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夏目漱石論2.0

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#こころ

夏目漱石の『こころ』をどう読むか478 Kに友人はいたか、いないか?

夏目漱石の『こころ』をどう読むか478 Kに友人はいたか、いないか?

Kに友人はいたか、いないか?

 全ての漱石論者が誤読を繰り返す理由の一つに、夏目漱石の書き方が「はっきりしていない」「書かれている事実が明瞭ではない」ということが確かにある。

 例えば、この問題。本文を引用して設問したとして、正答率はいかほどだろうか?
 いやそもそも出題側で正解が用意できるだろうか?

 同様のことがこの「Kに友人はいたか、いないか」問題に関しても言える。どうしても作品の中の

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『こころ』は暗い話ではない

『こころ』は暗い話ではない

 読書メーターやgoodreadなどで夏目漱石の『こころ』の感想を読んでいると実に多くの若者が「最後は暗かった」と書いています。これは冒頭のすがすがしさ、全肯定される先生を捉えきれていないという読み誤りなのですが、読み誤りとは少し違う、正統的ではないところで『こころ』を大笑いして読むという遊びが可能な「外部的要素」があります。

 この「外部的要素」というのは勿論作品には書かれていないことで、私は

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話者が手紙を読むとはどういうことか

話者が手紙を読むとはどういうことか

 昨日は筋の話として物語の構造の話をしました。『彼岸過迄』『行人』『こころ』がともに主人公が手紙を読むという構造を持っていて、この構造を無視すると筋が解らなくなるという話でした。

 改めて『こころ』で説明しますと、「私」はKの生まれ変わりのように仄めかされていて懐かしみから先生に近づきます。その直感は後に先生の遺書によって事実の上に証拠立てられます。「私」は先生の遺書を読むことで先生を「人間を愛

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本を読むということ④ 絵にする? しない?

本を読むということ④ 絵にする? しない?

 酒鬼薔薇君の『絶歌』の中で「(酔っぱらっていてよく覚えとらんけど)竜ケ台の事件は八割がた俺がやった」とダフネ君を殴る場面があって、何故殴ったのかと言えばそういう場面が必要だというのがその答えで、酒鬼薔薇君は映画を撮るように本を読んでいたという話があるが、私はいままでそのことを彼のレトリックと切り離して考えていた。

 私は「植物の名前が三つ入った立体的な風景描写」が自然にできることが
何か自分の

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本を読むということ⑧ 本当は作者と読者しかいないのに

本を読むということ⑧ 本当は作者と読者しかいないのに

 このnoteに参加していてひしひしと感じるのだが、たまに新着記事に「スキ」してくる人ほど文学を徹底的に軽んじている人はあるまい。文学を「月の世界でなければ役に立たない夢のようなものとして、ほとんど一顧に価しないくらいに見限ってい」なければ、そのようなふるまいが可能だとは到底考えられない。彼らは自分の商売に誰かを巻き込みたくて必死なだけなのだが、それならばもっと別の良い方法があることに何故か気が付

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私にとっての近代文学とは① 『心』のKは苗字ではない。

私にとっての近代文学とは① 『心』のKは苗字ではない。

 もしも近代文学がこの宇宙に於いて何か価値あるものであるとしたら、それはただこの私にしか夏目漱石作品が明らかではないという、いささか真面ではない現実こそが、その希少性に於いて私だけにその価値を保証しているからではなかろうか。
 つまり、誰にでも解り得るものとしての夏目漱石作品が存在するのではなく、何万人が挑んでもたどり着けないところにある夏目漱石作品の読みが、大天才でもない私だけに可能であることこ

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江藤淳の漱石論について⑲ 先生の正体

江藤淳の漱石論について⑲ 先生の正体

  江藤淳は夏目漱石の『心』の先生について、こんなことを書いている。

 この「ほかならない」は柄谷行人にも遺伝する。柄谷行人はやたらと「ほかならない」を連呼する。そう決めつけなくてもいいんじゃないかというところで、「ほかならない」を使う。ホカホカ弁当はほか弁に「ほかならない」という具合に使う。しかしこの「ほかならない」はどうも違う。まずそもそも「ほかなる」のではなかろうか。私は繰り返し小説など好

