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期限付きの「永遠」-夏休みの終わり-

小学生時代の夏休みの、
もや~ん、だら~り、と、続く感じの、
あれは一生ものだから。

だって、歳とった今でも、毎夏思い出すんだもの。
もや~ん、だら~りとした、期限付きの「永遠」を。
特にこれくらいの時期、八月の終わり頃に。
そういう「感覚」って、ずーっと、残るものだよねー。

なのに、もう二度と戻ってこないのかあ…。

小学生の皆さんには、
どうか夏休みを「ムダづかい」してほしい。
――それ、後々、案外ムダでもないからさ。(笑)

「時間をムダづかいした」あの記憶の、
その「大きな池」は、いつまでも頭の中に合って、
割とその池の水の透明度は、覗き込むと、
その後、いついかなる時であっても変わらず、
ひっそりと、でもスコーンと、高かったりするんだ、これが。

特に「時間」について。
「ムダづかい」とは、
「ムダづかい」できるうちにしておくものだ、と思う。

後々、できなくなるのだ。
――何より「精神的に」、それができなくなっちゃう。
自由に使える時間がもし仮にあっても、
精神的に自由でないと、
「本当に自由」には使えなくなってしまったりするのだ。

「意味がない」ことには
「意味がない」からこその良さがあるのだけどなあ、
と、今になってしみじみ感じている。
「意味がない」と様々なことを潰してきて、今、最終的に、
この結論に辿り着いている。

……とか、ほら、こういうふうに
わざわざ意味ありげに考えだしちゃう時点で、
もう何だか「台無し」でしょう?
「意味がない」をちゃんと扱えていないでしょう?(笑)


「意味がないこと」のその意味は、
その時その場でわかるわけがない。

あとから、ゆーっくり、わかるものなのだ。
(…あるいは、ずーっと、わからなかったり?笑)

その時その場でサッサカ取って付けられるような
そんな「意味」ばかりで作られている世界じゃ、
な~んか、つまらないではないですか。(笑)