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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(8)第3部 ストーリー設計の原則 契機事件

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第九回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第3部 ストーリー設計の原則
8 契機事件

ストーリー設計には五つの要素がある。作中での最初の重要な出来事は、契機事件(インサイティング・インシデント)と呼ばれる。
これはそのあとに起こるあらゆる出来事の発端となり、ほかの四要素――段階的な混乱、重大局面、クライマックス、解決――を始動させるものだ。
(P219より引用)

この「契機事件」がストーリーにおいてどのような働きをするかを理解するために、まずは「契機事件が起こる物理的、社会的な世界」=「設定」について考える必要があると著者は述べています。

【ストーリーの世界】

独創的なストーリーを描くべく「設定」を組み立てていく際には、少なくとも以下の問いについて考えなくてはならない、と著者は言います。

登場人物はどうやって生計を立てているのか。

登場人物が働いているシーンがほとんど出て来ない作品だとしても、「この人物は通常、24時間をどのように過ごしているか」をイメージしていなくては、脚本家は登場人物の内面をつかみ取ることができません。
そのため、登場人物がどのように生計を立てているのかを考える必要があるわけです。

その世界の政治はどのようなものか。

著者が言わんとしているのは、登場人物の政治的思想が右寄りなのか、左寄りなのか?といったことではありません。
「この人物が生きる世界の権力構造を明確にする」ということです。
例えば、ある家庭を描くとするならば、その家で最も権力を握っているのは父か、母か? 親が不在の時は、誰に権力が移るのか?…といったことを考えるのが重要、というわけです。

その世界の約束事は何か。

私たちは食事や睡眠の取り方、休日の過ごし方等、あらゆる行為に「約束事」(いつもの習慣)を作っています。
同様に、登場人物もさまざまな「約束事」のなかで生きているはずです。

その世界では何に価値を見いだすのか。

登場人物にとって何がなにが善であり、何が悪であるか?
何を価値あるものと考えて生きているか?といったことも、想定しておくべき重要な要素です。

ジャンルは何か。またはどのジャンルを組み合わせたものか。

ジャンルに関しては、こちらの章で、詳しく解説されています。

登場人物たちの生い立ちはどのようなものだったか。

仮に、ストーリーの始まりの時点で登場人物が老人であったとしても、登場人物には「それ以前の人生」が存在しています。
「その人物が生まれてから、ストーリーが始まるまで」の生きざまを考える、ということです。

バックストーリーは何か。

ここで言う「バックストーリー」は、一つ上の問いかけにある「生い立ち」とは別のものです。
「登場人物の過去に起こった重要な出来事の一部であり、それを用いてストーリーを進展させていくもの」が、著者の言う「バックストーリー」です。

どんな人々を登場させるのか。

例えば、一つのストーリーの中に考え方が同じ人物が二人存在しているなら、二人を合わせて一人にするか、どちらかを消すという対処をすべきだと著者は言います。
ストーリーにおいては「対立」「葛藤」が重要であり、同じ反応をする人物が二人いても、「対立」「葛藤」は生まれないからです。


【作家であること】

作家であるかどうかは知識の有無にかかっている。
真の作家は、媒体に関係なく、自分が取り組む主題について神がかった知識を持つ芸術家であり、作品からはまぎれもない力強さが感じられる。
脚本を開いてすぐ作品に身をまかせることができるのは、すばらしい喜びであり、引きこまれるのは台詞の行間やその裏に隠された言い表されない何かが「この作者はわかっている。力強い作品だ」と伝えているからだ。
そして、力強い作品には信憑性がある。(P225より引用)

観客が感情移入できるかどうかを決める原理はふたつある。
第一は共感で、われわれは主人公に同化することでストーリーに引きこまれ、自分の人生の欲求を重ね合わせて応援する。
第二は信憑性だ。(P225より引用)

著者は「信憑性」の重要さを強く訴えた上で、「信憑性とは現実を指すわけではない」と明言しています。
例えば、現実にはあり得ないような世界を描いたファンタジー作品に対しても、私たちは信憑性を感じる場合があります。

