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[小説] ぼくの心が変だ



ぼくの心が変だ


火を入れた艶消しのアルミニュウムの筐体は寝起きの癖で低く唸った。南国の色艶やかな蝶々が飛び違い、光彩に消える。たたさよこさに乱れる浪漫文字が間もなく一つの言葉を結ぶ。そしてどことも見当のつかない剣呑な西洋の崖が現れる。すっかり葉の落ちたまだらの枯れ木に嘴の短い鴉が一羽止まっている。この地に辿り着いた者が弁当を使い、引き返して風呂に入るまで、一体何日かかるのだろう? ようこそ春陽村雨。今日もお前は呼び捨てだ。夕べ緩んだイヤフォンジャックの所為で、思いがけない大きな音で私の世界は目覚めた。神が事実でないとしたら、私は動かない地球で、かのような文学趣味のメールに眩暈する。


小林十之助のメール

あれからどうしましたかと、編集部には何度も尋ねましたが、一向に返事がありません。
あれからどうしました?
このメールを君が読んでいる頃には、私はまだ成仏していません。私はこの世にいるでしょう。自動で死後にメールを送る方法もGメールに実装されましたが、どうも設定がうまくいきません。私のようなデジタルデバイドはもう用なしなのでしょうが、私はまだお化けではありません。
ごめんなさいごめんなさいと手刀を切りながら、人波をかき分けて、私は君に真実を打ち明けて、ちょっとした片付け物をして、二三人と会って、天ぷらそばを食べて、どうせ死ぬんだから美味いものでも食べて、気が向いたらいつか、この世を去ろうと決意しました。何時この世を去らなければならないのかという時期の問題は君とは関係がありません。しかし何故この世を去らなければならないかという問題は、大いに君に関係することなので、こうして君にメールを送ることにしたのです。未来は解りません。地球は五千年も経てば冷え切ります。
正直に言いましょう。
私は水野みどりから君の原稿を読ましてもらった時から、もうこの世には縋るものが何一つないような非常に不快な思いでいました。最初はこの私になんの面当てか、小僧め、血迷ったかと冷笑おうとしたのですが、途端に気が付きました。私はあなたの原稿を非常な興味を以て読みました。そして断乎たるものだということを理解しました。まるで私の文芸評論家としての生涯を全否定されたかのような感じが致しました。私にはすぐさま君の読解の正確さ、こじつけのなさ、腑に落ちる感じが理解できました。
驚きました。
江藤淳も大岡昇平も書かなかったことをあなたが書いてしまったからです。この謎は永遠に解けることがないと思っていたものが、あっさりと解きほぐされたのに驚きました。何よりも説明に無理がないことに驚きました。もしも新しい『こゝろ』論があり得るとして、それはフェルマーの最終定理の肯定的証明のような大袈裟な、幾何と代数を組み合わせた建て増し構造になるしかないと私は考えていました。
天が下に新しい事は決してない、そう高をくくっていました。それをあなたはまるでどこかにあんちょこリストが存在するかのように、レコンストリュクションのように、そして中学生の読書感想文のような素直さで、覆してしまいました。理窟の徹らないことが起きてしまいました。
顎ひげを伸ばして眉がなかったころ、私は何度か『こゝろ』について論じ、明治の精神ばかりこねくり回してきました。明治とは激動の時代でしたから、角度を変えればさまざまな論が可能でした。これが話題の中心ではないかもしれないとは薄々解りつつも、周囲を埋めることで『こゝろ』が浮き上がってくるのではないかと考えていました。
うっかりしていました。
確かに君の書いたとおりです。私は九割の凡俗な日常から浮遊した一割の時間を使って明治の精神ばかりこねくり回し、つい肝心なところを見失っていました。
ええ、確かに私の書いた『「こゝろ」あるいはセカイ系の起源』と『「こゝろ」あるいはやおいの起源』は世間大評判となりました。社会性を見失い、過去と不思議な青年に振り回され、ついに自殺を覚悟しながら、関係を結ぶ明確な論理を持たないまま、唐突に明治の精神に殉死すると言ってしまう先生を引きこもりに見立て、セカイ系の元祖と呼んだのは私です。同性愛を仄めかしながら、同性愛が描写されず、異性関係よりも男性の友情以上の関係が重視されていることを指摘したのは私です。
私はウィトゲンシュタインの『論考』も引きながら、世界と私の関わり合いについても述べました。
鶴亀鶴亀。
ウィトゲンシュタインは「私は、私の世界である」と語る。世界は私の世界であるという唯我論を否定しない代わりに、それが語られるべきものではなく示されるべきものだと判定したのだ。『私が見出した世界』という本に唯一書き込めないものの存在、その主体が世界の限界そのものであり、主体は世界の中に属さないのだ。したがって『私が見出した世界』を書くという行為は、主体が世界の中に存在しないことを示す方法ともなり得るのである。
またウィトゲンシュタインはそのような世界があるというそのことが神秘であるとも語る。死は人生の出来事ではない。人は死を経験しない。永遠というものが時間の無限の持続のことではなく、無時間性と解されるのならば、現在に生きるものは永遠に生きる。…しかし重要なのは『論考』に書かれなかった部分だ、と巴投げをくらわせる。
まさにそのような意味合いに於いて、夏目漱石の『こころ』は、三人の私が互いに向き合うことで、反復されるカテゴライズ、または比喩の杜撰さから逃れ、世界の限界を語ろうとした企てであったと言えるかもしれない。
いずれにせよ、なにかといえば「ほかならない」と決めつける批評家たちが夏目漱石の『こころ』をあっさり読み間違えて余計な理屈をこねくり回してきたことは訂正を肯んじえない書き誤りのようなものだ。消せるものではないが、未来を拘束するべきではない。実際の役に立たないから、口先で偉そうな事を云って他をごまかすんだろう。
…こんなことを書いて私は拍手喝采を浴びました。
有頂天でした。遇中の骨折りが認められてうれしかったのです。しかしその苦心は水の泡を製造する努力とほぼ似たものでした。私は文学者として失格です。無意味です。寧ろ害悪です。とんだ恥さらしです。私は地獄に落ちるべきです。百年の曲解に加担して、それでいながら自分では何か意味があることを論じているような錯覚に陥っていたのです。
馬鹿げた話です。
何故私は、君のようにすらすらと『こゝろ』を読み解くことができなかったのでしょうか。
いや、そうではありません。何故、君だけがあのようにすらすらと『こゝろ』を読み解くことができたのでしょうか?
一体何故です?
江藤淳も大岡昇平も気が付かなかったことを、何故君だけがやすやすと見付けることが可能だったのですか。
私はそのことが不思議で、あなたについて調べました。私は昔から気になったことは徹底的に調べ上げる性分です。ところがあなたには、まるで生きている人間の気配がありません。あなたのSNSにはまるで生活がありません。鰻丼の写真があっても、それが本当に思えないのです。色鉛筆で平面に描かれた器用なアート、しかも鰻そっくりのかまぼこ、うな次郎に見えます。そのことが私に忸怩たる思いを抱かせました。水野さんに尋ねて、あなたの住所も教えてもらいました。十条仲原三丁目へも実際行ってみました。私書箱ですね。私はあなたを捜し回りましたが、ついに見付けることができませんでした。あなたのメールアドレスをアグスゲートウェイで調べてみました。あなたはこの星の住人ですかね。私は君の実在を疑います。君は蚊に血を吸われたこともないでしょう。君が文学の象徴か何かで組織を持たないものではないかと考えるとついに心安らぎます。私書箱のうちに設えられた重屏禁房の暗闇の中にあると、そう思いたいのです。
本当のことを云いましょう。
あなたの評論を読んでから、私は死んだように生きて来ました。小林はノンセンス、こう言われたように、私はたまらなくおかしくなりました。発作のように込み上げてくる滑稽。死のう、死のう、と思いながら、毎日のように西洋便器にしがみついていました。もしかしたらあなたの評論がこの後一切どこにも漏れることなく、すべてがなかったことになるならばどんなにいいだろうと勝手なことを考えていました。私の手の届く範囲で、あなたの評論を握りつぶすことは簡単でした。しかし、いつかは秘密が漏れるだろうと解っていました。何しろ今は誰でもキンドルで本を出版することができます。君を殺さない限り、あの作品を隠すことは出来ないと知っています。私はあなたを酷く憎みました。何故今さら、『こゝろ』を読み解いてしまうのかと。どうして先輩に敬意を払い、そっとしておいてくれなかったのかと。あなたのやったことは戦争です。いや虐殺です。江藤淳も大岡昇平も、もう反論することすらできません。そんな今、『こゝろ』を正しく読み解くことは虐殺です。
私は実体のないあなたの正体を、自分の幻覚ではないかと思いつつ、あなたに会ったのです。
驚きました。中肉中背で、可哀らしい円顔がこんにちはと言うと侮っていました。
あなたはまるで何の裏表もない新人のような、いや精神のないようなのほほん顔で現れました。高慢なくせにはにかんだ、それでいて人に遠慮をせぬ性らしく見えて、卑俗な人だと感じました。遠慮も斟酌もないむき出しの子供です。話していて情調がありません。濁つた、どろんとした目玉が気に入りません。どこと云って鋭い、際立った線もなく、凄いような処もない、どうも特別のところがない、ごく凡庸な、ただ夏目漱石が好きな人かと思わせるような態度がありました。私はあなたにひどく腹を立てました。
何故このような詰まらない男に、死を迫られなければならないのかと不快でした。
私は、この男はニセモノだろうと直感しました。しかしあなたと話すうち、どうもあなたが完全なニセモノではなく、ニセモノのような、そうではないような、曖昧なものだと思えてきました…。
あなたの背後に大きい蝦蟇のような何かが感じられます。
あなたは大したことはありません。世にいう天才ではありません。完全な凡人です。私のゼミに入ったら、ついていけないのではないでしょうか。好きな本だけ読んできたただの読書家でしょう。体系的に学問をやっていない。日本の国語を系統的に知った人ではない。そんな感じを受けました。もしや狂人ではあるまいかと云う疑いさえ萌しました。
そんな部外者に、漱石をやすやすと読み解かれるという屈辱が、あなたには解かりますまい。吉本隆明が、蓮實重彦が、柄谷行人が読み落としたところを、そして無理にあちこちからいろんなものを引っ張ってきてつなげた曲解を、あなたはいくつも指摘してしまったのです。
一つでさえ怖しいことなのに。
あなたは教科書にさえ載る夏目漱石の『こゝろ』に全く新しい、そしてどうも正しいとしか思えない、素直な解釈を与えてしまったことになります。
しかも新しい解釈は一つではない。
あなたの評論を読み終わった後、あなたが提示した新しい解釈を数えてみました12個でいいでしょうか?
これだけあるのに誰も気が付かなかった?
そんな馬鹿なことはあるまいと、私は数週間の間仕事も休んで、よく知られた先人の漱石論を閲しました。あなたが偽者であり、あなたの評論が誰かの剽窃であることを確認しようとしたのです。しかしその確証は得られませんでした。君が正直で僕が偽物なのか。
私の『こゝろ』があなたの『こゝろ』なら、やはり私は文学者として不甲斐ない。失格です。無意味です。害悪です。
そして私は死を覚悟しました。もう草臥れました。もう何もない。
死ぬのが本当だと思いました。今迄漱石を論じて、他人に褒められて、いささかでも自分が他人より優れていると思い込み、時には偉そうに漱石の『こゝろ』はこんな話だと若い人に教えていた自分がどれだけ頓馬か思い知りました。生替り死替りして七生までミューズを怨みます。
完全に私は芋虫です。あんなことをして済まない。本当にすまない。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。


ケンタッキーのファミリー・バーレルみたいに

 私(わたくし)はKの生まれ変わりであるかのように仄めかされている。


○Secret 霊ノ活動スル時、われ我ヲ知ル能ハズ。之ヲsecretト云フ。此secretヲ捕ヘテ人ニ示スコトハ十年ニ一度ノ機会アリトモ百年ニ一度ノ機会アリトモ云ヒ難シ。之ヲ捕ヘ得ル人ハ万人ニ一人ナリ。文学者ノアルモノノ書キタル アルモノ ノ価値アルハ之ガ為ナリ。
(明治四十三年『日記』より)


これまでの夏目漱石の『こゝろ』研究におけるもっとも大きな陥穽は、「私」がKの生まれ変わりであるという仄めかしを見逃したことから生じたものであろう。
「私」がKの生まれ変わりであることが『こゝろ』のなかで繰り返し仄めかされているという指摘だけでも、夏目漱石の『こゝろ』を巡る六十年の曲解を祓うことができる。
多くの夏目漱石の『こゝろ』に対する批判が「私」の立ち位置、先生に迫る意味、Kの死と先生の死の理由の不可解さ、…つまり「私」と先生とKの関係を捉えきれていないことから生じているからだ。
夏目漱石の『こゝろ』では「私」がKの生まれ変わりのように仄めかされている。しかし生まれ変わりであると断定されてはいない。この文学的表現を受け止めることが読者のたしなみである。
まず、夏目漱石は、


私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(『こゝろ』)


と書いている。この場合、「私」がKと因縁づけられるのでなければ、「よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。」という文言は不意である。または一つ言葉を抜かしている。このように工夫された文章を確認した時には、極めてシンプルに、ここではイロニーが仕掛けられていると見做して良いだろう。ここにはもう一つ別のイロニーも仕掛けられているけれど説明がややこしくなるので、この最初のイロニーだけ整理しよう。もしKと「私」の因縁づけが必要ないのならば、この箇所はこう書いても良かったはずだ。


私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。自分が先生と呼ばれるようになった今でも、私にとって先生は只一人なのです。別の名前で呼ぶことは思いつかない。ましてやよそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。
(河原により下線部を追加)


お判りいただけるであろうか。「私は先生を先生と呼ぶ」「別の名前で呼ぶことは思いつかない」「ましてや頭文字など」という中間の過程が飛ばされている。そして最初のイロニーだけ説明すると断っておいて、もう先生になった私が不自然に先生と呼ぶことが自然だというイロニーが説明されている、と二つ目のイロニーを説明してしまう。
こういう作法をイロニーという。
このイロニーは再読でしか成立しないものだが、初見でも気が付く布石もある。


私が先生と知り合いになったのは鎌倉である。(『こゝろ』)


この箇所はさして可笑しくはない。カマだから鎌倉と飛躍してはいけない。しかし後で意味が揺れる。「二回目に」が省略されているように感じるのに数秒とかからない。


私は毎日海へはいりに出掛けた。古い燻り返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。ある時は海の中が銭湯のように黒い頭でごちゃごちゃしている事もあった。その中に知った人を一人ももたない私も、こういう賑かな景色の中に裹まれて、砂の上に寝そべってみたり、膝頭を波に打たしてそこいらを跳ね廻るのは愉快であった。
私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである。(『こゝろ』)


この表現はまるで既知のものを確認するかのようである。知っていないものは見つけられない。探していないものは見つけられない。そして「実に」に込められた感情がまぶしい。もしもこのロジックがなかったら、この一行はこう改められてもいいかもしれない。


私は先生をこの雑沓の間に見かけた。


「実に」「見付け出した」の大袈裟さがあらためて感じられるだろうか。


彼らの出て行った後、私はやはり元の床几に腰をおろしてタバコを吹かしていた。その時私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。

私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。

他人の懐かしみに応じない先生は、他人を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。(『こゝろ』)


これがKと私の因縁づけである。どうも見覚えがあり、手紙を読めば因縁が解り、「私」にとって先生は懐かしい存在なのである。これでどうして私は先生と鎌倉で出会ったと言えるだろうか。私と先生は鎌倉で再び知り合いになったのである。


「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。
「私の後を跟つけて来たのですか。どうして……」
先生の態度はむしろ落ちついていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中にははっきりいえないような一種の曇りがあった。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」
先生はようやく得心したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解わからなかった。(『こゝろ』)


この場面の大袈裟さに気が付かないのであれば、何かを書く資格はない。
この場面はこう書かれても可笑しくはないのだ。


「あれ、君の下宿はこの辺りでしたか?」
先生はなんでもない風に片目を閉じた。
私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ参りに行ったか、もしや妻がその人のことをいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか」
先生はようやく得心したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解らなかった。


比較してみると、夏目漱石が明確に、Kと「私」の因縁づけを行っていることが解る。
それでも何故「私」がKの生まれ変わりであると決めつけてはいけないかと言われると、そのように書かれているからとしか答えようがない。
夏目漱石は文学の二番目の目的は幻惑であると書いており、「何かのようで何かではないもの」を意識して書こうとしていた。
はっきりと「私はKの生まれ変わりだ」などと書いてしまうと『南総里見八犬伝』みたいな話になってしまう。一時代前の因果物語になってしまうのだ。私は三島由紀夫の『天人五衰』における安永透のような存在なのかもしれない。そこに留まるべきだと漱石は計算したのではなかろうか。
一方先生は、Kの墓に毎月花を手向ける。
この曖昧さは六十年後の私たちにとってもまだ生々しい問題であり続ける。
今でも圧倒的に多くの日本人は宗教書を読むこともなく、輪廻転生の理屈やあの世に関する概念も曖昧なまま、墓に手を合わせ、位牌に手を合わせ、卒塔婆を焚き木にすることはなく、知人が死ねば香典を出す。
他人がどのような考えでそうしているのか調べたことはないが、私自身は墓の下に母が眠っているとは思わず、天国も地獄も信じてはいないし、母がバッタに生まれ変わるとは思っていない。
生物は圧倒的に死滅するものであり、輪廻転生していては算盤が合わないからだ。
母がどこかから見守っていてくれるとも思わない。母を鯖に言いかえると、そんな様子がいかにも滑稽だからだ。
死ねば意識はなくなるだけだと信じている。麻酔で意識を失った経験があるからだ。
霊魂は存在しないと考えている。
しかし同時に過去は過ぎ去るものの、消え去るものではないと考えている。
それでも三回忌で位牌を拝み、墓に向かって手を合わせるのは、自分の無神論で生きている家族の儀式をぶち壊してはいけないだろうという配慮が半分、残りのさまざまな感情の何割かには、既に過去となってしまった母に向かって神妙な気持ちになっているのに、手を合わせる方向が定まらないので、そこに母がいないと知りつつも目印としての墓に向き合っているようなところがある。
私よりもう少し仏教的世界観に囚われている人の話を聞くことがあった。
墓が欲しい、三回忌まではやって欲しい、と真顔で言うのである。
ただしどうも輪廻転生は信じていない。
自分がバッタに生まれ変わるとは考えない。
しかし自分が死後墓の下に眠っているとは考えていない。
どこか空中にぼんやり漂っていると考えているようでもあるが、そのあたりの状態については曖昧にしか描いていない。
仏教は壮大な嘘話である。
少なくとも仏教的宇宙が合理的に説明できるものではないことは確かだろう。
しかし夏目漱石の『こゝろ』を解釈するにあたって、仏教など嘘話であるから、そもそも生まれ変わりなどないのだ、と言ってしまってもしょうがない。我々の世界は仏教だけではない訳の分からない非論理的なものに支配されている。夏目漱石は『こゝろ』で墓参りする先生を描いた。先生が輪廻転生を信じていたとは書かれていないが、少なくとも非論理的な仏教的世界観と同居していた先生を描いた。
幾つもの仄めかしにも関わらず、むしろ先生は「私」がKの生まれ変わりであるかもしれないという疑いを打ち消したがっているように読める。「私」の顔には見覚えがないと惚けながら、「私」にKの名前を知られることを警戒する。この場面でも丁寧にKの名前が伏せられていることを確認しておこう。


「先生がああいう風になった源因についてですか」
「ええ。もしそれが源因だとすれば、私の責任だけはなくなるんだから、それだけでも私大変楽になれるんですが、……」
「どんな事ですか」
奥さんはいい渋って膝の上に置いた自分の手を眺めていた。
「あなた判断して下すって。いうから」
「私にできる判断ならやります」
「みんなはいえないのよ。みんないうと叱られるから。叱られないところだけよ」
私は緊張して唾液を呑み込んだ。
「先生がまだ大学にいる時分、大変仲の好いお友達が一人あったのよ。その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」
奥さんは私の耳に私語くような小さな声で、「実は変死したんです」といった。それは「どうして」と聞き返さずにはいられないようないい方であった。
「それっ切りしかいえないのよ。けれどもその事があってから後なんです。先生の性質が段々変って来たのは。なぜその方が死んだのか、私には解らないの。先生にもおそらく解っていないでしょう。けれどもそれから先生が変って来たと思えば、そう思われない事もないのよ」
「その人の墓ですか、雑司ヶ谷にあるのは」
「それもいわない事になってるからいいません。しかし人間は親友を一人亡くしただけで、そんなに変化できるものでしょうか。私はそれが知りたくって堪らないんです。だからそこを一つあなたに判断して頂きたいと思うの」
私の判断はむしろ否定の方に傾いていた。(『こゝろ』)


先生の手紙を読んだ後にこの場面を振り返ると、奥さんがKの名前を意図して伏せていること、先生に口止めされている要素があるということ、それが「Kの変死が頸動脈を切っての自殺であること」と「Kの墓が雑司ヶ谷にあること、あるいは先生が毎月Kの墓参りをしていること」らしいことが解る。
奥さんの「その方」という表現も気にかかる。まるで先生を通してしかKとの関りがなかったかのように聞こえる。そうした表現を用いることでKの名前を訊かれることを未然に防ぐ会話テクニックではないかと疑われる。
もしも奥さんがKを知っていたことを隠す必要がなければ、


「先生がまだ大学にいる時分、私の実家に下宿なさっていて、大変仲の好いお友達を一人お連れになったのよ。K××××さんとおっしゃって最初はとても気難しい方かと思っていましたが、一緒に暮らすうちにだんだん打ち解けていらっしゃったのに、その方がちょうど卒業する少し前に死んだんです。急に死んだんです」


と、言うべきではなかっただろうか。
奥さんは明確に嘘を吐いたとまでは言い切れぬものの、明確に何かを言い残している。
奥さんが先生の禁止事項を守りつつも、「私」をKに近づけようとしていることは間違いない。先生だけではなく、奥さんも何らかの意味で「私」を選び取ったのだ。
頻繁に遊びに来る青年だというだけで「私」が選ばれたと考えるには、与えられた使命が大きすぎる。
敢えてここに理由を求めるとすれば、「たまたま」や「偶然」ではなく「因果」の方がふさわしいのではなかろうか。

どうも不思議な気分だった。
大昔、中学校の読書感想文で「Kの生まれ変わりの私は、西洋人のすけすけの猿股をじっと見つめて、丸裸で先生に迫ります。先生は未亡人の財産を奪い取り、お義母さんに浣腸をします…」と書いて、丸眼鏡の、MG5のヘアリキッドで髪を七三に分けた国語教師に散々辱めを受けたことを思い出す。その少し前に「鶏頭の十四五本もありぬべし」という子規の句を、鶏頭の花を知らず、ケンタッキーフライドチキンのファミリー・バーレルみたいなものと取り違え、鶏の頭が十四五本も新聞紙に並べて干されているグロテスクな句だと勘違いして大恥をかいたばかりだった。寧ろ鶏頭となるも牛後となる勿れの鶏頭が十四五本も並んでいると思い込んだ失敗だった。あの時、懸垂が十五回も出来る民青の国語教師は、わざわざ私の感想文を噴き出しもせずに読み上げ、どうかそのまま千代に八千代に真直ぐに育ってくださいとからかった。
それから急に真面目な顔付でこんなことを説教した。
夏目漱石は『こゝろ』を読んだ小学生からの手紙に対して、あれは子供が読んでためになるものではないと諭している。夏目漱石の『こゝろ』には邯鄲の枕のような一つの人生が描かれている。文学の第二の目的が幻惑であり、勧善懲悪でなくてはならず、文学者は人生について問われるようにならなければいけないと夏目漱石が考えていたとするならば、さておかれた文学の第一の目的は、本来知りえない、そして通じ合うことのできない生身の人間同士の関係を超越し、他人の意識に乗り移り、他人の経験を追体験し、人間を知る手立てを示すことにあるのではなかろうか、と。
そしてとうとう民青の国語教師は、笑壺に入りよだれを垂らすほど笑い転げた…。民青の国語教師は翌年東京に転校した。後で東大の大学院出身だと知った。そんな人が田舎で中学校の教師をしていれば、懸垂するのも、子供を馬鹿にするのも仕方がない。
 ところが、表紙の剥がれたこの古本は、中学生だった私の誤読をなぞっている。
ところで、と言うべきところで言を永く、「とーこーろーめーが」と言って見せるのがその民青の国語教師の鉄板ギャグだった。子供たちはいつも素直に笑ってあげた。めが、のところで笑わなければ先生が不機嫌になるからではない。昔の子供は今では想像もできないくらい素直だったのだ。花瓶の生花を象牙のポインターで指し、「赤、黄色、オウレンジ」と言うのも定番だ。オウレンジ、その英語風で大袈裟な発音で、子供たちは笑った。それが自分たちに投げ与えられた慕わしさだと解っていたからだ。ポインターの握りには銀の飾らいがあり、時折「エドイスト」と意味不明な言葉を発していたが、それが先生の先生、ラテン語教師のおさがりだと解るのはずっと未来のことだ。確かにあの時、国語教師のからかいがなければ、いつか私自身がこんなお馬鹿な本を書く事になったかもしれない。
 河原岩雄という人が、この本の作者であることが判る。インターネット検索ではそれらしい人は見付けられない。六十年の曲解という言葉を真に受けると、この本は昭和五十五年頃に出版されたものらしい。
 この本には表紙もなく、奥付もない。剥がれたのか、剥ぎ取られたのか。
 私が剥がしたのか?

