見出し画像

夏目漱石『こころ』における罪の構造

夏目漱石『こころ』における罪の構造

飼育される静


 これまで繰り返し論じられてきた夏目漱石の『こころ』における罪の構造に関して、真砂町事件に関する嫉妬心が死ぬまで先生の心から消えないからくりに言及されたことがあっただろうか。また冒頭のすがすがしさや、先生が「私」によって全肯定される意味について、明確にされたことがあっただろうか。この二点について論じるためには、まず『こころ』が書かれている現時点について明確にしなくてはならない。

 既に『こころ』の語り手である「私」があたかも先生の期待通りに先生の手紙に記された自叙伝を含む手記を書けば即ち世間に知られる形で書いているようであること、つまりまるで新聞小説でも書いている作家のようであり、この時点で「私」は先生宅から遠ざかることもなく、何事かを経験をしており、静が先生の過去を知らずにまだ生きていることから、自叙伝とともに静を託されたようであること、つまり静と「私」の間に子供があるのではないかというところまでは有象無象によって解かれてきた。その明示されない物語の現時点をどのように見るかで、『こころ』という小説は全く違った読み物になり得る。

 ここで二つの仕掛けを整理しておかねばならない。一つは『門』から『明暗』にかけて繋がる「罪ある女は子をなせない」というテーゼが『こころ』においてどのように機能しているかという判断である。先生は静に天罰という言葉を投げかける。子を欲しがっているのは静なので、罰はあたかも静に与えられたものであるかのようである。そこで『こころ』においても「罪ある女は子をなせない」というテーゼをそのままの形で被せてしまえば、「私」が経験しても静は子がなせないことになり「私」が子供はうるさいものであるばかりではないという心境に至ることにはならないという理屈になってしまう。

 先生が無意識のうちに静の罪を指摘してしまった、つい本音が出てしまったとすればそうも解釈できる。しかし先生の手紙のうちにはそのような本音は明示的には現れず、静をなるべく純白なままにしてやりたいという願望だけが見える。果たして静に罪があるかないか、このことは明確にしておかねばならない。

 二つ目の仕掛けはまだ静が生きている間に「私」がさも新聞小説でも書くように書き始めていることが、静をなるべく純白なままにしてやりたいという先生の依頼に対する裏切りであるかどうかという点である。そして先生の依頼そのものが静の罪を示す本音ではないかという点も併せて整理しておくべきであろう。
 これらの仕掛けを整理するために『門』や『明暗』において女がどんな罪を犯していたのかを調べれば良さそうなものだが『門』ではあたかも嵐に吹きとばされたかのようであり、『明暗』では反逆者が飛行機に乗ったようであり、具体的には何も解らない。

 形式的には「女が男を捨てて別の男と結ばれる」ことが罪と捉えられているように思われる。しかし『こころ』においては先生と静は結ばれるのだから罪はなさそうに思われる。静がKと付き合っており、Kを捨てて先生と結ばれたという事実はない。この捻れに、もう一つ『それから』の三千代と『行人』のお直を加えてみると、漱石サーガにおける女の罪が一様のものとは捉えられなくなるように思われる。三千代は代助に惹かれながらも平岡に貰われていく女、代助に棄てられた女であり、直は二郎のいい加減な使いによって一郎に植え付けられはしたものの、先から二郎に惚れていたわけではないので罪のない女なのである。この厳密なルールのようなテーゼから考えると『坊ちゃん』のマドンナや『三四郎』の美禰子には子ができないように思われ、また「私」と静の間には子ができないように思われる。

 この拗れたところを解きほぐすためには「私」の立ち位置を整理する必要がある。作中で「私」は先生に懐かしみから近づき、その直感が正しいことは後に先生の遺書によって事実の上に証拠立てられる。「私」はどうも先生に見覚えがある。つまり「私」はKの生まれ変わりのように仄めかされていることになる。その「私」の全肯定によって先生の罪は消える。先生の手紙によって過去を追体験した「私」がただ美しいとだけ感じていただけの静に再び恋心を取り戻したことは想像に難くない。純白のままKの生まれ変わりに差し出された静には、少なくともKを捨てた罪はないことになる。従って
子をなすことも可能である。