『エイリアン』の冒頭のシークエンスでは、星間宇宙貨物船の乗組員たちが休眠カプセルから起き出して、散らかり放題のテーブルのまわりに集まる。
作業衣にオーバーオール姿の乗組員たちは、コーヒーを飲んだり煙草を吸ったりしている。
テーブルの上には、コップの水をついばむおもちゃの鳥が置かれている。
ほかにもたいした価値のない日用品が居住空間のそこかしこにあふれている。
天井からはビニール袋がぶらさがり、店内の壁にはポスターや家族写真などが張られている。
船内の壁にはポスターや家族写真などが張られている。
乗組員たちが話しているのは――仕事のことでも故郷へもどることでもなく――金のことだ。
この停泊は契約時の計画になかったのでは?
雇用主は通常勤務外の作業に割増金を払ってくれるのか?
(P226より引用)

宇宙船内の居住空間は、まるで大型トラックの運転台のように描写されており、乗組員たちもトラック運転手を思わせるような会話を交わしています。
それによって観客はこの物語に信憑性を感じ、身を委ねるのだと著者は言うのです。

信憑性を得るには「詳細を伝えること」が必要だ。
選り抜きの詳細を使うと、観客の想像力がほかの部分を補って、全体が信頼できるようになる。(P228 より引用)

脚本家は物理的、社会的な要素だけでなく、感情に対する信憑性も考えなくてはならない。
作り手による調査は、かならず登場人物の信頼できる言動となって成果をあげるだろう。
個々の言動が信頼できるだけでなく、ストーリー自体が説得力を具える必要がある。
ある出来事から別の出来事へ移る因果関係が納得できて、理にかなっていなくてはならない。(P228より引用)

このようにしてストーリーの信憑性を築いていくことで、作者の個性が芽生えていくのだと著者は言います。
個性は奇をてらって得られるものではなく、意図的に確立するものでもないというのです。

設定と登場人物に関する作者としての知識と自分自身の個性が出会ったとき、膨大な材料から選んで並べたものは、あなただけな財産だ。
その作品はまさしくあなたを表す独自のものとなる。(P228より引用)


【契機事件】

契機事件が発生するとき、それは力強くてじゅうぶんに作り込まれた出来事でなくてはならず、変化のない曖昧なものではだめだ。(P229より引用)

契機事件に”ならない”出来事として、著者は以下の例を挙げています。

大学を中退した若い女がニューヨーク大学の近くで暮らしているが、ある朝目覚めて「こんな人生、もううんざり。ロサンゼルスへ引っ越そう」と言う。
そして愛車のフォルクスワーゲンに荷物を詰め込み、西へ向かう。
だが、住所が変わったところで、人生の価値になんの変化も起こらない。無気力な感情がニューヨークからカリフォルニアへ移動したにすぎない。
(P229より引用)

さらに著者は、「契機事件としての条件が満たされている出来事」として、以下の例を挙げています。

彼女の家のキッチンには、数百枚もの駐車違反チケットから成るみごとな壁紙ができている。
突然、ドアをけたたましく叩く音とともに、警官が現れる。
その手には罰金1万ドルの未納による逮捕令状が握られている。
彼女は非常階段を駆けおりて逃げ出し、西へ向かう(P229より引用)

これらの例を挙げた上で著者は、「契機事件」のポイントを以下のようにまとめています。

契機事件は主人公の人生の均衡を大きく崩す。(P230より引用)

主人公は契機事件に反応しなくてはならない。(P232より引用)

契機事件はまず主人公の人生を揺るがし、均衡を取りもどそうという欲求を起こさせる。
その思いから――しばしば迅速に、ときにはゆっくりと――主人公は欲求の対象をおもいつく。
欲求の対象とは、人生という船を水平に保つために必要または不足していると思われるもので、物質の場合、状況の場合、考え方の場合などがありうる。
契機事件は主人公を駆り立てて、この欲求の対象や目標へ突き進ませる。
(P233より引用)