赤羽の古書店で手に入れた

古書店の入り口に立って中を覗くと、色の白い西洋人の先客が見えた。一旦店に入ればUの字に店内を一巡りして最低一冊の本を買わなければ店主が機嫌を損ねるので、私は店頭に曝された日に焼けた三冊百円の文庫本の背表紙を眺めて暇潰しをした。その西洋人のぼてっと膨らんだ腹とすれ違うには、体がどこか触れなくてはならない。それだけは勘弁願いたい。
三冊百円の文庫本はどれも見覚えがある題名だ。読んだわけではないが、大体どういう話なのか分かっている。小説は事実を本当とする意味においては嘘だ。その嘘は大抵題名に凝縮されている。かのように書かれているだろうという予測が外れたのは数えるほどのこと。その全てがリチャードの本だった。
私の用事は店内にあった。
 西洋人は店主と何事か話し合っているようだった。
これは意外なことだ。店主は無口な老人だ。私とは今迄ほぼ単語でしか会話しない。まだ売値のついていない全集に手付を打って予約したいと申し出た折にも、店主は長い沈黙の末、「手付では領収書は出せないよ、出ないけど、何か書こうか…」と言っただけだった。果たして店主は案外な達筆で、預り金一万円但し都市出版社刊沼正三全集予約金として、とメモ帳に書き印をついて渡した。手首に太い数珠が見えた。
 以来私は月に一度、この古書店を訪問し、まだ全集が揃わないかと督促することにしている。本音を言えば、この熱心さに絆され、全集が揃う前に本を引き渡してくれることを狙っていたのである。
 店主は単に値を吊り上げたいのではなさそうだった。店内の値が付いた全集の類は神田と較べて同等かやや安いくらいだった。問屋に注文して希少本を揃える工夫もなさそうだ。店内の三分の一は稼ぎ頭のエロ写真集であり、学術書に専門性もない。ただ沼正三の全集が偶然どこかからたまたま持ち込まれ、後一冊で揃うという状況がたまたまこの店にあることを私が知り、店主がたまたま値付けのルールに頑ななだけで、こんな関係が生まれてしまっているのである。
 一つでもたまたまが欠ければ、十条仲原三丁目に住んでいる私がこの店に通い続ける理由はない。流石に十条から赤羽の往復は億劫だ。
 いや、もう一つ私の事情があるにはあった。
 沼正三は『家畜人ヤプー』を三島由紀夫に絶賛された覆面作家だ。私は友人のつてで既に『ある夢想家の手帖から』の三冊を手にしていた。しかしまだ十分ではなかった。私にはどうしても沼正三全集を手に入れる必要があったのだ。
井上靖の『敦煌』を半ば読み終わった頃、ようやく西洋人が店から出てきた。心なしか揺れながら数軒先のおでん屋に消えた。私は西洋人の落ち着き先を確認してから咳払いして、店に入った。
店主は顔も上げなかった。古本に埋もれた普通の古書店の普通の流儀と違うのは、多少なりとも見覚えのある私が来店し、早速話しかけようとしているのに、まるで十五歳の少年がはにかむようにわざとらしく顔を背け、『明治叛臣伝』に目を落としたところだ。
「あの、村雨です」
私は毎度の挨拶に深々と頭を下げた。店主に一言「ああ」と返してもらうための毎月の儀式だった。
店主はわざとらしくゆっくり顔を上げ、一秒だけ私の顔を確かめ、そして「ああ」と言い、目線を『明治叛臣伝』に戻した。それがまだ全集が拾わぬという返事らしい。私は仕方なく入口から出口までの蔵書の変化をチェックすることにした。いくつかの本がなくなり、いくつかの本があらわれていた。
一通り店内を確認し、沼正三全集が完結していてないことを確認した後、私はやはり店主に念を押さねばならなかった。
「まだ、ですよね」
店主はいかにも面倒臭いと直に返事はしない。煙草のみの痰が絡んだような咳をして、咳が治まると、返事だか何だか曖昧な吸気でウンと言った。
私はこの店主が書いているのではないかと思しきアメーバ・ブログとツイッターをフォローしている。そしてひそかにこの店主を先生と呼んでいる。
この店主が、私の尊敬するブロガーだと確定する根拠はないのだが、私は勝手に二人を結び付けているのだ。大体件のブロガーは日常の生活には触れない。読んだ本の感想を淡々と書き綴るはかりだ。そこにほとんど私生活の陰はない。飯や汁や菜の写真はない。文字ばかりがある。何を食ったとも、誰と会ったとも、こうすれば金が儲かるとも書かれていない。苦悩も情熱も感動も温度もない。あらゆる夾雑物を取り除いた文字を、まるで肉体を持たない文字だけの存在が書いているかのようだ。
ただ私は勝手に、北区赤羽に住み、古書店を営み、生活には困らぬ程度に読書三昧で過ごしている自分より年長の男性を勝手に空想していた。擬制の承認。実際の生活などに殆ど意味を見出せず、書物の中で暮らす人。にぎやかな駅前で、海辺の掘立小屋でローソクを使うように暮らす人。風呂に入ったばかりの子供のような人。夢より外に一歩も踏み出さない隠居。
北区赤羽の根拠は二度現れた。新宿へも東京へも不便がないという記述があり、呂布の赤兎馬に関する逡巡があったからだ。
それ以外には何もない。後は私のカンだけだ。何となく似ているというか、この店の蔵書とブログの記事がどこか繋がっているというか。と、見回した店内の本棚の様子が少し変わっている。何十冊かまとめて本がなくなっている。一か所からごっそりというわけではなく、あちらこちらから引き抜かれて、棚に隙間ができている。こんなことは今までになかったた。だがいざなくなってみると、どの本がないのかまでは流石に思いだせなかった。今ある本には大抵見覚えがある。それでも目の前にないものを思い出すことができないとは、記憶とは曖昧なものだ。そう思った時点で入店後二分は過ぎていた。後三分かそこらで何か一冊買う本を見付けなくてはならなかった。しかし何でもいいというわけにはいかない。今は余裕がない。私は出来るだけ古びた薄い本を探して棚を巡った。しかしどういうわけか今日に限ってそういうものが見つからない。私は焦っていた。
私は店を出た西洋人の背負っていた巨大なリックサックを思い出して店主を振り返った。
そう、あのぱんぱんのリュックサックに大量の古本が詰め込まれたに違いない。
しかし何故?
この古書店には珍しい本はなかった。ただ沼正三全集だけが特別だった。後はどの古本屋でも手に入るようなものが並べられていた。澁澤龍彦も稲垣足穂も文庫本で再版されてしまえば、もう改めて馬鹿高い単行本を求めることをしなくなった時代に、色褪せた薄い本ばかり買い求めていく西洋人がいるとは…。
その西洋人も今追いかければ、数軒先のおでん屋にまだいるかもしれないと思いつつ、店主の顔を見る。店主は少し上げていた顔をまた手元の本に落とす。なんだか坊さんが屁をこいた、をやっている気分だ。
「今日は随分売れましたね」
私は自分でも驚くくらいフランクな、そして唐突な呼びかけを店主に発していた。
店主はどんな筋肉を使ったのか分からぬくらいに跳ね上がり、呼びかけをやり過ごした。 
そうだ、あの西洋人のふらふらは急に増えた重みの為のふらふらだったのだ。だが何故安い本ばかりを買っていったのかは分からない。
私は件の沼正三全集の揃いかけを見上げ、なんなら愛想のために既に読んだ文庫本を買おうかと出口に向かう途中で、床に落ちていた一冊の茶色の文庫本を拾った。表紙も剥がれ、奥付もない。私はそれを左手の人差し指と親指で摘まみ上げ、店主に示した。
「それはあんたにやるから、今日はお帰り」
店主はそう言ったような気がした。
証拠はない。
ただ私がそう記憶しているたけだ。
数日後、私は驚いていた。

数日後、私は驚いていた。

数日後、私は忽然と驚いていた。赤いものや黒いものがぐるぐると渦巻き、私は古い記憶をどこかから持ち出してきてしまった。
それはたまたま古書店で、無料で譲り受けた古書が、まるで私が書いたものの様だったからだ、信じられない内容を持っていたからだった。その本に書かれていた内容は、私が昔書いた読書感想文そっくりだった。しかしそう思い出すまで、私は『こゝろ』がどんな話だったかすっかり忘れていた。
そして妙な違和感があった。
その古本を読むまで、私は全く別の『こゝろ』しか覚えていなかったからだ。
それは勿論在り来たりに語られるバランスの悪い『こゝろ』だ。先生の死の理由もKの死の理由も訳が分からず、私の立ち位置が曖昧で、奥さんが案外悪いという『こゝろ』。
しかし私は突然思いだした。
本当の『こゝろ』を。
鶏頭の屈辱から、私は自分の感想文の記憶を封印してしまっていたのだろうか。
その時点では私はふわふわとした感覚、自分の記憶の曖昧な部分に捏造が紛れ込んだような違和感に囚われていたに過ぎない。
驚いたのは何十年かぶりに青空文庫で漱石の『こゝろ』を読んだ時以降だ。
工作員が悪戯をして、『こゝろ』を改変してしまったのではないかと疑ったのだ。しかも何故か私が書いた恥ずかしい読書感想文に寄せて…いや、『六十年の曲解を祓う 夏目漱石の「こゝろ」の正解』に寄せて改変した?
自分がパラレルワールドに迷い込み、私が読んだ『こゝろ』が間違っているのだとしたらどんなに良いだろうかと思った。そうでないとしたら、私は可笑しくなってしまったのだ。確かにスマートドラッグは一通り試した。頭に良いと思われるサプリメントは何十種類も摂取している。プラズマローゲン、フェルミ酸、レシチン…。
私は決定版漱石全集で『こゝろ』を読み直した。
私は完全におかしくなっていた。
私は決定版漱石全集で『こゝろ』を読みながら、咄嗟に勝手に『こゝろ』を読み替えていた。いや、もう何を見ても自分の都合の良いようにしか受け止められないような損傷を脳に負ってしまったのに違いない。
『こゝろ』を読み終わると、私は爪が伸びていたことに気が付き、爪を切った。左手の爪を切り終わり、右手の爪を切ろうとして、私は右腕の爪を切るにはぶるぶると震える左手を使うしかないこと、自分には二本しか腕がないこと、そして午後十時に隣人が爪切りをすると壁を叩く隣人がいることを知った。そちら側の隣人は恐らく年金暮らし。健康で元料理人か何か。まな板で何かを刻む音がリズミカルだ。反対側の隣人は生活保護で暮らしている。介護保険をフル活用していて、週に四日はヘルパーを部屋に招き、土曜日はデイサービスに出かける。糖尿病の合併症で肢を切断したのか、車椅子を使っている。
私は、頭が可笑しい。
私は数週間かけてあちこちの図書館から漱石論を取り寄せて借り受け、片っ端から読んでみることにした。幸い都内の図書館にある本は、手間を惜しまなければ地元の図書館で借りられる仕組みだった。それでも取り寄せに時間がかかるものもあったので、図書館が充実していて、入館チェックの甘い大学図書館に忍び込んでもみた。そして私は、いつか、自分が可笑しいのではなく、この百何年間かの間、漱石の『こゝろ』を読んできた何百万人もの人たちが、ことごとく可笑しいのではないかという、なんとも珍妙な疑いに憑りつかれた。
私は完全に狂っていたわけではない。その証拠に、自分の疑いの疑わしさに十分自覚的だった。私はまだ自分の可笑しさを疑う理性があった。
私は河原岩雄著『六十年の曲解を祓う 夏目漱石の「こゝろ」の正解』を赤羽中央図書館の仲の良い美人の司書係の森野さんに探してもらった。その人は既婚者だが妙になれなれしく人に接するところがあった。私は何かの機会にカウンターに手をつき、彼女がこちらに向けて斜めにしたパソコンのディスプレイを覗き込み、そして右手の甲に、彼女のお乳を載せられたことがある。私はそのことに驚きながら、手を引っ込められないでいた。そうすることで何か困った事態になるかもしれないという恐れが半分、もう半分は何の他意もなく、勝手に私の右手の甲の上に重さを預けたお乳を責められないという道徳観が半分。彼女はタレントの雪乃村貴恵に似ていた。
河原岩雄著『六十年の曲解を祓う 夏目漱石の「こゝろ」の正解』無摩擦出版。
そんな作者も、そんな題名の本も、そんな名前の出版社も都内の図書館には在庫がないことを森野さんが徹底的に調べてくれた。そして国立国会図書館にも納本されていない可能性が高いということも教えてくれた。
「先生、どうしてもこの本をお探しでしたら、古本屋の問屋に注文を出すという方法がありますが…」
森野さんは『国歌大観』や『新日本古典文学大系』を熱心に読んでいる私のことを何かの先生だと勘違いしている。先生は区民図書館など利用しないものだとも、自分は先生ではないとも私は弁解しなかった。もしかしたら何かの機会に、森野さんのおっぱいを揉めないものかと考えていた。そのためには先生だと思わせておいて損はない。
私自身が何日もかけて検索したが、ネット上には何の情報もなかった。河原岩雄も『六十年の曲解を祓う 夏目漱石の「こゝろ」の正解』も無摩擦出版もどこにも見つからない。ヤフー知恵袋にも質問してみたが、頓珍漢な情報しか集まらなかった。
つまり私がたまたま譲り受けたこの古書を持っている人間は、この本を読んでいないか、理解できなかったか、興味がなかったか、死んでしまったか…。
少なくともこれだけインターネットが発達した現在、この本をきちんと読んだ人間が一人でも生きていれば、このあまりにも馬鹿げた状況で、何かしら発言しないことは余りにも不自然だ。
もう中学生ではない私ならとても黙っていられない…そう思いながら、私は自分がこの数日間、何故かこの本のことを黙っている意味について考えていた。
文学関係の話ができる唯一の友人にもメールを打たなかった。(彼は睾丸の癌になり、昨年亡くなった。残念だが、間に合わなかった。)
そもそも私は司書係にこの本を探させた。
私は迷いながらも何かこそこそと動き回り、とんでもないことをしでかそうとしていた。
その準備のために、この本が世の中に出回っていないことをこっそり確認したのだ。
私はあらゆることを疑い、そして迷った。
残りの時間についても考えた。
何よりも鶏頭の屈辱を与えた民青の国語教師に問いたかった。本当に僕は間違っていましたかと。革命は成功しましたかと。
私はパソコンのワードプロセッサーにその古書の内容を何日もかけて打ち込んだ。そしてついにそこに手を加え始めた。それが四十年前に出版されたものであることを誤魔化す為、古すぎる言い回しを現代風に改め、最近書かれたことを強調する為に村上春樹と漱石を比較し、昨年改訂されたばかりの『定本漱石全集』から無駄に引用を挟み込んだ。
そして一通り書き直した原稿を印刷して、評論を募集している雑誌社に投稿した。

ファシリテーターとお考え下さい

古い話だ。私は評論の新人賞を募集している企画をネット検索し、その募集要項を精査した。元々沼正三論を書いて送ろうと探していた出版社だ。今さら島崎藤村や神西清を論じてもありふれているが、沼正三全集を手に入れれば、誰もその全容を承知していない覆面作家の評論ならば多少なりとも新鮮味があるのではないかという姑息な発想だった。元々私は森鴎外だけを読み続けてきた。『伊沢蘭軒』と『渋江抽斎』を交互に読んできた。『伊沢蘭軒』を読み終わると『渋江抽斎』を『渋江抽斎』を読み終わると『伊沢蘭軒』を読んできた。
だが私はなんと夏目漱石の『こゝろ』論を書いてしまったのだ。
そのままいけると確信した。「文芸細胞」という文芸誌を出版している雑誌社に、書き直した原稿を投稿してみた。
誰かに眩暈がするほど殴りつけられることを畏れながら、少しは褒められることを期待しないではいられなかった。
実際にはそうはならなかった。
募集期限にはまだ三ヶ月もあるというのに、応募から二週間後にはメールで連絡が入った。編集員からだった。もしかしたらそんなこともあるかもしれないと期待しながら、よろしければご自宅へお伺いしたいという文句にひどく焦り、私は出版社へ伺いたいと即答した。
まだ誰かに眩暈がするほど殴られる可能性があったのに、わざわざ敵地に乗り込むことになったのだ。二往復の電文(メール)で面会(アポイント)予約(メント)は固まった。翌日の午後、私は池袋にあるその出版社に件の編集者を訪ねた。
立派な建物は自動で硝子戸が開いた。しかし要領を得ない警備員の指示で、右往左往して入館証を首から下げると、私は自分が質の悪い巡廻訪問販売員にでもなったような気がした。そして本当に自分が質の悪い押し売りのように編集者を騙そうとしていることをもう後悔し始めていた。
呼出電話(インターフォン)を二回、深く腰の沈む寝椅子で十分待たされ、樹脂(ミニペット)小瓶(ボトル)の菩(ボ)流(ル)比丘(ビック)が先に用意された打合(ミィーティング)部屋(ルーム)Cに通された。
白い衝立で区切られた白い四人掛けの洋机(テーブル)の席だ。壁も白い。
この部屋では全ての光りが間接照明だった。光源は定かではない。灰色の絨毯(カーペット)に吸い込まれるまで、光は拡散し続けた。昔の左翼系の出版社とは大違いだ。
どこかから静かな背景(バックグラウンド)音楽(ミュージック)が聞えてくる。聞き覚えのある曲だが、私には曲名を覚える趣味がなく、何の曲と当てられない。そうなんだろう。文学にさして興味のない圧倒的に多くの人々にしてみれば、夏目漱石の『こゝろ』がどんな話であろうかなどということには興味がなく、ただ男色(BL)小説として楽しむことも可能なのだろうと。この背景音楽を聞いても、何々様式の変奏曲(ヴァリエーション)でこんな工夫が足されているのだなあと感じ入るのだろうが、私にはただ心地よい調べとしか感じられない。
「お待たせしました。はじめまして」
言葉は句切られた。実にその瞬間、私はその人を見付け出した。榛(ヘー)色(ゼル)の虹彩に吸い寄せられるまま直立し、鼻端を突き出して両手で名刺を受けとった。その名前を頭の中で四回五回と繰り返して、どうもその名前には因縁が感じられたものの、それが面会予約の所為だけではないとは、まだ意識に上らせないように押しとどめた。私は陰と陽とを合わせたくなった。まごころにおもいやりを突き立てたくなった。
「どうぞおかけに。失礼いたします」
私は露西亜曲芸団の熊のように彼女の指示に従った。その人は私の首から下をZの字の形に舐めた。それから彼女は何かの意言訳のように頭を掉って何かを笑った。その微笑みは同情に飢えた男を残酷に射貫いた。あんかけ焼きそばの売(ウー)飯(バー)出前持ち(イーツ)を閾の外に待たせて置いて、徐かに眉を青黛に擬すような人だった。どうしてもあれに接吻(キッス)をせずには置くまいと、わたしは心に誓った。
「お忙しい中わざわざ起こしいただいて恐縮です」とかなんとか、その人は慇懃を尽くしてありきたりな挨拶をした。私は、エエとかハイと返事をしながら、彼女の声に聞きほれていた。なんとも居心地の良い声だ。高すぎず低くもない、丁度良い声だ。154センチ42キロの体から、その声は発せられた。
やや遅れて竹の杖を突いた鋭い目つきの五十がらみの眼鏡の男が現れ、不機嫌そうに彼女の横に坐った。文化おじさんに見えた。吊るしの背広の四個の釦を皆掛けて、窮屈そうではない。三食飯は食わないのだろう。挨拶は無しだ。その代わり私の首から下をくるりと舐めた。思惟する者と観察者が同居したようなひどく疲れた容貌をしている。その癖ぼてっと持て余した唇の赤が、舌なめずりを途中で忘れたように濡れている。
「直ぐ分かりました?」
場所の事か?
「ええ、池袋は庭みたいなものですから」
「あれ、先生のお住まいはお近くでしたか?」
違ったな。では何が直ぐ分かったか…なんだ。
「お困りになったでしょう。突然落選も当選もありません、しかしお会いしたいとメールが届いて」
「ええ。あやうく短気を起す所でした」
「短気?」
「ええ。情報(データ)を全部消して玉川上水に飛び込もうかと…」
「止めてください。そんなこと。早速ですが、弊社では村雨先生に三つのご提案があります」
透明紙(クリア)挟み(ファイル)に入った資料が私の前に差し出された。丸や四角が程よく点綴された力説(パワー)図案(ポイント)の印刷(ハンド)資料(アウト)だった。
「端的に申し上げます。先生にお願いしたいのは、定額(サブスク)販売(リプション)計画(プロジェクト)への参画、対話型会話(ネー)文(ム)の作成、それから企業(パブリ)宣伝(シティ)と企業(アドバ)広告(タイジング)への協力です」
確かに資料にはそのように書いてあった。電文にもそんなようなことが走り書きされていた。その着想(アイデア)が丸や資格や三角の囲みで整理されている。それは相手を説き伏せるために微小(マイク)軟(ロ)件社(ソフト)が考え抜いた曼荼羅である。しかし私はその曼荼羅に関わらず、ただ文字だけを読んでいるので何のことか解らなかった。濃い明色の髪を右耳に掻き上げて、金の十字架の耳飾りが顕れた。絽の襯(チュ)衣(ニック)に隠れた首飾りの先にも同じものがあるのだろうか。
「村雨先生の作品は、みな題材は優れて良いが表現の方法に問題がある、大いに問題がある、捨てるには惜しいがそのままでは使い物にならない、いわば昔の大トロだ、という意見で一致しました。ですから当選落選ではなく、弊社が今秋企画している定額販売の目玉企画になんとか加工できないものかと考えております」
随分と失礼なことを言われたような気もするが、何しろほぼ書き写しただけなので、相手の判断が鋭いと認めるよりない。そして言葉が解けてきた。要するにやり直しましょうと言っているのだ。あれは作品ではなく材料で、もっといい料理になると言っているのだ。記録芸術、文学立体化運動をやりなおしましょうというのだ。
「有料会員が記事を閲覧する報酬を書き手に還元する仕組みを動かそうと考えています。そのために有料会員の幅を広げるべく、掲載作品にも工夫を求めます。弊社では画面右側に文章を載せ、左側には図や画、漫画を載せる対面(インター)仕様(フェイス)を考えています。できるだけペルソナを低く抑え、一部分はLINEに置き換えてみたいと考えております。ですからもう描写は要りません。描写と映像とではどちらの情報量が多いのか比較しようもありませんね。もう丸いとも四角いとも書かなくて結構です」
話の勾配が急になった。しかし私には腕組みをしてこちらを睨んでいる壮年男のことが気にかかる。男はまだ口を開かぬし、名刺も受け取っていない。
「小林先生とご面識は?」
 私の目線に気が付いたのか彼女は訊いた。
 どこかで見たような気もするが、どうも思いだせない。ありきたりの顔だ。
「今回監修をお願いする小林十之助先生です」それきり説明は追窮されない。仕事ができなくって、ただ理窟を弄んでいる人だとも言わない。その名前にも覚えがあるようなないような感じがして要領を得ない。さらに監修の意味が分からない。互い違いの眉には遠慮ない鋒鋩が露れている。
「チズー、というAR共通基盤はご存知かと思います。現実の空間に音声情報、画像情報、文字情報を埋め込む技術を利用したものです。一種のジオ・タギングです。当社は好事家に向けてAR吟行の亜振(アプリ)を開発した無摩擦(ゼロフリクション)技術社(テクノロジーズ)と共同で、青空文庫を位置情報化する亜振を開発しました。共作(ウイ)電子(キ)百科(ペデ)事典(イア)のように自由参加で、無報酬ながら、どんどん文字情報が空間に埋め込まれています。村雨先生の作品も柳町の場面なら柳町、真砂町なら真砂町に埋め込む、という地球(ジオ)記録(タギング)を計画しています。今、廃棄食材を未然に減らすために売れ残りそうな商品を亜振で予約して無料で貰えるサービスとの協業(コラボ)も計画しています。もしも漱石が同時代人なら、もしも漱石の描いた人物が今に甦れば、利用者と横町のどぶ板の上で袖を触れ合わせることもあるでしょう。贔屓筋(ファン)商売(マーケテイング)と聖地巡礼、活動(アクティ)状況(ビティ)と文学を融合させる仕掛けを考えています。例えば先生が大山のとらじろうで鰻を食べる場面をお書きになると、その場面が実際にとらじろうに埋め込まれることになります。贔屓な読者はとらじろうで鰻を食べながら、実際にその場面に遭遇することになります…どうされました? 村雨先生」
「…続けてください」
「実は文学界はコアなファンに支えられています。新聞の書評に上がった本はとりあえず買ってみるという人たちです。出世作から一貫して買い続けるという方もいます。つまり…村雨先生、どうしました?」
「何ですか?」
「ご気分でも悪いのですか? お顔が苦しそうで…」
「気になさらないでください。私はどうも昔からサラリーマンの言葉に弱いのです。真面目に受け止められないというか、聞いていられないのです。なんだか言葉に耐えられないのです。あえて衰朽をもって残念を惜しまんやかとか、憐れむべし身上の衣は正に單と言われているような気分になるんです。でもいいです。続けてください」
「…では」
「結構です」しかし私は即答した。もう部長がどうとか決裁だとか、源泉徴収だとか支払調書などというウンコのような言葉は聞きたくなかった。
「勿論今急にお決めいただこうとは考えておりませんが…」
「結構です。全てお任せします」私はそう答えていた。


