断を?」
緊張がどんどん高まり、主人公が決断をくだすと、たまっていたエネルギーが噴き出してクライマックスへ至る。
(P371~372より引用)


【クライマックス】

ストーリー・クライマックスは、ストーリーを構成する四番目の部分である。
この最大の転換点は、かならずしも音や暴力に満ちている必要はない。
それよりも「意味」に満ちていることが大切だ。
もしわたしが世界じゅうの映画プロデューサーに電報を送るとしたら、それは「意味が感情を生みだす」という一行だ。
金でも、セックスでも、特殊効果でも、映画スターでも、贅を尽くした映像でもない。(P372~373より引用)

意味――価値要素がプラスからマイナスへ、あるいはマイナスからプラスへ、ときにアイロニーを帯びて大きく変化する。
これは絶対的かつ不可逆な転換だ。
この変化の持つ意味が観客の心を動かす。(P373より引用)

クライマックスという言葉からは、映像的に派手なシーンを思い浮かべる人もいると思いますが、そうとは限らないのだと著者は言います。

例えば『普通の人々』のクライマックスは、「夫と静かに話していた妻が、立ち上がり、荷物をまとめて出ていく」というシーンです。
映像的には決して「壮大なスペクタクル!」といった場面ではないですが、「家族の絆が失われ、決して元に戻ることはない」という価値要素の大きな転換が起きています。
それと同時に、妻の「家を出ていく」という行動には、「妻との関係に苦しんでいた息子が救われる」というプラスの面もあり、せつないアイロニーを帯びています。

ウィリアム・ゴールドマンは「どんなストーリーでも、結末を成功させるカギは、観客が望むものを予想しない形で与えることになる」と述べている。
非常に興味深い指針だ。(P374より引用)

アリストテレスによると、結末は「必然的かつ予想外」でなくてはならない。
必然的とは、契機事件が起こったときにはどんな展開も可能に思えるが、クライマックスで観客が物語を振り返るとき、この展開以外にはありえなかったと感じるという意味だ。
観客が登場人物とその世界を理解していれば、そのクライマックスは必然的で満足のいくものであるはずだ。
だが同時に、それは観客が予想もしなかった形で訪れなくてはならない。

観客は作品を観ている間に自然と「ハッピーエンドになりそうだな」「悲しい結末になりそうだな」といった予想を立てています。
その予想の通りにストーリーを終わらせることは難しくありません。
例えば登場人物を全員死なせてしまえば、ともかく「悲しい結末」にはなります。

ですが、それだけで観客が満足するわけではないと、ウィリアム・ゴールドマンも、アリストテレスも述べているのです。
ひと言でいえば「必然的かつ予想外」、言い換えるなら「説得力と満足感、それと同時に驚きがある結末」こそが観客を満足させるということなのでしょう。
当然書き手にとっては「とにかく悲しい結末」や「何はともあれハッピーエンド」を書くことよりもはるかに難易度が上がります。


【解決】

解決はクライマックスのあとに残った五番目の部分で、三つの使い方がある。
一番目は、物語の展開上、メインプロットのクライマックスの前、あるいはさなかにサブプロットのクライマックスを置くことができない場合、いちばん最後に持ってくるやり方だ。(P377より引用)

「解決」の三つの使い方のうち一番目として、著者は「サブプロットのクライマックスを『解決』としてストーリーの最後に配置する」という方法を挙げています。
ただしこの場合、メインプロットのクライマックスはすでに終わっているため、観客が「解決」のパートを蛇足だと感じる可能性があります。
この問題をうまく回避している作品として、著者は『あきれたあきれた大作戦』を紹介しています。

『あきれたあきれた大作戦』のメインプロットは、「CIA捜査官が無理やり歯科医を仲間に引き込み、国際金融システムの崩壊を狙う独裁者に立ち向かう」というもの。
このCIA捜査官の息子と、歯科医の娘とは婚約しており、「各々の息子と娘の結婚式」というサブプロットのクライマックスが、「解決」としてラストに配置されています。

二人の父親はメインプロットの問題を解決し、密かに大金をせしめて結婚式の会場に駆けつけます。
するとそこに、怒り心頭の様子の捜査官が現れます。
観客はここで、「二人は、大金を盗んだ罪で逮捕されるのでは?(メインプロットはまだ解決していなかったのでは?)」と考え、画面にひきつけられます。
ですが実は、捜査官が怒っているのは結婚式に招待されていなかったから。
二人の父親が捜査官を式場に招き入れることで、ストーリーは「完」となります。

このラストのひねりがなければ、「解決」のシーンは単なる「結婚式に集まった家族の幸せな姿」となっていたのでしょう。
ひねりが加えられたことで最後まで緊張が保たれ、観客の満足度はさらに上がったはずです。

二番目は、クライマックスの効果のひろがりを示すために解決のシーンを用いる手である。
社会へのひろがりを描いてストーリーを進展させる作品でも、クライマックスで姿を見せている主要登場人物だけかもしれない。
しかし、観客はクライマックスによって多くの脇役の人生が変わることを知っている。
そこで、観客の好奇心を満たすために、解決のシーンで登場人物をひとところに集め、カメラをまわしてその様子を映すのだ。(P378より引用)

登場人物たちがバースデーパーティーやピクニックをしているシーンで終わる作品や、イースターの卵探しゲームをするシーンが「解決」となる『マグノリアの花たち』などが、これに当たります。

このふたつがあてはまらなくても、観客への礼儀として、映画には解決の部分が必要である。
観客がクライマックスで心を動かされ、大笑いしたり、恐怖で固まったり、義憤に駆られたり、涙を拭ったりしているときに、いきなり画面を暗くして出演者や監督の名前を流すのは失礼だ。
タイトル・ロールは帰ってよいという合図であり、観客はさまざまな感情をかかえたまま、暗闇でぶつかったり、清涼飲料水でべとついた床に鍵を落としたりしながら、出口へ向かう。(P378より引用)

「解決」パートは、「観客に余韻を味わってもらう」という役目も果たすということです。


☆「第4部脚本の執筆 14敵対する力の原則」に続く

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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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