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おばあちゃん、だいすき。

2021年8月24日(火)20:35。
ボクのおばあちゃんの死亡が確認された。
安らかに眠りについた。

今のボクは、心に穴が空いた状態。
決して予期していないものではなかった。
それでも事実を受け入れられるほど大人じゃない。
つらくてつらくてつらくて。
これを書き出してる自分の瞳から涙が溢れてくる。
苦しい思いはそう簡単には癒える気がしない。
現実を見たときは少し過呼吸状態にもなった。
おばあちゃんと会う度に涙がいつも溢れていた。
大好きなおばあちゃんがついに死んじゃった。
本当につらい。くるしい。
前を向きたくない。
でも今のこの思いを記録にしようと思った。
いつまでもこの先忘れないように。
大切で大好きなおばあちゃんへの気持ちを。
優しくて、頑固で、口数が多いおばあちゃん。
いちばん辛い時に書こうと思った。
今こうしてボクが書いている横でおばあちゃんが寝ている。
亡くなっている人を写真には撮れないから、
生きていた時の写真を少しだけここに載せる。
自慢のおばあちゃんなんです。
ボクのおばあちゃん。
一昨日まで力いっぱい生きてた人です。
3年前に入院してまたお家にもどるために頑張ってきた
おばあちゃんは今、お家に帰ってきてる。
腐敗しないようにドライアイスで身体中を冷やして、
部屋の温度もエアコン最低温度に下げて
これを書いているボクの横にいます。

現在、8月26日(木)24:48。
何年ぶりに同じ屋根の下にいるんだろう。
頑張ってきたおばあちゃんは優しい顔して寝ています。
よく見てきた寝顔で少しお化粧してもらって綺麗な顔つきです。
でも、いつもと少し違うのは身体が揺れてないことです。
あと、ボクの瞳から涙が出てること。
ここから離れたくないなぁ。
ずっと、一緒にいれたらいいのに。
おばあちゃんの顔をずーっと見てて想い出が
たくさん蘇ってくる。
くるしいけど歯を食いしばって前を向かなきゃなと思う。
でも向きたくない自分がいる。

おばあちゃんは頑張ってがんばって
入院と退院を繰り返してきた。
3年前に大腿骨を転んで骨折。
それ以来、リハビリを繰り返してきた。
よくメモを書く人で思ってる感情を残したりしていた。
「〇〇が楽しい」「ごはんの食べた分量」
こっちからすると解読するのが大変な達筆度合い。
わからないよ。って思いながら想像して楽しんでた。
こんなことがあったんだね。って。
ボクがおばあちゃん想いなら、
おばあちゃんはボク想い。
いっつもボクがお見舞いに行くと
自分の話じゃなくて「最近はどう?」「仕事は順調?」と
聞いてくれる。
必ず最後に「こうたは大丈夫だよ。ご先祖さまに守られてる。おばあちゃんの自慢の子だから」って言ってくれる。
「あなたは顔つきがいいんだから」「人を巻き込んで引っ張れるリーダーになれる」って励ましてくれる。
ボクが「仕事うまくいくかなぁ?」って聞くと
「大丈夫に決まってるじゃない、こうただもの」って。
その言葉に何度励ましてもらったかわからない。
口数が多い人だから大体ボクが本を読んで、
その間ずっと喋ってる。
正直、そこまで気にして聞いてなかったのだけど
いつも沢山の報告や沢山家族の話をしてくる人だった。
2、3時間いて帰る。
それがぼくのお見舞いの形だった。
間違いなく家族の中でもおばあちゃんと
過ごした時間と喧嘩してきた時間はボクが1番だと思う。

よく喧嘩した。
本当にうるさくて、静かにして!って言っても
止まらない融通の効かないところがいつもむかついてた。
でも必ずバイバイするときはどんなときでも
ぼくの左手とおばあちゃんの右手を
恋人繋ぎのように重ねて「じゃあね。行ってきます。」
とまた会う約束をしてきた。
「ちゃんとご飯たべるんだよ」って最後に添えて。
途中からはそれにハグを加えてた気がする。
ボクももうそんなに長くないのかなって思うように
なってきてたから。

3ヶ月前、おばあちゃんは山を一つ越えた。

本当はここで時計の針は止まる予定だった気がする。
でもそこから3ヶ月もの猶予をくれた。
おばあちゃんは3ヶ月も生きようともがき生命を全うした。
ここから一昨日まで。
直接会うことはできなかったけど、
夜になくなる前に朝、息を保ちボクら家族を待っていた。