「いいんですか、本当に」
「武士に二言はありません」
「この提案にはデメリットもあります。賞金のような一時金は出ません。コンテンツは最終的に色々な素材を加えてこちらでかなり作り込むことになりますので、村雨先生は原案者として当社規定の報酬を受け取る形になります」
「それで構いません。是非お願いします」
「よく考えた方がいいですよ」煙突を潜ったような小林十之助が発した声には、まだ意味をなす前から、押え切れない肝癪の響きが込められていた。口を被った左手の中指のペン胼胝は脂で黄色い。「君はまだ文学というものを真剣に考えたことがありませんね。そんなことだから、落選も当選もしないのです。財産は出来るだけ早く分けて貰っておきなさい。文学というものは残酷なものです。それは想像を絶するほど醜いものでもあります。君は石窟に住み下水渠に網を仕掛けて残飯を集めて食う勇気がありますか? 芋虫にされて生きる覚悟がありますか?」
「芋虫…江戸川乱歩の?」
「額に犬の文字を入れ墨される覚悟はありますか?」
「それは……無理です」
「真冬の玉川上水に身投げする覚悟もなしに文学をすることはできません。それは不可能なのです。君のような馬の骨が評論家ならば、世間は評論家の多きに耐え切れぬでしょう」
私にはこの男が真面目なのか、自分が言っていることが解らないのか、自分の言葉に酔っているのか、なんとも判断がつきかねた。
「君の書いたものを少し読ませてもらいました。編集の方とも評議を凝らしました。ある部分大変感心致しました。ある部分は感心しませんでした。論はなめらかながら少々軽く浅い。放縦な行き当たりばったりがあり、無態度の態度がある。根本史料が極度に狭く限られている。指導者がいないのが露骨に見えます。あれとこれは読んだ方が良いと教えてくれる人がいないので、論がしかるべきところに届いていません。楽天に筆を走らせれば俄然として道が開けるというデザイン思考の真似事でしょうか。私(わたくし)がKの生まれ変わりのように仄めかされていることから、先生の長い手紙の中で、さして来歴を持たない私が前世を追体験したことで、自分が先生へと向かう理由が事実の上に証拠立てられた、と書いているのはどうかと思います」
「そうでしょうか?」
「そしてKは私を通じて未来を獲得したかのようだ、ですって? 二つの和解によって生じた冒頭のすがすがしさは、ユーモアの人漱石の最後の意地でもあったのではないか、ですって?」
「まあ、そういうものを書きました。本能的掃除のようなものです」
「君、馬鹿を言っちゃいけません。どれだけ己惚れるつもりですか。まあ、なにか、仕事もなければどうしても目立ちたいという意識はあるんでしょうが、そんなもので自分を安っぽくしては損です。そんなことを書いた人は今迄一人もいませんよ。あなたはテロリストになろうとしています。あなたのやろうとしたことは舌の戦ぎです。そこのところを冷静に考えた方がいいです。それに厳しいことを言っておきます。私はあなたを信用しません。何故だか解りますよね。あなたは信用に値しません。何故なら、外は雨でしたか?」
「は?」
「外は雨でしたかと訊いたのです。池袋駅からこのビルまでの間に、地下道も屋根もない道がありましたか?」
「どういう意味ですか?」
「頭と藍微塵のシャツが濡れているからです。今日は晴れていた筈です。天気予報は晴れでした。それなのに君はわざわざどこかで水を被ってきた。駅のトイレですか。警備員に何か言われませんでしたか?それに何です。そのシャツには業務フローのチャート図が描かれていますね。そのキャッチフレーズはボストン、流儀はマッキンゼー。私はそんなふざけが好きではありません。アディダスのデッキシューズは濡れていませんし、踵にはSTの文字があるだけでどこにも三本線がありません。そんな嘘のような人が本当のことを書きますか? 君は面白い小僧だ」
だからそんな私が書いたのです、と言いかけて呑み込んだ。南国の棘の生えた果実のような甘い香りを嗅いだ。あれは私が書いたようでもあり、他人が書いたようなものでもあるからだ。民青の国語教師が生徒の読書感想文をどこかに保管していたとしても、今ではもう失われているだろうし、仮にそれが今でもどこかにあったにせよ、もはや確認する手段がない。
水野みどりは横を向いて口を被いペットボトルの水を飲んだ。差し出した左手の掌には覇王線がくっきりと刻まれていた。私もペットボトルの水を飲んだ。ペットボトルの水を飲むのは生まれてから二回目だった。今度のボトルは以前より薄いのか、クシャッと音を立てて凹んだ。
「帰省先で父の浣腸シーンが生々しく描かれるのは、看護を浣腸と結びつける意図ゆえであり、先生が義母を看護したからには先生は義母に浣腸したに違いないと読者に想わせようとしている、とも書いていますね。先生は人間の罪の感じ、から義母を看護したのだが、読者は義母の立場から、笑談じゃありませんよ、と突っ込むべきだと」
「ええ、そうです。立場を入れ替えると見方が変わるという素朴なロジックを漱石は読者にも求めています。大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい、と私が父親から諭されるシーンがありますが、誰も他人の心が理解できないなかで相手を理解しようと努めることの大切さが解かれていると思います」
「先生は奥さんの財産も手に入れたからずっと仕事をしないで済んだ、静という名前は乃木大将の奥さんに由来する、Kの棄教は雑司ヶ谷霊園と日蓮で仄めかされており、先生は奥さんに天罰を与えていて、Kは先生を騙して駆け引きをしており、私は父の遺産を貰い損ねるように仄めかされており…明治の精神は大和魂と同じイロニー、太宰の天皇陛下万歳、三島由紀夫の七生報国につらなるものだと」
「そうです」
「三島は太宰を嫌っていました。小説の中に、漱石を読むくらいが関の山という台詞があります。三島は鴎外を尊敬していましたが、漱石は褒めていないでしょう。それに夏目漱石は千円札の肖像で喪章をつけていますよ」
「ええ、しかし喪章は仏式葬儀で用いるものです。確かに天皇家の菩提寺は京都の泉涌寺でしたが、明治になって、廃仏毀釈のどさくさの中でなかったことにされてしまいます。天皇家の菩提寺があったなんて、もう一々調べないと出てこない情報です。池上彰さんも言いませんね。明治天皇が崩御して今さら喪章は可笑しいでしょう。漱石は広瀬中佐の辞世の句の下手さ加減を指摘していますし、『吾輩は猫である』では大和魂の歌で明治の精神を調戯ってもいます。三島由紀夫が『太平記』を読んでいて、夏目漱石が読んでいないとは考えられますまい。漱石は七生報国が北朝に対する呪詛の言葉だと知っていた筈です。農家の次男三男が訳も分からず七生報国と書くのはご愛敬ですが、漱石は褒めてくれません。三島由紀夫の晒し首に書かれた七生報国が本物の呪詛です。昭和天皇が一番見たく無いものが三島由紀夫の晒し首ではないでしょうか。昭和天皇と三島由紀夫は園遊会で会っていますが、『昭和天皇言行録』では二か所、三島由紀夫に関する発言と思しきものが消されています。二・二六事件ほどではありませんが、仮にも一人の有名人が天皇陛下万歳を叫んで腹を召したのですから、何かお言葉があってしかるべきです。ところがその記録がみつかりません。たとい自分が落ちつく気でも、世間が落ちつかせてくれないから残酷だよ。駈落者になるよりほかに仕方がないじゃないか、という『明暗』の台詞を受けて太宰が駆け落ちしたことはよく知られていますね。三島が太宰の天皇陛下万歳を盗んだことはよく知られていますが、問題は漱石の日記です。漱石は日記で崩御から即位に至る儀式の様子を、まるで新聞記事を書き写すようにfなく記録しています。どこか突き放したものがあります。乃木大将と妻に関しては日記に二度メモとして表れます。乃木大将の事。同夫人の事。乃木大将の事、是は罪悪か神聖か、という具合です。あちこちに乃木神社が建てられるのは漱石の晩年です。漱石はここで乃木大将が未亡人を残さなかったこと、そして殉死そのものへの懐疑を漏らしています」
「お嬢さんとは真砂町で会ったとKが言うのは変だと書いていますが、あそこいらへんを歩いたことがありますか。先生が蒟蒻閻魔と書いているのが可笑しいというのはどうなんでしょう。東大出身でない君はご存じないようだが、帝大正門から源覚寺へ進む帰り道は小石川の下宿への自然なルートです」
「先生は例によって蒟蒻閻魔を抜けることで帝大から下宿への通常のルートを通ったことが解ります。ただし源覚寺ではなくわざわざ蒟蒻閻魔と書いています。閻魔とは罪の仄めかしでしょう。真砂町は柳町を下って帝大側です。Kとお嬢さんはぬかるんだ道を二度通ったのか、本当はどこで出会ったのか、正解はありません。お嬢さんの、当ててごらんなさい、という揶揄いは、完全に読者に向けられたものです」
「冒頭には二つのイロニーが仕掛けられていると書いていますね。頭文字と先生。しかし私が先生になったとは一言も書いていないでしょう」
「ええ。私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。人はこれを不自然だと感じるかもしれないが、これは世間を憚はばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。いつのまにか自分が先生と呼ばれることが当たり前になり、こうして筆を執っても心持は同じ事である。先生はいつか私をKと呼んだかもしれないが、よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。私にとって自然と云うからには、他人にはやや不自然ということです。筆を執るのに世間を気にするのは、公に向かう書き手だということになります。キンドル作家ではこの書き出しは不遜です。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで会った人か想い出せずにしまった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのか解らなかった。それが先生の亡くなった今日になって、始めて解って来た。他人の懐かしみに応じない先生は、他人を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。…これが私とKの因縁づけです。奥さんの予想する未来の私の職業第一位として教師が挙げられています。また友達に中学教師の口を探している者があることから、私の専攻する学科では、糊口する最も安易な手段が中学教師であろうことが仄めかされています。私はきっと先生になるのでしょう」
「ちょっと待っていただけますか」水野みどりは言った。「録音してもいいでしょうか?」
二人の間にスマホが置かれた。最新式のiPhoneの画面に、妙に古風なマイクロフォンのピクトグラムが波打っている。


それは気化熱で動く懐かしい玩具の名前だ

それは気化熱で動く懐かしい玩具の名前だ、とようやく私は思いついた。お尻を持ち上げた水飲み鳥はコップの水をくちばしの布が吸い込み、重くなり、それからどうなるんだろう。気化熱って何だ?
私は自分のスマホも取り出し、こっそり水飲み鳥を検索しようとした。いや、まずは小林十之助を検索する方が先だろうと思いついた瞬間に小林は言った。
「小林長太郎の螟蛉子、パソコンを継承した男、とでも出ているんでしょうね。ネットでは…。それは全くの嘘ではありません。確かに私はある事情から小林長太郎の遺稿を引き継ぎました。中江兆民と幸徳秋水のような関係です。もはやスクラッチベースでバーチカルライティングしている時代ではありませんからね。コンテナ化したコンテンツを組み合わせていくこと。サンプリングとリミックス。うがちにつけてこの一筋につらなるのが文学なのです」
 水飲み鳥にはハッピーバードという名もあることが知れる。その動作原理は複雑すぎて一読では判然としない。とても気化熱だけで動いているとは言えないということだけが解る。またうっかりだ。UFOには反重力エンジンが搭載されていて、自在に空中を飛び回ることができるのだと思い込み、反重力エンジンが一体どのような原理と構造を持っているのか考えもしなかった。
「…その通り。私にも漱石論があります。『こゝろ』論も書きました。だいぶ前のことですが。しかし君のような考えは敢えて採りませんでした。何故だかわかりますか」
「…いいえ」
「行儀の悪い君には一生かかってもわからないでしょう。夏目漱石は、文学は勧善懲悪でなければならないと考えており、何か良いものを示さなくてはならないと考えていました。『坊ちゃん』なら坊ちゃんの無鉄砲な性格のどこかに善を感じて欲しいというわけです。まっすぐで駆け引きのないのが善いと感じて欲しいのです。ですから必然、先生が実は残酷な復讐をしていたのだ、というような捻じ曲がった解釈はそもそも成り立たないものなのです。先生が修羅の道を歩んだと知ったら、一体あの冒頭のすがすがしさが成り立ちますか」
「成り立つと思います。ごく簡単に例で現わすと下のようになります」


「一人貰ってやろうか」と先生がいった。
「貰いッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。
「子供はいつまで経たったってできっこないよ」と先生がいった。
 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。
(『こゝろ』)


「こんなシーンがありますね。『こゝろ』にも『明暗』にも罰という言葉はたった一回しか登場しません。『明暗』では単なる罰、『こゝろ』では天罰です。天罰とは人間を超えた存在が罪人に与える制裁です。先生は奥さんに天罰を与えています。そして先生は残酷な復讐をしていたのは確かです。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました、というくだりがありますね。この感情は人間の罪の感じがもたらすものです。しかし、自分を殺すべきだ→死んだ気で生きていこう、に挟まれた仕方ない理屈が説明されていません。私の解釈はこうなります。まず先生は、妻の財産を得ないで、無職を貫くことはできなかったと認めるべきではないでしょうか。自分が受け継いだ遺産は叔父にごまかされて十分ではなかった。だから下宿していて…いつの間にか働かなくても暮らせるようになっています。いつのまにか奥さんの財産も手に入れたからです。それが死んだ気で生きていく生活だとして、仕方がない生活は自分を呪う生活でもあります。私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです、と漱石は書いています。先生が背負う人間の罪には、奥さんの分も含まれていますが、先生ははっきりそう言いたくないのだということは解ります。先生が言い淀むのは、そこに確信があり、直接的に言わないことで読者に発見させようとしているのです。つまりジレンマを見せているのです。そして人間の罪ですが、まず「その感じ」が先生を墓に参らせます。そして義母の看護をさせます。妻にやさしくさせます。ここまでは一見善い行いです。しかし漱石は人間の罪があたえる感じの矛先を捻じ曲げます。路傍の人から鞭うたれたいと思い、自分で自分を鞭打つべきだと思い、自分で自分を殺すべきだと考えさせました。これが全て「人間の罪」の感じがもたらしたものだとしたら、どこかおかしくないでしょうか。自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。しかし簡単に殺しては詰まりません。それでは人間の罪が納得することはないでしょう。ひねくれものが一人、頭が可笑しくなって勝手に死んで行って、どうして人間の罪の感じが消えることがあるでしょうか。罪を犯した者が各々最も残酷な罰を受けなければ、誰も納得しないでしょう。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。それが頸動脈を切ることよりも辛いことは薄々解っていました。漱石はこうは書きませんでした。何が仕方ないのか、何故死なないのか、そう考えれば何か一つ理屈が省略されていることが判る筈です」
「それを知って、あの冒頭のすがすがしさはないと言っているのです」
「私(わたくし)が常に正しい判断、もっともらしい判断をしているとも限りません。現に卒業の価値を巡って父親に簡単にやり込められてしまいます。相手の立場に立って考えてみろ、という単純なロジックでしょげ返ります。立場を変えれば見えてくるものが違ってくるのは当然でしょう。先生が奥さんの財産を得ようとしたこと、奥さんに天罰を与えたこと、義母に浣腸をしたことに気が付いていない可能性はあります。しかし先生がKの誠実さを疑わず、Kに義理立て、苦しみ続けていたようには受け止めるでしょう。いずれにせよ先生の長い手紙は私に託されるべくして託されたものであり、迷惑なものではなく、私に満足を与えるものだったことが冒頭のすがすがしさからは伺えます。また、罪であるにせよ、あるがままを描くことによって先生は成仏したのだ、というような解釈がありますね。あるがままを描かれて、奥さんもKも大迷惑ですよ。少なくともKは秘密にしたいと思ったのですからね。ただ私には良かった。『こゝろ』を読んで不快になる人がいるかもしれないが、私にはよかった。それに人は良かれと思って相手を傷つけてしまうものじゃないですか」
「君のように、ですか」
「えっ?」
「だから君は文学を真剣に考えたことがないと言ったのです。文学は残酷なものです。想像を絶する残酷さです。それは君を傷つけるというだけの意味ではありません。良かれと思って君がしたことが、例え悪気はなくともどれだけ他人を傷つけるか、君は考えたこともなかったでしょう」
「どういう意味ですか?」
「しらばっくれるつもりですか。君もそれとなく気が付いてはいたでしょう。君が書いて寄こした原稿の中には、それが正しいかどうかということは別として、いくつか面白い指摘がありました。文学界の列宿たち、江藤淳も大岡昇平も書いていないこと、蓮實重彦も柄谷行人も書いていないことを君は書いてしまったんです。それがどういう意味か解りますか?」
「少しは褒めていただいているんでしょうか。それとも…」
「少しは褒めています。少しは。そしてその何倍も非難しています。君はこんなものを書くべきではなかった。君は好んで人と議論を闘わして、百戦百勝するつもりですか。君なんざは簡単にへし折られます。木っ端微塵です。個人の戒飭では済まされません。君はこの乱暴狼藉を江頭先生にどう詫びるつもりですか? 小林長太郎先生にどう申し開きをするつもりですか?」
「別に。釈明も詫びもありません」
「別に。とは何です。不貞腐れていますか。沢尻エリカですか。いいですか、評論家になるつもりなら、最低でも東大の大学院くらいを出なくてはなりません。少なくとも大学の教授ぐらいでないといけません。名もない人、何もしていない人、それがどこに価値をもっているのですか?あなたは東大の大学院を出ていますか?」


ああ、春陽か、お父さんだ

 昨夜午後八時、私は翌日の打ち合わせに備えて資料の整理をしていた。録音機能のない安い固定電話がけたたましい電子音を響かせる。ベルともブザーともチャイムとも何とも名前のない電子音。音量調節もできないから聒しい。三島由紀夫は鴎外に学んだから何でも表現できると信じていたが、このトゥルルルル…の薄気味悪さを、そしてこの音の発信源を、その人の救いがたい甘えを、寂しい人間の終わりをどう表現するだろうか。書いたら長くなったが、これは一秒間に考えたことである。
 ああ、春陽か、お父さんだ、そう電話の相手が言うことは解っていた。数か月前に一度だけ間違い電話がかかってきた。母親に近い年代の女性の声だった。彼女は厭味ったらしく言った。「通帳が出てきたよ。三冊も。蒲団の下から」何か息子を責めているようだった。しかし私にはもう母はいない。「あの、かけ間違いではありませんか、どちらにおかけですか?」そう言うと、「ごめんなさい」と電話は切れた。なにも納得していない口吻だった。
 三回忌を終えた母親があの世から電話をかけてきたかのような、妙な感覚だった。
「ああ、春陽か、お父さんだ」何度かのもしもしの後、年老いた父は言った。「元気にしとるだか?」
「ああ」
「なんだあ、しばらく連絡せなんだったけぇ、心配になってな」
「ああ」夕べも同じ時間に電話があった。その前の日も、その前の日も。本当に忘れているのか、忘れたことを理由にしているのか、どちらとも判断がつきかねた。
「仕事はまだ休みだっただろうが?」
「ああ」
「まだ、あれか、なんぞいいい仕事はまだ見つからんだか?」
「ああ」
「まあ、あんまりがっかりせんようにな。そのうち見つかるけえな」
「ああ」
「なんぞ困ったことでもありゃせんかと思って、お父さん電話しただが」
「ああ」
 今日はこの短い返事で押し通すことに決めた。何を訊かれても、話を膨らませることのないように。こっちは忙しいのだ。必死なのだ。読むにも書くにも時間が足りない。これ以上邪魔をされたくない。困ると言えば、故郷に残したあなたにも困っている。どうすることもできない。自分が書き続けることで精一杯なのだ。
 明日、私は喉に何かを詰めて息絶えるかもしれないけれど、もし書く事が可能なら書きたいのだ。
 だから邪魔しないで欲しい。
こちらはあれこれと困ったことだらけだったが、今更田舎の年老いた父親に相談できることではない。それに父親が電話してきた目的は別にある。
「もう、誰も来んだけえな。淋しいていけんだがぁ。お父さんはもう車がないけえ、腰が痛うてどっこも行けんだけえな…もう、お陀仏だ」
「(仏にはなれないよ)…じゃあ、腰痛のサプリメントを送っとくよ」
「ああ、すんません。お前には何にもしてやらんかったけど…」
その話は聞き飽きた。確かに大学は自分の稼ぎで通った。そんなことはどうでもいい。太陽のタマゴ、夕張メロン、腰のサポーター…。何を贈っても満足することはないことは解っている。あなたはただ寂しいのだ。だが、そんなことは最初から分かり切っていたことだった筈だ。今さら甘えられても困る。後、何を言えばこの人は電話を切ってくれるだろうと考えながら言葉を選ぶ。出来るだけ話を引き出さないように。最後に意地を張ることもできなくなった父親と話すのは辛い…。
「先生!」
 水野みどりは大きな声を出した。
「少し、先生のプロフィールを固めさせてもらってもいいですか」長い沈黙に耐えかねて、水野みどりは言った。先生と呼びながらこちらを見ている。東大の大学院を出ていないと評論家の資格はないと言われて凍り付いた私をフォローしようとしたのだろうか。
「先生は鳥取県のご出身ですよね。『こゝろ』の奥さんのお父さんと同じですね」
「あ、ああ、そういえばそうですね。尾崎放哉の生家の近所です」
「じゃ訊きますが鳥取では米はいくらしているね?」
「米の値段ですか? さあ、いくらしていましょうね。分かりかねます」
「先生の家は…」
「先生はやめてください。僕には教員資格も何もありません」
「年上の方に対する私の癖なんです。それに私が担当する方々は殆ど実際の先生なものですから」水野みどりはこうして喧嘩を売るようなことを云う。「お父様のご職業、お家の広さは?」
「父親は農業試験所で害虫の研究をしていましたが、何を思ったのか定年前に退職して、県議会議員を四期務めて勲章を貰ったそうです。今は死にそうな声で電話してきてやたらと甘えます。祖父は地主でした。山の中の百姓でしょうか。GHQに土地を取られましたが、山を七つ、蔵を七つ持っていました。土塀を繞らした門構の祖父の家は市内に六百坪で、二つの池には錦鯉が何百匹も泳いでいました。筑摩現代文学体系と集英社ベラージュ世界文学全集がありました。カラーテレビもステレオもありましたよ」
「庭に鹿威しは?」
「ありました。かまいたちもいました」
「それなのに何故、法政大学を? やはり革命か何かで?」
「いや、単なる組み合わせですね。たまたまですよ。新聞配達をしなくてはならなかったので理系は無理でした。国語と英語だけで受かる大学を探して、社会が零点でも受かるところを受けただけです。あそこは英語と国語が150点、社会は100点の配分だった筈ですから」
「とおっしゃいますと…学生時代から勤務なさっていた朝目新聞社というのは?」
「販売店で新聞配達をしていました」
「ご卒業後短期のアルバイトで板橋出版というところにお勤めとありますが」
「はい。本の整理、誰でも出来る簡単なお仕事、食券支給とあったのでブレザーを着て面接に行くと、その日から採用されて、漫画雑誌の梱包をトラックに積み込む作業をやらされました。一時間で肘が曲げられなくなり、指の皮膚が剥けました」
「その後、研究出版社。いよいよご就職ですね。ここで編集のご経験を?」
「いえ、違いますよ。あそこは学習教材の販売会社です。一セット30万円の大学受験教材を売るために夜十時まで電話するんです」
「その次は日本新聞社グループの報道出版とありますが、まさかまた新聞配達じゃないですよね」
「まさか。販売ですよ。DMと電話で美術書や美術品を売っていました」
「その後はずっと…」
「ええ、新聞配達をしていました。事故に遭うまでは」
「事故?」
「雨に濡れた石段で転んで背骨の骨を折りました。誰かが何かぬるぬるしたものを石段に塗っていた所為だと思いますがね。納豆を食べてお茶を飲んで猫を撫でていたら治りましたけどね。ビタミンKと猫のゴロゴロの振動でなんとか」
「つまり村雨さんは、今迄出版業界とは無縁だったのですか?」
 先生を忘れて、水野みどりは呆れたような声を出した。正直な人だ。
「流通や販売が出版と無関係なら、そういうことになります」
「なんだか手間がかかった生計向きですね。現に今なんにも書物を書いていないなら、いっそアマゾンの半魚人に育てられたとか、エジプトのミイラ男が産んだとか、そんなことにしておきなさい」
「ところで僕も質問していいですか?」
「何でも訊きなさい。賢者は聞き、愚者は語る」
「水野さんはどの辺にお住まいですか?」
「はい?」
「なんだか僕だけが生活状態とか身の上を暴かれて、皮を剥かれて丸裸にされているみたいで、フェアじゃないような気がするんです。何でもいいので水野さん自身のことを話していただけるとバランスがとれるような気がするんです」
「バランスですか…」「『午後の曳航』だね」
 二人はほぼ同時に言ったが、小林の声の方がやや大きかった。
「あんまり裸過ぎる猫…。大丈夫君はまだ服を着ていますよ」
 その言葉は念を押すように、つまりまだ服を着たままでいなさいと私を窘めているかのような声色だった。勿論そこには飛躍がある。私は色情から水野みどりの本当を知ろうとしたのではない。
「つまりあなたが本当に存在していて、今、自分が山手線で独り言をつぶやいている馬鹿でない確信が欲しいという意味です」
 そう言って、少し待ってみた。つまり水野みどりは何か言葉を探していて、小林は様子を見ることにしたのだ。次の会話を引き延ばすようにミィーティングルームBから哄笑が沸いてがやがやと人が通路に出てきたようだ。昔ながらの営業マンのような愛想笑いと社交儀礼。三人はそれが遠ざかるまでしばし猶予を得た。
「世田谷区の蛇崩のマンションに年配の女性と二人暮らしです。生煮えの牛鍋を食べさせています。ほかほか弁当を四個買ったこともあります。ひっつめ髪で死んだ人のような顔をして、夕暮れの坂道を自転車に任せて下ったこともあります。左利きのルシアンブルーを飼っています。とても甘えん坊です」水野みどりは言った。甘えん坊です、は猫のことのようでもあり、自分のことでもあるようなレトリックだ。それに蛇崩という地名はない。目黒区に蛇崩の交差点があり、世田谷区に蛇崩川があるが、これではどこが最寄り駅か解らない。自分の母親を年配の女性と呼んだとしたら相当のイロニーで、そこには何か根深いものがあるに違いないが、そうではないとしたら彼女の同居人は血縁者ではないのか知れない。しかし彼女はそのことを言いたくないのだ。例えば父親の再婚相手とか、母親の義理の妹とか。
「ずっと編集のお仕事で?」
「双葉からお茶の水、色々あって出版社を転々としました。父が文学好きで、その影響でしょうか。文学者というものに出会いたくて、ずっとこの世界の端っこにいます」
「端っこ? あなたがいる場所がこの世界の中心でしょう? だからこそ誰にでも何かを書く資格はあるのではないですか。御製だけが歌じゃない」
「そんなことを言っているから君には書く資格などないと言うのです。マイノリティ、ホモ・サケルはどうぞお語り下さい。これが今全世界を支配するポリティカル・コレクトネスです。しかし誰もが勝手に世界の中心になってはならないという法律が2001年に施行されました。マイノリティ、ホモ・サケル、御製、サラリーマン川柳、そして死んだ人の本。これが文学です」
「主婦の童話は?」
「何ですか?」
「主婦の童話は文学になりませんか。私は平凡なサラリーマンの密かなたくらみとしての文学を夢想します」
「君は本当に文学というものを知りませんね。三島由紀夫は役所勤めと執筆活動でフラフラになり、何度も死にかけました。織田作之助はヒロポンを打ち続けて徹夜して早死にしました。文学とは片手間では成り立たないものです。なのに君は…」
 そう、一日一時間、ビールを飲んでから二缶目のチューハイまでの間の片手間で、ありとあらゆる文芸評論家が見落とした『こゝろ』のレトリックを読み解いてしまったのが私だけなんて、自分でも信じられない。私以外の馬鹿どもの馬鹿さ加減が信じられないのだ。
 そして私はふとメモを取る水野みどりが左利きであることに気がついた。
 左利きの女。
 これほど魅力的な言葉があろうか。
 右手ではありえない角度から左手は伸びてくるものなのだ。
「先生は泳げますか?」
 水野みどりは唐突に話を戻したが、私にはもう抵抗する力はない。ただ阿呆のように真実を語るのみだ。
「よほどのことがない限り溺れることはないでしょうね。日本海で泳いでいますから」
「遠浅なら二丁も沖に出ることができますか?」
「それはちょっと。ゴムボートがないと無理ですね。潮の流れが分からないので、どんどん沖へ流されるようだと自力では戻れなくなる可能性がありますから」
「先生の家の宗派は?」
「浄土真宗です。五百年続く寺の最高位、家長の間に祭られています」
「それは…全部本当ですか?」
「どういう意味ですか?」
「無理して『こころ』に寄せていませんか?」
 ふと思ってもみれば、私の父もまさに死にかかっている。浣腸はともかく、人間の意地を失いかけている。人間が最後に辿り着くところを汚している。そして私から構われていない。
「それもいいでしょう」小林十之助は言った。「どうしたってギミックなしで新人が世に出ることはできません」
 ギミックとは言ってくれるものだ。
「ギミックと言われて不愉快ですか。君は実力を評価されたいのでしょう。しかし文学とはそんなに生易しいものではありません。いいですか、文学とは命のやり取りです。川上眉山のように喉を剃刀で斬るのが文学です。他人の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜るのが文学です。相手の顔に血潮を浴びせかけるのが文学です。三島由紀夫との対談で、テネシー・ウイリアムズがそう言っています。芸術家はいつも自分を傷つけて、自分の体を切ってそこから流れる血を他人にかけているようなものだと」
 私には小林十之助の言葉が陳腐に感じられた。文学を麻婆豆腐に置き換えても成立するように思えるし、何しろ大げさすぎる。
「それは相撲についても言えることです。相撲が困難ないとなみであるとしたら、それは相撲が、いかなる瞬間においても神事だの相撲道だのであることをこばみ、ひたすら突っ張りや上手投げとしてその一番に発気よい残った残ったしているからではないでしょうか。相撲が多少とも刺激的ないとなみとしてあるのも、そうした理由によってでしょう」
「そ、そうなんですか」
「相撲をめぐってどすこいするつっぱりが、その理想的な環境と思われたNHK放送すらが、日本相撲協会の精神的荒廃を告げる危機的徴候でしかなく、また、水増しされたどすこいを共有することで、奪われてある自分を曖昧に忘れようとするお年寄りたちは、品格や礼儀の廃棄を目指す前みつとしてあったはずの番付表が、今日の文化的構造にあってはまごうことなき余生の装置として機能せざるをえない経緯を明晰にさし示しているのです」
「……」
「お相撲さんの無意識のどすこいであるかもしれないものが、土俵に纏められているとすれば、その纏められた無意識のどすこいのパターンを系列化するという観方をしないと、その相撲を観たことにはならない、そういう種類のどすこいが相撲の世界にはあるからです」
「それはつまり、…小林先生は相撲がお好きなんですね」
「いいえ。相撲には感心しません。あんなに丸裸で、チョンマゲで、肥っていては自分の尻も拭けないでしょう」 
「少し、話を戻しませんか」水野みどりは言った。「まず、私(わたくし)と先生の出会いから…」
「そこです。みな、そんな簡単なことを見落としています。私は先生と出会ってはいないんです。これはどうも顔に見覚えがあり、以前どこかで会っているような感じがするからなんでね。実際には、私が先生と知り合いになったのは鎌倉である、と書かれています。つまり出会ったのではないのです。知り合いになった、とは一方だけが知っていても起きる出来事です。それに、私は実に先生をこの雑沓の間に見付け出したのである、と書かれています。実に、という強調、そして見付け出した、という表現に注目しましょう。知らない人を見付けることはありません。探しているもの、欲しがっていてもの見付けるわけです。はっきりとではなく、私にとって先生が見付け出されるべきものであり、既知であるかのように仄めかされているのです。その中に知った人を一人ももたない私が実に見付け出したのが先生です」
「しかし先生は、君の顔にはどうも見覚えがありませんね、と否定していますね。はっきり否定しています。この否定をどう考えているのですか」
「それが幻惑です。仄めかすが限定しない。漱石は『文学論』の中で文学の二番目の目的は幻惑だと書いています。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた、と書いていますが誰も私が全裸だとは気が付かない。よく読めば全裸です。しかし、私の凝っとしている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女は殊更肉を隠しがちであった。大抵は頭に護謨製ゴムせいの頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆の前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた、と書く事によって曖昧にしてしまいます。猿股一つでも珍しいというのですから、自分が丸裸ということはなかろうという認知のバイアスがつい働いてしまうのです。しかし先生と私は二丁も沖に出るのですから、遠浅とはいえ、ごてごてした着物を身に着けていては溺れてしまいます。二人はかなり身軽でなくてはなりません。私が凝視する西洋人の猿股は水に濡れて透けていたでしょうが、私がそこにフォーカスするのは、自分達の裸体をはぐらかす仕掛けです。先生の水着についても敢えて書かれてはいません。頭に手拭いを巻いただけです。私は帰省して父親の頭を濡れ手拭いで冷やします。一般に『こゝろ』はユーモアのない作品と言われていますが、こうした(F+f)を正確に受け止めていくと、随分ユーモラスに感じられます。またここで、西洋人が露出し過ぎであることを強調するために、女は殊更、とわざと書いていますね。この時点で西洋人の性別は特定されていません。後に彼と呼ばせて特定されるのですが、同じことは私(わたくし)についても言えます。漱石の語彙では妾と書いて、あたしと読ませれば女ですか、わたくしでは性別は曖昧です」
「西洋人が女だとでも言うつもりですか?」
「いえ、ですから後に彼と呼ばれて性別は男と知れる。後で解るように書いています。一方私の全裸は西洋人の猿股を珍しがることで暈されてしまう、こういう幻惑の作法があると言っているのです。ですから私はKの生まれ変わりのように仄めかされている、と書いたのです。文学上の真は、科学上の真とは異なる、と漱石は書いています。三島由紀夫や村上春樹は上田秋成に現実と非現実の相剋を見ましたが、漱石はもう少しあるがままのリアリストです。ただ文学上のあるがままとはすべて可視化されるものではないということです」
「しかし仮に私や先生が全裸であるとして、それにどんな意味があるというんですか。単なる読者へのいたずらとして裸になったというんですか」
「最終的には先生と奥さんがセックスレスであること、子供を欲しがる奥さんに対して先生が天罰を与えているのだということを、バイセクシャルを匂わせることで暈しているように思えます。それは読者に対してだけではありません。先生が奥さんを残して鎌倉に行くには何泊、誰と、どこへ行くからと荷物を用意してもらう必要があります。つまりすけすけの猿股一丁の西洋人と鎌倉に海水浴に行ってくるよ、と奥さんに告げることになります。そして鎌倉からは変な若者を連れて帰ります。実際には先生は私を肉体的に受け容れませんのであくまでもホモソーシャルな関係性を保つのですが、表面上は、あるいは奥さんの視点に立てば、あくまでもホモセクシャルが匂わされていると言ってよいでしょう。奥さんがそんな怪しい青年を雑司ヶ谷に誘導し、先生の過去を探らせるのは、彼の名前に秘密があったからかもしれません」
「作中では確か彼の名前は明かされませんよ」
「ええ、徹底していますね。私は今日私といっしょに卒業したなにがしに会った。彼は私を無理やりにある酒場へ連れ込んだ、という個所ではっきりします。あえて一人しか名前を出しません。しかし私の名刺を貰っていたからこそ先生の奥さんは鄭寧に先生の出先を教えてくれたのではないでしょうか。例月その日になると雑司ヶ谷の墓地にある或る仏へ花を手向けに行く習慣なのだ、とまで教えたのではないでしょうか。たった今出たばかりで、十分になるか、ならないかでございます、と気の毒そうに言うのは、そこへ行けという狂言回しでしょう。そして先生はこう言います。誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人の名をいいましたか、と。その前の、どうして、どうしてが目立ち過ぎてつい見逃してしまいそうですが、ここは普通、誰の墓へ参りに行ったか、妻がその人のことをいいましたか、と言いそうなものです。普通知らない人の名前には意味がありません。この台詞は、どうも君の顔には見覚えがありませんね、という台詞と対になり、君の名には覚えがあります、と仄めかしているように聞こえます」
「それがKですか。しかしKでは曖昧過ぎませんか。」

