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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(9)第3部 ストーリー設計の原則 幕の設計

投稿の間隔が長く空いてしまい、申し訳ありません。
『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第十回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第3部 ストーリー設計の原則
9 幕の設計

【段階的な混乱】

前章では、ストーリー内のあらゆる出来事の発端となる「契機事件」に関して解説されています。
この「契機事件」に続く二段階目は「段階的な混乱」であると著者は言います。

設計の五要素の二段階目は「段階的な混乱」だ。
契機事件から最終幕の「重大局面/クライマックス」に至るまでのストーリー全体の主要部分を表す。
混乱とは、登場人物の人生に困難をもたらすことで、段階的な混乱とは徐々に強まっていく敵対する力に登場人物を直面させて、つぎつぎと葛藤を生み出し、一連の出来事のなかに引き返せない地点を何度か作ることである。
(P252より引用)

ストーリーにおいては、規模や質の劣化したアクションへ後退することは許されない。
ほかの結末を観客が思いつけないような最後のアクションへ向かって、段階的に突き進んでいかなくてはならない。
(P253より引用)

このレビューを読んでいる方の多くは、シド・フィールドの著作等を通して「三幕構成」に関する知識をお持ちなのではないかと思います。
三幕構成でいう「第二幕」が、「段階的な混乱」にあたります。

ベルトの上に贅肉が乗っかっている映画はたくさんある。
そのたるんだ腹の肉をつぶさに観察すると、そこが作者の洞察力と想像力がもたついている個所だとわかる。
ストーリーを進展させられず、事実上後退させている。
それは、第一幕で起こしたアクションより劣るものを、第二幕の中盤で登場人物に与えたからだ。(P254より引用)

「三幕構成」の原則に従えば、一幕、二幕、三幕の比率は「1:2:1」ということになります。
第二幕はストーリーの半分を占める部分であり、いわゆる”中だるみ”が起きやすい段階でもあります。
中だるみを避けるには、第二幕で起きる危機と、それに立ち向かっていく主人公のアクションを、段階的にレベルアップしなくてはならないわけです。

【葛藤の法則】

主人公が契機事件から足を踏み出すと、そこは葛藤の法則が支配する世界だ。
すなわち、「ストーリーにおいては、葛藤なしには何も進まない」
別の言い方をすえば、ストーリーテリングにとっての葛藤は、楽曲にとっての音と同じだ。
ストーリーも音楽も時間芸術であるが、いちばんむずかしいのは、鑑賞者の心をつかみ、途切れずに集中させて、最後まで時間の経過を感じさせないことだ。
音楽の場合、その効果は音がもたらす。
(中略)
ストーリーにとっての音は、葛藤である。
思考と感情が葛藤に引きつけられているかぎり、観客は時間を気にせずにストーリーを旅することができる。
そして映画が突然終わる。時計に目をやって、驚く。
しかし映画から葛藤が姿を消せば、観客の関心も消える。
目に楽しい映像や、口ずさみたくなるような美しい旋律があれば、しばらくは観客を引きつけておけるだろうが、葛藤の出番がないままだと、観客の目はスクリーンから離れる。(P255より引用)

「主人公の葛藤が弱いと、脚本は面白くならない」ということは、あらゆるシナリオ教室で語られ、あらゆる作劇術の本に書かれていると思います。
本書でも「ストーリーにおける葛藤は、音楽における音と同等だ」と述べられています。
ストーリーの途中で主人公の葛藤が消えることは、音楽が途中で無音になることと同じ、というわけです。

【複雑さと複合性】

これまで見てきたように、葛藤は三つのレベルの敵対する力から生じるが、用いるのはひとつでもふたつでも、あるいは三つすべてでもかまわない。
ストーリーを複雑にするだけなら、すべての葛藤をひとつのレベルにおさめればよい。(P258より引用)

葛藤の「三つのレベル」については、前章までで何度か触れられています。
「内的葛藤(登場人物の心の内に秘められた葛藤)」
「個人的葛藤(恋愛等、個人間の親密な関係における葛藤)」
「非個人的葛藤(社会制度や環境に対する葛藤)」
という三つのレベルの葛藤があると著者は述べており、各レベルに限定して「複雑なストーリー」を作った場合について、以下のように解説しています。

ホラー映画、「アクション/冒険」、笑劇では、主人公は非個人的葛藤のみに向き合う。
例えば、ジェームズ・ボンドには内的葛藤がなく、観客もボンドのさまざまな女たちたちとのロマンスを個人的葛藤などとは考えない――ただのお楽しみだ。(P258より引用)

