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私たちは生きづらさを手放すことができない
昔、発達特性のある人から聞いた言葉が印象に残っている。「この特性がなくなったら嫌だ、自分じゃなくなる(だから薬は飲まない)。」
多かれ少なかれ私たちは、上記と似たような価値観を持っている。
〇〇という考え方をやめたらもっと生きやすくなる、そんなことは自分でも分かっている。だけどこの考えを捨てたら、"私"じゃなくなる。
〇〇に入るのは、私だったら。「上司に異議を唱える」とか「気に入らなかったら
毒親との和解(後編)。ー"毒親育ち"のその先へ
私はきっと正しくない方法で、毒親育ちの過去を克服した。元恋人・Kとの歪んだ関係性のなかで、母親の立場を理解したのだった。
→(前編)はコチラへ。
私もKもお互いに被害者で加害者だった。物事のA面/B面を両方見るというごく安易な方法で私は、自分が被害者であることを乗り越えた。それがたとえ、新しい傷で古い傷を塗り替えただけだとしても。
Kと別れてしばらくして、私は毒親と和解した。
毒親との和解
毒親との和解(前編)。ー"毒親育ち"のトラウマ
〈はじめに〉
※この記事は、毒親との和解を推奨するものではありません。
※フラッシュバックを引き起こす可能性のある表現があります、十分にご注意ください。
毒親と毒祖母の記憶
私は男尊女卑の根強い田舎で生まれ、18歳まで暮らした。家族構成は、祖母(母方)、父親、母親、私、弟。祖母の家に皆で住んでいた。
アルコール依存症だった祖父には会ったことがない。私が物心ついた頃から祖母は、熱心に宗教施設
もう復讐はしたくない。
絶対に就職しない、結婚しない、出産しない。
若い頃の私はそう決めていた。
毒親への命懸けの復讐だった。
お前らの育て方のせいで私は"失敗作"だ、ざまあみろ、と。でも気付けば、自分の人生が壊れかけてしまっていた。
私のメンタルは(これでも)10代、20代、30代とうなぎ登りに回復していて、自分の考え方に違和感を持つようになった。
本当にこんな生き方でいいのだろうか。
私は私の人生を取り戻さなけ