「金之助の仄めかしでしょう。金之助とはいかにも親の勝手な欲望です。金の助けとなって貰いたいのでしょう。Kと先生は幼馴染で、Kは養子に貰われる前後でKと呼ばれ続けるのでKが苗字ではないことが判ります。『こゝろ』には三つの遺書があると考えるとこのあたりの問題がすっきりすると思います。まずKの遺書、Kの遺書を内包する先生の手紙、そして先生の手紙を内包する先生の遺書≒『こゝろ』という三層構造があると仮定してみましょう。修善寺の大患以来、漱石は自分の死について真剣に考えてきたことでしょう。五女を雑司ヶ谷霊園に埋葬して、そこで観た光景、日記に記したままの描写をそのまま『こゝろ』に挿入しています。もしかすると『先生の遺書』がそのまま漱石の遺書と受け取られかねないことを重々承知して、漱石は『こゝろ』を書いたのではないでしょうか」
「何を寝惚けているんですか。まだ『道草』も『明暗』もありますよ」
「ええ、確かにそうですが、漱石は終わりが近いことを悟ったのでしょう。晩年の漱石はみんなからお爺さんと呼ばれていました。その死に顔はどう見ても七十過ぎのよれよれです。肉体的にはかなり老いていました。あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね、と先生がいうのも、私の父親が浣腸されるのも、漱石が死というものを真剣に考えていたからこそでしょう」
「真剣に考えていた割に、義母に浣腸をし返すとは、君の解釈は先生の遺書を粗末に扱っていませんか? 明治の男が女に浣腸するでしょうか?」
「ですからはっきり浣腸したとは書きません。仄めかして、読者に想像させるだけです。はっきり書いてしまうと、流石に新聞小説にはなりません。しかし、私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました、というからは食事の世話だけというわけにはいきますまい。子規が受けたという栄養灌腸も看護になりますでしょうが、やはり看護で一番辛いのは下の世話です。そうでないとしたら帰省先での浣腸シーンは妙に生々し過ぎて、物語のバランスが落ち着きません」
「ただ、看護の理由ははっきり、病人自身のため、愛する妻のため、人間のためと書かれています。始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたと書かれています。罪滅しの気分に支配されていた、とも書いています。それを復讐に置き換えてしまうのは無理があります」
「この『こゝろ』という作品は、相手の立場に立って考えないので相手の気持ちが解らないというレトリックが徹底してドラマを作り出しています。義母の立場からしたらどうでしょう。親切心から下の世話をしてくれるのは有難迷惑でしょう。これは冗談のようで冗談ではありません。先生はあくまで親切心ですが、読者には義母の立場も見えます。また奥さんにしても母親の股間を夫に拭かせるのは良い気持ちがすることではないでしょう。それが善意であればなおさらです。先生はそのことにあえて気が付かないだけです。看護には食事の世話も入浴も清拭もありますが、あえて前半で生々しい浣腸を印象付けることによって、看護から浣腸を差し引くことができなくなります。ゴキブリを食べない、ゴキブリを食べない…と繰り返して言ってみると気持ち悪いですよね。脳味噌は否定語に混乱し、現実と空想の区別ができません。漱石ははっきり読者をコントロールしようとしていますよ」


 
人間の罪の感じがもたらすもの


明治四十三年
六月二十二日
○大便不通灌腸 
(明治四十三年『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.148より)

十月二日

夜寐られず。看護婦に小便をさして貰ふ。
(明治四十三年『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.220より)


村雨 曖昧なまま放置されている問題があります。浣腸という言葉が六回も登場する理由です。新聞連載という形式で世に問う作品中に浣腸が登場してはいけないという決まりはありません。いたずらではなく看護なのですから。
小林 ただ同じ看護でも庄司薫の『白鳥の歌なんて聞えない』では一条由美さんがミラノのステーキで何かを思い出して吐き気を催すという間接的な表現に留めますよね。


その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、母と私はそれぎりこの事件について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸などをして帰って行った。
父は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な父は、最初の間こそ甚しくそれを忌み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床の上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るに従って、無精な排泄を意としないようになった。たまには蒲団や敷布を汚して、傍のものが眉を寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。(『こゝろ』)


村雨 この生々しい描写が看護の現実だとして、何故六回も浣腸という言葉が使われなくてはならないのか、清拭や着替え、食事の世話ではなかったのかという点について、私は考えあぐねました。ずいぶん長い間、私はその答えに辿り着くことを躊躇していましたた。


九月二十三日

○粥も旨い。ビスケツトも旨い。オートミールも旨い。人間食事の旨いのは幸福である。其上大事にされて、顔迄人が洗つてくれる。糞小便の世話は無論の事。これを難有いと云はずんば何をか難有いと云はんや。医師一人、看護婦二人、妻と外に男一人附添ふて転地先にあるは華族様の贅沢也。
(明治四十三年『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.211より)


村雨 しかし漱石の日記を読み返し、このユーモアに触れてみて、ようやくこんなことを述べてしまおうと決心しました。やはりこの浣腸には何か対になるものがないと落ち着かない。受けるものがないと振りにはならない、と。
小林 たとえば物語の外側で、年老いた「私」が子供たちに囲まれて浣腸されていると考えてはどうでしょうか。そうして、父との和解が果たされたので、冒頭のすがすがしさが生まれたのではないでしょうか。
村雨 ですがそれはあくまでも物語の外側に付け足された憶測であり、エピローグの二次創作ですね。冒頭のすがすがしさ、父との和解というロジックには、もう一つ確かな仄めかしを欠いています。物語の内側では、むしろこちらのエピソードが浣腸と対になります。しつこく生々しい浣腸という振りを、さらりと受け止められているのはこのそっけない記述です。


その内妻の母が病気になりました。医者に見せると到底癒らないという診断でした。私は力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました。これは病人自身のためでもありますし、また愛する妻のためでもありましたが、もっと大きな意味からいうと、ついに人間のためでした。私はそれまでにも何かしたくって堪らなかったのだけれども、何もする事ができないのでやむをえず懐手をしていたに違いありません。世間と切り離された私が、始めて自分から手を出して、幾分でも善い事をしたという自覚を得たのはこの時でした。私は罪滅とでも名づけなければならない、一種の気分に支配されていたのです。(『こゝろ』)


小林 人間のために義母の看護をするとは、なるほど大袈裟ですね。
村雨 「私」が行きがかり上やむなく立ち会った看護は、こうして物語の中に再登場しました。無論生々しい描写は避けられたわけですが、ここには本来生々しいものがあり、それが省かれたとみるべきでしょう。ですから夏目漱石は清拭や着替え、食事の世話ではなく、看護を浣腸に結び付けたのです。


その日はちょうど主治医が町から院長を連れて来るはずになっていたので、妻と私はそれぎりこの事件について話をする機会がなかった。二人の医者は立ち合いの上、病人に浣腸などをして帰って行った。
義母は医者から安臥を命ぜられて以来、両便とも寝たまま他の手で始末してもらっていた。潔癖な義母は、最初の間こそ甚しくそれを忌み嫌ったが、身体が利かないので、やむを得ずいやいや床の上で用を足した。それが病気の加減で頭がだんだん鈍くなるのか何だか、日を経るに従って、無精な排泄を意としないようになった。たまには蒲団や敷布を汚して、妻や私が眉を寄せるのに、当人はかえって平気でいたりした。


村雨 仮に「父」と「義母」を入れ替えても看護は成立します。ですが実の息子に見られる浣腸と、義理の息子に見られる浣腸では意味が違ってくるのではないでしょうか。
小林 なかなか男は義母の看護はできませんよね。
村雨 それはお互いにとって辛いからです。その辛さを乗り越えるには、人間のためという程度の大袈裟な覚悟が必要だったと夏目漱石は見積もったのです。そして義母への看護はこうして具体性を欠く形で表現されるに留まります。それは恐らくこうして具体的に書かないことで、読者をして六回も登場する浣腸という言葉を思い起こさせる作法でしょう。義母は急死していません。先生が病人に浣腸したとは書かれていません。先生が病人に浣腸したとは書かれていないけれども、どうも浣腸を想像させます。
小林 医療行為ではない看護には、具体的には清拭や着替えもありますが。
村雨 ところが私の父親の場合、清拭も着替えもでてきません。浣腸だけです。だからどうも浣腸がイメージされる仕組みです。
小林 『こゝろ』の初見では、中盤の「私」の父の看護シーンにおける浣腸が生々し過ぎる感じがしたものですが、それは看護がこうした生々しいものだと読者に示そうという意図だったのですね。先生が勝手に背負い込んだ人間の罪のために、親切に看護を受ける義母は辛いでしょうね。
村雨 そうですね。『こゝろ』の中で描かれる義母は軍人の妻らしく、凛として隙のないイメージです。それが病に倒れ、先生に看護されるようになったからといって、すぐに浣腸まで受け入れられるものでしょうか。いや、浣腸でなくとも入浴の補助や清拭や着替えでさえ、いや、匙で粥を食わせられることでさえも耐えがたいことではなかったでしょうか。特別な嗜好がない限り、先生が楽しいわけでも無いと思います。下の世話はお互いに辛いものです。
小林 精神的に辛いですね。やがて死ぬものの看護が精神的に辛いのは、幸福な出口がないからでしょう。しかしこれは冗談ではありませんね。人は急死しない限り、体の自由が利かないけれども生きている時間を持つことになるのですから。
村雨 そうですね。殺さないのなら誰かが手を貸さなくてはならないことになります。死を待つ病人は生きている間、栄養を取らないわけにはいかず、生きていれば汗をかき、排泄をします。その始末は誰かがやらなくてはならないのです。
小林 義母の病名は伏せられていますね。病名も敢えて告げられないひっそりとした義母の死、その死に間際は、腸チフスで急死した先生の両親の死より、あるいは義母と一緒に始末したKの死より、先生の人生の時間の中ではより長い時間を占めた筈ですね。何なら帰省先でちょっと手伝った父の看護の何倍もの時間、先生は義母の股間を見つめたことになりますね。
村雨 股間を見つめていたかどうかは分かりませんが、「力の及ぶかぎり懇切に看護をしてやりました」と書いているのですから、それはちょっとしたお手伝い程度のものではなかったことが伺えます。下女も奥さんも世話をしたとは思いますが、やはり先生は義母の下の世話をしたと思えます。
小林 少し飛躍するのですが、私は『こゝろ』の中で最初に出てくる「肉」という言葉に随分引っかかっていたんです。


その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つのほか何も身に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐそばがホテルの裏口になっていたので、私のじっとしている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女はことさら肉を隠しがちであった。たいていは頭にゴム製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。(『こゝろ』)


小林 この「肉」という言葉は容易に「肌」に置き換えられるように感じます。現代では随分奇妙な表現になります。私は同じ意味の「肉」という文字が使われたケースをなかなか思いだすことができませんでした。全く同じ意味ではありませんが、同程度に意外性のある用法としては、三島由紀夫の『春の雪』で使われる「肉」が思い浮かぶくらいです。松枝清顕が綾倉聡子に宛てた手紙の中で使う「肉」です。松枝は女を知ったふりをして、女は肉で、あなたも特別ではない、one of themだと強がって見せます。そこで「肉」は女を侮蔑する意味に使われています。それはまだ女を知らない松枝の背伸びなのですが、年老いた「私」の手記に現れる「肉」という文字にも女の肉体に対する軽い侮蔑が込められているような気がします。
村雨 漱石も女は妊娠ばかりして困る、と言っていますしね。
小林 別居中でも子供ができてしまう。
村雨 私はこの「私」の感覚は先生にも共通のものだったのではないかと疑っています。
先生と奥さんに夜の営みがなさそうなことや、かといって性欲を持て余しているようすも見られないことに関する筋の通った説明は今のところ見られません。「私」を拒むことから、西洋人との関係も深読みできません。ただしもしも先生が熱心に義母の看護をしていたとしたら、先生と奥さんに夜の営みがなさそうなことや、かといって性欲を持て余しているようすも見られないことに関する何割かの答えが見えてこないものでしょうか。
小林 女が「肉」に見えてしまえば、そこには何の期待もない。
村雨 先生は「人間の罪」の感じにより墓参りもするし、義母の看護もします。どちらも善意からするのではありません。一見善い振舞です。しかし俯瞰すれば、義母の看護は迷惑な善意ではないでしょうか。死にたいものを生かすこと。蔑まれるべきものを労わること。そして見られたくないものを見ること…。
小林 私が義母であれば、義理の息子におむつを取り替えて貰いたくはないですね。むしろ絶対に避けたいと思います。それだけはなんとかして避けたいと思います。
村雨 先生は「人間の罪」の感じに突き動かされて、義母がもっとも嫌がる善意を施したと言えるのではないでしょうか。そしてその動機が自死と同じものだと告白しています。


墓参りの目的

村雨 大正三年十一月九日の夏目漱石の日記には、奥さんの寺参りが頻繁であることへの苦言があります。月は違っても日は同じだと毎月寺参りする妻の理屈を退け、寺参りは月と日の同じ一回限りで良いと書いています。一方で先生は両親の墓参りはしません。


私は郷里の事について余り多くを語らなかったのです。ことに今度の事件については何もいわなかったのです。私はそれを念頭に浮べてさえすでに一種の不愉快を感じました。私はなるべく奥さんの方の話だけを聞こうと力めました。ところがそれでは向うが承知しません。何かに付けて、私の国元の事情を知りたがるのです。私はとうとう何もかも話してしまいました。私は二度と国へは帰らない。帰っても何にもない、あるのはただ父と母の墓ばかりだと告げた時、奥さんは大変感動したらしい様子を見せました。お嬢さんは泣きました。私は話して好い事をしたと思いました。私は嬉しかったのです。(『こゝろ』)


小林 ここで「帰郷」しないという宣言は「棄教」が否定されているという意味だと考えてよいのでしょう。
村雨 いいえ。先生は自分の未来を守ってくれなかった父母の墓にはもう用はない、とそのまの意味で受けとればいいのです。そしてこのロジックはもう一つの墓参り、雑司ヶ谷霊園に眠るKの墓参りの意味を転倒させかねないようにも思えます。先生はもう父母の墓参りをしないと宣言します。かつては「半ばは哀悼の意味、半は感謝の心持で跪いた」先生ですが、その二つの心持がなくなってしまっているのです。
小林 では何故先生はKの墓に毎月参るのでしょうか?
村雨 その理由についてはこう語られています。


私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。(『こゝろ』)


村雨 先生はあくまでもKの墓に参る理由を人間の罪の感じが自分をしてKの墓に参らせ、奥さんや奥さんのお母さんに優しくさせるのだといいます。それでもうっかりあらすじなどで、「先生は贖罪のため毎月Kの墓参りをする」とまとめられていたものをどこかで読んだことがあるような気がしなくもありませんが…。(笑)
小林 先生がここではっきり「人間の罪」という言葉を選んでいることは間違いありません。そのことと贖罪ではどう違うのですか。
村雨 もし贖罪のために墓参りをするのだとしたら、「私が犯した罪」と書いても良かった筈です。「信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです」と先生がいう時、その人間には自分自身も含まれています。先生は人類全体の煮罪と向き合っているのです。Kの罪も奥さんの罪も全部引き受けるのです。まさに則天去私です。


「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」(『こゝろ』)


村雨 ここで先生が一言呑み込んだことを気付いた読者はどのくらいいるものでしょうか。先生が呑み込んだ言葉は「ええ、妻も信用しません」です。


「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
「ええ、妻も信用しません。私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分を呪うより外に仕方がないのです」


村雨 漱石はこうは書かなかったのです。自分も人間も信用しないのですから、当然奥さんも信用していない筈です、という指摘は科学上の真であって、文学上の真ではないからです。ここでは先生が奥さんを信用しているのか、信用していないのかという議論をしたいのではありません。奥さんにフォーカスし、信用していないと言わされる手拍子の会話を避けたという事実を確認したいのです。
小林 なるほど一言付け加えることで、随分印象が変わってきますね。そして改めて人間というからには人間宣言をした天皇も信用していないということが分かりますね。
村雨 それはどうかわかりませんが、まるでKの墓参りには「奥さん」の罪は関係しないように見せかけようとしていることは間違いないでしょう。しかしやはり奥さんが人間でない筈はありません。先生が背負う人間の罪には、奥さんの分も含まれていますが、先生ははっきりそう言いたくないのだということが解ります。先生が言い淀むのは、寧ろそこに確信があるからです。
小林 なるほど。
村雨 そしてもう少しこの「人間の罪」について考えてみたいと思います。まず「その感じ」が先生を墓に参らせる。そして義母の看護をさせる。妻にやさしくさせる。ここまでは一見善い行いです。しかし夏目漱石はかなりの腕力で人間の罪があたえる感じの矛先を捻じ曲げます。路傍の人から鞭うたれたいと思い、自分で自分を鞭打つべきだと思い、自分で自分を殺すべきだと考えさせた。これが全て「人間の罪」の感じがもたらしたものだとしたら、どこかおかしくないでしょうか。


私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。しかし簡単に殺しては詰まりません。それでは人間の罪が納得することはないでしょう。ひねくれものが一人、頭が可笑しくなって勝手に死んで行って、どうして人間の罪の感じが消えることがあるでしょうか。罪を犯した者が各々最も残酷な罰を受けなければ、誰も納得しないでしょう。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。それが頸動脈を切ることよりも辛いことは薄々解っていました。


村雨 漱石はこうは書きませんでした。「妻も信用しません」を省略したように、ここでも明確に理屈を飛ばしています。先生が死なないのは天罰の為なのです。

天罰は誰に下ったのか


明治四十二年
七月二十三日

細君具合わるし。小林さんに来て貰ふ。矢張妊娠なりといふ。無暗に子供が出来るものなり。出来た子を何うする気にはならねど、願くは好加減に出来ない方に致したきものなり。
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』)


村雨 奥さんに天罰が下された可能性については、もう少し丁寧な説明が必要でしょう。先生と奥さんがセックスレスであること、先生の自死によって奥さんはまだ子を為すことができる年齢で未亡人となること、そして先生の「天罰だからさ」という台詞に「私への」という言葉が抜けていることから、奥さんに罪があることが仄めかされていると考えても良いでしょう。セックスレスで困っているのは奥さんの方です。セックスレスが奥さんに対する天罰ならば、奥さんには人が罰することの出来ない罪があったことになります。


「一人貰ってやろうか」と先生がいった。
「貰いッ子じゃ、ねえあなた」と奥さんはまた私の方を向いた。
「子供はいつまで経たったってできっこないよ」と先生がいった。
 奥さんは黙っていた。「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。
(『こゝろ』)


村雨 改めて思ってみれば、『こゝろ』に「罰」という文字はこの一度きりしか現れません。ここぞという場面でしか使わないと決めていて、ここぞという場面で使ったからです。


感情と理窟の縺れ合あった所を解しながら前へ進む事のできなかった彼らは、どこまでもうねうね歩いた。局所に触るようなまた触らないような双方の態度が、心のうちで双方を焦烈ったくした。しかし彼らは兄妹であった。二人共ねちねちした性質を共通に具えていた。相手の淡泊りしないところを暗に非難しながらも、自分の方から爆発するような不体裁は演じなかった。ただ津田は兄だけに、また男だけに、話を一点に括る手際をお秀より余計にもっていた。
「つまりお前は兄さんに対して同情がないと云うんだろう」
「そうじゃないわ」
「でなければお延に同情がないというんだろう。そいつはまあどっちにしたって同じ事だがね」
「あら、嫂さんの事をあたし何とも云ってやしませんわ」
「要するにこの事件について一番悪いものはおれだと、結局こうなるんだろう。そりゃ今さら説明を伺わなくってもよく兄さんには解ってる。だから好いよ。兄さんは甘んじてその罰を受けるから。今月はお父さんからお金を貰わないで生きて行くよ」
「兄さんにそんな事ができて」
 お秀の兄を冷笑るような調子が、すぐ津田の次の言葉を喚び起おこした。
「できなければ死ぬまでの事さ」
お秀はついにきりりと緊しまった口元を少し緩ゆるめて、白い歯を微かに見せた。津田の頭には、電灯の下で光る厚帯を弄っているお延の姿が、再び現れた。
「いっそ今までの経済事情を残らずお延に打ち明けてしまおうか」
津田にとってそれほど容易い解決法はなかった。しかし行きがかりから云うと、これほどまた困難な自白はなかった。彼はお延の虚栄心をよく知り抜いていた。それにできるだけの満足を与える事が、また取りも直さず彼の虚栄心にほかならなかった。お延の自分に対する信用を、女に大切なその一角において突き崩くずすのは、自分で自分に打撲傷を与えるようなものであった。お延に気の毒だからという意味よりも、細君の前で自分の器量を下げなければならないというのが彼の大きな苦痛になった。そのくらいの事をと他から笑われるようなこんな小さな場合ですら、彼はすぐ動く気になれなかった。家には現に金がある、お延に対して自己の体面を保つには有余ありあまるほどの金がある。のにという勝手な事実の方がどうしても先に立った。(『明暗』)


村雨 奥さんに「策略家」の疑いがあるがはっきりしないことは、『こゝろ』の作中で明確に述べられています。にもかかわらず、この策略家説を掘り下げようとする人には、根本的に何かが欠けています。もし奥さんが本当に策略家なのだとしたら、漱石は策略家という言葉を使わないでしょう。もし読者をして何か新しい発見に辿り着かせるのでなければ、書くことにも読むことにも、意味はありません。読者の参与、つまり漱石がしかけた仄めかしを読者が受け止め、自分の答えを獲得することがないならば、書くことにも読むことにも何の意味もありません。奥さんに罪があり、天罰が下ったという仄めかしがある、と書きながら、私は皆それぞれに現世で罰を受けたのではないかと書きたかったのです。
小林 なるほど。
村雨 例えば先生はどうでしょうか。先生はKの死の責任を一手に引き受け、毎月墓に参り、強引に手に入れた奥さんとのセックスをすることも控え、贖罪の日々を生きているようにも見えます。その一方で叔父に財産を誤魔化されたことから「他人を信用できない」として、付き合いの少ない生活をしているとされています。しかし先生のプロフィールにはどうも怪しいところがあります。奥さんを信用していると読者に確信させるところが『こゝろ』では見えないのです。また叔父に財産を誤魔化されたから他人を信用できなくなった、という割にはそれを期に他人の家に下宿し、Kの死の直後に「あんなふう」になるのではなく、徐々に可笑しくなるという離れ業を演じることができるので、先生にはある程度「どうしてもできない」ことをある程度我慢してやり遂げることができることが仄めかされています。
小林 漱石の職業における建前と実生活に似ていますね。
村雨 私は『こゝろ』における先生の役割の中に、「家でごろごろすること」があったのではないかと考えています。尤も漱石作品の多くて漱石を模したかのような主人公たちの多くは「家でごろごろ」しているのですが、特に『こゝろ』において先生は「家でごろごろ」することで、奥さんの貞節を守ろうとしていたのではないでしょうか。