【ストーリーの脊柱】

主人公の欲求を追い求めるエネルギーは、設計上の重要な要素であるストーリーの「脊柱」(スルーライン、究極目標とも言う)を形成する。
脊柱とは、人生の均衡を取りもどしたい主人公の深層にある欲求とその活動のことだ。
そのほかのすべてのストーリー要素を結びつけ、統一をもたらす最重要の力である。(P236より引用)

例えば007シリーズの脊柱は「悪党を倒すこと」であり、『クライング・ゲーム』ならば「愛し愛されたい」という主人公の欲求が(当人はそれを意識していないが)脊柱というになります。


【探究】

契機事件からストーリーの脊柱を伝って最終幕のクライマックスまでを見る脚本家の視点に立つと(中略)実のところ、ストーリーにはただひとつの種類しかない。
人類の夜明け以来、われわれは人から人へとさまざまな手立てでストーリーを語り継いできた。
それを効率よく呼べば「探究」ということになる。
すべてのストーリーは探究の形をとる。(P238 より引用)

ある出来事によって、人生の均衡がよいほうか悪いほうへ傾くと、もとへもどしたいという意識的欲求や無意識的欲求が生じ、敵対する力(内的、個人的、非個人的)に抗って欲求の対象を追う探究をはじめる。
達成できるかどうかはわからない。これがストーリーの中核にある。
(P238より引用)

主人公の「欲求の対象」を見きわめることで、自分が書こうとしているストーリーの「探究」の形が理解できる、と著者は言います。
『月の輝く夜に』の主人公の欲求は「だれかを愛したい」。
『ビッグ』ならば、「大きくなる」。
『ジョーズ』ならば、「人を襲うサメからの身の安全」。
……といった具合です。
主人公の心をのぞきこみ、欲求を見つけ出すことで、「契機事件」からはじまる「探究の旅」が見えてくるというわけです。


【契機事件の設計】

メインプロットの契機事件はスクリーン上で起こる必要があり、バックストーリーやシーン間の画面外であってはならない。(P240より引用)

その理由として、著者は以下の二つ挙げています。

第一に、契機事件を体験すると、「これからどんな展開になる?」という大きな疑問が観客の心に湧き起こる。(P240より引用)

第二に、契機事件を目撃することににょって、観客の頭に必須シーンのイメージが浮かびあがる。
必須シーン(重大局面とも言う)とは、ストーリーが終わる前に観客がかならず見なくてはいけないと自覚しているシーンを指す。(P241より引用)

『ジョーズ』を例にとれば、「これからどんな展開になる?」という疑問は、「署長がサメを退治するのか、サメが署長を殺すのか」ということ。
「必須シーン(重大局面)」は、「サメと署長の直接対決」ということになります。
「必須シーン」にどうたどり着くのか、結果がどうなるのかは観客にはわかりませんが、「契機事件」を目撃することで、自然と「必須シーン」への期待が生まれます。
脚本家はその期待に応えて、クライマックスシーンでサメと署長の死闘を描かなくてはなりません。

ストーリーにおいて、契機事件と重大局面を結びつけることは、伏線を張ること、つまり、のちの展開に備えていくつかの出来事を配することの一環である。(P242より引用)


【契機事件の配置】

ストーリー全体の設計のなかで、契機事件はどこに配すればいいのだろうか。
だいたいの目安で言うと、メインプロットの最初の大きな出来事は話がはじまってから四分の一までに起こる。
これは媒体に関係なく役に立つ指針だ。(P243より引用)

例えば2時間の映画であれば、メインプロットの契機事件は最初の30分までに置く、ということになります。
『波止場』のように、開始後2分も経たないうちに契機事件(主人公がギャングの一味を助けたために、友人が殺される)が起きる作品もあれば、『ロッキー』のように開始から30分後に「ロッキーがアポロとの世界タイトルマッチに応じる」という契機事件が起きる場合もあります。

『ロッキー』では、メインプロットの契機事件が起きるまでの30分の間、サブプロットである「ロッキーとエイドリアンとの不器用な恋」で観客を引きつけます。
なぜこのような構成になっているのかを、著者は以下のように解説しています。