 静が生きている間に手記が書かれる仕掛けに関しては、「私」の父に関する看護が具体的な行為においては浣腸と結びつけられるところから見ていかねばならないだろう。先生はKを殆ど飼育していた。先生はまた力の及ぶ限り懇切に義母の看護をした。このことは殆ど義母に浣腸をしたという意味になる。その意味が重ねられたところに「私」と静の経験を持ち込むと、静は「私」に飼育されるように懇切丁寧に看護されており、もう新聞も読むことが出来ない状態であるのではないかと思われてくる。手記が書かれている時点で静が生きているとしたら、そして静が生きていて現に先生の過去をまだ知らないと確信できるのだとしたら、「私」と静を遠ざけることは出来ず、静が新聞を読まない様にコントロールできなくてはならない。そういう条件を可能にするのが飼育であり看護である。ここには先生を裏切りもせず、自叙伝を世に知らしめよという先生の遺志を果たすという一つの論理的な解がある。

静の責任

 何度読み返しても明らかにすがすがしい『こころ』の冒頭は、それが明確に先生の遺書の後ろに位置することから、飼育される静を前提にしてもまだ曖昧なものを含んでいる。その点では死にかけた親を棄てて東京に向かった「私」は明示的には母親を引き取ってもおらず、また道義的には平等に遺産相続をさせて貰えそうにもないことから、先生の家も書籍も手に入れて、今や一門の新聞小説作家ともなってこその大満足であったとして、先生の遺書、自叙伝の中には確かに自分を裏切った先生がいたわけではある。その裏切りは実は先生の静への愛に気が付きながら敢えて先駆けたKの裏切りに気が付かないところで行われたものであったにせよ、ただの人間であることの正直な告白に過ぎない。

 しかし冒頭のすがすがしさは眩い海水浴に連なり、ついに「私」は「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。」とまで言い出す。この大袈裟な全肯定の意味が全て先生の遺書の中に明示的に表されていたかと言えばけしてそうではなかろう。

 まず先生が終始肉欲の人ではなく、プラトニックラブの人であり、「自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人」なのだという理屈は良いとしよう。しかし「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人」というところが今一つ明確にならない。先生の遺書に「私の親切には箇人を離れてもっと広い背景があったようです。ちょうど妻の母の看護をしたと同じ意味で、私の心は動いたらしいのです。」とあることから、義母に対する看護と妻への親切の根拠が同質のものであり、個人を離れたものである…という、先生のその独特な感覚をまずはそういうものかと認めてもよいのではあろうが、よく考えて見ると義母も静も女であり、西洋人や支那人、あるいは男に親切にした記録が見えない。海水浴では西洋人と「私」と戯れるものの、とりわけ親切だという印象はない。Kの生活の面倒を見ようとしたくだりは確かに親切ではあるが、自分が親の遺産で手に入れた疑似家族を見せびらかしておいて急に取り上げようとするところなど、余りにも人間臭い正直さはあるものの、個人を離れたものではないし、やはり少々みっともない。

 先生が遺書の中に示した男に対する親切は、ほぼKに対する懺悔と墓参りしかない。登場人物が限られるのでどうしてもそうなる。仮に「私」がKの生まれ変わりであるとして、毎月墓参りしてもらったら、個人を離れた人間愛の人だという理屈になるであろうか。極めて冷静にその理屈を現代的に評価すれば、それは早すぎる一般化という認知バイアスである。寧ろ先生が友人を裏切ってだまし討ちをした不名誉を隠すために自己犠牲で死んだKの方が、形式的には人間愛の人のように見えてしまう。「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人」というところにはもう一つ理屈が足りない。それでも先生の際立った特徴は罪の意識の深さと倫理観の高さ、墓参りの多さくらいしか見つからないことから、明治の精神に殉死するとして臭いものに蓋をしたことを拡大解釈するしかないように思えてくる。

 先生はなるべく静を純白なままにしてやりたいと書き残して死んだ。しかしその遺書を静に見せてはならないとしたら、その中に静を汚すインキ、静の罪が隠れていることになる。むしろ先生は自分と静の罪を「私」に告白したことになる。Kの死の原因の何割かが静の態度の曖昧さであり、真砂町事件あってこその小刀細工なのだとしたら、先生は臭いものに蓋をしながら蓋を開け、純白なままにしてやりたい静をむしろ汚してしまったことにならないだろうか。

殉死の大嘘を隠す秘密

 先生の遺書がとても袂に入る長さのものではないということから、それを持ったまま先生宅に向かったなら、先生の死因を調べる警察の目に留まり、やがてはKの自殺の時と同じように新聞記事の構成要素に使われることになるのではないかという疑問もある。そうなれば当然静もその内容を知ることになる。つまりは「私」は警察にも静にも先生の遺書を見せなかった事にはなるのだが、ここにはぼんやりと先生の遺書が隠されるという事実が示されているのだと言ってよいだろう。