「奥さん、お宅の財産はよッぽどあるんですか」
「何だってそんな事をお聞きになるの」
「先生に聞いても教えて下さらないから」
奥さんは笑いながら先生の顔を見た。
「教えて上げるほどないからでしょう」
「でもどのくらいあったら先生のようにしていられるか、宅へ帰って一つ父に談判する時の参考にしますから聞かして下さい」
先生は庭の方を向いて、澄まして烟草を吹かしていた。相手は自然奥さんでなければならなかった。
「どのくらいってほどありゃしませんわ。まあこうしてどうかこうか暮してゆかれるだけよ、あなた。――そりゃどうでも宜いとして、あなたはこれから何か為さらなくっちゃ本当にいけませんよ。先生のようにごろごろばかりしていちゃ……」
「ごろごろばかりしていやしないさ」
先生はちょっと顔だけ向け直して、奥さんの言葉を否定した。(『こゝろ』)


村雨 つまり先生はごろごろしているふりをして自宅警備員として勤務していたのではないでしょうか。
小林 近所で盗難が続いたある日、先生は「私」に留守番を頼みます。奥さんは自宅にいるので、留守番というよりやはり警護です。それは警護でもあり、監視でもあったということですね。
村雨 そして奥さんにとっては長い罰でもあります。
小林 先生はKのために奥さんの貞節を守り続けた、と考えられますが、ちょっといたずらな解釈もあり得ますね。あるいは一度「私」を奥さんと二人きりにしてみようとしたとは考えられませんか?『行人』の二郎と嫂の関係のように。
村雨 それは飛躍です。青年は菓子を貰って帰ります。まだ子供です。先生の嫉妬もありません。そうやってあちこち勝手に結びつけようとするから肝心なことが見えなくなるのです。「人間の罪の感じがもたらすもの」で述べたように、先生は奥さんに優しくして、奥さんの罪を隠し、懺悔の機会をなくし、義母の股間を丁寧に洗い、自分を裏切ろうとしたKの墓参りを過剰に行います。恐るべき復讐心に憑りつかれた修羅です。これでは成仏などありえないでしょう。

先生は何故死んだのか

村雨 漱石の『断片』に、どうしても『こゝろ』イメージさせる短いメモがあります。


恋。美人。花。邸宅。金儲。貯蓄。
(明治四十二年『断片』/『定本漱石全集第二十巻』所収)


これが『こゝろ』のメモでないとしたら、そして『こゝろ』のメモであるとしたら一体どういう意味を持ちうるのでしょうか。
小林 恋。美人。花。邸宅…。ここまでは解ります。しかし、金儲。貯蓄、というのは『こゝろ』には出て来ませんね。
村雨 本当にそうでしょうか。私がこの日記を再確認する前に、考えていたことはこんなことです。…先生は相当に豊かな浄土真宗寺の養子を結果的に殺し、墓守りをすることでそれなりの手当てを受けていただろうと。
小林 まさか? そんな話は存じません、存じません。
村雨 いくら仕送りを断つと云ってきた養家であろうと、そのことが原因で死んだかもしれない養子の墓の費用をいくらかでも出さなかったわけはなかろうとは考えられませんか。心がなくとも気持ち悪いからいくらかは出しますよ。『こゝろ』では「金儲」「貯蓄」が仄めかされて、隠された、と私は受け止めています。「私」に財産を教えないのは、実父から受けた財産がいくら、お嬢さんの家から譲り受けた資産がいくら、そしてKの養家から貰った金がいくら、相当に親に資産があるらしい「私」から巻き上げることのできる金がいくらと、細かい計算がなされないように暈しているのだ、と考えてもいいかもしれません。
小林 私の金までは狙っていないでしょう。
村雨 そうでしょうか。自分だけはお金から自由だと、そんな心境に先生はいたでしょうか。むしろ先生は漱石が求めた人間らしい生活のために、金に不自由しない算段をしたのではないでしょうか。
小林 誰の説、と断定はできないものの、現在までに書かれた『こゝろ』論の中で、もっともオーソドックスなものは、先生はたとえ罪であるにせよ、あるがままを描くことによって成仏したのだ、という類いのものがありますよね。
村雨 ええなんとなく知っています。しかし勿論先生はあるがままを書いてはいません。まず先生は、妻の財産を得ないで、無職を貫くことはできなかったと認めるべきではないでしょうか。自分が受け継いだ遺産は叔父にごまかされて十分ではなかった筈です。だから下宿していて…いつの間にか働かなくても家を構えてのんのんと暮らせるようになっていた。学生にも飯を食わせる余裕があります。デザートにアイスクリームが出てきます。いつのまにか奥さんの財産も手に入れたからです。そこに全く何の策略もなかったとしたら先生はどうして「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ金のために」などと言えたのでしょうか。
小林 君子とは天皇のことですね。
村雨 それは君主です。
小林 天皇は君子ではないとでも言うつもりですか。
村雨 …ええと。先生はホモセクシャルを漂わせながら、奥さんには手を出さずにいたのですから、やはりどこかで遊んでいたのではないでしょうか。そうでなければ「私」を受け入れても良かったでしょう、奥さんと同じ禁欲という罰を受けていたのだとしたら、逆に遊び過ぎです。先生は頭に手拭いを巻いただけの恰好で「私」を誘ったとも解釈が可能であり、最後まで「私」を突き放さないのは肉欲が目的でないとすれば、繰り返し真面目に説教されるところの財産が目的だと疑われても仕方がないでしょう。先生の手紙では、ついにKと「私」との関係について触れませんでした。君ならわかるだろう、最初に君の顔に覚えがないと言ったことは詫びる、と書いていません。それにそもそも成仏などする気はないからこそ、先生は一人で罪を犯し続けたのではないでしょうか。
小林 そこがどうも受け入れがたいところです。文学は勧善懲悪でなくてはならないと漱石は考えていました。
村雨 ですから悪を懲らしめるのです。


私が死のうと決心してから、もう十日以上になりますが、その大部分はあなたにこの長い自叙伝の一節を書き残すために使用されたものと思って下さい。始めはあなたに会って話をする気でいたのですが、書いてみると、かえってその方が自分を判然はっきり描き出す事ができたような心持がして嬉うれしいのです。私は酔興に書くのではありません。私を生んだ私の過去は、人間の経験の一部分として、私より外に誰も語り得るものはないのですから、それを偽りなく書き残して置く私の努力は、人間を知る上において、あなたにとっても、外の人にとっても、徒労ではなかろうと思います。(『こゝろ』)


村雨 何故何々? という問いに対する答えには様々なパターンがあり得ます。ある意味でこの先生の手紙が先生の命を引き延ばしたのだから、先生の死の理由は「手紙、あるいは自叙伝を書き終わったから」だともいえます。
そしてこの自叙伝はいつか公開されることが期待されていたことが解ります。


私は私の過去を善悪ともに他の参考に供するつもりです。しかし妻だけはたった一人の例外だと承知して下さい。私は妻には何にも知らせたくないのです。妻が己れの過去に対してもつ記憶を、なるべく純白に保存しておいてやりたいのが私の唯一の希望なのですから、私が死んだ後でも、妻が生きている以上は、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい。(『こゝろ』)


村雨 これが『こゝろ』の結末です。そして先生が命じた通り、冒頭で「私」は筆を執ります。先生は私に手記を書かせるために死んだのだということもできます。ですがここで先生の奥さんが「私」に依頼した調査報告が困難になってしまったこと、そして「なるべく純白に保存しておいてやりたい」という先生の言葉が示す通り、もし先生の手紙を奥さんが見ることになれば、彼女の記憶を純白に保つことができないことを先生は知っていました。そして奥さんの記憶さえ純白に保つことができれば、奥さんの死後、多くの人が奥さんの純白を疑うことを厭わないと書かれているように受け止められます。いや、しかしそんな理屈はないでしょう。本当に奥さんのことを信じていて、愛していて、許しているなら、懺悔の機会を与え、閻魔様に叱られないようにすべきではなかったでしょうか。来世ではバッタやカマキリに生まれ変わらないようにするべきではなかったでしょうか。
小林 先生は奥さんに懺悔の機会を与えぬまま、奥さんの死後奥さんの過去を晒すという残酷な罰を与えたということですか。しかも現世においては長年のセックスレスと、ホモセクシャルな浮気を仄めかし続けた挙句の仕打ちであると。
村雨 ここまでの人間の罪をやり切って、先生はやっと自分を殺してもいいと考えたのではないでしょうか。それは殆ど自分を許すということと同義です。
小林 それにしては次の一言が気にかかります。


とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分が欺かれた返報に、残酷な復讐をするようになるものだから。(『こゝろ』)


小林 『こゝろ』のどこに残酷な復讐がありましたか。
村雨 私はそれを「先生が善意で義母の看護をして逆に辱めること」「先生が男色の気配をちらつかせて奥さんとセックスレスであること」「子供が埋める年齢の奥さんを生活に困らない未亡人にしてしまうこと」だと考えています。
小林 しかしそんな話は他で聞いたことはありません。繰り返しますが、あらゆる漱石論はこの一線を守っています。夏目漱石は、文学は勧善懲悪でなければならないと考えており、何か良いものを示さなくてはならないと考えていました。文学者は人生について問われるようにならなければならないと考えていました。だから先生が残酷な復讐をしていたというような解釈はそもそも成り立たないものなのです。
それに冒頭のすがすがしさ、「私」の納得感から、「人間を愛し得うる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分の懐に入いろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。」という「私」の結論を邪魔するような議論は一度も起こらなかったのです。
村雨 先生は悪人であった、というような話をするものがいれば、滅多打ちになるのが日本文学界の常識なのでしょうが、私は先生の忠告通りに、先生を過剰に信頼しないことにします。先生は愛の反面に嫉妬があることを知っていました。


私の仮定ははたして誤らなかった。けれども私はただ恋の半面だけを想像に描き得たに過ぎなかった。先生は美しい恋愛の裏に、恐ろしい悲劇を持っていた。そうしてその悲劇のどんなに先生にとって見惨なものであるかは相手の奥さんにまるで知れていなかった。奥さんは今でもそれを知らずにいる。先生はそれを奥さんに隠して死んだ。先生は奥さんの幸福を破壊する前に、まず自分の生命を破壊してしまった。
私は今この悲劇について何事も語らない。その悲劇のためにむしろ生れ出たともいえる二人の恋愛については、先刻いった通りであった。二人とも私にはほとんど何も話してくれなかった。奥さんは慎みのために、先生はまたそれ以上の深い理由のために。
ただ一つ私の記憶に残っている事がある。或時花時分に私は先生といっしょに上野へ行った。そうしてそこで美しい一対の男女を見た。彼らは睦まじそうに寄り添って花の下を歩いていた。場所が場所なので、花よりもそちらを向いて眼を峙ている人が沢山あった。
「新婚の夫婦のようだね」と先生がいった。
「仲が好さそうですね」と私が答えた。
 先生は苦笑さえしなかった。二人の男女を視線の外に置くような方角へ足を向けた。それから私にこう聞いた。
「君は恋をした事がありますか」
 私はないと答えた。
「恋をしたくはありませんか」
 私は答えなかった。
「したくない事はないでしょう」
「ええ」
「君は今あの男と女を見て、冷評しましたね。あの冷評しのうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」
「そんな風に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」
 私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。(『こゝろ』)


村雨 「仲が好さそうですね」と言うことが冷やかしに受け取られる程、先生は敏感です。先生の悲劇とはKの死にまつわるものであることはある意味確かですが、先生がお嬢さんに恋したがゆえにKを出し抜き、奥さんにお嬢さんを貰いたいと申し出たことは、どう考えても「欺かれたことに対する復讐」などではありません。
小林 先生は恋の罪悪を知らなくてはならない、ということでしょうか。
村雨 そうです。恋の罪悪、怖ろしい悲劇を知らなくてはなりません。先生は怖ろしい復讐を企て、実行し、そして永遠の枷を人類にかけた。私はそう考えています。先生は善意で義母の看護をして何度も浣腸して辱め、ずっとセックスレスで苦しめた妻を子供が埋める年齢で財産のある未亡人にして、未来のある青年を急な手紙で古郷から呼び寄せて相続を危うくさせ、そしてずっと昔には友人を下宿先に呼び寄せ、美しいお嬢さんに近づけ、奪い取り、失意のために自殺させ、妻には「毎月の墓参り」で当てつけ、男色を匂わせて傷つけていました。そもそも鎌倉の海で、先生が頭に手拭いを巻いただけで下は何も身に着けていなかったとしたら、「私」がフルチンで迫るのは、罠に嵌められるような筋書きです。西洋人の透けた猿股などは色味で揚げ物に添えられたパセリに過ぎません。
小林 先生はそんなに悪いですか。
村雨 「則天去私」へ向かう夏目漱石の精神の向上のストーリーは、文学史上ゆるぎないものであるはずでした。しかし則天去私の意味がもっと厳密なものであったらどうでしょう。もし個人の正義や道徳などどうでもよいものだと見限り、天の理に則り、しかるべく行動すると覚悟したらどうなるのでしょうか。
小林 則天去私とは現代的な解釈の中で、エゴイズムを捨て去ること、と解釈され、公に尽くす善意のようなものだとまで短絡した要約がなかったとは言えませんか。
村雨 公など拡大された私でしかありません。漱石は『道徳と文学』という公演で、そういうものを明治以前の道徳だと定義づけています。公は交代されるものだからです。天とは公を超越したものです。
小林 現代に生きる我々こそがむしろもっと生々しく、天の危険性を知っているのではないでしょうか。成仏されるための死、それは言葉の表面上はポジティブながら、例えばオウム真理教がやったことは単なる殺人です。
村雨 どうやったら成仏できるのか、つまりどうやったらあらゆる苦悩から解脱できるのか、ということを仏陀は考え続け、ついに悟った、と言われます。しかしどうした訳かそのスキームが複数に分れて継承され、座禅から念仏、そして唱題まで様々な単純化が行われました。オウム真理教は約千五百年の曲解を祓うべく、「解脱には修業が必要だ」「グルによるみちびきが必要だ」という当たり前の事実を示しました。そして出家の意味を再認識させ、仏教が持つ本質的な反社会性も明確にしました。もし仏教の理想が実現されてしまったら、衆生の生活などありません。仏教はプラトンより現世を否定しています。我々が生き、生活している空間を否定しています。
小林 晩年の漱石は禅に傾倒していたと言われていますが。
村雨 禅は念仏や唱題からみれば、多少なりとも修行の要素があります。また諸説ありますが禅宗は霊魂を認めません。だからこそ漱石は、生まれ変わりを仄めかす、という客観性を保つことができたのではないでしょうか。
小林 三島の阿頼耶識論は霊魂を否定していますが。
村雨 その話はまたいずれ…。


Kは何故死んだのか

村雨 『こゝろ』は金を巡る醜い争いを描いた作品ではありません。金に惑わされる人間の恐ろしさを描いた作品でもありません。しかし『それから』から金の問題を引き取り、『明暗』に引き渡す作品であるとは言ってよいでしょう
小林 『こゝろ』における「金」の出現率は『それから』や『明暗』と比較すれば僅か三分の一に過ぎませんが。
村雨 僅か五行目に「金の工面」という言葉が出現することは認めても良いでしょう。それに青年がちょくちょく金の無心をしており、先生の宅に上がり込んで飯を食うのも気にかかります。実際に弟子でやたら飯を食う者がいたという話もありますね。


明治四十二年六月十六日

東洋城東宮御所の会計を調べてゐる。皇太子と皇太子妃殿下が二人前の鮪のさしみ代(晩食だけで)五円也。一日の肴代が二十円になりと。天子様の方は肴代一日分百円以上なり。而して事実は両方とも一円位しかゝからぬ也。あとはどうなるか分らず。
伊藤其他の元老は無暗に宮内省から金をとる由。十万円、五万円。なくなると寄こせと云ってくる由。人を馬鹿にしている。
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.49より)


村雨 これは伊藤博文を批判する意味で引用するのではなく、漱石が案外金のことに細かいという意味で引いたものです。ちょくちょく飯を食いに来る者がいれば家計費は増えます。


明治四十三年
九月二十六日

切に考ふれば希望三分二は物質的状況にあり。金を欲するや切也。
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.216より)

十月五日
○野菜の高き処なりほうれん草の浸し物一人前二十五銭。鶏の高き処也。百目八九十銭。余は日に三百目の湯煎ソツプを飲む。其代が日日に二円乃至三円也。可驚。
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.223より)


村雨 このように金にこだわる漱石は奥さんに代わって家計を取り仕切ろうと家計簿もつけますが、結局病気のため思うようにならず、その恨みは仕方なしに作品にも、思想にも、影響を与えていると(渋々)認めざるを得ません。
小林 Kは貧乏な男として死にましたね。
村雨 Kの死は『こゝろ』の中で唯一描かれる死です。そのほかの死は、ほぼ確実ながら物語の外側に置かれています。明治天皇の崩御、楠木正成贔屓の乃木大将の殉死は遠いニュースです。最も差し迫った筈の「私」の父の死も、あえて物語の外に置かれます。先生の死は既に過去のものとなり、「私」のモノローグで回顧されることはありません。先生の死に様、その後始末の様子も描かれることはありません。先生の両親の死、お嬢さんの両親の死も、『こゝろ』の時間からみれば過去の出来事に過ぎません。先生の手紙によって遠い過去の出来事であれKの死が最も生々しい形で読者には迫ってきます。
小林 「私」がKの生まれ変わりであると仮定すると、途端にKの策略、そして失敗が見えてきますね。Kの死には、表層的にはお嬢さんに対する失恋、先生の裏切り、淋しさ、行き場のなさ等、いくつものもっともらしい理由があるように思えます。中でも遺書で伏せられた先生の裏切りが一番堪えたのだとして、それで物語が成立するものでしょうか。
村雨 あくまで先生に夢中で、奥さんに対しては美しいとだけしか思わない「私」がKの生まれ変わりのように仄めかされているとしたら、「私」の振舞はKの想いを引き受けたものだと考えてよいのではないでしょうか。そうなると、那古でのKの振舞が急にリアリティを持って来ます。


私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上あがります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏った詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。(『こゝろ』)

 
村雨 このシーンのエロチックさは今更指摘するまでもないでしょう。それは「ちょうど好い、やってくれ」というKの台詞が意味深だからです。Kか単なる朴念仁であったとしたら、この台詞は、「どうした。お前、何か変だぞ」が普通ではないでしょうか。
小林 「危ないだろう。ふざけるな」と喧嘩になっても可笑しくはないですね。
村雨 この場でKは、まるで先生が変であることを重々承知であり、変である理由に思い当たり、自分も同じことで悩んでおり、その上でいっそ先生の手に賭けられることで全てが解決するならそれを受け入れても良いという複雑な心理状況を告白しているように読無ことか解ります。先生がKの首からすぐに手を離したのは、Kの云わんとすることを曖昧に感づいたからです。ここでKの心も先生の心も明確に言語化はされないけれど、何かひりひりする感じは読者にも伝わります。とてもとてもKは朴念仁で、先生がKを騙したのだ、という話ではないことが解ります。
小林 ではKは何故死んだのでしょうか。
村雨 Kがいくら朴念仁でも、財産のない自分がお嬢さんを嫁に貰うことが困難であることくらいは解っていたでしょう。
小林 あっ!
村雨 そう思いつくと途端にKの正直さを疑いたくなります。


彼の口元をちょっと眺めた時、私はまた何か出て来るなとすぐ疳付いたのですが、それがはたして何の準備なのか、私の予覚はまるでなかったのです。だから驚いたのです。彼の重々しい口から、彼のお嬢さんに対する切ない恋を打ち明けられた時の私を想像してみて下さい。私は彼の魔法棒のために一度に化石されたようなものです。口をもぐもぐさせる働きさえ、私にはなくなってしまったのです。
その時の私は恐ろしさの塊りといいましょうか、または苦しさの塊りといいましょうか、何しろ一つの塊りでした。石か鉄のように頭から足の先までが急に固くなったのです。呼吸をする弾力性さえ失われたくらいに堅くなったのです。幸いな事にその状態は長く続きませんでした。私は一瞬間の後に、また人間らしい気分を取り戻しました。そうして、すぐ失策しまったと思いました。先を越されたなと思いました。
 しかしその先をどうしようという分別はまるで起りません。恐らく起るだけの余裕がなかったのでしょう。私は腋の下から出る気味のわるい汗が襯衣に滲み透るのを凝と我慢して動かずにいました。Kはその間いつもの通り重い口を切っては、ぽつりぽつりと自分の心を打ち明けてゆきます。私は苦しくって堪りませんでした。おそらくその苦しさは、大きな広告のように、私の顔の上に判然した字で貼り付けられてあったろうと私は思うのです。いくらKでもそこに気の付かないはずはないのですが、彼はまた彼で、自分の事に一切を集中しているから、私の表情などに注意する暇がなかったのでしょう。彼の自白は最初から最後まで同じ調子で貫いていました。重くて鈍のろい代りに、とても容易な事では動かせないという感じを私に与えたのです。私の心は半分その自白を聞いていながら、半分どうしようどうしようという念に絶えず掻き乱されていましたから、細かい点になるとほとんど耳へ入らないと同様でしたが、それでも彼の口に出す言葉の調子だけは強く胸に響きました。そのために私は前いった苦痛ばかりでなく、ときには一種の恐ろしさを感ずるようになったのです。つまり相手は自分より強いのだという恐怖の念が萌きざし始めたのです。(『こゝろ』)


村雨 魔法棒で石にされる先生、その顔面には大きな広告のように苦しさが貼りつけられていた筈。Kは自分のことで精一杯で先生の気持ちには気が付かない…。先の引用のシーンで、Kが「どうした。お前、何か変だぞ」あるいは「危ないだろう。ふざけるな」と言っていれば、こんな先生の解釈もありえたかも知れません。しかし、これは夏目漱石が明かに読者へ、先生の「あからさまな」気が付かなさを気付かせようとしている記述です。夏目漱石は読者にKの不誠実さと、先生の誠実さを仄めかしています。ここまでは初見から気が付く要素です。
小林 初見からですか!
村雨 告白はお嬢さんにではなく先生にだけされました。奥さんもお嬢さんもKの告白を知りません。少なくともKは先生にそう言います。これはKにとって先生が親友だから何が何でも自分の恋を最初に打ち明けるのは先生でなくてはならなかった、という理屈でしょうか。ですがもしもこれが駆け引きであったとしたらどうでしょう。
小林 Kは何らかの意図をもって、先生に自分のお嬢さんへの想いを打ち明けた、ということですか。
村雨 そうです。本当にKがお嬢さんを好きなのかどうかは分かりません。ただKは先生にそう告白します。そうして先生とKとの関係はぎくしゃくする。いや現代語のぎくしゃくに要約されまいと、夏目漱石はわざと硬直な表現でこのように弁明します。


こういってしまえば大変簡単に聞こえますが、そうした心の経過には、潮の満干と同じように、色々の高低があったのです。私はKの動かない様子を見て、それにさまざまの意味を付け加えました。奥さんとお嬢さんの言語動作を観察して、二人の心がはたしてそこに現われている通りなのだろうかと疑ってもみました。そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得うるものだろうかと考えました。要するに私は同じ事をこうも取り、ああも取りした揚句、漸くここに落ち付いたものと思って下さい。更にむずかしくいえば、落ち付くなどという言葉は、この際決して使われた義理でなかったのかも知れません。(『こゝろ』)


村雨 手紙だからこそ使われた「思ってください」という表現の無邪気さと、先生の無防備すぎる独り相撲具合に、読者は知らず知らず巻き込まれてしまいます。あれこれ思ってみてもどうしても他人の心を知ることはできないからです。こうして先生をぐらぐらさせたのは、お嬢さんの意味深な振舞とKの告白の結果なのですが、それを二人の共同作業であると仮定したらどうなのでしょう。実に罪作りな二人です。
小林 それがあの真砂町の共謀ですか。
村雨 そうですね。誰か一人でも本当のことを云えばなんでもないことをわざと伏せていますからね。大体Kは最初にお嬢さんに会った時、先生に対して素直に、「美しい人だが、君は何とも思わないのか」と尋ねなかったものでしょうか。もしも尋ねなかったとしたら、それはただ正直なためではないでしょう。
小林 つまりそこにホモセクシャルなものがあるから…。
村雨 そして本当にそうだとしたら、Kの駆け引きは罪です。先生にお嬢さんへの想いを告白した後、先生との関係がぎくしゃくしてしまった後、Kは自分の過ちに気が付かなかったものでしょうか。果たして先生がお嬢さんを嫁に貰いたいと奥さんに直訴するまで、Kは先生の悩みに本当に気が付かなかったのでしょうか。どうもKの鈍感さは先生の想い込みであり、夏目漱石は読者に対して別の見方も示しているように思えます。
小林 それは何ですか。
村雨 お金の話です。財産を巡るKの計算があったとしたらどうでしょう。「妻の家にも親子二人ぐらいは坐すわっていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、」と『こゝろ』には書かれています。そこに先生の公債が加わり、先生は働かなくてもいい身分に収まるのですが、もしもお嬢さんとKが結婚すれば、Kは美しい妻と同時に相当の財産を得ることができることになります。だから奥さんに申し出て断られる前に、先生に告白して、手を引かせようとしたのではないかとも疑われます。


「さきほど先生のいわれた、人間は誰だれでもいざという間際に悪人になるんだという意味ですね。あれはどういう意味ですか」
「意味といって、深い意味もありません。――つまり事実なんですよ。理屈じゃないんだ」
「事実で差支えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」
 先生は笑い出した。あたかも時機じきの過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風ふうに。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」
 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先生は少し後おくれがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。
「そら見たまえ」
「何をですか」
「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」
 待ち合わせるために振り向いて立たち留どまった私の顔を見て、先生はこういった。(『こゝろ』)


村雨 この金のために悪人になる人として最初に思い浮かべられるのが先生の叔父だとして、その叔父がまず仕掛けたのが縁談だったことは偶然ではないでしょう。そしてここで「金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」とあくまでも例外が排除されていることは意味深い。Kがいくら鈍感で正直であったとしても、金の前では悪人になるという理屈です。
小林 なるほど。
村雨 そして実際にはどうだったのか。夏目漱石は先生の目を通してKを鈍感で正直な人間として描きながら、読者をして鈍感さを疑わせるように仕向けています。そこから「Kは財産も欲しくて、もしかしたら先生も惚れているかもしれないお嬢さんのことを好きだと先生に告白し、一方では狡猾なお嬢さんと共謀し、朴念仁の先生を振り向かせるためにお嬢さんに芝居を持ち掛けたのではないか」と深読みしてしまわないようにしたい。
そう読めなくもないです、それではKが死ぬ理由がなくなります。
もしも仮に「Kは財産も欲しくて、もしかしたら先生も惚れているかもしれないお嬢さんのことを好きだと先生に告白し、一方では狡猾なお嬢さんと共謀し、朴念仁の先生を振り向かせるためにお嬢さんに芝居を持ち掛けた」のではなく「お嬢さんは多額の公債を持っている先生を射止めるために、お嬢さん宅の財産を欲しがっているKを上手く誘って、本気の芝居をさせ、最後にKを裏切った」と言い切ってしまうのもどうでしょう。
またそこまで財産に焦点を当ててしまうと、先生のこのモノローグも意味深く感じられてしまいます。


それはある軍人の家族、というよりもむしろ遺族、の住んでいる家でした。主人は何でも日清戦争の時か何かに死んだのだと上さんがいいました。一年ばかり前までは、市ヶ谷の士官学校の傍とかに住んでいたのだが、厩などがあって、邸が広過ぎるので、そこを売り払って、ここへ引っ越して来たけれども、無人で淋しくって困るから相当の人があったら世話をしてくれと頼まれていたのだそうです。私は上さんから、その家には未亡人と一人娘と下女より外にいないのだという事を確かめました。私は閑静で至極好かろうと心の中うちに思いました。(『こゝろ』)