複雑なストーリーで個人的な葛藤のみを扱うものは、メロドラマとして知られている。
ホームドラマとラブストーリーを自由な形で組み合わせ、登場人物はみな、ほかの登場人物と密接な関係にある。
たくさんの家族や友人や恋人たちが登場し、その全員に独自に居場所――居間、寝室、オフィス、ナイトクラブ、病院――がある。
(P259 より引用)

複雑なストーリーで内的葛藤のみを扱うものは、映画や演劇や旧来の小説には存在しない。
それは「意識の流れ」というジャンルの散文で、内面の思考と感情をそのままことばで表したものだ。(P259より引用)

自分の心の内でのみ起きている葛藤を言葉で表しただけでは、ストーリーにはならないということですね。

一方、複合性を具えたストーリーでは、人生の三つのレベルすべてにおいて登場人物が葛藤を持っていて、同時にである場合も少なくない。
ここ数十年の映画のなかでも際立って記憶に残る名場面である、『クレイマー、クレイマー』のフレンチトーストのシーンは、一見単純そうで実は複合的に書かれている。
この有名なシーンには、複合的な三つの価値がある。自信、父親に対する子の信頼と尊敬、家に残る資格だ。(P259より引用)

「『クレイマー、クレイマー』のフレンチトーストのシーン」とは、仕事一辺倒の主人公が、「息子と自分を置いて妻が家を出て行く」という事件に直面し、幼い息子のために朝食のフレンチトーストを作ろうとするという場面です。

主人公クレイマーは、息子の目の前でフレンチトースト作りに失敗することで、「家事など、たやすいこと」という傲慢な考えを打ち砕かれ、息子の信頼と尊敬を失い、敗北感にまみれながら「レストランへ行くぞ」と自宅を後にします。
未見の方は、ぜひご覧になってみてください。

【幕の設計】

交響曲が三楽章か四楽章、あるいはそれ以上の楽章で展開されるように、ストーリーも「幕」に分けられて語られる。
幕はストーリーの最大要素である。(P262より引用)

アリストテレスは『詩学』のなかで、ストーリーの規模――読んだり演じたりするのにかかる時間――と、そのストーリーを語るのに必要な主たる転換点の数には関連があると述べている。
作品が長いほど、大きな方向転換が多くなるということだ。
つまるところ、アリストテレスは「退屈させないでくれ。固い大理石の椅子に何時間もすわったまま、たいしたことは起こらないのに合唱隊の詠唱や哀歌ばかりを聴かされるのはまっぴらだ」と、丁重に頼んでいるわけだ。
(P262より引用)

私がシナリオ教室に通っていた頃、
「自分が描きたいのは、大きな葛藤や劇的な出来事ではなく、心が温かくなるような、ささやかなストーリー。そういう脚本があったって良いはずです」
と主張している女性がいました。
ですが、脚本家を目指すとなれば、まずはコンクール応募に向けて執筆するのが自然な流れであり、ほとんどのコンクールで求められるのは、1時間モノ、2時間モノの作品です。
その条件下で「大きな葛藤のない、ささやかなストーリー」を描くのは無理があります。
今、振り返ってみると、彼女は掌編小説やエッセイ的なもの書いた方が、自分の求める表現がしやすかったのだろうと思います。

ある程度の規模を持ったストーリー――長編映画、一時間物の連続ドラマ、長編劇、長編小説――であれば、少なくとも三幕は必要だ。
慣習として受け継がれてきたからそうなのではなく、これには重要な目的がある。
(中略)
観客を満足させるべく、人生の奥底や極限をさぐるストーリーを語るためには、重大な方向転換は二度では足りない。
設定や規模がどうであろうと、長編作品が結末に達するためには、最低でも三度の重大な方向転換が必要だ。(P263より引用)

巧みに語られてきたストーリーがもたつく場合、原因はここにある――脚本が長い第二幕の沼をもがきながら進んで、つまずいたからだ。
解決策として考えられるのはふたつ。サブプロットを加えるか、幕を増やすかだ。(P265より引用)

メインプロットと三つのサブプロットで、多ければ四人の主人公がいるかもしれないが、観客はその全員に共感でき、各サブプロットはそれぞれについての大きな疑問が配される。
四つのストーリーによって観客の興味と感情を引きつけ、つなぎ留め、増幅させるのだ。(P266より引用)

仮にサブプロットを三つ設けるならば……という前提で、「多ければ四人の主人公がいるかもしれない」と著者は述べていますが、メインプロットで殺人事件の謎を解こうと奔走している主人公が、捜査の過程で出会った人物と恋に落ち、その恋愛パートがサブプロットになる(=メインプロットとサブプロットの主人公が同じ)といった場合もあります。