ボクは見た瞬間涙が止まらなくなっちゃった。
朝7時に病院から連絡をもらい9時に面会をさせてもらえた。
このときはまだしっかり息を使っていて
まるでいびきをかくように寝ているようだった。
声をかけると反応があって、会話ができなくとも通じた気がした。

これだけコロナが流行していても肺炎にはかからず、
老衰という形で息を引き取ったおばあちゃん。
この写真の時は息があり、その夜に家族全員と
会えたと同時に長い眠りについた。
大安が大好きでいつも気にしていたおばあちゃんは
しっかり「大安」できっとねらったにちがいない。
そう思わずにはいられなかった。
待ち人達と全員と会い、本当に眠るように
命を火を消したのだ。

この状態から本当によく回復してくれたよね。
終末期の病院だったけど、余計な器具に身体を
締め付けられるわけでもなく、
あまりに自然に当たり前のように眠った。
少しでも苦しい時間が短かったらボクはなによりだよ。
おばあちゃんは沢山苦しい人生を歩んできたから
最後はできるだけ楽に眠って欲しかった。

おばあちゃんは、ボクの母(長女)だけでなく長男も
自分より先に亡くしている。
それなのにボクら兄弟を育て見守り続けてきてくれた。
波瀾万丈な人生でとても苦労があったと思う。
全くそれを感じさせない天真爛漫さと
孫達にNOと言わず伸び伸びと育ててくれた。
優しい気持ちに誰よりもなろうとする人だった。

いつも味方で、誰よりもボクのことを信じてくれた。
だから、今回のことはやっぱりくるしいなぁ。
もっともっと一緒にいたかったなぁ。
お別れすることは本当につらい。
両親を交通事故で亡くして、おじいちゃんと一緒に
育ててくれた大恩は胸に刻んでいる。
パパとママもきっと沢山ありがとうって言ってるよ。
長旅ごくろうさま。
頑張ってくれて、愛情を沢山くれてありがとう。
泣かないなんて約束できないから、
きっとこれからもたくさん思い出しては涙すると思う。
それはボクからの愛情だから。
人生を作ってくれた恩への気持ちだからね。
おじいちゃんと、パパとママによろしく言ってね。
まだまだボクはそっちにはいかないけど
そっと見守っててね。
時には力を貸してね。
がんばるから。

おばあちゃんの声、表情、手の温もり。
ひとつひとつを鮮明に覚えているよ。
両親を失う気持ちを、おじいちゃんとおばあちゃんで
また味わうのは正直つらいし、ふざけるなって感じだけど
その分もらったものの方が多いからね。
心配しないでね。
今度こそゆっくり休んでね。

どんな姿だって、どんなおばあちゃんだって
ボクにとってみたら全部が愛くるしいんだ。
今目の前にいる、長い眠りについたおばあちゃんを見て
この思いを持てるよ。
葬儀までまだ少し時間があるから。
それまではボクがたくさん横にいることにするからね。
おばあちゃんはボクの思い出にしっかり刻まれてる。
何度も何度も思い出せば、近くにいれる。
そばにいることを感じれる。

この気持ちを大切にするって誓うよ。

ひ孫を抱くまで生きた88年間。
本当にほんとうにご苦労さま。
おつかれさま。




おばあちゃん。
こうたを今日まで育ててくれてありがとう。
今があるのは間違いなくおばあちゃん達のおかげだよ。
叱ってくれたこと、褒めてくれたこと、喧嘩したこと、励ましてくれたこと、一緒に泣いてくれたこと、笑い合えたこと、同じご飯を食べれたこと、ご飯をつくってくれたこと、家事をたくさんしてくれたこと、サッカーをやらせてくれたこと、お弁当を作ってくれたこと、お互いお気に入りのラーメン屋に一緒に行けたこと、風邪の看病をしてくれたこと、病院に付き添ってくれたこと、マッサージさせてくれたこと、長生きしてくれたこと。

書ききれないほどの想いと、
言葉にしきれないほどの感謝は
当時、子育てを決断してくれたことで生まれたんだよ。
自慢の息子と言ってくれたおばあちゃんは、
世界一自慢のおばあちゃんだよ。

離すことはできたはずなのに
手を握り続けてくれたことで
こんなにも、こんなにも素晴らしい経験ができた。
祖母と孫って周りから見えるけど
本当は違うんだよね?
おばあちゃんとこうたにしか分からない
2人だけの感情があるんだもんね。
誰よりも会話してきた2人の想い出が懐かしいね。
でもこれからは気持ちのところでずっとお話しできるよ。
毎日毎日。たくさん話そうね。
今までの時間をくれて本当にありがとう。
だいすきでだいすきでたまらないおばあちゃん。
これからもたくさんよろしくね。


おばあちゃん、だいすき。



おれ、がんばれ。

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