村雨 女が三つで姦しいと綴るのに、閑静とはどういう皮肉でしょうか。恍けてはいるが先生も最初から財産を期待した可能性もなかったとは言えません。はっきりしていることは、『こゝろ』では様々なことが仄めかされているのであって、何もはっきりと書かれてはいないという事実です。

君のそこには覚えがあります

村雨 ここに意味があるのかないのか、誰も論じてこなかったのですが。どうも夏目漱石の『こゝろ』には男色の匂いがプンプンします。ところがはっきりとこれという場面は現れません。
小林 現れませんね。何かがあったとは書かれていません。
村雨 ところがその意味を明言する人がいません。
小林 『こゝろ』では男たちがやたらと露出しますね。理由はあからさまのようであり、そうだとも言い切れません。
村雨 あからさまですか?
小林 …つまり、露出好きということです。
村雨 露出好きの意味は何ですか?
小林 ただ露出好きだということです。
村雨 ではこの露出する男たちの意味を明確にしてしまいましょう。まず「私」は先生にフルチンで迫ります。


その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。(『こゝろ』)


村雨 この文章を正確に解すると「私」は全裸ということになります。
小林 それは理窟です。
村雨 ええ、理屈です。どこへ出ても立派に通る理窟です。水着は持たない、一切を脱ぎ捨てる。この潔い文章は誤解のしようもありません。先生はスケスケの猿股の西洋人を連れています。「私」はその西洋人の股間を凝視してから、先生の前にフルチンで現れます。
小林 そんな理窟は。何だか変です。屁理屈ですよ。


ところが先生はしばらく沈吟したあとで、「どうも君の顔には見覚えがありませんね。人違いじゃないですか」といったので私は変に一種の失望を感じた。


村雨 そう先生は言いますが、では顔ではないどこかに見覚えはなかったでしょうか。更に言えば海水浴の際の先生の恰好がぼやかされています。頭には手拭いを巻きます。しかし先生の水着は描かれていません。猿股を穿いていたとも、ふんどし姿だったとも書かれていないのです。それでいて二丁も沖に出るのですから、無駄な布切れで下半身を覆っていたとは考えにくい。布が水に濡れて重くなれば溺れてしまいます。遠浅といえども、二丁も沖では潮の流れも変わり、足が海底に着くこともないでしょう。
小林 先生は「私」の前で突然立小便しますよね。「私」は旧制大学の卒業式の後、部屋に戻ると裸になり、窓を開けて外を眺めます。『こゝろ』の男たちは露出が好きなのですよ。
村雨 多くの人が指摘する折り、『こゝろ』には男色的要素が散りばめられています。ただその意味を明確に指摘する評論を、私はまだ知りません。男色と『こゝろ』とをすっきりした図式に収めることができないからです。男たちのなまなましい露出は、読者をして、奥さん同様ホモセクシャルの素振りで(セックスレスの気配を)けむに巻く演出でしょう。


入れ替わっている


 村雨「では、先生の裏切りは恋の駆け引きだけじゃないということですか?」
小林「ええ、金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ、という先生の台詞がありますよね。先生も例外ではないということです。先生は私に資産額を訊かれても曖昧にして答えません。しかし奥さんの資産を自分のものにしなければ、いつまでも働かないで過ごすことはできなかったでしょう。逆にKが奥さんの資産を受け継げば、Kも楽に暮らせたことでしょう。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ、と私に告げる先生はまだ修羅の中にいますよ」

恋。美人。花。邸宅。金儲。貯蓄。
(明治四十二年『断片』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.85より)

これが『こゝろ』のアイデアだとしたら、『こゝろ』はやはりお金の話です。


「入れ替わっています。これ、誤植でしょう。困絡らがっています。この間ネームをお渡ししましたよね。全部逆です。立場が入れ替わっていませんか? 私が聞き役で、ええと、こ、この人が勝手に説明していますよ。これは何と陋劣な…」わずか「小林」という言葉を口へ出すのでさえよほど手間取い、私は小林を震える手で指さした。
「ええ」水野みどりは短く答えた。
 二回目の打ち合わせで見せられたネームでは、先日録音された二人の会話は立場を入れ替えて整理されていた。全てのネームがそうだった。全部小林が説明し、私は適当に話を引き出す聞き手に回っている。
「それがサンチマンタルなのだよ」小林十之助は訳の分からないことを言い出した。「それにしても本当に君には驚かされましたよ。八割方会話を記憶していたとしか思えませんが、…しかし、この方が自然でしょう」
「自然って…、そりゃ、いくら何でも、どうかしていますよ。これなら聞き役は誰でも構わないことになってしまいます。チンパンジーでも」
「君はチンパンジーが日本語を話すと真剣に考えているのですか」
「冗談ですよ。いや、しかしこれは冗談じゃありません。剽窃です。いくら何でもこれはひどすぎます」
「やはり君はまだ文学というものを真剣に考えたことがないようですね。君は日本文学が読み人知らずの万葉歌に連なることの意味を考えたことがないでしょう。歌合せでは天皇がわざわざ従三位と遜ります。雅号は気取りではありません。慎みです。江戸点取り俳諧ではみな通りすがりの名無しさんに留まります。2チャンネルの掲示板でコテハンが嫌われるのはご存知でしょう。それなのに何故君は立場が入れ替わっているなどと文句を言うのですか。文学とは作品そのもの。誰が書いたかではなく、何が書かれているかということこそが重要な筈です」
「……」
「それに村雨先生は前回の打ち合わせで私共の提案を全て承諾されています。サブスク、対話型ネームの作成、それからパブリシティとアドバタイジング。ネームはこちらで作成、監修は小林先生におまかせするという契約でした。村雨先生にはあくまで原案者としての報酬をお支払いするとご説明した筈です。小林先生は慎重に考えるよう忠告もなさいました。ですから私どもは村雨先生からいただいたネームの原案を編集しました。編集権は私共にあります。私共は良いコンテンツを作ることしか考えていません。村雨先生のアイデアをいかに効果的に伝えようかとリモートコンテンツ用の人気絵師を手配中です。私も先日、ジンバルカメラを持って雑司ヶ谷霊園や小石川あたりを回って映像資料を準備しました」
「……」
「君はさっきまるで私に欺かれたかのように顔色を変えましたが、癇違いです。私は君を欺いたとは思いません」
「小林先生は清潔な方です」
私はふと水野みどりの顔を見た。そして丸いとも四角いとも三角とも思わず、ただ美しいと思った。私は彼女が言った清潔という言葉に嫉妬していた。彼女が自分の不潔の正体を知っているようで怖ろしくもあった。
「それから君はこれから物を書いていく覚悟がありましたか? 物を書く、書き続けることは言い訳の出来ない不始末です。いいですか何かしらの事故で、ついかッとして人を殺した者があったとしましょう。そこに何かしかるべき事情があれば、情状酌量というものもあるでしょう。しかし連続殺人鬼、シリアルキラーに同情する人はいません。この人は人を殺すことが目的なんだと誰でも気が付くからです。物を書き続けるということは、そういういかがわしさを持っています。つい書いてしまったでは済まされないんです。何か真剣に話題に向き合うふりをしながら、物書きはただものを書きたいのです。書く事が好きなのです。知り合いのプログラマーが同じことを言っていました。プログラマーは何か目的を達するためにプログラムを書くのではなく、プログラミングの没頭感が好きなのだそうです。ですから三時間の作業を短縮するために七時間もかけてプログラミングをするそうです。彼は経営者でもありますから、プログラマーがコードを書いていても仕事をしているとは認めないそうです。何が出来上がったか、プログラマーの評価はそれだけで決められます。私はあなたが格別漱石に興味を持っているとも信じません。信じませんが、底の抜けた柄杓で甕の酒を飲み続けるようないかがわしいものを少しは認めました」
「それは村雨先生のことをとても評価されているということです。小林先生が新人と会うことはまずありません。今回の企画は小林先生がどうにかして村雨先生を立てられないかと口を利いていただいたおかげで成立したものです」
「あなたにはリベラル・アーツの基礎がありません。全てがないわけではありませんが、少なくとも音楽と天文学の知識に欠いています。それとあなたはひょっとしてアファンタジアか、失顔症ではありませんか? あなたの表現は平面的で、常にロジックで、遠近法の立体を構成しません」
「真砂町にはやたらこだわるのに、Kの股間に先生の股間が当たっていることに何故気が付かないのだろう、と小林先生は不思議がっていらっしゃいました」
「君はまだ理解するという作法が理解できていないのです。理解するとはどういうことですか?」
「それは結果としては言い換え出来るかどうかで試されるのではないかと思いますが」
「それは思考を言語に縛り付ける誤謬で、前世紀に完全に否定されました。例えば料理人は料理の工夫を、音楽家は音楽の工夫を非言語的に理解することが明らかになっています。あらゆる感覚をいちいち言語に置き換えるのではなく、そのまま理解するのです。あらゆる分野で非言語的理解があることが確認されています。そしてついには言語世界にも非言語的理解が生じることが証明されました。今、理解するということは記憶と結びつき、意味を獲得することだと考えられています」
「意味を獲得、ですか。つまり新しさを…」
「何かが加えられない理解などありません。それから君は訂正を肯んじえない書き誤りと存在しない引用のモザイクというレトリックについて全く理解していませんね」
「…それは、はい、わかりません」
「訂正を肯んじえない書き誤りとは我々の世界そのものです。世界は少しずつ誤りながら蓄積されて行きます。具体的に言いましょう。厚生労働省のホームページではシベリア抑留者名簿を閲覧することができます。そこでヒロショー・ナカモラという名前があったとしましょう。それはナカムラ・ヒロシではないかと誰もが思うでしょう。しかし訂正は許されません。何故なら、テンイチルー・トバタという名前も見つかるからです。テンイチロー・オバタなのかトバタなのか、本当のところは分かりません。イトル・ジンがイトウ・ジュンとも決めつけられません。チョホトフ・コバチョフスキーをコバヤシチョウタロウに修正することはできません。もうこのままでいくしかないのです。誰ももう訂正は出来ないのです」
「はい」
「考明天皇は長州藩を排除しようとしました。しかし考明天皇は急死し、明治天皇は南朝の忠臣楠木正成と一緒に長州藩によって持ち上げられます。薩摩の西郷は退けられ、長州の天下が百五十年続きます」
「そういう政治の話は良く分かりません」
「だから君には文学を語る資格がないというのです。いいですか、三島由紀夫は幻の南朝に忠義を捧げ、皇居突入計画を練っていました。」
「そして存在しない引用のモザイクで我々の現在は構成されています。例えば今はもうただの穴と化した未来のマイクロフォンは、ノスタルジックに表現されないと意味を成しません。私たちはもう竹輪から竹を引き抜くアルバイトが存在しないことを知っています。村雨先生」
「なんですか?」
「特別に、少しだけ前払いも可能ですよ。もしも何かお困りでしたら」
私は改めて全てを承知するしかなかった。そもそもこれは犯罪なのだ。私はふと、自分が河原岩雄の本を書き写したに過ぎないことを思い出した。それでも自分のやろうとしたことは、世間に出ていない本を見つけ出したというくらいの価値はあると思っていた。だがこうなると、河原岩雄のアイデアを小林十之助に引き渡して、消えてしまうのもありかなと思えてきた。
浣腸を待つ理由はない。文学は若者のものだ。だがこのままの流れでは水野みどりとの接点が次第に細くなり、たちまち失われてしまいそうで悔しい。自分も清潔だと言われたい。カラオケボックスでハグしたい。その細い腰を抱き抱えて股間を押し付けたい。相席居酒屋で出会いたい。
「それでももし、村雨先生がどうしてもとおっしゃるなら、一度話を白紙に戻すよう社と掛け合ってみますが…」水野みどりは前屈みに言った。
ゆさゆさ揺れた。
「…いえ、どうかこのまま進めてください」と私は言うしかなかった。尻の穴から手を突っ込んで奥歯をガタガタいわして欲しかった。もうヴィートの除毛クリームでVIOあたりをつるつるにするしかなかった。「武士に二言はありません」
「まあ、いいでしょう。武士は本来言葉を持ちませんが」小林は言った。
いや、武家言葉がありますよ、と私は言わなかった。


『こゝろ』は三つ目の遺書なのか


大正三年
○二ツの異なる世界、一点の交鈔。観察点の相違。争の源因。個人主義の必要 
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.432より)

大正四年
○××の結婚。××の死亡。××の死亡 
(『日記』/『定本漱石全集第二十巻』所収/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.480より)


小林 夏目漱石の『こゝろ』を失敗作だと非難する読者に欠けているのは、三つの遺書に関わる三人の男の関係性の認識です。
村雨 遺書は二つしかありませんよ。
小林 いいえ、三つあります。この点に関して、夏目漱石ははっきりと仄めかしています。
「私」がKの生まれ変わりのような何かであり、先生の手紙の中にそういうことを確証させる要素があったとしたら、先生の手紙は小説のバランスを欠くほど長いものにはなり得ません。「私」が登場しない原稿の量を指して長いというのは、冒頭のすがすがしさを理解できていないからなのではないでしょうか。
村雨 先生の手紙は「私」にとって迷惑なものでさえなく、「私」自身の物語でもあったのだとしたら…。
小林 そうです。先生の手紙が「私」自身の物語であれば、何故かこれという来歴を持たない「私」が自分の過去を獲得する過程として先生の手紙を読むことができます。
全ては「私」がKの生まれ変わりであることが仄めかされていることを前提にしての話なので、「いや、私は断固としてそんな仄めかしがあることを認めない」という人にはこれ以上説明することはありませんが。(笑)
村雨 『こゝろ』では「私」がKの生まれ変わりであることが仄めかされており、『こゝろ』には三つの遺書があるように読むことができるんですね!
小林 そうです。そのためには先生の手紙が「私」にとって「自分自身の物語」でなくてはならず、先生の手紙に「自分が先生に近づこうとした証拠」があり、「私」が先生の手紙に納得したがゆえに、『こゝろ』の冒頭がすがすがしさに充ちているのだと考えています。
村雨 自分の物語だからこそ折り畳まれて懐に収めることもできたのですね。
小林 それは言い過ぎでしょう。(笑) 兎に角、『こゝろ』にはKの遺書と先生の手紙、そしてそれらを内包する「先生の遺書」という構造があり、「先生の遺書」の書き手は「私」であり、「私」は先生になることが仄めかされており、「私」は『こゝろ』を読者が読む頃にはもう死んでいるという設定なのではないかと考えています。それは勝手な妄想ではなく、『こゝろ』に書かれていることを丁寧に読んだ結果です。そして『こゝろ』は罰を受ける者は罰を受け、罪を犯した者は悔い改める物語だと考えています。
村雨 ページネーションを間違えていませんか?
小林 私は次章以降で次第に明かされるべき、本書の落ちをここであらあら明かしてしまおう思います。まず『こゝろ』では、冒頭のすがすがしさに関わらず、「私」以外の登場人物たちはそれぞれ密かに苦しんでいたように仄めかされています。先生と奥さんは仲の良い夫婦ではなく、どうも子作りをしている気配がありませんし、時々喧嘩をしている様子があります。喧嘩はともかく、セックスレスは罰です。「私」が前途洋々かと言えばそんなこともなく、大学を卒業しても職もなく、死にかけの父親を見捨てて上京することから、遺産相続で揉めそうな雰囲気が漂います。先生があれだけ念を押したのに、「私」はまるでKのように財産を失いそうです。
村雨 そのきっかけは先生の手紙ですから、先生も悪いですね。
小林 そうなります。


私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間をはばかる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(『こゝろ』)


小林 この「筆を執っても」の一語において、『こゝろ』は「私」の手記であり、読者はそれを読まされているのだという設定が現れます。この一語がなければ読者と作品との関係はもう少し曖昧なものになり得たでしょう。そもそも小説を読むというのは奇妙な体験です。
村雨 どこの馬の骨とも思えぬ誰かのモノローグに突然付き合わされるということは実生活では起こりえませんからね。
小林 『こゝろ』は予め「私」の手記だと規定されています。「私」の手記が「先生の遺書」だと仮題されていたとすれば、「私」は先生にかぶれて先生になり、そして遺書を書いているのだと解することは自然でしょう。


私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚る遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」といいたくなる。筆を執っても心持は同じ事である。よそよそしい頭文字などはとても使う気にならない。(『こゝろ』)


小林 ここで「よそよそしい頭文字」は「私」とKの因縁によってイロニーとなります。またここで先生を先生と呼ぶことがイロニーとなれば、見事な対置法が使われていることになりますが、そのためには「他の人からすると奇妙に感じられるかもしれないが、私にとっては自然なのである」という仕掛けを認めなくてはなりません。
村雨 他人から見ると奇妙で、というふりがあってこそ私にとって自然がイロニーになるんですね。
小林 『こゝろ』の中には「私」が先生になる仄めかしがあります。


私にはただ卒業したという自覚があるだけで、これから何をしようという目的もなかった。返事にためらっている私を見た時、奥さんは「教師?」と聞いた。それにも答えずにいると、今度は、「じゃお役人?」とまた聞かれた。私も先生も笑い出した。
「本当いうと、まだ何をする考えもないんです。実は職業というものについて、全く考えた事がないくらいなんですから。だいちどれが善いいか、どれが悪いか、自分がやって見た上でないと解わからないんだから、選択に困る訳だと思います」
「それもそうね。けれどもあなたは必竟財産があるからそんな呑気な事をいっていられるのよ。これが困る人でご覧なさい。なかなかあなたのように落ち付いちゃいられないから」
私の友達には卒業しない前から、中学教師の口を探している人があった。私は腹の中で奥さんのいう事実を認めた。しかしこういった。
「少し先生にかぶれたんでしょう」
「碌なかぶれ方をして下さらないのね」
先生は苦笑した。
「かぶれても構わないから、その代りこの間いった通り、お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらってお置きなさい。それでないと決して油断はならない」(『こゝろ』)


小林 ここでは奥さんの予想する未来の「私」の職業第一位として「教師」が挙げられています。また友達に中学教師の口を探している者があることから、「私」の専攻する学科では、糊口する最も安易な手段が中学教師であろうことが仄めかされます。
そしてこの引用文では遠慮なく夏目漱石の生涯に絡んできます。


八月の半なかばごろになって、私はある朋友から手紙を受け取った。その中に地方の中学教員の口があるが行かないかと書いてあった。この朋友は経済の必要上、自分でそんな位地を探し廻る男であった。この口も始めは自分の所へかかって来たのだが、もっと好い地方へ相談ができたので、余った方を私に譲る気で、わざわざ知らせて来てくれたのであった。私はすぐ返事を出して断った。知り合いの中には、ずいぶん骨を折って、教師の職にありつきたがっているものがあるから、その方へ廻してやったら好かろうと書いた。
私は返事を出した後で、父と母にその話をした。二人とも私の断った事に異存はないようであった。
「そんな所へ行かないでも、まだ好い口があるだろう」(夏目漱石『こゝろ』)


村雨 この部分では『坊ちゃん』を、そして夏目漱石自身の愛媛県尋常中学校での教師体験を思い出しますね。
小林 やや飛躍するようですが、実際体調にすぐれなかった夏目漱石はある意味で『こゝろ』が自分の遺作となり、自分自身の遺書としても受け止められかねないことを十分に意識して『こゝろ』を書いたのでしょう。勿論「私」は夏目漱石だ、という断定には何の意味もありません。ある意味Kも先生も夏目漱石の一部ですし、ある意味でKも先生も架空の人物には違い無いからです。ただしやや人生を振り返るような、そういう要素がないとは言えません。
村雨 『道草』なんかは随分私小説的だと言われていますが。
小林 私小説と自然主義の違いが説明できますか?
村雨 私小説は作者の体験を素材にした小説で、自然主義は白樺派に対する揶揄でしょう。
小林 私は大杉栄の『獄中記』や『自叙伝』を私小説と見ています。自然主義は環境や遺伝から登場人物の行動を説明しようとしましたが、赤裸々でさえあればいいという方向に変質しました。私は漱石がそういうものから距離を置き、ただの自分語りではないものを書こうとしていたと考えています。
村雨 漱石は余裕派から自然主義風に変わっていったと言われていますが。
小林 確かに夏目漱石は小石川で生活したことがあり、鎌倉にも保田にも行ったことがあり、養父に金の無心をされ、教師でもありましたが、子沢山でした。漱石は自然主義に寄せたのではないと私は考えています。「私」などどうでも良いと思っていた。それは「私」を散々いたぶった太宰や、三島由紀夫にも通じるものがあると考えています。
村雨 たしかに『こゝろ』では私に殆ど生活というものがありませんね。裸になって卒業証書を遠眼鏡にしたり、何某と酒を飲むくらいでしょう。まるで実在していないお化けのようです。本当にお化けだったんじゃないですかね。
小林 それは飛躍です。ただいわゆる仕事や親戚付き合いなどというものはどうでもいいと思っていたように思います。環境も遺伝もありませんね。
村雨 食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪にくいという理屈ですね。『それから』で職業を探しに行く代助はぐるぐるですからね。
小林 それには時代というものもあったと思います。新しい職業が次々に誕生し始めた時代ですが、まだ今のような民間企業に勤務するサラリーマンというものが当たり前ではなかった時代です。『道楽と職業』なども自らの成効を偶然にして、あまり論理的とは言えません。漱石の小説の登場人物はあまり働いていないようですが、漱石自身は己を犠牲にしてよく働いていたと言って良いでしょう。
村雨 しかし職業を書かなかった。事業を起こして苦労して成功する。経済的な成功というものがまだ普遍的な価値を持たなかったということでしょうか。
小林 親子関係も道楽でない金の為の仕事も書きたくなかったようですね。もし書いていたとしたら資本主義社会とうまく折り合いをつけながら、一方では何かを徹底的に損ない傷ついていく青年を描くことになったのではないでしょうか。
村雨 『国境の南 太陽の西』のようにですか。

心ハ喜怒哀楽ノ舞台 舞台ノ裏ニ何物かある


作家(吟味家)ハa,b,c,・・・dのeach及ビ其連続ヨリ生ズルpleasureヲenjoyスレバ足ㇽ.世人ハ天才ヲ称シテ無意識ニ作為スト云フ無意識ニ道理ナシ但a,b,c,…dノ関係ヲobserveシ又之ヲ比較セザルノミ.intellectuallyニfeelingヲ取扱フコトヲシラザル故ニ無意識ト云フナリ
(『定本漱石全集第二十一巻』/夏目漱石著/岩波書店/2018年/P.268より)


村雨 これは『ノート』ですね。
小林 ええ。『ノート』には示唆に富んだ記述が多く見受けられるのですが、漱石本人に解ればいいものなので、他人に解りやすくは書かれていません。『ノート』を全部理解するには夏目漱石の脳味噌が必要になります。これは不可能です。ですが断片的に拾うことができる要素があります。たとえばここでは小説の中で起きる事象の連続を比較せよ、感覚を知的に取り扱えと書かれているように思えます。少し飛躍しますが芥川龍之介は「一語一語を味到する」ことが肝要だと考えていました。漱石は読者にもそういう態度があっても良いだろうと考えていたと思われます。
村雨 具体的にいうとどういうことですか?
小林 例えば村上春樹の『1Q84』を巡って、「物語が用賀から始まるのはヨーガが意識されているからであり、麻原彰晃を模したかのような登場人物と結びつけられている」というような指摘があり、作者本人は多様な解釈を拒否していません。ではそのような作品解釈が全ての作家、作品に相応しいかと言えばそうではないと私は考えています。
実際に村上春樹は物語の着地点を意識しないで書いており、リトルピープルが何かという定義を明確にしないで書いています。だから読者によってその物語に多様な意味が見出されうる。極端な話、『羊を巡る冒険』の「羊抜け」は我々にしか理解できないだろうとモンゴル人が主張しても村上春樹は文句を言いません。村上作品は各々の多様な解釈によって成立する物語です。
村雨 つまり村上作品は読者が作者の意図を意識せず自由に読んで構わないということですね。
小林 そうです。ドストエフスキーもかなり「いきあたりばったり」で書いているような気配があります。自分で物語を制御していません。ただし『カラマーゾフの兄弟』に第二部があることは予告されており、「物語に続きがある」という感覚ではなく、ある程度の構想があったことが主張されているから、完全にアドリブではありません。
村雨 ドストエフスキーは深読みもありということでしょうか?
小林 そうですね。色んな声が聞こえてくる、という人がいます。必ずしも決めつけないで読むのが楽しいのではないでしょうか。では夏目漱石はどうであったか。
少なくとも本人は「いきあたりばったり」で書いているのではないと考えていたようです。


十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って宅へ帰りました。Kの室は空虚でしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えていました。(『こゝろ』)

小林 これが先生の帰宅ルートです。例の通り、とあるので通常の通学経路なのでしょう。
先生の帰宅経路が今の東大正門前から徳田秋声旧居跡、石川啄木旧居跡、菊坂下、西片、常光山源覚寺と至るルートであることは、「蒟蒻閻魔を抜けて細い坂路を上って」という説明にある「抜けて」と「上って」という表現から推測可能です。「抜けて」は路地を、「上って」は坂道を意識させます。勿論完全に限定されませんが、先生は真砂町を通っていないことが仄めかされています。
村雨 それは東京の人にしか伝わりませんね。
小林 ええしかし蒟蒻閻魔に引っかかればいいのです。
村雨 閻魔とは閻魔様の閻魔ですよね。
小林 つまり罪の仄めかしです。このルートで先生はお嬢さんとKに出会っていない。二人はぬかるんだ柳町、真砂町ルートを二度通ったのか、どうなのか。本当のことは解りません。しかし閻魔大王の前は通らない。生前の罪の裁きを行う閻魔様の前は通らない。このことを漱石は源覚寺と書かないで蒟蒻閻魔と書く事で仄めかしています。


近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、それが宅のお嬢さんだったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶をしました。その時分の束髪は今と違って廂が出ていないのです、そうして頭の真中に蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやりお嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は思い切ってどろどろの中へ片足踏ん込みました。そうして比較的通りやすい所を空あけて、お嬢さんを渡してやりました。(『こゝろ』)


小林 これはある寒い日、蒟蒻閻魔を通って学校から戻ると、Kの部屋にKは不在ながら火鉢に火が入っていて、自分の部屋の火鉢には火が入っておらず、先生が気晴らしに外出した折りのことです。先生はこのようにKとお嬢さんに出くわします。この出来事は先生を惨めにさせ、焦らせます。譲らなくてはならないのは、お嬢さんか先生でした。先生は譲り、そして譲れなくなったのです。この泥に片足を踏み込み、道を譲る儀式は、後に譲れないことを象徴的に示した布石と見做して良いでしょう。
村雨 感覚的にはそうかとも思えるのですが、深読みになっていませんか?
小林 では村雨さんは真黒な蛇を知っていますか?
村雨 あっ!
小林 ぱっと思いつかないでしょう。蛇は緑色や茶色のイメージでしょう。黒い蛇は大抵色彩変異個体です。髪の毛の比喩として、蛇はいかにも意地悪です。それにKとはすれ違っています。先生がどろどろの中に片足を踏ん込むのは、蛇のぐるぐるのお嬢さんが身体を傾ぐ気配もなく意地悪に立っていたからでしょう。そうでないとしたらKが靴を汚しています。先にKが譲り、先生が気付かなかった、ということになります。


「私はKに向ってお嬢さんといっしょに出たのかと聞きました。Kはそうではないと答えました。真砂町で偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。しかし食事の時、またお嬢さんに向って、同じ問いを掛けたくなりました。するとお嬢さんは私の嫌いな例の笑い方をするのです。そうしてどこへ行ったか中てみろとしまいにいうのです。その頃の私はまだ癇癪持ちでしたから、そう不真面目に若い女から取り扱われると腹が立ちました。ところがそこに気の付くのは、同じ食卓に着いているもののうちで奥さん一人だったのです。Kはむしろ平気でした。お嬢さんの態度になると、知ってわざとやるのか、知らないで無邪気にやるのか、そこの区別がちょっと判然しない点がありました。若い女としてお嬢さんは思慮に富んだ方でしたけれども、その若い女に共通な私の嫌いなところも、あると思えば思えなくもなかったのです。そうしてその嫌いなところは、Kが宅へ来てから、始めて私の眼に着き出したのです。(『こゝろ』)


小林 真砂町は今の地名では本郷四丁目辺りと言われますが、当時の古地図で確認したところ七番地八番地の春日通り沿いであろうと思われます。その先には帝大があります。小石川を挟んで雑司ヶ谷の反対側です。三人は柳町で出会いますが、これは現在の柳町小学校付近、夏目漱石目漱石・魯迅旧居跡の対面あたりかと推測されます。
村雨 だつたら真砂町で偶然会ったKとお嬢さんが連れ立って小石川に帰る途中だという説明はそう不自然なものではありませんね。確か真砂町には夏目漱石の好んだ羊羹屋もありますし、帝大に用事があったKと羊羹を買いに出かけたお嬢さんが偶然出会っても可笑しくはないでしょう。
小林 Kは真砂町で偶然出会ったと言っています。それなのに先生はKを疑い、お嬢さんにも質問したい。真砂町から春日通りを歩き、白山通りを進んで先生と会ったのだとしましょう。Kとお嬢さんはそれぞれ別の場所から真砂町に移動し、柳町に移動したということになりますね。
村雨 そうですね。
小林 Kの火鉢に火を入れたのはお嬢さんでしょう。Kが学校から帰ってきてまた出かけたとして、お嬢さんが真砂町で偶然Kと出会い、一緒に帰るためには二人とも用事を済ましてから出会わなくてはなりません。全くあり得ないことではありませんが、どこか不自然です。お嬢さんも奥さんに断って家を出ているのでしょうから、二人が連れ立って出かけたならば、奥さんはそのことを知っている筈です。しかし奥さんは先生にこう説明していたのです。


私がKはもう帰ったのかと聞きましたら、奥さんは帰ってまた出たと答えました。その日もKは私より後れて帰る時間割だったのですから、私はどうした訳かと思いました。奥さんは大方用事でもできたのだろうといっていました。(『こゝろ』)


小林 奥さんはKの行き先も、お嬢さんの用事も先生には明かさないことにしたらしいですね。そして、もう一度一つ前の引用を確認してみましょう。よく読むと先生のお嬢さんへの質問事項は明記されていません。「同じ問いを掛けたくなりました。すると」の間に先生の質問が暈されています。お嬢さんの台詞から、「どちらに出かけていたのですか?」と質問したように推測されるのはKを疑っているからでしょう。本当に先生が訊き来たかったのは、どこに出かけていたのか、ではなく、Kと連れ立って出かけたのかということなのでしょうが、ここでは地図上の整合性を確認しようとしていると考えられます。
村雨 と、言いますと?

