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私たちは生きづらさを手放すことができない

昔、発達特性のある人から聞いた言葉が印象に残っている。「この特性がなくなったら嫌だ、自分じゃなくなる(だから薬は飲まない)。」

多かれ少なかれ私たちは、上記と似たような価値観を持っている。

〇〇という考え方をやめたらもっと生きやすくなる、そんなことは自分でも分かっている。だけどこの考えを捨てたら、"私"じゃなくなる。

〇〇に入るのは、私だったら。「上司に異議を唱える」とか「気に入らなかったら直接対決する」とか「男をおだてたくない」とかかな。

では、捨てたくない、と思うのはなぜだろうか。それはアイデンティティ(自己同一性)に根ざしているからだ。命がけで長い年月をかけて形作ってきた"わたし"という存在を、捨てることはできないからだ。

私たちは生きづらさを取り除きたいわけじゃない。
生きづらさを生きづらさのまま抱え、社会で誰かと共に生きていきたい。そうじゃないか。

いいか。私たちに認知行動療法は効かない。認知行動療法は、生きづらさをバッサリ取り除きたい人のためのものだ。素直で、ひねくれてない人たちのためにある(かといって、箱庭や精神分析が必ずしも効くとはいえない)。

私たちは一人ひとり違う存在で、「わたし」と「あなた」が初めて出会う瞬間は人生で一度きり。そこにエビデンスもデータも存在しない。

生きづらさを生きづらさのまま抱えて生きていく、なんて言えば聞こえはいいけれど。手放すことはできない。

そんな自分も愛おしいと思う。誇りに思ってるんだ。

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