雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。
そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2021年8月の記事一覧
「負けん気」がどうも似合わぬ自分
※「自分の場合にはこっちが合う」という
今回は特に個人的な感覚の話です。
「負けん気」は、どうも自分には合わないのだと思う。
少なくとも、自分の「勝ち誇る感じ」は好きじゃない。
精神に「不純物」が混ざるせいだろうか、
どうも、どうしても、美しくないんだよなあ。
(勝ち誇る感じが美しく決まるタイプの人もいるよな。
そういう人ってピュア感が溢れまくっていることが多いと思う。)
その上、そもそも自分
その困難に、意味はない。
「この世」のすべてを一度は斜に構えて見ないと気が済まないような、そんなひねくれ者の私にとって、神様という存在は、どうも信じ切れないものなのだ。――そのくせ、神社や寺で手を合わせたり、教会で祈ったり、そういうことはどさくさに紛れていくらでもする自分。
そういう「節操ない」行動も、どこか純粋に神や仏なるものを信じ切っていないということの表れなのだろうか。(――ホント私は、見る人から見れば
不遜不敬不純
すべては「今」を生きるために
嫌な事、ストレスフルな事、
それらは身の回りからいつまでたっても尽きないものだ。
が、歳をとったせいか、
それらに対しての「耐性」はついてきたかも?と最近感じる。
嫌な事、ストレスフルな事は相変わらず存在するが、
それらに「振り回されない」ようになってきた、ということである。
どこかで、「自分本体」と「出来事」とを切り離して
どこまでもそれらを俯瞰で見られるようになった、
ということのような気が