『ロッキー』のジャンルはスポーツ物だ。
手っ取り早く、ふたつのシーン――「ヘビー級チャンピオンが無名のボクサーにタイトル戦で対決する機会を与える」(伏線)、「ロッキーがその誘いに乗る」(落ち)のようにできないものか。
なぜメインプロットからはじめないのだろうか。
それは、もし『ロッキー』で最初に目にする出来事が契機事件だとしたら、観客は肩をすくめ、「それがどうした」としか感じないからだ。
だから、スタローンは最初の三十分を使ってロッキーの人柄や取り巻く世界を効率よく描写し、ロッキーが試合に応じたときに、「え? あの負け犬が?」という強烈な反応が観客から起こるように誘導したのだ。
観客は驚き、叩きのめされて血まみれになる敗北が待ち受けているのではないかと恐れるようになる。(P244より引用)

メインプロットの契機事件は、なるべく早く導入するのがいい……ただし、機が熟してからだ。(P244)


さらに著者は、契機事件の「配置」に関して、以下のような注意も促しています。

契機事件の設計と配置について、脚本家がよく犯す誤りは、メインプロットを遅らせ、冒頭のシークエンスに解説を詰めこんで明瞭化したがることだ。
作り手はしばしば観客の知識と人生経験を低く見積もるので、登場人物とその世界について、常識でまかなえるような些細なことまで、ついくどくど説明してしまう。(P246より引用)


【契機事件の性質】

契機事件(結局のところ、すべての出来事)の性質は、その世界、登場人物、ジャンルと密接な関係がなくてはならない。
契機事件を思いついたら、脚本家はその働きをしっかり考える必要がある。
その契機事件によって、主人公の人生の均衡が根本から崩れるだろうか。
主人公は均衡を取りもどしたいと思うだろうか。
取りもどしたいのが無形のものであれ、有形のものであれ、それに対して主人公は意識的欲求を持つようになるだろうか。(P249より引用)

これらの性質を具えていれば、見た目には些細な出来事(例えば、ある女性が主人公を見つめてくる、といった一瞬のしぐさ)であっても、契機事件になり得るのだと著者は言います。


【契機事件の創作】

メインプロットの契機事件の創作は、最終幕のクライマックスの創作に次いで難しい、と著者は言います。
そんな契機事件を描く手助けとして、脚本家は自らに、次のような問いかけをしてはどうか?と著者は提案しています。

主人公にとって、最悪の事態とはどんなことか。
また、それがどう変わると最高の結末で終わるのか。(P250より引用)

例えば『クレイマー、クレイマー』ならば、「仕事人間の主人公と幼い息子を置いて妻が出て行ったこと」が最悪の事態。
「愛される人間になりたいという主人公の無意識の欲求を満たすには、息子と二人で暮らすという荒療治が必要だった」というのが最高の結末です。

反対に、主人公にとって最高の事態とはどんなことか、また、それがどうなると最悪の結果で終わるのか、と問いかける。(P250より引用)

『ゴッドファーザー PARTⅡ』における「最高の事態」は、「ファミリーのドンとなったマイケルが、ファミリーを合法的な世界へ導く決断をすること」。
「最悪の結果」は、「マフィアの忠実の掟に従わせる冷酷さゆえに、長年の仲間たちを殺害し、妻と子供たちとは疎遠になり、実の兄までも始末し、マイケルは孤独な男になり果てる」ということです。

「最高」と「最悪」ばかりをめざすのは、ストーリーという芸術が中途半端な人生体験について語るものではないからだ。
契機事件の衝撃は、人生の極限へと達する機会を生み出す。それは一種の爆発だ。
(中略)
契機事件は主人公の現状を搔き乱して、それまでの生き方を大きく変え、その人物の世界を混沌に陥らせるものであるべきだ。
そして脚本家は、クライマックスに及んで、よかれあしかれ、主人公の世界に新たな秩序をもたらす解決を見つけ出さなくてはならない。
(P251より引用)


☆「第3部ストーリー設計の原則 9 幕の設計」に続く

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脚本、小説のオンラインコンサルを行っていますので、よろしければ。

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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