 一方、先生は乃木大将の遺書を読む。乃木大将の遺書は妻・静子を残す事を前提に書かれており、それが新聞に掲載されたことによって臭いものの蓋を取る。

 しかしどうした訳か残されている記録は静子の殉死?を絶賛するものばかりだ。むしろ乃木大将の「自殺」を疑問視する記述の方だけが堂々と残されている。何故静子は殺されたのかという疑問が、静が生かされることによって浮かび上がり、先生の血を見せない自殺方法を妄想するうち、静子が誰によってどのように刺殺されたのかという連想が生じる。

「右の外細事は静子に申置付候」

 この乃木大将の遺書は当時の日本人の殆どが読んだ筈だ。完全に読まないまでも人づてに聞いただろう。しかしその徹底した理解のされなさは、隠された先生の遺書、そして歴代で最高の売り上げを記録している夏目漱石の『こころ』と同じ程度のものであった。

 乃木大将は殉死を再発明したと言ってよいだろう。乃木大将の再発明は明治天皇の神格化に寄与し、急ごしらえの明治天皇制を本物らしく見せかけることになった。しかしその遺書は、静子の殉死が大嘘であることを暴露してしまった。この矛盾、何の罪もない静子が死ななくてはならないという馬鹿馬鹿しさは、軍旗を奪われた罪のある乃木大将が、名誉の死を賜り、神様になってしまう矛盾よりもあからさまなものに私には思えるのだが、どうしたことか私以外の誰もこれらの不自然さをけして認めようとはしない。

 静子儀追々老境に入り石林は不便の地病気等の節心細との儀尤も存候故集作に譲り中野の家に住居可然同意候中野の地所家屋は静子其時の考へに任せ候。(静子はおいおい年を取ってきたので石林は不便で病気の時など心細いというのはもっともなので大舘集作に譲り、中野の家に住まわせその地所と家屋は静子のその時の考えに任せる。) ※ 大舘集作は弟

 こんな乃木大将の遺書を読んでみると、夏目漱石の『こころ』にどこか殉死の大嘘を暴く意図があったことはさして想像に難くない。乃木大将が殉死することも可笑しいし、静子が殺されることはさらに可笑しい。しかもおかしな遺書がそのまま残されている。静子を殺したのが乃木希典でないとしたら、それは一体誰なのか?

 あるいはこれは神聖か罪悪か?

 仮に乃木希典が静子を殺したのだとして、結果として二人の死は罪悪ではなく神聖なものとして取り扱われた。そのねじれ具合は、小刀細工の自己犠牲をお祝いに変えてしまうKの屁理屈とどこか似ている。静の曖昧さにKを殺した罪があったにせよ、それは神聖な恋愛の分離できない半面なのである。

 中高生の本当に素直な感想文にしばしばみられる先生の自殺の大袈裟、そこを教えてやれる高校教師はいるだろうか。それを「先生が自殺する理由は作品の中にはない」などと書いてしまういい加減な評論家もいるが、これは間違いである。先生は十分生活できる遺産を受けながら叔父を恨み続けるほどがめつく、静に対する愛情は弱まりつつも、おそらくは何もなかった真砂町事件の嫉妬心を死ぬまで維持するほど倫理観が高いのだ。叔父を激しく恨み、自分を厳しく咎め、また自分でそう誘導しておきながらKが「宅のもの」と親しくなると嫉妬する先生のちぐはぐさは、ドストエフスキーの作中人物の無軌道な性格にも似る。また漱石はどこかで自分の精神病が神聖な価値あるものだと考えたがっていたのではなかろうか。

 その仮定は、短気で思い込みが激しく、周囲を見下し、勝手に依怙贔屓をして暴力をふるう『坊ちゃん』の「おれ」のようなものにも「善」があると意図して書き、日本人の殆どが同意したことによって事実の上に証拠立てられていたのではなかっただろうか。

 あるいは『吾輩は猫である』でたたさよこさと展開される屁理屈に対する大喝采が漱石の精神病の神聖さを讃えていなかったか。

 もし乃木希典があの遺書を残して静子を殺していたら、これは漱石のドメスティックバイオレンスの比ではない。ドストエフスキーの癲癇に嫉妬する文学少年のように、乃木大将の「小説」に漱石は少しは嫉妬したのではなかろうか。


 ※漱石の日記に

六月二十六日
浦和中学校校長陰茎を切り自殺ス
(明治四十一年『断片』/『定本漱石全集第十九巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.398より)

  …とある。ここに嫉妬はなかろう。ある意味ではこの校長よりKの方が真面だ。だがこんなことを書いていると誰かがKは「校長」だと言い出すかも知れないので剣呑である。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?