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「負けん気」がどうも似合わぬ自分

※「自分の場合にはこっちが合う」という
今回は特に個人的な感覚の話です。

「負けん気」は、どうも自分には合わないのだと思う。
少なくとも、自分の「勝ち誇る感じ」は好きじゃない。
精神に「不純物」が混ざるせいだろうか、
どうも、どうしても、美しくないんだよなあ。
(勝ち誇る感じが美しく決まるタイプの人もいるよな。
そういう人ってピュア感が溢れまくっていることが多いと思う。)

その上、そもそも自分はいわゆる「小物」なので(笑)、
勝った負けたを意識すると、途端に心が乱れるんだよなあ。


あと、何かを「手に入れる」とかも、もういい。

たまたまそこにあったものを、
その都度、その瞬間、愛でるほうが、自分らしいと思うので。

(有形無形問わず)何かを溜め込み過ぎると、
新しいものがやってきては過ぎる、その「通り道」さえ、
開いてない、みたいになってしまう。
(まあ、自分はいうなれば、
頭と心のキャパシティーが極端に狭いのである。笑)
自由がない、遊びがない、風通しがよくない、
という、そういうのが、自分は好きではないから、
あんまり余計なものを、「勝ち取ったり」しないでいこうと思う。


「勝った~」っていう一時的な高揚感を捨てることにより、
「負けちゃった~」という落ち込みからも解放されたい、
ということも大きいかもしれない。

一瞬でも無駄に落ち込みたくない。(笑)

そもそも公式な競技等ではない限り、
(特に自分はやはり「小物」なので、笑)
競う相手は、「自分で勝手に」設定してしまったりしがちだもんな。

それで「勝った」「負けた」では、(自分みたいな人間の場合、)
結局ただの「独り善がり」になりそうでな。(笑)