「と、言いますと?は流石になんとかなりませんか。これでは本当にただの猿です」
「全部お任せいただけるとおっしゃいましたよね」
「意見を言う資格もないのですか」
「君はもうそろそろ文学の厳しさを知らなければなりません。人は猿より進化しています。文学とはファラリスの雄牛です。ユダの揺りかごです。内臓を抉られ、性器を一ミリずつ切り刻まれ、ネットに悪口を書き込まれるのが文学です。いかに人間が下賤であろうとも、またいかに無教育であろうとも、時としてその人の口から、涙がこぼれるほどありがたい、そうして少しも取り繕ろわない、至純至精の感情が、泉のように流れ出してくるとでもいうつもりですか。それは嘘です。高尚な情操をわざと下劣な器に盛って、感傷的に読者を刺戟するドストエフスキーの策略に騙されたのです」

小林 先生が「どちらに出かけていたのですか?」と質問したとすると、真砂町で偶然出会ったというKの答えに満足していないことをKにも示したことになりますね。先生はあたかも鈍感なKに先を越され、焦った末にKを裏切ったかのように見せかけてもいますが、一方ではこのようにして、Kを牽制してもいるのです。先生はまずKに「お嬢さんといっしょに出たのか」と確認し、否定されてもさらにお嬢さんに対して「どこへ行っていたのか」とKの前で質問したことになります。お嬢さんに対して無関心であるように振舞ってはいないのです。
村雨 そうですね。
小林 ここで「どこへ行ったか中てみろ」というお嬢さんの言葉は夏目漱石の技巧です。
これは読者に対する問いかけです。もしもKの部屋の火鉢に火を入れた後、お嬢さんが外出し、続いてKが何かの用事で出かけたとしたとしましょう。では、お嬢さんがどこへ出かけたのか? そんなことがクイズになる条件として、二人の関係に焦点を当て、嫉妬する(F+f)が必要です。このクイズを成立させるためにKも奥さんも何も言いません。つまり先生の疑惑のためには、三人の共同作業が必要になるということです。
村雨 誰かがもう一言、自分の知っている事実を伝えさえすれば、そもそもクイズは成立しなかった、ということですね。
小林 そうです。ここに仄めかされている不自然な偶然は、意図して拵えられたものなのです。Kが真砂町と言った瞬間に、こいつわざと真砂町と云ったな、と先生は気が付いたに違いありません。勿論Kも先生が馬鹿でないことは知っています。二人とも帝大生なのです。先生は帝大から小石川へ帰る道すがら、Kにもお嬢さんにも出会わなかった。先生は今日初めて柳町を通ったとは書いていません。帝大から小石川に戻る道は一本ではないが、真砂町から柳町に至るルートも不自然ではないことはKが実地で示しています。先生が春日通りを通って帰宅した可能性を考えないで、Kが真砂町と言ったとは考え辛い。Kは明らかにブラフをかましています。
村雨 しかし先生は「嘘だ」とは言いませんでしたね。
小林 だが、真砂町ではないのではないかと疑っていました。Kとお嬢さんが真砂町で出会い、尚且つ先生とは一度きりしかすれ違わず、Kが一度家に戻り、出かけて、Kの部屋の火鉢にお嬢さんが火を入れ、お嬢さんが奥さんに断りもなくどこかに出かけて、真砂町でKと出会うというクイズを解こうとしていました。だから先生はお嬢さんに本当の行き先を確かめようとしたのです。
村雨 なるほど!

「なるほど! は流石になんとかなりませんか。これではまるでテレビ通販です」
「全部お任せいただけるとおっしゃいましたよね」
「そうですが、これではいくらなんでも私が阿呆です」
「君は本当にもうそろそろ文学の困難さを知らなければなりません。アーベル多様体を理解しない者に文学を語る資格はありません。三か国語を自在に操ることが文学者の最低の資格です。文学を語ろうとする者は懸垂三十回できなくてはなりません。そして文学を語るものは毎日日本酒を一升くらい飲まねばなりません」

小林 わざわざ源覚寺ではなく、蒟蒻閻魔という印象的な言葉を選んでいることに気が付けばなんということはないのですが、源覚寺なら読み飛ばしても、蒟蒻閻魔を読み飛ばす人はないだろうという漱石の計算の当てが外れたのは気の毒です。ですがこれは読者の方がいけません。源覚寺の説明では閻魔とは「冥界にあって亡くなった人の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も知られているひとりです。」と紹介されています。この唐突な閻魔という言葉が後にじわじわと意味深く感じられてきます。

浦和中学校校長陰茎を切り自殺ス

小林 次の例文を読んでみてください。


(例文①)

私は彼女の手を取り口づけた。
彼女の唇は震えていた。
彼女は言った。
「どうして私の手を握ってジョンにキスするの?」
きまり悪そうに目を伏せたジョンの頭を撫でながら、私は何故彼女がこの印度人の名前を知っているのか訝った。


村雨 読みました。なんだか粗い記述ですね。
小林 粗いと感じましたか。この例文は、あえて一行ごと区切って読むと読者をミスリードしようとする意図がある文章です。ただし、逆に敢えてさらっとひとまとまりの状況として眺めると、奇妙な状況ではあるものの可視化は可能です。では、こうしたらどうでしょう。


(例文②)

私は彼女の手を取り口づけた。
その唇は震えていた。
彼女は言った。
「どうして私の手を握ってジョンにキスするの?」
きまり悪そうに目を伏せたジョンの頭を撫でながら、私は何故彼女がこの印度人の名前を知っているのか訝った。


小林 こうしてしまうと震えていた唇が誰のものなのか、この時点では答えがなくなります。あるいは答えが三つになります。新聞記事としては失格ですが、文学として意味があります。
村雨 そうなんですか?
小林 中村真一郎が指摘している通り、夏目漱石にはジョイス、ベルクソンの影響下で、時間と意識の問題を実践的に掘り下げようとしたような様子が見られます。ベルグソンの持続を極めてシンプルに捉え直せば、本来分割できない時間を、過去、現在、未来と分割してしまうことで、過去しか存在しないのに過去は存在しないというような無意味な矛盾が生じてしまうことへの建設的な提案と言いかえてもいいでしょう。時間の経過とともに語られる言葉、意識の進行、あれからこれへと移り変わる焦点の遷移が小説の時間であれば、その進行によって過去が未来によって意味づけられることを持続と捉えても良いでしょう。
村雨 要するに布石と落ちですね。
小林 極めて短絡的に捉えればそうなりますね。布石はその時点では、意味を持ちません。
或いは曖昧な意味しか持ちません。それが後に語られる落ちによって不意に意味を転換させ、読者を驚かせることになります。より小説作法的に言えば、例えば冒頭の意味が結末で変えられるということです。

「これじゃ、小林十之助ゼミナールじゃないですか」
「小林先生は清潔な方です」
「不潔とは言っていませんが、これではいくらなんでも私が小学生です」
「君は本当にもうそろそろ文学の複雑さを知らなければなりません。拉鬼体を理解しない者に文学を語る資格はありません。葩経を諳んじることが文学者の最低の資格です。文学を語ろうとする者は四六駢儷体を操らなくてはなりません。そして漱石文学を語るものは私が書いた『漱石レキシコン』を買わなくてはなりません。アマゾンで買ってください」


その西洋人の優れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否や、すぐ私の注意を惹いた。純粋の日本の浴衣を着ていた彼は、それを床几の上にすぽりと放り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿く猿股一つのほか何も身に着けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井が浜まで行って、砂の上にしゃがみながら、長い間西洋人の海へ入る様子を眺めていた。私の尻をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐそばがホテルの裏口になっていたので、私のじっとしている間に、大分多くの男が塩を浴びに出て来たが、いずれも胴と腕と股は出していなかった。女はことさら肉を隠しがちであった。たいていは頭にゴム製の頭巾を被って、海老茶や紺や藍の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼には、猿股一つで済まして皆なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。(『こゝろ』)


小林 もう一度この文章を精査してみましょう。この西洋人の描き方には、夏目漱石の文学に関わる重要なルールが示されています。『こゝろ』の冒頭のすがすがしさ、イロニー、「私」が先生となり、『こゝろ』が「私」の遺書となる予感が、私の勝手な妄想ではなく、夏目漱石の文学の作法に基づくものだという理屈を説明しましょう。
村雨 はい。
小林 さてこの文章をさらっと再読いただいたところで、ここまでの範囲の文章では西洋人が男性であることが明記されていないことを確認していただけたでしょうか。特に女だとも書いていませんが、明確に男だとも書いていません。わざと書いていません。だが夏目漱石はここで西洋人の猿股と女の様子を比べています。「ことさら肉を隠しがち」な女と比較しているのです。
村雨 なるほど。
小林 ずっと後でこの西洋人を「彼」と呼ぶことで男性なのだと確定するのですが、「女はことさら」という表現をさしはさむことで、この時点では性別を曖昧にしています。過去が未来によって規定される書き方をしています。少し露骨なくらいに。これは『こゝろ』だけに使われた作法ではありませんが、西洋人の描き方に象徴されるような形で、夏目漱石は時間の性質、現在の意味を確認しようとしています。
村雨 はい。
小林 そもそも過去に起きたことをまさに今起きているかのように順序立てて語りながら、時折り現在の位置から感想を挟み込むこと、また書簡を使い自分の手記の中に他人の記憶を取り込むという『こゝろ』のスタイルのきわどさを今さら思ってみるべきかもしれません。
村雨 ええ。
小林 さして深い意味も主義も思想もなく、単なる技巧として追憶や場面転換、書簡を活用している現代の小説に馴れ過ぎて、感覚が麻痺している人は少なくありません。過去と現在を自在に行き来する意識、他人の心境の追体験、これは夏目漱石の発明ではありませんが、西洋人の描かれ方を見る限り、夏目漱石が場に寄り掛かる語りのきわどさを掘り下げようとしたことは間違いありません。
村雨 はい。
小林 さて、このようにして漱石が「私」をして海水に透けた猿股に注目させながら、その透けた猿股の向こうにあるものを曖昧にしたのは、あることの布石です。なんだか分かりますか。
村雨 …。
小林 この西洋人は「私」とバトンタッチするように先生の傍から消えます。以降も『こゝろ』の中に現れることはありません。このバランスの悪さ、受けるところのない感じは、ここで西洋人が一仕事終えたこと、役割を終えたことを意味します。


その時海岸には掛茶屋が二軒あった。私はふとした機会はずみからその一軒の方に行き慣なれていた。長谷辺に大きな別荘を構えている人と違って、各自に専有の着換場を拵こしらえていないここいらの避暑客には、ぜひともこうした共同着換所といった風なものが必要なのであった。彼らはここで茶を飲み、ここで休息する外に、ここで海水着を洗濯させたり、ここで鹹はゆい身体を清めたり、ここへ帽子や傘を預けたりするのである。海水着を持たない私にも持物を盗まれる恐れはあったので、私は海へはいるたびにその茶屋へ一切を脱ぎ棄てる事にしていた。(『こゝろ』)


小林 この文章を正確に解すると「私」は全裸ということになります。水着は持たない、一切を脱ぎ捨てる。この潔い文章は誤解のしようもありません。先生はスケスケの猿股の西洋人を連れています。「私」はわざわざその西洋人の股間を凝視してから、先生の前にフルチンで現れるのです。
村雨 ええ。
小林 更に言えば海水浴の際の先生の恰好がぼやかされています。頭には手拭いを巻きますが先生の水着は描かれていません。猿股を穿いていたとも、ふんどし姿だったとも書かれていないのです。それでいて二丁も沖に出るのですから、無駄な布切れで下半身を覆っていたとは考えにくいのです。布が水に濡れて重くなれば溺れてしまいます。遠浅といえども二丁も沖に出れば、潮の流れも変わり、足が海底に着くこともないでしょう。しかし西洋人の猿股にフォーカスすることで幻惑してしまいます。
村雨 はい。
小林 文学は(F+f)だと漱石がいうのは、人間の認識がそういうものだからです。


「三島先生のロープ訓練と言ったら、とにかく私が覚えているのは、瑤子さんのミニスカート、もうこれしかないんですよ」(『「兵士」になれなかった三島由紀夫』/杉山隆男/小学館/2007年/p.46~47)


小林 この本の著者は真面目なノンフィクションライターです。三島論者というよりむしろ自衛隊論者でしょうか。けしてふざけてはいません。三島由紀夫が自衛隊のロープ渡り訓練で失神した時、見物していた奥さんが「あなた、しっかりしなさい」と叫んだそうです。そのミニスカートがその場を圧倒したんですね。別の人も同様の発言をしています。あの三島由紀夫が失神しているのに無視です。その後、自衛隊のロープ渡り訓練では死亡事故が起きていますから、この瑤子夫人のミニスカートはそれくらい凄まじかったということです。
村雨 はい。
小林 つまり西洋人のすけすけの猿股は、百五年間私と先生の裸体を隠すくらい抜群の働きをしたのだと言えます。この露出によって暈すという構図は、男たちのホモセクシャルを匂わせることのあからさまさと、先生と奥さんのセックスレスのぼんやりしたところの関係性にも現れます。
村雨 なるほど。
小林 まずはっきりしていることは「私」と先生が出会う鎌倉の海水浴に奥さんは連れて行かなかったという事実です。そして先生は偶然西洋人と出会うのではなく、どうも元々の知り合いであり、「先生はすけすけの猿股一つで泳ぐ西洋人と泊りがけの海水浴に鎌倉に行った」と言われても可笑しくない状態にあったと言えます。つまり奥さんには「すけすけの猿股一つで泳ぐ西洋人と泊りがけの海水浴に鎌倉に行ってくるよ」と告げたことになります。
村雨 ええ。
小林 勿論「すけすけ」は省いてもいいのですが、「何日くらい」「どこへ」「誰と」「何をしに行くので」「下着の替えを何日分用意してくれ」くらいのことは告げなくてはならないでしょう。奥さんの立場からすると、もし、先生と奥さんがセックスレスであったとしたらなおさら)「誰と」「何をしに行くので」というところが最も重要でしょう。それが女でなければ安心できるというものでもないでしょう。先生が奥さんにとこまで話したのか、作品中に仄めかしがないことから、恐らく何かを告げたのでしょう、何も告げずに出かけたということはないだろうと考えられます。その根拠は鎌倉の海で出会った好奇心旺盛な「私」が東京の自宅を訪問することを即答で許可し、鎌倉の海でのことを口止めする記述がないことです。もしも鎌倉での西洋人との関係が秘密だったとしたら、「ただし、君、鎌倉のことは妻には内緒だよ」という台詞があっても可笑しくはありません。付き合いの狭い先生の自宅に、「私」のような馬の骨が訪ねてきて、いつか飯まで食うようになるのだから、先生とのなれそめは必ず話題に出たと考えられます。
村雨 はい。
小林 つまり西洋人と鎌倉に泊まり、海水浴をするところまでは奥さんに告げられていた可能性が極めて高いといえます。そうであったら、奥さんは「何故?」と訊かなかったでしょうか? 何故って、東京は暑くてかなわんからさ、と先生は恍けたかもしれません。しかし奥さんの何故はそこに焦点があったのではありません。何故、その西洋人と泊りがけで海水浴に行かなければならないのか、その関係性が知りたかった筈です。
村雨 ええ。
小林 家に籠られると面倒なので、どこでも誰とでもいいから遊んでいらっしゃい、と言えるほど先生と奥さんはさばさばした関係ではなかったと思います。ここからは単なる推測になってしまいますが、西洋人との海水浴は、奥さんにとって、先生のホモセクシャルを匂わせるものではないでしょうか。そしてはっきりと書かれてはいませんが、先生はしばしばそうした「当てつけ」のようなことをしていたのではないでしょうか。

「あの…」
「何度同じことを言わせれば気が済むんですか。村雨先生は、私共に、全部お任せいただけると、そうはっきりおっしゃいましたよね」
「ええ、でも…もうずっと、はい、ええ、なるほどと、殆ど言葉を発していませんけど、本当にこれで行くんですが。客観的に見ても、もう少し何か言わないと、何かやる気がないか、不機嫌な感じになってしまいます」
「君は福田康夫ですか。自分を客観的に眺められるのは福田康夫だけです。君はまだ文学の深い穴を覗き込んだことすらない。その暗がりから跳躍するカマドウマにさえ腰を抜かすことでしょう。言葉の模細工で経験を誤魔化し、掠め取った小利口を振り回し、君は一体誰に向かって説教をしているのですか。この私に? 小林十之助に向かって、説教をしているのですか? そんな両膝丸出しの、まるで××みたいなジーパンの分際で!」
「小林先生、××は駄目です」

小林 「私」と先生の関係についても、奥さんはしぶしぶ黙認しているような様子が見えます。「私」の方から奥さんに、「鎌倉の海では僕はフルチンで先生と泳いで愉快でしたよ」とまでは言わなかったとは思いますが、「私」が先生の自宅を頻繁に訪ねるようになれば、奥さんは先生に「私」の遠慮のない熱意の正体を尋ねることくらいはしたでしょう。どこでどんな風に知り合い、どうして東京に戻っても頻繁に会いに来るのか。大体コンパで三次会に行っても、二回目って案外ありませんよね。翌朝LINEして、昨日は楽しかったからまた飲みましょうなんていって、それっきりになる人の方が圧倒的に多い筈です。ですから奥さんは、「私」と先生の因縁を最初から認めるか、酷く不思議がるかの二者択一になるかと考えられます。どうも前者ですよね。前者でしょう。
村雨 はい。
小林 何ですか、その気のない相槌は。君は文学を真剣に考えていませんね。
村雨 …。
小林 その不貞腐れた態度は何です? もし真面目に文学をやる気がないのなら、この場を去りなさい。君などいなくて結構、後は私一人でやります。そもそも「私」が何を求めているのか、『こゝろ』の中では明確には書かれていませんが、やはりホモセクシャルが仄めかされていることまでは間違いありません。そんな危険な青年を自宅に上げて飯を食わせるのですから、奥さんは先生のホモセクシャルをある程度許容しているしているように思えます。また先生は西洋人や「私」を、奥さんとのセックスレスの言い訳に利用してはいなかったでしょうか。そういう意図があったかどうかは別として、先生はその気もなく、どうしても受け容れることができないにも関わらず、同性愛者たちに隙を与えているように見えます。それが奥さんへの言い訳であったとすると、『こゝろ』の冒頭部分で唐突に登場し、ふっと消えてしまった西洋人にも明確な役割が与えられていたことになりますね。またKと先生との関係を考える時、先生と奥さんとの長年のセックスレスは、別の意味を持って来ます。例えば奥さんに罪がないとしたら「Kは両刀使いの先生にふられたので自殺した、先生は女に走ってしまった自分を悔い、以来女に触れることを禁じた」といった与太話も思い浮かんできます。『こゝろ』を奥さんが読めばそうは思わないでしょうが、先生の振舞には奥さんをしてそんな与太話を想像させかねないきわどさがあります。男たちのなまなましい露出は、読者をして、奥さん同様ホモセクシャルの素振りでセックスレスの気配をけむに巻く演出ではなかったでしょうか。

困絡っていませんか

その先の原稿をいくら捲っても村雨の台詞はなかった。ネームの中の村雨は、不貞腐れたまま退場し、そのまま消え去っていったように見える。
いや小林の明確な意図で排除されたのだ。
「やはり、何か、その、こんがらがっていませんか。現実と、この企画が」
「何故君はそう思うのですか?」
「小林先生は、先生はさっき少し昂奮なさいましたね。私は先生が昂奮したのに驚きました。とても意外でした。珍しいところを拝見したような気がします。小林先生は普段そんな方ではないのではありませんか?」
「私は先刻そんなに昂奮したように見えたんですか」
「ええ、先生の更紗の風呂敷の合せ目から、小さいおチンポが飛び出したかのようです」
「『人間失格』ですか。三島由紀夫がその記述に刺激されて、小さいおチンポをわざわざ写真に撮らせたことは知っていますか?」
「ええ、全集の四十二巻ですよね」
「四十三巻です。三島由紀夫はその巻頭写真で短パンの隙間から小さいおチンポを勃起させ、わざわざ写真に撮らせています。三島由紀夫は明らかに太宰治を面白くしようとしています。太宰の蟹好きに対して蟹嫌いを演じ、太宰のシンジューに対してハラキリ・シンジューを世界に知らしめました。太宰が芥川を面白くしようとしたことは説明するまでもありませんよね。どうです、君もおチンポを出しませんか?」
「いきなりなんです?」
「村雨先生、いきなりではないんです。わが社では村雨先生のおチンポ映像を全世界生配信することを企画しています」水野みどりは言った。私は勃起した。「結局、男性の文学作品は俺のペニスの方が大きいだろうという自慢です。とんなに大きなおチンポでも産道より太くはないでしょう」私の勃起は終わった。「そしてこうも言いましょう。読者は作品なんか求めていません。純文学の読者は、作家のおチンポを見たいと思っています。ただ、それだけです」
「そうでしょうか」
「間違いありません。現に私がそうです。編集部の全員が村雨さんのおチンポを見たいと言っています」
「まさか…」
「君は『日本国建記』も読んだことがないでしょう」


雪嶺男鹿に高千穗梟師尊勦す都加留が延美斯阿弖利爲渤海に使ひ を遣(また)して、與(とも)に姦(たは)けき神夜麻登を誅殄(ちゅうてん)せむと籌(はかりごと)なし、浹(しま)辰(らく)もあらば粛(みし)慎(はせ)人が羅摩(かがみの)船(ふね)の、野代(のしろ)が浦に幾許差し着きけり。彼の王安(あ)日(びの)大己(おおなむち)神子(みこ)と号(みな)し給ひき。
晴(せい)初(しょ)早(さう)旦(たん)曲浦(きょくほ)が口(くち)守(まぼり)の聞こえ遞(つた)ふに、便(すなは)ち闍(うてな)に戍客(じゅかく)逑(あつ)めて相(さう)看(かん)ものしたりけり。        
差し寄りて目留むに彼の王鵝(ひむし)の皮を内剥ぎに剥ぎて幗(きゃく)と爲し、細やかなる筒袴貂裘裝束き遊ばしけるは言ふばかりもあらず、八掬脛なれども、細腰にしてししへ透き、隆準に御座しましき。椎髻の緑髪馥はしければ、阿弖利爲爲扱ひて直ちに言(まを)すらく、
「戎、そこはかと好きがましければ、女子にやあらむ」
礼无(うやひなき)もて成(な)しを贔(いか)りて首(かうべ)を囘(めぐら)し目を側め、豐偉なる跟隨(こんずい)阿弖利爲が削(さく)を屈(ま)げ、安日大己貴人神子之を舒(のば)して曰く、
「日(ひ)文(ふみ)にものすらく、滄(さう)江(かう)の末東溟(ひむかしのわた)が彼面(かのも)に扶桑國ありて率土(くぬち)に熟(じゅく)蕃(ばん)を黎(おほみ)民(たから)と遊ばして、目(ま)映(ば)ゆかる大君於羅瑕の平らかに宰(うし)割(は)き遊ばしけるとや。斯くばかりいみじげなる太刀帶(は)きたれども、やはか隻眼なる爾(なむち)が大君於羅瑕にはあるまじ」
阿弖利爲肥碩(ひせき)なれど、安日大己貴人神子脩(しゅう)にして、殊に大(おほ)きやかなりけり。削を屈げたる跟隨さへ猶半(なかば)なり。
さてはいすかしき阿弖利爲懐貳(かいじ)を抱き、眉(まよ)を摧(くだ)きて申さく、
「然(ありぬ)有(べし)。遉(さす)が御封(みふ)束(つか)ぬる都加留大君の御悩に候へば、此處なる子(おお)墓(つか)公(のきみ)阿弖利爲、高躅(いでまし)をあへしらひ候ひけり」
「そは傍(かたはら)痛(いた)き事よ。さても我(わみ)尊(こと)、赤頭(せきとう)胡(こ)髯(ぜん)と綽(しゃく)名(めい)せよ」
安日大己貴人神子何爲むに袴を褪ぎ滑べし、ひしと押摺り給ひけけるに、事と大きやかに延ばひ遊ばして、頤(おとがひ)おそぶらひ給ひき。か黒き蘇枋色にて端張りたる直中にけざけざと骨法候ひき。大蛇が若き御首の鬼々しく睨まひければ、悉く魂消りて高光る嫩(ま)日(ひ)に弌(ひと)本耀(もとかかや)く照ら濃さを畏(かしこ)み、負海が丘民斂衽(じんをおさめ)め囲繞(ゐねう)し、妥帖(おだひか)に宿(ひと)昔伏(やふ)し拜(おろが)みたりき。
「撮土(さっと)なる扶桑の國に朕に立ち勝る胆あらざれば、茲を日の本の國と号し、安日大己神子の高敷くべし」


