#三島由紀夫
三島由紀夫から見た夏目漱石の読者
三島由紀夫、安部公房だけではない。これまで見てきたように谷崎潤一郎も漱石の評価は低いし、太宰治に関しては「俗中の俗」と漱石を切り捨てている。三島由紀夫のこの発言も、夏目漱石というすでにこの世にない作家の死してなお消えない過剰な人気に対する反発の表れだ。
しかも芥川龍之介までスタイルは鴎外に近接し、漱石文学から何を継承したのかということさえ曖昧なので困る。
この三島由紀夫と安倍公房の対談は
サバイバーズ・ギルトのない風景
芥川龍之介が直接的に戦争について書いた作品は『首が落ちた話』と『将軍』のみであると言って良いであろうか。「東西の事」を書いた『手巾』が戦争に関して書いたのではないとしたら、そういう理屈になるのではなかろうか。
しかしこんな残酷な風景はむしろ付け足しである。芥川にとって戦争とは単なるプロットに過ぎない。芥川は『将軍』でも『首が落ちた話』でも戦争を材料にはするが、戦争そのものを云々する意図は見
やがて色んなことが解らなくなる 『虞美人草』における「大森」の意味
大岡昇平の漱石論を読みながら羨ましかったのは、大岡昇平が『それから』や『彼岸過迄』に描かれる電車や駅の位置関係に関して実地の記憶を持っていることだった。当然『それから』や『彼岸過迄』が書かれた後も電車や駅は日々変化していたので、大岡昇平の記憶は夏目漱石が見ていた電車や駅そのものではない。しかし今の新橋駅と漱石の作中の新橋の停車場が別の駅であると知識としてではなく感覚として知っていること、昔の中野
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