すべての映画がサブプロットを必要としているわけではない。
『逃亡者』がその好例だ。
どのようにして第二幕の冗長さを解決しているのか。
答えは幕の数を増やすことだ。
三幕と言うのは最小の数でしかない。
中盤で大きな方向転換をさせる形でストーリーを組み立てる場合、脚本家は全体を四つの動きに分割し、どの幕も三十分から四十分以内におさまるようにする。(P266より引用)

『フォー・ウェディング』のような五幕構成、『レイダース・失われたアーク』のような七幕構成、『コックと泥棒、その妻と愛人』のような八幕構成もあり得る、と著者は言います。

しかし、五幕から八幕構成の映画はあくまで例外だ。
というのも、ある問題に対する特効薬が別の問題の原因ともなるからだ。
第一に、幕のクライマックスを増やすとクリシェを招く。
(中略)
第二に、幕を増やすと、クライマックスの衝撃が薄れて、くどくなる。
(中略)
大きいものは、中ぐらいや小さいものと比べるからこそ大きい。どのシーンでも金切り声が聞こえたら、何も聞こえないも同然だ。
(P268~269より引用)

クリシェという言葉も、前章までにも何度か出てきています。
「ありふれた表現」といった意味です。

【設計のバリエーション】

幕の設計のバリエーションに関して、著者はさまざまな実例を挙げながら解説をした上で、以下のようにまとめています。

幕全体の流れは、メインプロットの契機事件の配置によって決まる。
したがって、幕の構成にはさまざまなものがある。
メインプロットもサブプロットも、大きな方向転換の数と配置は脚本家が頭のなかで題材と格闘しつつ決めるのであり、その際には、主人公の性格と人数、敵対する力の出どころ、ジャンル、そして最終的には脚本家の個性と世界観に基づいて選択がおこなわれる。(P271より引用)

【見せかけの結末】

特にアクション物のジャンルでよく見られるが、終わりから二番目の幕のクライマックス、または最終幕の途中で、脚本家が「見せかけの結末」を用意することがある。
どうやら決着したらしくストーリーが終わったと観客が一瞬思うシーンのことだ。(P270より引用)

「E.T.は死んだ」と医師が宣告するシーンや、ターミネーターの体が燃え上がり、リースとサラが「倒した!」と喜び合うシーンなどが「見せかけの結末」です。
著者は、この「見せかけの結末」を使うのは例外だと述べています。

ほとんどの場合、見せかけの結末を使うのは適切ではない。
それよりむしろ、最後から二幕目のクライマックスで、「これからどうなる?」という大きな疑問が強調されるようにすべきだ。(P272より引用)

【幕のリズム】

繰り返しはストーリーの流れを損なうものだ。ストーリーを動かす力は価値要素の変化にかかっている。
たとえば、作中で最も強力なふたつのシーンは終わりの幕とその前の幕のクライマックスだ。
このふたつのシーンは、十分から十五分ほどしか離れていないことが多い。
だから、プラスまたはマイナスが連続するわけにはいかない。
主人公が欲求の対象を手にして、最終幕のストーリー・クライマックスがプラスで終わるなら、その前の幕のクライマックスはマイナスであるべきだ。
「すばらしい状況だった……それからさらにすばらしくなった!」というふうに、上昇型の展開から上昇型の結末へつなぐことはできない。
(P272~273より引用)

「価値要素」については、第二章で以下のように説明されています。

「ストーリーを動かす価値要素」とは、人間の行動に見られる数々の普遍的な性質のことであり、プラスからマイナスへ、あるいはマイナスからプラスへと目まぐるしく変化する。(P47より引用)

具体例としては、「生/死」、「愛/憎」、「自由/隷属」、「真実/嘘」、「勇気/臆病」、「忠誠/裏切り」、「知恵/愚鈍」などが挙げられます。
ストーリーの流れのなかで、これらがプラスからマイナスへ、マイナスからプラスへと変化していくわけですが、最後の二つのクライマックスにおいては、変化の方向が違っていなければならない(=プラス→マイナス、あるいはマイナス→プラスでなくてはならない)ということです。

【サブプロットとマルチプロット】

サブプロットはメインプロットほどには強調されず、費やされる時間も少ないが、問題の多い脚本を制作する価値のある映画へと高めるのはサブプロットである場合が多い。
たとえば『刑事ジョン・ブック 目撃者』に、大都市の刑事とアーミッシュの未亡人のラブストーリーのサブプロットがなければ、今一つ魅力を欠いたスリラーになっただろう。(P274より引用)

一方、マルチプロットの映画はメインプロットを用いず、サブプロットの規模のストーリーを数多く織り上げていく。(P274より引用)