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江藤淳の漱石論について⑫ 読み誤る人たち、永遠に気が付かない人たち

江藤淳の漱石論について⑫ 読み誤る人たち、永遠に気が付かない人たち

 あらゆる人の読み誤りの責任を江藤淳一人に押し付けるわけにはいかない。しかしこのことは江藤淳について考えるとき、同質の問題として、相似形をなして現れるものだ。

 例えば、夏目漱石の『こころ』のK、これが姓ではないことを島田雅彦、高橋源一郎、佐藤優はまだ気が付いていない。そしてそのことを誰も批判しない。つまりこれは氷山の一角で、Kが姓ではないことを知らない人たちが理論上何万人、あるいはその何倍かは

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[小説] ぼくの心が変だ

[小説] ぼくの心が変だ

ぼくの心が変だ

火を入れた艶消しのアルミニュウムの筐体は寝起きの癖で低く唸った。南国の色艶やかな蝶々が飛び違い、光彩に消える。たたさよこさに乱れる浪漫文字が間もなく一つの言葉を結ぶ。そしてどことも見当のつかない剣呑な西洋の崖が現れる。すっかり葉の落ちたまだらの枯れ木に嘴の短い鴉が一羽止まっている。この地に辿り着いた者が弁当を使い、引き返して風呂に入るまで、一体何日かかるのだろう? ようこそ春陽村

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和辻哲郎と夏目漱石

和辻哲郎と夏目漱石

※これはまだ下書きです。

 これは大正五年十一月に発表された作品なので、まだ漱石の死の前(寸前)にある。この「イゴイズムと戦う男」がどうしても夏目漱石に思えてしまうのはあくまでも私の勝手である。勝手ではあるが、絶対に違うとは言わせない。どうもそんな感じがあることを和辻哲郎は確かに仄めかそうとしている。

 そもそも私は「小説の登場人物のモデルが単一の誰」と言う議論は本質的に下らないものだと考えて

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夏目漱石『こころ』をどう読むか⑲ 静を観察せよ

夏目漱石『こころ』をどう読むか⑲ 静を観察せよ


財産があるなら働かなくていい 先生の「私」に対する態度、特にこの「無意味」という言葉は些か厳しい様に思います。しかしここで注意して読まないといけないのは、「私」の存在が無意味なのではなく、「私」が焦って求めている地位や糊口の資が無意味と言っているというところです。しかしこの先生の本意というものを掴みかねている人が多い様に思います。

 先生の本意とは何でしょう?

このことも殆ど議論されてこ

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夏目漱石の『こころ』における同性愛の構造

夏目漱石の『こころ』における同性愛の構造

 そろそろ買ってくださいよ。日本文学史がひっくり返っているんですから。読まないで死にますか? 人気のラーメンは千円しますよね。ラーメンを食べて死にますか? 夏目漱石作品を理解して死にますか?

同性愛かトランスジェンダーか

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夏目漱石『こころ』における罪の構造

夏目漱石『こころ』における罪の構造

夏目漱石『こころ』における罪の構造

飼育される静
 これまで繰り返し論じられてきた夏目漱石の『こころ』における罪の構造に関して、真砂町事件に関する嫉妬心が死ぬまで先生の心から消えないからくりに言及されたことがあっただろうか。また冒頭のすがすがしさや、先生が「私」によって全肯定される意味について、明確にされたことがあっただろうか。この二点について論じるためには、まず『こころ』が書かれている現時点に

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駄目な漱石論者たち

駄目な漱石論者たち

 夏目漱石 こころ 評論家でグーグル検索してみました。駄目な漱石論者を探すつもりではなくて、素晴らしい漱石論を探す為です。しかしそんなものは見つかりません。お馬鹿な漱石論しか見つかりません。

https://www.1101.com/yoshimoto_voice/speech/text-a134.html

 早速吉本隆明が上がってきました。この内容は「夏目漱石を読む」として文庫本になっている

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