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短編小説

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#日記

前厄

前厄

年が明けた。
とは言っても、人間が設定した暦というものが一つ更新されたというだけに過ぎない。
今日という日は昨日から連続しているのだし、ただカレンダーを新しくするだけの日に有り難みを感じるのはなんだか変な感じがする。
元旦に一人でぶつぶつと呟きながら、お雑煮用の蒲鉾を切る。

それにしても静か過ぎるので少し不思議に思っていると、右手で握る包丁がまるで生きているかのように動き、根元の部分が右掌に突き

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母が魔女だった時

母が魔女だった時

 4歳ぐらいのある日、眠れずに部屋を出るとぼんやりとした灯りのみがぼうっと影を作る暗い部屋に母が一人佇んでいた。灯りをよくよく見ると、とても小さな炎だった。
「……」
母は無言だった。薬草のような香りが匂いが立ち込めていた。やがて炎が消えると、その炎を支えていた器を口に運んだ。
「魔女の嗜みってやつよ」
保育園で読んだ絵本の中の魔女を鮮明に思い出した。全身を覆う黒い服を着て、派手な装飾品を身につけ

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11月の終わりの空気

11月の終わりの空気

マフラーと手袋がいよいよ手放せなくなってきた。
息を吸うと冷たい空気が肺を満たし、気が引き締まる思いがする。
それが何とも心地よく、いつもは憂鬱な通勤列車を待つ時間が楽しく感じられる。

「いうてる間に冬になってもうたなぁ」
「やっと秋らしくなってきたさぁ」

背後に立つ女性と私の言葉はほとんど同時だった。お互い思わず振り返って「えっ」と顔を見合わせた。
「それ、どういう意味?」と聞く間もなく電車

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甘やかなる抱擁

甘やかなる抱擁

 いつも通りの時刻に目覚ましを止めた。目は覚めたが動けないまま、天井と見つめ合って時間が過ぎていく。何とか起き上がって冷えた水を勢いよく流し込むと、出勤ギリギリの時間だ。ドアノブを回そうとする手が意に反して抵抗してくるのを感じながら外へ出た。叫びたい衝動を堪えて何とか会社の前まで辿り着き、深呼吸をする。朝の冷たい空気が肺を満たし、少し冷静になった気がした。早く仕事を片付けて帰って寝ようと思い直して

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