メインプロットとサブプロットの関係、マルチプロットのさまざまなプロット同士の関係は、以下の四種類に分けられると著者は言います。

サブプロットはメインプロットの統括概念を否定するために利用でき、アイロニーによって映画を豊かなものにする。(P274より引用)

例えば、「愛は何よりも強い」という統括概念があるハッピーエンドのラブストーリーに、「お互い欲に駆られた恋人同士が、相手を裏切って破滅する」といったサブストーリーを加える、といったことです。
こうすることで、ご都合主義の甘いだけのストーリーになることを回避し、映画全体をより複雑で二面的なものにすることができます。

サブプロットはメインプロットの統括概念に共鳴させるために利用でき、そのテーマについての多様性を加えて映画を豊かなものにする。
(P275より引用)

例えば『真夏の夜の夢』で描かれるさまざまなラブストーリーはいずれもハッピーエンドを迎えますが、その終わり方は滑稽だったり、おごそかだったりと多様性に富んでいます。

メインプロットの契機事件を遅らせなくてはならない場合、ストーリーの冒頭に伏線のサブプロットを置く必要があるかもしれない。
(P276より引用)

『ロッキー』や『チャイナタウン』は、メインプロットの契機事件が起きるのは冒頭から30分経過したあたりで、冒頭の30分はサブプロットによって観客を主人公とその世界に親しませる構成になっています。

サブプロットはメインプロットを複雑にするために利用できる。
(P276より引用)

これが最も重要だと著者は言います。

つまり、敵対する力のさらなる源としてサブプロットを使うわけだ。
(中略)
法廷ドラマの『評決』では、フランク(ポール・ニューマン)が、被告側弁護士が送りこんだスパイのローラ(シャーロット・ランプリング)に恋をする。
こうしたサブプロットは登場人物に奥行きを与えるもので、メインプロットの緊張感や暴力に満ちたシーンから一転して、笑いやロマンスによる息抜きの効果を生み出す。
だが、いちばんの目的は、主人公の人生をさらに困難なものにすることだ。
(P277より引用)

サブプロットがメインプロットの統括概念と対立も共鳴もせず、メインプロットの契機事件の導入を助けもせず、メインプロットの複雑化もせず、ただ並走しているだけなら、ストーリーは単に分断されているだけで、サブプロットを使う意味はない。
観客は調和の美学を心得ていて、ストーリーのどの要素も、ほかのすべての要素と関係を築くからこそ存在することを知っている。
構造の面でもテーマの面でも、それらの関係に基づいてストーリーはひとつにまとまっている。
その関係を見いだせなければ、観客はストーリーから離脱した気持ちになり、みずから結びつけようとする。それがうまくいかなければ、混乱したまま画面をながめているしかない。(P278より引用)

さらに著者は、「小説では交わっていたメインプロットとサブプロットが、そのままの構造で映画化すると、交わらなくなる場合がある」と述べています。
「メインプロットとサブプロットの交わりが、主人公の頭のなかでのみ行われている場合」にこの問題が起きるというのです。

小説家は登場人物の頭のなかにはいって、内的葛藤を一人称や三人称で直接ことばで描写できる。
これは脚本家にはできない。
脚本は精神を物質化する技術だ。
脚本家は内的葛藤にまつわるものを視覚化する。
つまり、概念や感情を会話やナレーションの形で説明するのではなく、登場人物の選択や行動を目に見える形で表現して、内面の思考や想念を言語に頼らずに間接的に伝える。
だから、小説の内面世界はスクリーンに再現されないと何も伝わらない。(P279より引用)

小説内で主人公のが「頭のなかで考えたこと」を、そのまま映画のセリフにしたり、ナレーションにしたりしても、観客に伝わるわけではなく、「行動」として表現するのが重要だということです。

この目的で原作小説の構造を変えて映画化された作品として、著者は『蜘蛛女のキス』を挙げています。
原作小説では冒頭で「契機事件」が起きるのですが、映画版では、冒頭が単調になるリスクを取ってまで、「観客の共感を得ること」を優先し、「契機事件」の位置を変えています。

ペースか共感かというような両立しえない選択を迫られたとき、賢明な脚本家は肝要なものを残すためにストーリーを再設計する。
慣例を壊すのもねじ曲げるのも自由だが、それをおこなってよいのは、「より重要なものに置き替えるため」という目的があるときだけだ。
(P280より引用)

本書では、脚本執筆のさまざまなルールが解説されていますが、「これらは原則であって、公式ではない」ということも繰り返し語られています。
「ルールを守りさえすればよい」というものではなく、状況に応じて例外も存在するということです。
明確な目的がある場合には、原則をねじ曲げる場合もある、というわけです。

☆「第3部ストーリー設計の原則 10 シーンの設計」に続く

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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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