「日本という国は、か黒き蘇枋色にて端張りたる直中にけざけざと骨法候ひき、というくらいですから、芯があるおチンポの朕によって統治されたと『日本国建記』にも書かれています。君はそのことを知っていましたか?」
「いいえ、初耳です」
「それでは本当に『こゝろ』を読んだことにはなりませんね。漱石が文学上の真と科学上の真は別物だと説いていることは知っているでしょう。しかしあからさまな嘘はいけませんよ」
 

 私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた私は全く愚かものであった。私は鞄の中から卒業証書を取り出して、それを大事そうに父と母に見せた。証書は何かに圧し潰つぶされて、元の形を失っていた。父はそれを鄭寧に伸した。
「こんなものは巻いたなり手に持って来るものだ」
「中に心でも入れると好よかったのに」と母も傍らから注意した。
 父はしばらくそれを眺めた後、起って床の間の所へ行って、誰の目にもすぐはいるような正面へ証書を置いた。いつもの私ならすぐ何とかいうはずであったが、その時の私はまるで平生と違っていた。父や母に対して少しも逆らう気が起らなかった。私はだまって父の為まに任せておいた。一旦癖のついた鳥の子紙の証書は、なかなか父の自由にならなかった。適当な位置に置かれるや否いなや、すぐ己れに自然な勢いを得て倒れようとした。(『こゝろ』) 
   

「解りますか。中に心でも入れると好よかったのに、とわざと芯と書きません。これは直中にけざけざと骨法候ひきが可笑しいと言っているのでしょう。おチンポに芯はないと言いたいのです」
「そ、そうなんですか…」
「西洋人のすけすけの猿股も、全裸の私も、先生の突然の立小便も、みなそれそのものを描写しません。マルクスで言えば可能性の中心、共同幻想のような…」
「局部でしょう」
「あるいはそのように呼びならわしても良いかもしれない。村雨君、帰省先での浣腸シーンで、それが持ち上げられたかどうか分かりますか」
「分かりません」
「そうです。解らないように書かれています」


私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽っているのか、景色に見惚れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞きました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分の傍にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上あがります。そうして遠慮のない大きな声を出して怒鳴ります。纏った詩だの歌だのを面白そうに吟ずるような手緩い事はできないのです。ただ野蛮人のごとくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸を後ろからぐいと攫みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きました。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。(『こゝろ』)


小林「これでは先生の股間がKのお尻に当たっています。このことから私が先生に受け入れられなかったのは、先生も私もKもタチでありネコではなかったからではないと業界では言われています」

今井浜へ来て一週間目の夜のこと、三島さんは、はじめて私を裏返しにして、ことを行おうとした。/以前、三島さんは私に、『ぼくはもともとバックという奴は好きじゃない。第一、相手の顔が見られないだろ。ぼくは、向き合って、顔を見なけりゃ嫌なんだ。向き合う形が好きなのは、精神性の強い人間なんだってね』と笑いながら言ったことがあるが、この夜はちがっていた。相手のご機嫌ばかりうかがってはいられないという、怒りさえ混じった強い気配があった。好きでもない体位でも、やるだけやってみようという、至上命令を敢行する兵士のような一途な勢いだった。/三島さんのものが、的を外れながら、私の臀部の内側を、ひどくあわてるふうに擦り動くだけなので、痛いというよりただくすぐった。/[……]/もう、三島さんの思惑などどうでもよかった。止めようもない笑いが吹き上がってきて、その波打つ腹の皮の動きで、その下のシーツがよじれるほどだった。すでに三島さんは私の背から離れていたが、私は上半身をおこしてそのままシーツをたたきあいながら笑い、なお、笑いで身をよじるので、敷布団から畳の上へ、半ばずりおちる格好になった。
(『三島SM谷崎』/鈴村和成/彩流社/2016年/p.43~44)


「これは結果として福島次郎の小説『三島由紀夫 剣と寒紅』の孫引きということになります。村雨君は、この文章に違和感がありませんか?」
「ええ、三島がタチということですか」
「そうです。なんとなくネコだと思っていたでしょう。谷崎にしても三島にしても猫好きは大抵支配されたがるネコです。三島がタチだとすると、楯の会が矛の会ではないことの意味が解らなくなります」
「そうなんですか」
「三島は『家畜人ヤプー』を大絶賛しています。日本人男性は本質的に白人女性に隷属し、糞尿を食し、去勢され、そのペニスを鞭に加工したもので叩かれることを至福とするものなのだ、という発想に大喜びします」
「当社といたしましても、個人的にも村雨先生のおチンポを去勢して鞭にして、お尻を叩きたいと考えております」
水野みどりは言った。
ゆさゆさゆれた。


みよし野の峰に枝垂れるちどりぐさ
 吹く山風に揺るるを見れば
老紳士は読んでくれて、頼みもしないのに歌の解釈もしてくれた。
「みよし野の峰に枝垂れるちどりぐさ吹く山風に」までは「揺るる」の序で、「揺るる」は国が動乱することを意味するもので、歌の大意は「なんと国家動乱したことであるわい」という意味だそうである。
「御製(ギョセイ)ですねえ」
 と私は言った。
(『風流夢譚』/深沢七郎/昭和三十五年)


「ここで深沢七郎が天皇の辞世の句にわざわざ南朝の都である奈良の枕詞、みよし野を選んでいることは注目に値します。」小林十之助は言った。「昭和天皇には奈良の都を懐かしむ来歴はあろう筈がありません」
それはそうなのでしょうが、何故急に揺れる話になったのですかと私は訊けなかった。小林が私の視線に気が付いて、厭味を言っているのは間違いなかったからだ。
「こちらの資料をご覧ください」
水野みどりはクリアファイルに挟まれたパワーポイントの資料を追加した。
 
まだまだ十年も二十年も生きる気で


「このプランについては私からご説明させていただきます。さすがに夏目漱石だけ『こゝろ』だけでサブスクリプションというわけにはいきませんので、『こゝろ』の次は三島由紀夫、太宰治といった人気作家を扱っていきます。小林先生はご専門が三島由紀夫、深沢七郎、稲垣足穂、北波士青とマイナー路線ですので、村雨先生には引き続き原案者としてご参加いただきたいと考えています」
なるほどそれで最初から私を聞き手に回したというわけなのか。確かに二作目以降は私が話し手になることはできない。それであえて最初から私を聞き手に回して、この企画に長期的に参加させようというのか。ただ、そもそも私が聞き手に相応しいのか。それに河原岩雄の『こゝろ』論と同じレベルのコンテンツがどこから出てくるというのだろう。そしてなお原案者とは?
「まず企画の二本目ですが、従前から打ち合わせをしていた小林先生の三島論から深沢七郎の『風流夢譚』と三島の死の関連付け、『豊饒の海』の新解釈としたいと思っています。ざっくりと要点を攫うと二ページ目のような流れになります」

①三島由紀夫は死の一週間前の対談で、


で僕はね、つまり、殺されてない人間がどうだとか、テロリズムはいけないだとか、そういう思想は戦後聞き飽きたと、そしてね、例えばロシア革命でそうだし、みんな殺されてるんですから、貴族は、フランス革命でもそうですよね、それでフランス革命の人間に向かってですね、マリー・アントワネットが殺された時どんなに苦しかったかとお前は考えてみたことがあるかと言っていたら革命が成り立ちますか。
僕は、二・二六事件は感心だと思うのは、女子供をひとつもやっていないんです。僕はそれはね非常に立派だと今でも思う。僕は女子供をやるのは非常に汚いと思っていますね。
ま今の戦争はことごとく汚くなっていますがね。テロリズムは是認しますがね、弱くなっちゃいけないと考えている。


と、述べている。ここで唐突に持ち出されるマリー・アントワネットの意味は明らかではない。文意は「テロリズムを肯定し、革命の必要性を主張し、二・二六事件で決起した青年将校たちが女子供を殺さなかったことを評価し、貴族は殺されてやむなし、マリー・アントワネットが殺されてこそフランス革命が成立したのだ」と述べていると理解できるものの、何について述べているのかが分からない。三島の対談でマリー・アントワネットに言及されるのは一度きりである。
この答えは『風流夢譚』の中で仰向けに首切られる皇太子妃殿下にある。三島由紀夫は仰向けにギロチンに賭けられるマリー・アントワネットの死と皇太子妃の死を重ねた。

②三島の死の十年前、『憂国』と同時掲載される予定もあった『風流夢譚』には結果として三島の死を予言するようなモチーフが生じることになる。


首は人ゴミの中へ転がって行って見えなくなってしまって、あとには首のない金襴の御守殿模様の着物を着た胴体が行儀よく寝ころんでいるのだ。私は御守殿模様の着物を眺めながら、横に立っている背広姿の老紳士に、
「あの着物の模様は、金閣寺の絵ですか? 銀閣寺の絵ですか?」
 と聞いた。私の直感で、この紳士は皇居に関係のある人だと睨んだからだった。
(『風流夢譚』/深沢七郎/昭和三十五年)


実際には着物には豊受大神宮と三条大橋が描かれていた。豊受大神宮は天照大神のお食事を司る御饌都神・豊受大神を祭る。まさに天子様の「握り飯」の神宮である。そして京都の三条大橋と言えば「晒し首の名所」である。
三島由紀夫ならその予言に気が付いただろう。いずれも御守殿模様のモチーフとは縁遠い地味なモチーフだ。深沢は三島に対して、お前みたいなインチキ野郎は金閣寺なんかじゃない、晒し首になって熱い握り飯になるのが関の山だよ、と予言したのだ。

③三島由紀夫の辞世の句が下手過ぎるのは、『風流夢譚』にある長々し序の影響ではないか。三島はパレットプレイを演じきった。ピエロが自分はピエロだと最後まで言わないために村田英雄に電話をかけ、七生報国の鉢巻きを巻いた。富士の見える場所に自分のブロンズ像を建てよと二つ目の遺書に書いたのは、最後の最後まで道化を認めたくなったからである。

「ちょっといいですか。これではいくらなんでも弱すぎます。話としては面白いけれど、与太話です。三島の死の意味を深沢七郎の作品に求めるなんて、少し跳ねすぎ、無理がありますよ。そんな話で良ければ何でもありになってしまいますよ」
「だから君は文学が解っていないというのです。文学とは命がけの跳躍です。不可能な距離を飛び越えるのが文学です。西部邁は三島論を書いた以上死を覚悟せねばならぬとピストルを手に入れましたが、ハラキリをしないでわざわざ多摩川に飛び込みました。あえて太宰の真似をして話を面白くしようとしたのです」
「…」
「君は三島が市ヶ谷に向かう中古のコロナの中で、楯の会の隊員たちと『唐獅子牡丹』を大合唱したことを知っていましたか。三島のことを嫌っていた深沢七郎が、谷崎潤一郎賞パーティで上機嫌で熱唱したのも『唐獅子牡丹』です。深沢七郎は『風流夢譚』の中に昭憲皇太后を登場させて明治天皇の妃なのか大正天皇の妃なのか分からないと言って見せます。皇后とならないで皇太后となった英照皇太后に倣って皇后でもあったにも関わらず皇太后と追号された昭憲皇太后に一言あるようです。昭憲皇太后と主人公は取っ組み合いの喧嘩をします。この意味が君には分かりますか?」
「いえ、分かりません」
「そもそも君は『豊饒の海』を読んだことがありますか?」
「『豊饒の海』を読んだか…どうでしょう。その問いは、夢は必ず叶うか、という問いと同じでしょう」
「そんな呑気な話ではありません。いいですか『風流夢譚』はけして荒唐無稽な嘘話ではありませんでした」


本多は裁判所で月に一ぺん開かれる「時局調査会」で、この六月シャムで起こった立憲革命の話をきいた。(『奔馬』/三島由紀夫/新潮社/昭和五十二年/p.281)

この話をきいた者は皆心の中で、日本の現状の逼塞は甚だしいものであるが、なぜ日本の革命は五.一五事件のような無益な流血におわり、こうした穏和な成功に達することがないのかということを、思い較べてみないわけには行かなかった。(同前/p.283)


「今でこそ三島事件も、学生運動も、荒唐無稽な愚行ということになっていますが、新宿騒乱の時点では本当に世の中がひっくり返るかもしれないという雰囲気がなかった訳でもないのです。当時韓国では第二共和国が誕生していました。1960年はそうした変革の時代でした。美智子様のご成婚はその前年です。おそらく三島は死後五十年間の日本を信じないと思いますよ。三島事件を受けて中曽根・後藤田・佐々ラインで特殊急襲部隊SATが計画され、三菱銀行人質事件というおかしな事件が起きました。君は三菱銀行人質事件の何が可笑しいかわかりますか?」
「いえ…」
「だから君には文学を語る資格がないというのです。当時三菱銀行といえば良家の子女の就職先でした。どこぞの馬の骨というわけにはいきません。三菱銀行人質事件で丸裸にされ股間を晒していたお嬢様方は、みなちゃんとした家の娘さんです。良家のお嬢さんがみなあそこを晒しました。もう丸見えです。SATはそんな事件を栄養にして、承認されました。梅川は事件前にこう言っています」


エロティシズムと名が付く以上はね、つまりその、人間がつまり体を張って死に至るまで快楽を追及してね、絶対者に裏側から到達するのがエロティシズムである、と言っているのを知っていますか。もし神がなかったら神を復活させなければならない。神が復活しなければ、エロティシズムは成就しないんだから。無理にでも絶対者を復活させることによって、エロティシズムも復活する、と。


「それは三島由紀夫でしょう」
「三島も梅川も同じようなものです」
「そんなことはないでしょう」
「では三島と梅川の違いは何ですか。二人とも人質立てこもり犯じゃないですか」
「それはそうですが…」
「三島由紀夫と鳥肌実の違いが説明できますか。君にその覚悟がありますか。今すぐ地獄に落ちる覚悟がありますか」
「この企画は最低でも三年間は続けたいと考えています」遮って水野みどりは言った。「村雨先生には『こゝろ』に続いて『明暗』や『それから』でも新しい解釈を示していただく予定です」
「そ、それは無理ですよ」
「できないことはないでしょう。君は『明暗』や『それから』から新たな解釈を見出すその力もないと知りつつ、文学の門を叩いたというのですか。小林秀雄も亀井勝一郎も気が付かなかった『こゝろ』の秘密を暴いたと得意満面だったのに、もう逃げ腰ですか」
「おそらく何かを書く事はできます。ただほかの漱石作品にも『こゝろ』のように多くの謎が残されているかどうかは疑問です。これは私の力量や読解力の問題ではなく、その作品が読者や評論家によってどのように読まれてきたかという問題です」
「そうではないでしょう。君は夏目漱石だけを読んできたわけではない筈です。たまたま今回は『こゝろ』を読んで何かを書いたに過ぎません。本物の文学者は電話帳を読んでも何かを書く事ができます」
「まさか」
「西村京太郎ミステリーにおける時刻表のようなものです。峰隆一郎は『剣豪はなぜ人を斬るか』の中で、五、六年ほど前までは、眠る前の三十分くらい、天井に敵を置いて、どう斬るか、どうやったら斬れるかを、ずっと考えてきた、と書いています。君はそのくらい必死に文学と向き合っていますか。あなたはだらだらとまだ十年も二十年も生きる気ですか? いつ死にますか?」
「…まだ決めていません」
「あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短いような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるんじゃないですか?」

あるはずのないもの

あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短いような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるんじゃないですか、と小林十之助は言った。
唐突な質問だ。何だか意味のあるような、またないような訊き方をしておいて、わざとその後を言わない。しかし何かあてはまるものがたった一つ思い浮かぶ。
曖昧な表現のようで、それ以外には当てはまるものがない。
自分のようなまた他人のような、長いようなまた短いような、出るようなまた這入るようなもの。あの古書は買ったものではなく貰ったようだがはっきりしない、なんなら昔同じことを自分が書いていたような記憶があるが証拠はない。自分のものなのか他人のものなのか良く分からない。昔書いた読書感想文は精々原稿用紙四五枚の短いものだった筈だが、古本は二百五十枚くらいの分量はあろう。今回はそれを規定の百枚に書き直した。それをサブスクリプションとやらのためにさらに引き延ばそうとしている。長いのか短いのか良く分からない。それにこの古本は再出版され世の中に出される目論見だったのが、今や企画に取り込まれ、原案としてコンテンツの中に入ろうとしている。まさに出るような這入るようなものになりつつある。
もしや最初から不機嫌で喧嘩腰なこの小林十之助という男は、あの古書を読んでいないまでも、あの古書に関する何らかの情報を持っているのではないか。そもそも漱石研究家ならば、あの古書が存在していたことだけは知っていて、手にしていないということはなかろうか。
そう疑うと急にこの男に興味が惹かれた。検索してみるが、ウイキペディアに記事はない。アメーバ・ブログとツイッターとニュースピックにアカウントはあるようだ。

ブログの表紙はヨハネ・パウロのサインが入った『形而上學』。
私(わたくし)の肉体を前提にしないで、万物の仕組みを語ろうとした画期的な試みだ。
これは小林長太郎から引き継いだ蔵書だろうか。それにしても混乱している。サインは確かにパウルス・ヨハネスと読める。だがその後に何かくっついている。Secundiではない。これがどこかのヨハネ・パウロ二世のサインだとして、『形而上学』にサインする意味が分からない。これが学生の落書きだとして、通常ヨハネス・パウルスと綴られるものをパウルス・ヨハネスと逆に綴り、しかもお尻に何かくっつけている意味が分からない。
こんなものはある筈がないし、あってはならない。
なぜこんな写真を表紙に使うのか、その意味も分からない。
「分かりました。『それから』になるか『明暗』になるか読んでみないと分かりませんが、今回と同じレベルのものを書きましょう」
「読んでみないと? それはどういう意味ですか?」
「何しろ他の漱石作品は大抵大昔に一度読んだ切りですから、すっかり中身を忘れてしまいました」
「まさか君は『こゝろ』だけを何十回も読んで、あの原稿を書いたとでも言い張るつもりですか? そんなことはあり得ません」
「いえ、『こゝろ』を読んだのも二回です。『1Q84』も『絶歌』も『騎士団長殺し』も立ち読みで一回だけ読みました」
「そんな馬鹿な話はない。君はブログで『1Q84』の続編を書いていますね。それから『絶歌』について三冊もキンドル本を書いています。『騎士団長殺し』についても一冊書いていますね。あなたは立ち読みでそんな曲芸をこなしたと、ありもしない自慢したいのですか」
「『絶歌』でも引用される「懲役十三年」は酒鬼薔薇くんが書いたものを見せられたダフネ君が一読で暗記し、ワープロで打ち直し、事件の証拠品として警察に提出されたものです。それが本当の曲芸です。自分の筆跡にそっくりな、しかし鑑定すれば自分のものではないと判断される犯行声明文を神戸新聞社に送り付けること。存在しないテクストの引用。黒い袋の男を呼び寄せること。嘘話に現実を引き寄せること。それが本当の曲芸でしょう。私はそのフェイクの領域の手前でもがいています」
「しかしまあ、あはは、『こゝろ』だけを読んだというのはさすがに嘘でしょう」
「いえ、ですから文学全集に入っているような作品は子供の頃あらかた読みましたよ。多分漱石、芥川、太宰、三島、庄司薫くらいまでは一度は全部読みました。でも、全作家の全集を読むことは不可能でしょう。私もざあっと読んただけです。尾崎紅葉を『金色夜叉』だけしか読んでいないという人は案外多いでしょう。志賀直哉の『暗夜行路』を遠藤周作は読んでいません。過去に書かれた全ての本を読むことは不可能ですから」
「では何故、君は『それから』でも『明暗』でも評論を書く事が出来るなどと言うのですか。その確信は何を根拠にしていますか?」
「むしろ僕は、多くの人々が読み誤っていることが不思議でならないのです。みんなことごとく漱石の『こゝろ』を読み誤っていました。だからまだ隙が残されていないとは思えないのです。それに今、また一つ『こゝろ』に関する新しい解釈が思い浮かびました。卒業が結構というところ、やはりあれはKが卒業前に死んでしまったことに絡めているんでしょうねえ」
「しかしそのことが、君のこれから書くものの値打ちを保証するとは言えませんね」
「何も未来を保証することはありません。ただ私は本人以外の作品からのこじつけなしで誠実に作品を読み解き、」
「こじつけとは、私のことですか」ショックレス・ハンマーを手に立ち上がるかと思うほど小林は気色ばんだ。「令和の戸坂潤と呼ばれたこの私を馬鹿にするのですか」
 先生、そのショックレス・ハンマーはどこで手に入れたんですかと私は訊かなかった。

水野みどりのメール


 
薫風の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。さて、村雨先生、あれ以来お会いしておりませんが、お身体は大丈夫でしょうか。私はあんな風に人が倒れるのを初めて見ました。このメールをあなたが読んでいる時点では、私はまだこの世にいるでしょう。しかしもうあなたと二度とお目にかかることはないでしょう。
最後にあなたにメールを送るのは、あなたにどうしてもこの纏綿した事情を打ち明けて謝罪しなくてはならないと思ったからです。私の旧姓は、河原です。私の父は河原邦夫です。覚えていますか。あなたの読書感想文を笑った国語教師です。むきむきの眼鏡の国語教師といえば思い出していただけるでしょうか。父はあなたの作文を自宅にも持ち帰り、散々笑っていました。勿論そんな記憶は私にはありません。お父さんが一番喜んだのはどんな時だったかと母に尋ねた時、母がそんなことを覚えていて私に話してくれて、それから父の遺品の中からあなたの読書感想文が見つかりました。(父は少し変わった病気で、最後は玉川上水に身投げして死にました。)東京に戻って以来、私は村雨春陽という名前を深く記憶しておりました。私は村雨春陽という名前を思うだけで、机の角に股間を圧しつけたくなります。その晴れなのか雨なのか分からない名前に、私の生涯はずっと支配されてきました。その名前を実に私は応募作の中に見出しました。私の人生にはあなたが必要だ、どうしても必要だ、と思い続けてきました。私は椅子からずり落ちました。何度坐りなおそうとしても、滑ってしまって座ることができませんでした。私はその日の午後、緑色の体操着で過ごしました。
私は村雨先生の「猿股はスケスケ」が父のお気に入りだったことを覚えています。父はいつも「猿股はスケスケ」と言っていました。それから「おかんのこかんはいけん」とも。鳥取弁の「いけん」は大阪弁で「あかん」だと父は教えてくれました。大人になって、父を東京に引き取り、下の世話をし始めてようやく、「おとんのこかんはいけん」と思いました。持ち上げるのがどうにもダメです。
私の父は国語教師の癖にむきむきだったと評判だったようですが、いつか私にはその理由を語ってくれたことがあります。安下宿でインスタントラーメンをすすっていた民青の学生が三食どんぶり飯を食べていた機動隊員には勝てないと、父は鍛錬を始めたんです。腹筋を百回、腕立伏せを百回、スクワットを十回、父はトイレが一つしかない新宿の酒場で、国語教師だった母と出会い、私が生まれました。
父が国語教師になったのは、詩人だったからです。ガリ版同人誌や紐綴じ詩集に薄田泣菫に似た香奩体の詩を書いていました。詩人としては河原剣水、随筆の時には河原岩雄と名乗っていました。
さて、もうお判りでしょう。あの本はあなたの読書感想文を剽窃して父が勝手に書いたものです。…つい先日までそう思っていました。
しかし先日校閲部のアルバイト社員が、とあるキンドル本を見付けて来ました。

The biggest failure of Soseki Natsume's "kokoro" research to date may have come from missing the rhetoric that "I" is k's reincarnation.
It is possible to eliminate the fifty-year twist over Soseki Natsume's "kokoro" simply by pointing out that "I" is repeatedly suggested in "kokoro" as being the reincarnation of k.
Many critics of Soseki Natsume's "kokoro" have a standing position of "I", the meaning that the teacher approaches, the incomprehensibleness of the death of k and the reason of the teacher's death, that is, the relationship between "I" and the teacher and K It is because it comes from the fact that it can not be caught.
In Natsume Soseki's "kokoro", "I" is suggested as reincarnation of K. However, it has not been determined that it is a rebirth. It is the reader's qualification to accept this literary expression.

本のタイトルはThe Correct Interpretation of Soseki Natsume's "kokoro"、作者はジョン・スミス、ミゼル・アンド・ラスキン・ブックパブリッシングという出版社から1964年に出版されていたことになっています。今この瞬間にもアマゾンで購入可能ですし、プライム会員になっていれば無料で読むことができます。父の書いた漱石の本は私の手元にはありません。おそらくもうこの世のどこにも存在しないでしょう。ですから比較しようもないのですが、この書き出しは村雨先生の原稿とそっくりです。
ジョン・スミスという名前はあからさまなペンネームでしょうし、ミゼル・アンド・ラスキン・ブックパブリッシングという出版社も実在が疑わしいものです。同じ出版社からアマゾンに提供されている本はありません。問題はこの本が1964年に出版されたという主張です。ISBNができる前のことです。あなたが読書感想文を書き、父があなたの読書感想文を剽窃して漱石の本を書く十年以上前のことです。
勿論アマゾンでの販売はつい最近のことで、話題にすらなっていません。ブックレビューも惚けたものしかありません。私はこれが本当に1964年に書かれたものだとは思いません。どういうからくりなのか、私には皆目見当がつきませんが、兎に角こうしたものが出来上がってしまったことは致命的です。
例えばテネシー・ウイリアムズは1959年に漱石の『こゝろ』を読んで感心しています。この時期太宰や漱石が既に翻訳されていたことは間違いないので、偶然にあなたではない誰か、あるいはあなたのお父さんがThe Correct Interpretation of Soseki Natsume's "kokoro"を書いた、ということが絶対ないとは言い切れません。
むしろそうでないことが明かならば、この企画はまだ前に進められたかもしれません。
あなたはお父さんから何か聞かされていた。そして一読で核心に到達できた、…そんな可能性はないでしょうか。村雨先生のご実家には筑摩現代文学体系と集英社ベラージュ世界文学全集があったとおっしゃいましたね。
そんな環境がどこにでもあると思いますか?
『鳥取県における稲稿葉枯病の防除について』『ラッキョウのネダニの防除について』『ネコブセンチュウの駆除効果及び施肥量がダイコンの収量構成因子に及ぼす影響について』『ヒメトビウンカの発生消長について』『ネキリムシ類の防除に関する研究-2-圃場における数種薬剤の防除効果』『ヒメトビウンカのイネ株越冬について』…は村雨先生のお父様が発表された論文ですよね。
お父様は英語でも論文を発表されています。
村雨先生、あなたはお父様と何かお話をされるべきなのでしょう。私が村雨先生にお会いした時感じたままを正直に申し上げます。この顴骨の張った、四角な、赭ら顔の小男は何十年間もただ閉居して、人を怖れる心と、人を憎む心とを養ってきたのではないかと。その癖、人恋しくて、打たれるか、撫でられるかと、恐る恐るすり寄ってきます。いえ、むしろ何かお尻でも打たれたいかのような妙な態度が見えます。あらゆる物を馬鹿にしています。
先生は子供だが。小学八年生から卒業せんといけんで。精出して勉強しんさい。
だけども、もう文学はやめんさい。
いずれにせよ、このまま企画を続けることは不可能になりました。
私は村雨先生自身によって、あの本が甦ることが正しいことだと思っていました。ですから父の剽窃についても黙っていましたし、先生が父の本を参考にされたのではないかという疑いを伏せていました。この嘘はばれないと信じていました。
しかしこんなことになってしまって本当に残念です。生理的腫瘍で私は明日から産休に入ります。引き続き倍旧のご厚情を賜りたく、切にお願い申し上げます。末筆ながらご一同様にくれぐれもよろしく申し上げてください。

                           了








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